32.王妃にまつわる打ち明け話
宮殿から出たわたしはまっすぐ王立騎士団本部へ戻ろうとした。
中庭を突っ切ろうと、庭園の中央に敷かれたレンガの道に足を踏み入れる。
中庭には数人の女官がいた。
みんな、ディートリンデの部屋付きの女官だ。
イレーネさんと、アンヌさんの姿もあった。
彼女達は中庭に色とりどりに咲き誇る花を摘んでいる最中で、ハサミで切った花を両手いっぱいに抱えていた。
イレーネさんがわたしを見つけて近付いてくる。
「リーゼロッテ! もう怪我は大丈夫なの?」
「…はい、おかげさまで」
遠くにいるアンヌさんが、ちらりとこっちを見た。
だけど、わたしが見ると顔を背け、また花摘みに戻る。
胸が鈍く痛んだ。
イレーネさんが会話を続ける。
「びっくりしたわ、あなたが西の離宮の階段から落ちて大怪我したって聞いたものだから…王立騎士団の方々が駆けつけて、扉を破ってあなたを救出したそうじゃない。うふふ、まるで姫を救う騎士達といったところね」
「そ、そんな…」
「まあ、とにかく元気そうな姿を見られて安心したわ」
「…ありがとうございます」
きれいな花の束を抱えたイレーネさんは、わたしをからかいつつも、温かい言葉をかけてくれる。
そうか…わたしは西の離宮で階段から転落し、怪我をしたという事になっているのか。
それで騎士団の人達に派手に救出されるなんて、なんかまぬけな人みたいだけど…!
でも、心配してくれるイレーネさんの優しさに、ちょっとほっこりする。
あの時はディートリンデの手先だなんて疑ってごめんなさいと、わたしは心の中で謝った。
ところが、もちろんイレーネさんはただ心配するだけでは終わらなかった。
「…それで、どうなの? エアハルト様とは。聞けば、彼はあなたを救うために、西の離宮へ猛牛のごとくに突っ込んで行ったそうじゃない」
「へ…!?」
も、猛牛…?
あのクールなエアハルト様が…!?
イレーネさんが美しい顔にあられもないニヤニヤ笑いを浮かべ、わたしに迫る。
「うふふふ、ずいぶんと愛されているのね。それで? 療養中に何か進展は? あの方はあなたにどんな愛の言葉を囁くのかしら?」
「あ…愛って…!!」
赤くなって黙り込むわたしに、ぐいぐいとイレーネさんが詰め寄る。
そんなんじゃありません、と反射的に否定しようとした時だ。
脳裏に天啓が降ってきた。
これは、ものすごいチャンスなのかもしれない。
エアハルト様にはちょっと申し訳ないけど、彼の話題と引き換えに、イレーネさんからディートリンデの弱味を聞き出せるかも!
必死に知恵を絞り、取り引きの方法を考える。
「…教えて差し上げてもよろしいのですけれど、」
わたしはもったいぶって言った。
「代わりに、王妃様にまつわるお話も教えていただけますかしら? 療養中はすっかり宮廷のゴシップにも疎くなってしまいまして…皆様の話題についていけるかと、心配しておりましたの」
「あら、わたしに会ったからにはそんな心配は無用よ。とっておきのを教えてあげる」
やったあああーーーーー!!
イレーネさんのとっておきなら、間違いない!!
わたしは内心の興奮を押し隠して尋ねた。
「楽しみですわ。どんなお話でしょうか?」
イレーネさんは、ふっと笑った。
「とっておき、って言ったでしょう? 宮廷でもまだごく限られた者しか知らない極秘事項よ。これを教えるからには、あなたも相応の話を聞かせてね?」
「ええ、喜んで」
エアハルト様のとっておきの話なんてあったっけ…という疑問は後回しにして、とにかく話を合わせる。
イレーネさんはわたしの耳元に口を寄せ、小声で告げた。
「あのね…実は王妃は、ご懐妊されているの。4ヶ月目になるわ」
「…え?」
わたしは呆然とイレーネさんを見た。
「…でも、王と王妃は不仲なんじゃ…?」
「そうよ。あのお二人の関係は、氷河のように冷え切っていらっしゃる」
「じゃあ、…」
ぞっとするほど優雅に、イレーネさんはほほ笑んだ。
「ええ。その子は、王の御子ではない。王妃の部屋付きの女官であるわたしが言うんだから間違いないわ。もう何年も、王妃の部屋に王のお渡りはないもの」
両手に抱えている花を、彼女は表情を消して見下ろした。
「…赤子の父親は、ケリー男爵。王妃は視察と称して、男爵の領地に何度も逗留しているの。そして今日は、彼の方が王宮へ伺候している。後で王妃がご自分のお部屋に招くのでしょうね。それでわたし達は王妃に言いつけられて、さっきからせっせとお部屋に飾る花を摘んでいるという訳」
…とっておき、どころか。
にわかには信じられないような話だ。
王妃は、とんでもない爆弾を身中に抱えていた!
「…で…でも、いくらなんでも、さすがにヨハン王は気付くのではありませんか? お渡りもないのに、王妃が子を産んだら…! きっと、王妃を離縁しますよね?」
「さあ、どうでしょうね。王妃はとても華奢だからお腹はきっと間際まで目立たないし、王は彼女を放ったらかしだもの。臨月間際になったら仮病を使い、一人で地方の領地へ静養と称して引っ込めば、誰にもバレないんじゃないかしら。そうしてこっそり子どもを産んでどこかへ預け、何食わぬ顔でここへ戻ってくるのだと思うわ」
「そんな…」
呟きながら、わたしは胸の悪くなるような考えに至った。
もしも今、ヨハン王が崩御されたら?
王妃のお腹の子は当然ながら、王の子として扱われるんじゃないか?
そうすればディートリンデは国母となり、彼女とケリー男爵の子が王位を継ぐ。
オラシエ王国が、国王の血統が、その資格を持たない彼らに乗っ取られる――。
まさにそのために、ディートリンデが宮廷に魔獣を呼び込み、王を弑そうとしているのだとしたら?
「…どう? この話。気に入ってもらえたかしら?」
イレーネさんに聞かれて、わたしは血の気の失せた顔で彼女を見た。
一つの疑問が頭をもたげる。
「…ええ。ですが…そんな重大な情報を、どうしてわたしに?」
その話が丸々イレーネさんのついた嘘、という可能性もなくはない。
だから、わたしは暗に「本当ですか?」というニュアンスも込めて、そう尋ねた。
イレーネさんはにっこりほほ笑んだ。
「うふふふ。わたしね、本当を言うと、王妃が嫌いなのよ。大嫌いなの」
「…へ?」
それを聞いたわたしは、寝耳に水、といった顔をしていただろう。
だってイレーネさん、ディートリンデのお気に入りですよね!?
いつも二人で楽しそうにお喋りしてますよね!?
イレーネさんはにこやかに続けた。
「わたしね、噂話は大好きだけど、嘘は大嫌い。神の御前で永遠の愛を誓ったのに、平然とそれを破る人も大嫌い。仕事だから王妃には愛想よくするけど、本当は腹が立って仕方がないのよ。国王を裏切っておきながら、愛人のために女官達に花なんて摘ませる、薄汚い大嘘つきめ、って」
「はあ…」
…そうか。だからアンヌさんと仲が悪いのか、と、わたしは変な所で合点がいった。
既婚者なのに宮廷のかっこいい殿方達にうつつを抜かすアンヌさんの事を、そういえばイレーネさんはいつも苦々しげに見ていたっけ…。
イレーネさんはさらに驚くような事を言った。
「だから、その内こんな仕事はすっぱり辞めて、夫と田舎の領地に引っ込むつもりよ。田舎じゃあ宮廷のように噂話に事欠かない、という訳にはいかないでしょうけれど、嘘つきだらけのここよりはきっとまし。だけどね…」
ふたたびわたしの耳元に口を近付け、ひそやかに囁く。
「どうせ女官を辞めるのなら、最後に、王妃を倒そうとしているあなた達の片棒を担ぐのも悪くないと思って」
「…!!」
びくりと体を震わせ、わたしは反射的にイレーネさんから離れた。
「ど、どうして…」
「さあ、どこかに内通者でもいるのかしらね。少なくとも、王妃はあなた方の動向を掴んでいるようよ」
イレーネさんがさばさばと言う。
「…わたしの話はこれでおしまい。さあ、聞かせてちょうだい。あなたのとっておきの話を」
「うぐっ…」
こんなえげつない暴露話の後で、わたしにどんな話をしろと!?
…でも、約束は約束だ。
きらきらと目を輝かせているイレーネさんに、わたしは真っ赤になりながら、思い切って口を開いた。
「エ、エアハルト様は…」
恥ずかしさに、声が裏返る。
イレーネさんは、ふんふん、と頷いている。
「…ふっ、ふふふ、ふたりきりの時に…」
「ふたりきりの時に…?」
「…わたっ、わた、…わたしの事を、……ロッテ、と!! …呼んでくれます…!!」
言ってしまったーーーーっ!!
「…………」
…あれ?
ぎゅっとつぶっていた目をおそるおそる開くと、そこには完膚なきまでにしらけきった顔のイレーネさんがいた。
彼女は疲れたようなため息をつき、髪をかき上げた。
「あー…そうね、そうよね…。わかったわ。それなら、あなたの話は、後払いという事にしておいてあげる」
「いえ、もう話しましたけれど…あ、後って…?」
「あら、もうそろそろ戻る時間だわ。じゃあリーゼロッテ、あ・と・で・ね。ごきげんよう」
「待ってくださいまし、イレーネさん! 後って、なんの後ですのー!?」
呼び止める声もむなしく、イレーネさんは他の女官達と共に行ってしまった。
「リーゼロッテ」
ふいに、背後から名前を呼ばれた。
振り向くと、そこには。
「…アンヌさん…」
両手に花を抱えた、アンヌさんが立っていた。




