【ソフィア視点】貴族は嫌いだった(後編)
リーゼロッテ様は伯爵令嬢だ。
でも、少し変わった方だった。
渡り廊下で通りすがりに会っただけなのに、王立騎士団を解雇されそうだと呟いたわたしに驚くほど同情してくれて、そのまま団長に直談判に行ってしまうような方なのだから。
縁もゆかりもないわたしに、どうしてそこまで親身になってくれるのか、全く理解できない。
もしかして、もしかしたら、彼女はわたしの生き別れのお姉さんなんじゃないか…なんて、想像してみたりもした。
だけど、彼女のさらさらした黒髪も、凛とした高貴な顔立ちも、残念ながらわたしとは似ても似つかない。
わたしはありふれた茶色の猫っ毛だし、目だけがやたらと大きくて、もう16歳だというのに嫌になる位の童顔だ。
高級貴族で美人で予知魔法まで使えるのに、平民、それも孤児だったわたしにも優しくしてくれる。
そんな不思議なリーゼロッテ様に、わたしは少しずつ、好感を持ち始めていた。
リーゼロッテ様には婚約者がいる。
王立騎士団の副団長、エアハルト様だ。
長身で逞しく凛々しい顔立ちの副団長と、涼やかな容貌のリーゼロッテ様は、傍目から見ても本当にお似合いの二人だ。
王宮の中庭で、リーゼロッテ様は礼拝堂に魔獣が来ると予知した後、急用ですぐに帰ったことがあった。
そのとき、副団長も一緒にいて、立ち去るリーゼロッテ様をじっと見送っていた。
あんな表情を浮かべる副団長は、初めて見た。
普段は厳しく近寄りがたい雰囲気の上官に、わたしは思わず声をかけた。
「…リーゼロッテ様は、とてもお優しい方なのですね」
彼はわたしを見下ろし、ふっとほほ笑んだ。
「ああ…その通りだ」
堅物で有名な副団長が、こんなに柔らかくほほ笑むなんて!
わたしは驚きながらも、より一層リーゼロッテ様に興味を持つようになった。
〇〇〇〇〇
礼拝堂に魔獣が襲来するという、その前日。
わたしは朝からずっと、王立騎士団に所属する全魔導士達と共に、王宮内各所に張られた結界魔法の補強作業をしていた。
一週間、ひたすら結界魔法を使い続けていたわたしは、次の結界へ移動する途中に立ちくらみがして、その場にへたり込んでしまった。
「無理しちゃ駄目だよ。少しここで休んでいて」
カイがそう言いながらわたしを近くのベンチに座らせてくれて、魔導士隊はそのまま次の場所へと移動していった。
本来は炎魔法の使い手で、慣れない結界魔法を張り続けて疲れているのに、カイは文句一つ言わずに働いている。他の仲間だって、みんな王宮を守ろうと必死に頑張っている。
天井の高い広々とした回廊のベンチに一人で座りながら、わたしは深いため息をついた。
せめて結界魔法を使って被害を最小に食い止めたいのに、情けない。
もしも魔獣との戦闘で死傷者が出たら、それはわたしのせいだ。わたしが礼拝堂の結界を壊したから…。
「何ため息ついてんだよ」
聞き覚えのある、でもここで聞くはずのない声がして、わたしはぱっとそちらを見た。
不敵な顔立ちをした、線は細いけど敏捷そうな青年だ。
長めの黒髪を上の方だけ結んでいる。
王宮の回廊に、なぜか、ルッツが立っていた。
「ルッツ! どうしてここに?」
「仕事。王宮が封鎖される前に入り用の物が欲しいって、駆け込みの依頼があってさ」
ルッツはそう言いながらわたしの横に座った。彼はまだ15歳だというのに、既に各所に様々な伝手があり、何でも屋的な仕事をこなしているようだった。それにしても、王宮内にまで顧客がいるなんて驚きだ。
悪いことはしていない? といつものように聞きそうになって、言葉を呑み込んだ。
もう、わたしがそんなことを聞ける立場じゃない。
「何だよ、顔色悪いな。大丈夫か?」
「大丈夫。寝れば治るから」
「…なあ、お前、騎士団やめて戻ってきたら? 俺が雇ってやるよ」
ルッツはいつものさばさばした調子でそう言った。
「ありがとう、ルッツ。考えておくわ」
わたしがにっこり笑うと、ルッツはつまらなそうに立ち上がり、まだ仕事があると言って帰って行った。
耳の早いルッツが、わたしが魔女だという噂を聞いてないはずがない。
それでも何も言わずにいてくれたルッツの心遣いが嬉しかった。あんなに悪ガキだったのに…昔から、身内には優しい子だったけど。
ルッツに会って元気が出たわたしは、急いで魔導士隊に合流した。
だけど、この日に騎士団が行う予定の結界補強作業は、もう全て終了した後だった。
魔導士の一人が、そういえばリーゼロッテ様がわたしを探していたと教えてくれた。
わたしは彼女が向かったという中庭へ行き、その姿を見つけた。
「…実は、昨日城下町で、あなたが魔女だという噂を聞いたの」
リーゼロッテ様は単刀直入にわたしに言った。
直球な方だ。貴族って、もっと婉曲な表現を使う人ばかりなのだと思っていた。直球は嫌いじゃないけど、この人は貴族社会でやっていけるんだろうか。
しかも、彼女はわたしを心配して、金の十字架のネックレスまでくれた。
純金だ。間違いなくとても高価な物。しかも大司祭様の祈りが込められているなんて、ありがたいにも程がある。それを、惜しげもなくわたしにくれるなんて。
何か裏があるのかもしれない。この人も実は、王妃と繋がっているのかもしれない。それとも、わたしの結界魔法の力を利用しようとして――。
だけど、そんなわたしの疑念を払拭するように、彼女は嬉しそうに笑ってこう言った。
「これで、魔獣もあなたを傷つけられないわ」
今まで人前で泣いたことはないのに、不覚にも泣きそうになった。
家族でもないのに、この人は貴族なのに、こんなにわたしに優しくしてくれるなんて――リーゼロッテ様は天使か何かだろうか。
でも、彼女の天使かと思うような常識外れっぷりが、にわかに不安にも思えてくる。
常識を持たないというのは、自由な反面、とても危険なことだ。
王妃は何度もわたしに、リーゼロッテ様の予知魔法について尋ねてきた。
リーゼロッテ様のことも利用しようとしてるのかもしれない。
伯爵家の令嬢が相手なら、まさか王妃だってあんな強引な手段は取らないとは思う。
それでも何か胸騒ぎがした。
この人にもし何かあったら、わたしはますます自分を許せなくなるだろう。
だから、わたしは騎士団のお給料で初めて買った魔除け効果のあるブレスレットを、ネックレスのお返しにリーゼロッテ様にあげることにした。
彼女の腕に着けるときに、こっそりと、持ち主に異変があれば通知するという結界魔法をかけて。
リーゼロッテ様がこれをつけていれば、何かあったとき、すぐ助けに行ける。
わたし達は少し照れながら、ふふっと笑い合った。
そのとき、離れた茂みで物音がした。
音のした方を見ると、足早に去っていく女官の後ろ姿。
見覚えがあった――あの人は、王妃付きの女官だ。
立ち聞きされていた…?
胸騒ぎが強くなった。
わたしは何度もリーゼロッテ様に、明日は危険だから王宮に来ては駄目ですよ、と念を押して、彼女と別れた。
〇〇〇〇〇
それなのにリーゼロッテ様は翌日も王宮へやってきた。
大量の結界石を寄贈してくれたのだと、騎士達が言っていた。
確かに騎士団の結界石は底をついていた。対魔獣戦でそれはとても役に立った。
でも、戦闘中では彼女を守れない。
不安を抱えながらも、騎士団総出で3体の魔獣を撃退すると、わたしはすぐにリーゼロッテ様を探しに行った。
だけど、時すでに遅く。
彼女は、悪魔の手の中に落ちていた。
リーゼロッテ様の危険を伝えた後の副団長の行動は速かった。
彼はすぐさま本部内にいた騎士をかき集め、怒涛の勢いで西の離宮へと突き進んだ。
本部に残っていた女官達は、ぽかんと口を開けながらそれを見送っていた。
西の離宮についた副団長は、リーゼロッテ様の名を呼びながら、激しく扉を叩いた。反応がない。
きっと中にいるから扉を破ってください、とわたしが言う前に、彼は扉に体当たりして吹っ飛ばしてしまった。そのままためらわず館内に突入する。わたしも中に飛び込んだ。
どうか無事でいて、と祈りながら。
〇〇〇〇〇
それから、ずっと考えていた。
結局、わたしはリーゼロッテ様を危険にさらしてしまった。
犯人は間違いなく王妃だろう。リーゼロッテ様の首に、庭師のものと思われる指の跡がついていたから。
わたしのときと同じように。
わたしが王妃の罪を告発し、自分の罪も告白していたなら、こんなことにはならなかったかもしれない。
だけど、誰がそんなことを信じるんだろう。
たかが平民上がりの騎士団員が王妃を告発したところで、羽虫が潰されるようにわたしも潰されるだけだ。
そして、孤児院に火が放たれる。
きっと誰も、王妃から聖ヨハンナ孤児院を守ろうだなんて思う人はいない。
誰も助けてはくれない。
騎士団の人達は優しい人が多いけど、ここはあくまでも王立騎士団だ。国王直属の集団に所属しながら王妃に楯突けばどうなるかなんて、火を見るよりも明らかなこと。
しかも、既にわたしは魔女だという噂がまことしやかに囁かれている。
ここは宮廷で、ここにいるのはほとんどみんな貴族で。
貴族が、わたしの話を聞いてくれるはずなどなかった。
副団長――いや、団長が負傷したから、エアハルト様は今は団長代理だ――のお屋敷に呼ばれたのは、それから数日後だった。
そこで療養しているリーゼロッテ様が、わたしと話したいと言ったそうだ。
その後でなければ、彼女は団長代理にさえ、彼女をさらった犯人のことは話さないつもりらしい。
もしかしたら、リーゼロッテ様はわたしが犯した罪を知っているのかもしれない。
だけど、それならそれでよかった。
もしも彼女がわたしを断罪するつもりなら、その方が楽になれる。一人で秘密を抱えているのは辛かったから。
いっそ晴れ晴れとした気持ちで、わたしは団長代理のお屋敷へ向かった。
よく晴れた気持ちのいい午後、グレーデン公爵家の広々とした庭園でリーゼロッテ様と向かい合い、信じられない位においしい紅茶を飲み、おいしいお茶菓子を食べていたら、憑き物が落ちたようにすっかり気持ちの整理がついた。
わたしは彼女に、全てを告白した。
軽蔑されると思った――だけど彼女はわたしの手を握り、命を救ってくれて感謝している、と言ってくれた。
それだけではなかった。
なんとリーゼロッテ様は、王妃を弾劾する、とまで言い出した!
「見ているがいいわ、王妃ディートリンデ! あなたの悪行を残さずオラシエ王国民に暴露してやりますわ!!」
そう言って太陽の下に強気な笑い声を響かせたリーゼロッテ様は、わたしにはまぎれもなく、光り輝く天使に見えた。
強者をくじき、弱者に手を差し伸べる天使。
立派な人になりなさい、と院長先生は言っていた。
それはきっと、リーゼロッテ様のような人になりなさい、という意味だったんだ…。
わたしは心から、リーゼロッテ様を尊敬した。
帰り際、馬車に乗り込むわたしを、リーゼロッテ様が呼び止めた。
「はい、リーゼロッテ様」
わたしはすぐに窓を下げて返事をした。
彼女はわたしに、真新しい白いリボンをくれた。
オラシエ編みの、リボンだった。
「知っているかしら? オラシエ編みと言うレースなの。きっとあなたに似合うと思って」
リーゼロッテ様がほほ笑む。
――ああ、やっぱりこの人は、天使に違いない。
そうでなければ、わたしにこのリボンをくれるはずがないから――。
「知って…います。わたしが孤児院に保護されたときも、これと同じレースのリボンをつけていたそうなんです。もうずっと前に…破れてしまったから、箱に入れて大事に、しまってあって…」
そう話しながら、こらえきれずにぽろぽろと涙がこぼれた。
本当は、あの貴族の女の子にリボンを破られたときも泣きたかった。
だけど、あのときわたしは「立派なお姉さん」だったから、自分よりも年下の子達がいたから、我慢していたんだ。
リーゼロッテ様は、自分のハンカチでわたしの涙を拭いてくれた。
「…そうだったの。ソフィアのお母様は、このレースがお好きだったのね」
「ありがとうございます。リーゼロッテ様…」
王宮へ戻る馬車の中で、わたしはずっと、リーゼロッテ様にもらったリボンを見つめていた。
開けたままの窓から、ふわっと温かな風が吹き込む。
まるで、お母さんが頭を撫でてくれたみたいに。
オラシエ編みの繊細な編み目をそっと指でなぞると、長い間に固く凍り付いていた心が、少しずつ溶けていくような気がした。
この日から、わたしは貴族が嫌いだとは思わなくなった。




