5.あなたの名前は
それから数日が経った。
エアハルト様に約束したとはいえ、わたしはソフィアのことが気がかりだった。
わたしがゲームの内容と違う行動を取っているために彼女がとばっちりを食うというのは、なんだかおかしな話な気がする。
必ず誰かがハズレくじを引くような結末じゃなく、みんなが幸せになる結末だってあっていいはずだ。
それを見つけようと、わたしはさりげなく宮廷の人達に探りを入れてみることにした。
〇〇〇〇〇
「あら、リーゼロッテ。最近王妃様のお部屋に来ないのねえ。どうしたの?」
廊下で声をかけてきたのは、王妃様の部屋付きの女官、イレーネさんだ。
女官には、基本的に高位貴族の既婚女性だけがなれる。
イレーネさんはローエ伯爵夫人。今年結婚したばかりの新婚さんだ。
「ごきげんよう、イレーネさん。最近ちょっと忙しくて、なかなか王妃様に顔をお見せ出来ず残念ですわ」
「そうよね、あなた最近は予知魔法で騎士団のお手伝いをして、大活躍なんですってね。この国の天敵とも言えるあの忌々しい魔獣の出没を正確に予知しているそうじゃない。本当に素晴らしいわ。それに、エアハルト様ともいい感じなんですって? この頃よく二人で会ってるって、もっぱらの噂よ。あの堅物の副団長が、って」
「え!? …あの、いえ、そんな…」
エアハルト様の名前を出されて、わたしは急にどぎまぎしてしまった。
思い出さなくていいのに、手の甲に触れた唇の感触がよみがえる。
だからあれはただの挨拶で、二人で会ってくれてるのは真面目なエアハルト様の義務感からで。
イレーネさんはにやりとしてわたしを廊下の壁際に追い詰め、わたしの顔すれすれに壁に手をついた。
きれいなおねえさまに壁ドンされて、余計に心拍数が上がる。
でもイレーネさん、仕事の途中だったんじゃ…?
「うふふ。あなた、本当に変わったわよねえ。前はもっと高飛車で人の悪口ばかり言って得意げに当たらない占いを披露するしょうがない子だと思っていたけれど、この頃はすっかりいい子になったように見えるわ」
「!! イ、イレーネさんったら、正直ですわね!!」
「そうよ。だからあなたも正直におっしゃいな。どうやってエアハルト様の心を掴んだの? 他の人達も不思議がっているわ。…特に、王妃様が」
王妃様、と聞いて、背筋がすっと冷えた。
イレーネさんが猫撫で声で言った。
「ねえ、リーゼロッテ。あなた、ソフィアの解雇を取りやめるよう騎士団長様に嘆願に行ったんですって? どうしてそんなことをしたのかしら? 以前のあなたは、平民上がりのソフィアになんか目もくれなかったのに」
「わたしは…」
心臓が早鐘を打つ。
女官のイレーネさんが知っているのだ。
王妃もこのことを既に知っているのは間違いない。
あのとき、団長室の外にもわたしの声が筒抜けだったと、エアハルト様も言っていた。
だとしたらイレーネさんは、王妃に言われてわたしに探りを入れているのかもしれない。
どうしよう。団長の言っていた「お上」が王妃のことだとすれば、わたしは真っ向からそれに逆らったことになる。
王妃はソフィアをスケープゴートにするのをやめ、わたしに不倫の罪を被せようとするかもしれない。
既定路線に戻って。
今、そんなことになったら…わたしだけでなく、おそらく婚約者のエアハルト様にまで迷惑がかかる。
青ざめて黙り込んだ私に、イレーネさんは、ふっと笑いかけた。
「…なんてね。いやだわ、そんなに困らせるつもりはなかったのよ。わたしったら駄目ね、噂話が大好きなんだもの。ごめんなさいね」
イレーネさんは壁についていた腕を下ろすと、ぺろりと舌を出した。
今のが、ただの噂話…?
わたしは安堵と疑いの入り混じった声で言った。
「…いいえ、イレーネさん…王妃様に、よろしくお伝えください」
「ええ、あなたが元気そうだったと聞けば、王妃様もお喜びになるわ。それでは、ごきげんよう」
「ごきげんよう…」
イレーネさんはくるりと向きを変えると、優雅な歩き方で去っていった。
わたしはそれを見送りながら、決意した。
やっぱり、何もしないでじっとしてはいられない。
ソフィアに会って、直接話を聞いてみよう。後のことはそれから考えればいい。
〇〇〇〇〇
さんざん宮廷内を探し回ったけれど、ソフィアは見つからなかった。
わたしは中庭に出て、木陰のベンチで一休みした。
ハイヒールで歩き回ったから、足が痛い。
前世で履いていたような、足に優しいクッション付きのローヒールが欲しいな…と思いながらぼんやりと木洩れ日の庭園を見ていると、ふと、隣に何かの気配を感じた。
わたしのすぐ隣に、幽霊が座っている。
たぶん、公爵家の舞踏会で会ったあの幽霊だ。
わたしには霊感なんてないけど、どことなくあのときと同じような気配がする。
あの舞踊会の後、わたしは幽霊を探しに再び公爵家にお邪魔した。
舞踏会で忘れ物をした、という名目であちこち邸内を見せてもらい、バルコニーにも行ってみたけど、幽霊には出会えなかった。
まさかこの王宮の中庭で会うとは!
「あ…、あの…幽霊さん?」
「はい」
よかった…!
意外に普通に答えてくれた!
わたしはひとまずぺこりと頭を下げ、お礼を言った。
「先日はありがとうございました。おかげで舞踏会に来ていた方々に被害もなく、魔獣は騎士団によって無事に倒されましたわ」
「それはよろしゅうございました」
あれ? この話し方…どこかで聞いたことがあるような…。
どこで聞いたのかを思い出せないまま、わたしは言った。
「ええ、本当によかったです。それで…どうしてあなたは、わたしに魔獣のことを教えてくれたのですか? あなたのお名前を…伺っても、よろしいかしら?」
おそるおそるそう尋ねると、幽霊はわたしに顔を向けた…ような気がする。
白っぽいぼんやりとした形しか見えないから、顔の角度や表情なんかは、全然わからない。
「一週間後、王宮内の礼拝堂に三体の魔獣が攻め寄せます」
「へっ?」
幽霊はとんでもないことを言いだした。
わたしの質問はスルーなのか…いや、それよりも、ここの礼拝堂に三体の魔獣?
そんなことはありえない。
神の家である礼拝堂に、闇の眷属である魔獣が攻めてくるなんて。
少なくとも、あのゲーム内では絶対に起こらなかったはずだ。
わたしは怖くなって、すがるように幽霊に聞いた。
「それ、どういうことですか? なぜ礼拝堂に? 何時頃? 三体って、飛行型ですか、四つ足型ですか、それとも水生型!?」
「行けばわかります。あなたはそれを止めてください」
「ちょ、ちょっと待ってくださる? どうしてまた、わたしなんですの!?」
思わず口調が変わる。
なんで何の取り柄もないわたしに言うの?
幽霊から貴重なお告げをもらう役なら、わたしみたいな悪役令嬢ではなく、もっと他に適任者がいそうなものだけど…。
「あなたならできます。あなたと、ソフィアなら」
「ソフィア…?」
「ええ。幸運を、祈っています」
「待っ…」
幽霊は、すうっと消えてしまった。
わたしは呆然と、今そこに幽霊がいた場所を見つめた。
一週間後、王宮の礼拝堂に、三体もの魔獣が押し寄せる。
それはおそらく、本当にそうなるのだろう。
あの幽霊が誰だとしても、わざわざわたしの前に現れて嘘をつく理由なんてないはずだ。
そして――わたしはソフィアと一緒に、その魔獣の群れを止めなければならない。
もちろん騎士団の協力を得ないと、何もできないけれど。
「…でも、どうしてわたしとソフィアが…?」
思わずそう呟いた途端、背後で枯葉を踏む音がした。
反射的に振り向くと、そこには、目を見開いたソフィアが立っていた。




