39.逃げられない
「副団長! 大変です、王宮の結界がすべて破られました!!」
ソフィアはそう言った後、わたしの存在に気付いて目を見開いた。
「リーゼロッテ様!? どうして…あっ、副団長と復縁されたんですね!? おめで…」
「ソフィア、結界が破壊されたとはどういう事だ。二重に張ってあったはずだろう」
脱線しかけた話をエアハルト様が元に戻す。
ソフィアは、さっと騎士の顔に戻った。
本部の建物内では、大勢の騎士達がバタバタと走り回り、怒号が飛び交っている。
入り口に立つソフィアの横を通って、魔導士達がどこかへ急ぎ出て行った。
誰もが殺気立った顔つきをしている。
尋常ではない雰囲気だ。
「確かに結界は二重に張ってありました…昨日までは。今朝、当直の騎士が見回りに出たら、結界はきれいに消えていたという事です。今現在、王宮を防御する結界は完全に消失しており、ここは丸裸の状態です」
ソフィアが早口で報告する。
その間にも、重装備に身を包んだ物理攻撃班が隊列を組み、早足で建物から出て行く。
王宮を防御する結界が消失したというのは、相当の大ごとだ。
今、魔獣に攻めて来られたら、王宮内は完全にカオスな殺戮の場と化すだろう。
既に、上空には翼竜の群れが不気味に舞っている。
エアハルト様は厳しい口調でソフィアに尋ねた。
「なぜだ? 個人攻撃による結界の破壊は不可能だったはずだ」
「一つ考えられるのは、前回の礼拝堂襲撃後に王宮の結界を再構築した際、寄贈を受けた大量の結界石に問題があったという事です。結界石が粗悪品だったのなら、時間が経てば魔法に耐え切れずに結界石は割れ、半ば自動的に効果は消失します。こちらも急ぎだったので、十分な検品をせずに使ってしまいました」
ソフィアは口調に悔恨を滲ませた。
「その結界石を寄贈したのは誰だ?」
「わかりません。匿名の貴族です」
――その貴族は、ケリー男爵かもしれない。
王宮の防御を崩すために、王立騎士団の結界石が底をついたタイミングを狙い、善意を装ってわざと粗悪な結界石を寄贈したのかも。
同じ事を考えていたらしいエアハルト様はちらりとわたしを見て、それから扉の中に目を向けた。
「団長はどこに?」
「司令室で指揮を取っておられます」
「そこへ向かう。お前もついて来い」
大股で建物内に入りながら、エアハルト様がソフィアに告げる。
「ですが、わたしは至急結界の張り直しに向かえとの命令で…」
「ごめんなさい、ソフィア。一緒に来てもらいますわ!」
わたしはがしっとソフィアの腕を掴み、彼女を引きずるようにしてエアハルト様の後に続いて歩いた。
命令違反をさせて悪いけど、事態は一刻を争う。
「リーゼロッテ様!?」
「ソフィア、聞いて。あなたのお父様が危ないの」
「な…」
ソフィアはつぶらな目を点にした。
わたしは続けざまに言った。
「王妃とケリー男爵に命を狙われているのよ。一刻も早く助けないと」
「どういう…」
その時、わたし達は司令室の前に着いた。
エアハルト様は形だけノックをしてすぐに扉を開けた。
「団長!」
「エアハルト! 遅いぞ!」
すぐにギュンター様の怒声が飛んできた。
中にはギュンター様とイェルクさん、それから各師団の師団長がいた。
既に全員がいかつい防具に身を固め、臨戦態勢だ。
彼らはちょうど命令を受けて各自の任務に向かう所らしかった。
ばらばらと早足で司令室を出る師団長達に混じって司令室を出ようとしたイェルクさんを、エアハルト様が引き留める。
「イェルク、お前は残れ。団長、急ぎの話があります」
「こっちも緊急事態なんだがな」
ギュンター様が、女連れで遅れて登場した部下をぎろりと睨む。
「十分承知しています。リーゼロッテ」
「はっ…はい!」
ギュンター様とエアハルト様、イェルクさん、ソフィア、それからわたしだけになった司令室で、全員の視線がわたしに集まった。
ギュンター様は二本の足ですっくと立ちながら、獲物を狙う鷹のようにわたしをねめつけている。
あ、すごく元気そう…もうぎっくり腰の演技はやめて、団長職に返り咲いたのか…。
いや、今はそんな事より話に集中しないと!
わたしは騎士団の深紅の制服を着た彼らに向かって、できるだけ簡潔に要点を伝えた。
ソフィアが行方不明のシャルロット王女である可能性が高い事。
王妃がケリー男爵の子を身籠っていて、邪魔なヨハン王を殺そうとしている事。
ケリー男爵は闇魔法使いで、魔獣を操れる事。
――つまり、今すぐヨハン王の元へ駆けつけて、彼を魔獣から、そして王妃とケリー男爵から護らなければならないという事。
万が一にでも王が殺されてしまったら、その時点でオラシエの正当な王の血統は絶たれ、王位はディートリンデとケリー男爵の子に簒奪される。
ソフィアを王位後継者として指名できるのは、ヨハン王ただ一人だからだ。
もちろん王家の遠い親戚の人なんかはいるけど、その人達よりも王妃の腹の子が「王の遺児」として優先されるのは明白だ。
ソフィアの話や魔獣の出現の情報源として、わたしはフェリシテ様の幽霊の話もした。
非常時にそんな事を話すのはどうかともちらりと思ったけど、大事なことを言わずに誤魔化したら後で痛い目を見ると学習したばかりだから、正直に全部話した。
結果的にそれでよかったんだと思う。
全員が、わたしの話を信じてくれたから。
「…いや、まさかフェリシテ様の幽霊が君の背後についていたとはな…道理で予知魔法が百発百中な訳だ」
呆れと感心の混じったような顔でわたしを見て、ギュンター様が言った。
「それにしても、俺の部下が王女様か。これからは俺が命令を受ける事になるのかな? 常に跪いてた方がいい?」
イェルクさんは驚きつつも、いつものように軽口を叩いた。
「…わたしが…シャルロット王女…?」
ソフィアは呆然と立ち尽くしていた。
無理もない。
2歳で行方不明になって以来、ずっと孤児として生きてきたんだ。
いきなりあなたは王女様だ、なんて言われたら、どうしたらいいかわからないだろう。
…と思ったのも束の間。
ソフィアはすぐに鋭い目付きに変わった。
オラシエ編みの白いリボンを翻し、ギュンター様に迫る。
「団長! 今すぐわたしに、王を護れとお命じください!」
「ソフィア…いや…シャルロット王女、なのか…」
しみじみと自分を見つめるギュンター様を、ソフィアが一喝する。
「呼び名などどうでも構いません! 早く!!」
「す、すまん。ついフェリシテ様を思い出してしまってな…」
ギュンター様が照れたように言う。もしかしたら過去に、フェリシテ様への秘めた想いでもあったのかもしれない。
「…ごほん。陛下は、本日は離れで休養されているはずだ。今は確かに一刻を争う事態だが、王には常時2名の衛兵が付いているし、王族の住居である離れにも各所に衛兵が配置されている。当然ながら精鋭中の精鋭だ。一方、哨戒の騎士がさきほど王宮内に確認した魔獣は、上空を旋回する翼竜が4体に獣型が2体」
「離れは特に頑丈に建造されてるから、その程度なら扉を閉めてしまえば、当面は王の身の安全が確保されるって訳ですね」
イェルクさんが後を引き取って言うと、ソフィアは少し安堵したようだった。
だけど…。
「王妃とケリー男爵が手引きをして、魔獣を離れに呼び込んでいたら? 男爵は自由に魔獣を操れます」
わたしが言うと、空気がずん、と重くなった。
エアハルト様が言った。
「では、俺が早急に部隊を編成し王の元へ向かいます」
「ああ、任せたぞ。私は王宮内にいる魔獣への対応を、全団に指揮する」
「はっ。イェルク、精鋭の騎士を数名連れて付いて来てくれ。ソフィアも至急、出撃の準備を」
「イエッサー」
「はい!」
3人が司令室を足早に出ると、エアハルト様はくるりとわたしの方を向いた。
「お前はここに残れ」
「わたしも行きます」
「駄目だ」
エアハルト様はすげなく言った。
「ここで大人しく待っていろ。司令室には外から鍵をかける。そうすればお前も逃げ…いや、安全だからな」
エアハルト様、今、「そうすればお前も逃げられない」って言おうとしませんでした!?
っていうか鍵かけちゃうの!?
わたし、どういう扱いですか!?
話は終わったとばかりに、エアハルト様も司令室を出て行こうとした。
引き留める言葉が喉まで出かかったけど、わたしがついて行った所で足手まといになるのは分かり切っている。
だけど、エアハルト様は扉の所で足を止めた。
3人の部下を連れたイェルクさんが戻ってきたからだ。
さすが軍人、準備が早い…と思ったけど、そうじゃないらしい。
イェルクさんは参った、という顔をしてエアハルト様に言った。
「やばいぜ…外には魔獣がうようよしてる。これじゃ建物から一歩出た途端にあいつらのエサだ」
「なんだと!?」
エアハルト様は廊下に飛び出し、窓から顔を出した。
わたしも急いで追いかけ、同じように窓から下を覗く。
ぞっとした。
まるで、地獄の蓋を開けたみたいだ。
王宮内に恐ろしい魔獣が溢れ、我が物顔で地面を歩き回っている。
ざっと見ただけで、20…いや、30体はいる。獣型の魔獣だけでその数だ。
空を旋回している翼竜の群れだって、夕暮れ時のカラスの群れみたいに、さっき見た時より明らかに数が増えている。
いつの間にこんなに集まってきたんだろう。
とてもじゃないけど、外に出て宮殿の離れに行く事などできそうもない。
自殺行為だ。
戦闘用の杖と防具を身につけたソフィアが戻って来て、青ざめた顔でイェルクさんを見上げた。
「師団長、これは…」
イェルクさんは苦々しげに呟いた。
「…どうやら俺達は、本部に閉じ込められちまったらしい」




