34.婚約を破棄する
ふらついた足取りで、わたしは中庭を後にした。
たぶん傍から見たらゾンビのような姿だっただろう。
今にも吐きそうな顔をしてる気がする。
実際、吐きそうだった。
血を吐いて苦しみながら死んだアンヌさんを思い出すと、苦いものが喉にこみ上げてくる。
アンヌさんは変わろうとしていた。
これから、ご主人を大事にして生きていくと言っていたばかりだ。
だからわざわざわたしに許してほしいと頼みに来て…それなのにわたしは許しを与えなかった。
その代わりに王妃の悪事を証言しろと迫って、彼女は死んだ。
死んで、翼竜にどこかへ連れ去られた。
わたしがいまさら「いいですよ、あの事はもう気にしないで」と宙に向かって言ったって、その声は永遠に届かない。
アンヌさんがわたしにつぐないをしようと決めたから、ケリー男爵が彼女を殺したんだとしたら?
もしそうなら、わたしはアンヌさんの疫病神だ。
許しを受けるどころか、彼女が受け取ったのは非業の死だったのだから。
もしかしたら、わたしが悪役令嬢だから、破滅ルートを回避しようとすればするほど周囲の人が巻き込まれて、わたしの代わりに不幸になるのかもしれない。
ソフィアがわたしの代わりに王妃の被害を受けたように。
アンヌさんがケリー男爵に殺されたように。
エアハルト様も男爵の予告通り、悲惨な死に方をしてしまうかもしれない。
――わたしのせいで!
ふらつく足を止め、王宮内の四つ辻に立ち尽くす。
右へ向かえば騎士団本部だけど、そこへ戻る気にはなれなかった。
戻って王妃の懐妊をエアハルト様達に報告すれば、あるいは事態は好転するかもしれない。
だけどそれで万が一にも、エアハルト様が殺されてしまったら?
そんな事は絶対に、絶対に嫌だ。
どうしたらいいのか分からずに、わたしは疲れてその場にうずくまった。
膝を抱えて地面を見つめる。
枯れた枝が散らばっていた。
そういえば子どもの頃は、落ちている枝を拾って、それが倒れた方へ進むという占いをよくやったっけ。
わたしの魔力なんて微々たるものだけど、その程度の占いなら結構当てられるもので、いなくなった猫とか木苺の茂みとかを見つけていたな。
恋愛スキルが低いせいか、カードを使った恋占いの的中率はボロボロだったけど…。
わたしは落ちている枯れ枝を一本拾った。
20センチ程のまっすぐな枝で、棒占いには最適だ。
それを地面に垂直に立たせ、上をひとさし指で押さえる。
もうどこへ行けばいいか分からないから、棒さん、わたしの進むべき道を教えてください…。
そう念じてからそっと指を離すと、棒はパタリと前方へ倒れた。
わたしはのろのろと立ち上がり、四つ辻をまっすぐ正面へ向かって歩き出した。
礼拝堂のある方へ。
〇〇〇〇〇
礼拝堂の中には、ステンドグラスの光がモザイクのようになって差し込んでいた。
荘厳な空間を斜めに横切る色のついた光はとてもきれいだ。
誘われるようにふらふらと説教壇の前まで進んで行く。
オラシエの国教では、神は形を持たないとされる。
神は一つであり、同時に全てだと伝えられているから。
だからこの礼拝堂の中にも、人の形を模した神の像や絵画は一つもない。
ただがらんとした空間と、ステンドグラスを通して入る光が存在するだけだ。
何も飾られていない正面の壁をぼんやり見上げていると、背後で足音がした。
「リーゼロッテ様!」
振り返ると、開け放したままの扉からソフィアが駆け込んできた。
わたしの目の前まで来て、膝に手を当てて呼吸を整える。
「…良かった、ここにいらしたんですね!」
「どうしたの? そんなに息を切らして」
「魔獣が…翼竜の群れが王宮の上空を飛んでいたとの報告があって、今、騎士団が王宮内の見回りをしている所なんです。リーゼロッテ様は団長の車椅子を押して宮殿へ向かったと聞いたので、外にいらっしゃったら危ないと思って…」
「…それで、心配して探しに来てくれたの?」
「はい!」
笑顔でそう言ったソフィアは、全力で抱きしめたくなるほどかわいかった。
なんていい子なんだろう。
わたしが男だったら迷わず結婚を申し込んでいるところだ。
ちょうどここは礼拝堂で、他に誰もいないし――。
「――そうよ。今よ、今しかないわ!」
「え? どうしたんですか?」
「このためにここに導かれたんだわ…やっぱりわたし、棒占いの才能があるかも」
「リーゼロッテ様?」
訳の分からない事を呟くわたしに、ソフィアが首を傾げる。
わたしは彼女をほとんど睨みつけるように見つめながら、ぐいっと一歩にじり寄った。
「ソフィア。わたし、あなたに言いたい事があるの」
「…はい。なんでしょう?」
ほほ笑みながらソフィアがわたしを見つめ返す。
今が絶好のチャンスだ。
わたしは息を吸い込み、前世の記憶を取り戻してからずっと抱いていた思いを、はっきりと告げた。
「あなたが、エアハルト様と結婚するべきだわ」
ソフィアはつぶらな瞳を見開いた。
「…………リーゼロッテ様、いきなり何を…」
「いきなりじゃないわ。前から考えていたの。エアハルト様にふさわしいのは、わたしじゃなくてあなたの方。だからお願い、あなたがエアハルト様と結婚してちょうだい!」
「ちょ、ちょっと待ってください! 副団長の婚約者はリーゼロッテ様です! わたしなど断じてふさわしくありません!! あんなにお似合いなのに…一体どうしたって言うんですか!?」
ソフィアが頑なな抵抗を見せる。
なかなか強情そうだった。ちょっとやそっとでは頷いてはくれなそうだ。
かくなる上は――!!
「いいこと? わたしには他に好きな殿方がいるのよ! だからエアハルト様には、わたしとの婚約は破棄していただきます!!」
腰に手を当て、そう高らかに宣言した時だ。
礼拝堂の扉から入ってきた、背の高い人影が目に飛び込む。
それはエアハルト様だった。
距離的に、完全に今のわたしの言葉は聞こえたはずだ。
エアハルト様は、驚きと怒りと悲しみの、ちょうど中間にあるような表情を浮かべていた。
だけどそれはすぐに鋼鉄のような無表情に取って代わり、つかつかとわたし達の方へ近付くと数歩分離れた場所で立ち止まって、硬い声でわたしに尋ねた。
「…今言った事は本当か?」
見えないナイフで、全身をめった刺しにされているような気分だった。
だけど、平然とした態度を装って答える。
「はい」
ソフィアがはらはらした顔で、わたしとエアハルト様を交互に見ている。
だけどもう取り返しはつかない。
エアハルト様が一切の感情を排除した声で告げた。
「…ならば望み通り、お前との婚約を破棄する。一両日中にそちらの家に調停の者を向かわせる」
「承知いたしました」
冷え切った空気の中、エアハルト様は踵を返し、足早に礼拝堂を出て行った。
「リーゼロッテ様! 追いかけてください、早く!!」
ソフィアがわたしの腕を掴んで揺さぶる。
わたしは無気力な声で言った。
「いいえ、これでいいのよ…」
わたしの態度に業を煮やしたように、ソフィアがエアハルト様を追って駆け出した。
遠ざかる足音を聞きながら、一人になったわたしは、見るともなしにまたステンドグラスの光を見つめる。
――そういえばこんな光景があのゲームの中にもあった。
あれは、リーゼロッテが恋敵のソフィアを礼拝堂に呼び出した時だ。
悪役令嬢のリーゼロッテは自分の婚約者に近づくなと彼女を脅迫し、痛めつけようとする。
だけどエアハルト様が間一髪のところでソフィアを救出して、それまでにも散々ソフィアをいびってきたリーゼロッテへ、ついに婚約破棄を突きつける。
二人は呆然とするリーゼロッテを残して礼拝堂を出て、すぐ側にある小さなバラ園の中で、結婚の約束を交わすんだ。
なんだ…結局、あの婚約破棄イベントが起こっただけじゃないか。
それなら今頃エアハルト様とソフィアはあのバラ園にいるのかな。結婚の約束…までしてるかどうかは分からないけど、二人の仲が進展しているのは間違いないはず。
よかった。
わたしとエアハルト様の婚約も、これで破棄された。
既定路線に戻ったんだ。
わたしが必死に運命に抗おうとしても、最終的にはやっぱりこのルートに戻ってきた。
だけど…もう、いいや。
エアハルト様とソフィアが元気で幸せなら、もうそれでいい。
だってわたし一人がどうあがいたって、悪役令嬢がみんなと幸せになるなんて、どのみち無理なんだから――。




