41.復讐の行方
※流血描写があります
フェリシテ様の後について、地下通路を急ぐ。
距離感の掴みにくい、曲がりくねった道だった。
途中、何度か分岐もあったから、王宮のあちこちに通じているんだろう。
しばらく歩くと、突然目の前に階段が現れた。
それを上ると、平坦な壁に突き当たる。
だけど、よく見ると壁には小さな窪みがあった。
入った時と同じように、ソフィアがその窪みに手を当てた。
すぐに、壁に四角い出入口が開いた。
外に出ると、そこは宮殿の離れの中の大ホールだった。
わたし達は次々にその広い空間へ飛び出した。
全員が地下通路から出た途端、たちまち壁の出入り口が消失した。
改めて周囲を見渡す。
離れの中にある、天井の高い吹き抜けの大ホール。
右手にある扉は星の間に通じている。
王の部屋は、反対側の角の螺旋階段を上ればすぐだ。
だけど、普段は王族のお世話をする人達で溢れているはずのこの離れには、不気味な位に人影がなく、しんと静まり返っている。
精鋭揃いのはずの衛兵の姿はどこにもない。
女官や、掃除係の姿さえ見えない。
人払い、されている――?
不穏な空気に、ぞくりと背筋が冷たくなる。
幸い、今は魔獣もこの辺りをうろついてはいないようだけど…。
ここは吹き抜けだから窓がすごく大きくて、外がよく見えてかなり怖い!
魔獣があの窓から覗いてきたら、ものすごく怖い!
ふと気がつくと、ここまで先導してくれていたフェリシテ様の姿は消えていた。
「リーゼロッテ様、この先は?」
ソフィアが指示を仰ぎ、エアハルト様達もわたしを見る。
「フェリシテ様の姿が見えなくなってしまったのだけれど…陛下のお部屋は、あの階段を上った所よ」
「よし。行こ――」
エアハルト様の言葉は、大きな窓ガラスの割れる音で掻き消された。
「!!」
外から差す光の中に、きらきらと粉々に砕かれたガラスがきらめいた。
それは次の羽ばたきに薙ぎ払われ、四方八方に飛び散った。
エアハルト様がとっさにわたしを庇い、背中でその破片を受けてくれた。
背中のマントから、ぱらぱら、とガラス片がこぼれる。
窓を破って入ってきたのは、あの翼竜だった。
左翼に十字傷のある、エアハルト様のお父様を殺した翼竜。
小さな丸い目で、わたし達を睨みつけている。
――どんな運命のいたずらだろう。
わざわざこんな時に、この翼竜が行く手を阻むなんて!
エアハルト様が勢いよく抜刀した。
その瞳が激しく殺気立っている。
だけど、イェルクさんが冷静に彼の前に歩み出て、剣を抜いた。
「ま、ここは俺達に任せて先に行けよ。エアハルト」
「イェルク…そこをどけ」
怖い声を出したエアハルト様を振り返り、イェルクさんが珍しく真剣な顔をする。
「行けよ。俺には息の合った部下が3人、だがお前は? お前の仕事は今、命をかけて仇討ちをする事じゃないだろう」
「……」
エアハルト様のジレンマが、わたしにもひりひりと伝わってきた。
お父様の仇がまさに今、目の前にいる。
だけど、急いでヨハン王の元へも行かなくちゃならなくて。
騎士として自分がなすべき事は何か、エアハルト様は、重い判断を迫られている。
黙って友人を睨みつけるエアハルト様の後ろで、イェルクさんの部下の人達が剣を抜いた。
その間にも翼竜はホールの中で暴力的な羽ばたきを繰り返す。
シャンデリアは落ち、大きな花びんは割れて見事な花が散らばった。
うかうかしていると、あの螺旋階段まで壊れてしまいそうだ。
エアハルト様が長剣の柄を握る手には、太い血管が浮き出ていて…。
その剣の切っ先が、ゆっくりと下げられた。
砂を吐くように、エアハルト様が言葉を吐き出す。
「…わかった。ここは頼んだぞ、イェルク」
イェルクさんがニヤリと笑う。
「そっちこそ。シャルロット王女と、お前をゴミみたいに棄てた元婚約者をしっかり守るんだぜ」
「黙れ」
ちょっ、イェルクさん…!!
不機嫌そうなエアハルト様の返事が聞こえたのかどうか、イェルクさんは剣を構え、翼竜に突進して行った。
3人の部下が師団長に続く。
翼竜が耳を裂くような叫びをあげ、彼らに襲いかかった。
エアハルト様がこちらを向き、鋭く言った。
「走るぞ」
「はい!」
わたしとソフィアは同時に返事をして、エアハルト様の後を追って全力で走った。
螺旋階段に着き、それを駆け上る。
二階にたどり着いたところで、ソフィアがくるりと後ろを向き、割れた窓に向けてワンドをかざした。
ヴン、と音がして、たちまち窓全体を仄かな青い光が覆う。
ソフィアが階下に叫んだ。
「師団長、窓に簡易結界を張りました! 十分間は魔獣は出入り出来ません! その間に仕留めてください!!」
「サーイエッサー!」
軽やかにイェルクさんが返事をする。
さすがソフィア、結界を張って、外から新手の魔獣が入って来られないようにしたんだ!
…まあ、翼竜を外へ追い出す事も出来なくなったんだろうけど。
どっちかが倒れるまでの殴り合いという事だ。
一瞬、ソフィアは心配そうな顔を階下のイェルクさんに向けた。
だけどすぐに表情を消して、わたしを見上げる。
エアハルト様もわたしを見ていた。
彼が復讐を諦めたのは見ていて痛ましかったけど――それ以上に、とても頼もしく感じた。
エアハルト様とソフィアが側にいれば、何だって出来るような気がしてくる。
王妃とケリー男爵に勝つ事だって、きっと出来る。
体に沸き上がる力を感じながら、わたしはほんの数メートル先に見える、立派な両開きの扉を指さした。
「あそこが陛下のお部屋です」
剣を構えたエアハルト様が、用心深く扉を開けた。
間に合って、と祈りながら、わたしとソフィアは扉の中を見つめる。
両開きの扉を開けた先は広々としたリビングのようになっていて、そこに敷かれた分厚い絨毯の上には、二人の衛兵の死体が横たわっていた。
「ひどい…」
――どちらも、目を背けたくなるような傷を全身に受けていた。
魔獣に襲われた傷だ。
王を守るために勇敢に戦ったんだろう、室内の床にも壁にも鮮血が飛び散り、激しい戦いの跡を見せていた。
「…あそこか?」
エアハルト様が、血痕の続く、奥につながる扉を見やる。
扉の向こうで、何かが動いた音がした。
わたし達は目を見交わした。
エアハルト様が足音を立てずにその扉へ忍び寄り、耳を澄ませる。
ソフィアがワンドをかざし、結界魔法の準備をする。
エアハルト様が剣を握る手に力を込め、ひと息に扉を開けた。
「!!」
黒い風のように飛び出してきたのは、数頭の巨大な犬――いや、魔獣だ!
最初に出てきた1頭は、真っ二つに両断された。
だけど手品のようにどんどん扉から出てきては、エアハルト様に飛びかかる。
いくら彼が強いと言っても、あまりに分が悪い。
4頭の魔獣達は、たちまち彼を組み伏せてしまった。
「エアハルト様!」
「副団長!」
犬のような魔獣の群れにソフィアが結界魔法をかけようとした途端、彼女の動きが止まった。
まるで、ゼンマイの切れたおもちゃのように、ぴたりと静止している。
その体から、黒い瘴気のようなものが立ち昇っていた。
ソフィアは動きを封じられたまま、大きく開いた扉の中を、強く睨みつけた。
その部屋には、虎のように大きな魔獣がいた。
その魔獣は仰向けに倒れた男性の上にのしかかり、動きを拘束している。
いつでも喉笛を食いちぎろうと、主の命令を待っているかのようだ。
倒れているのはヨハン王だ。
息があるのかどうか、ここからでは分からない。
そして、王の向こう側に立って、悠々とこちらを眺めているのは――ディートリンデとケリー男爵だった。




