26.庭園のお茶会
暖かな日差しが庭園に降り注いでいた。
花々が咲き乱れ、小鳥の囀りが耳をくすぐる。
それを背景に、ガーデンチェアに座った制服姿のソフィアがおいしそうに紅茶を一口飲み、わたしに笑いかけた。
わたしもにっこりと笑顔を浮かべる。
昨日、東屋の散歩から戻った後で、エアハルト様は早速ソフィアへ伝令を飛ばし、この庭園のお茶会をセッティングしてくれた。仕事が早い。
そのエアハルト様は、今日もまた仕事に行った。
ソフィアも、制服からもわかるように今も勤務中で、団長代理であるエアハルト様が命じた出張、という形らしい。
つまり、このお茶会が終わったら彼女はその内容を上へ報告する義務のある、公的なお茶会というわけだ。
もちろんわたしからも後でエアハルト様に報告するようにと、今朝彼が馬車で出勤する前に念を押された。
うららかなお茶会に、先程からそこはかとなく緊張感が漂っているのは、そんな事情があった。
「とってもおいしいお茶ですね、リーゼロッテ様」
「ええ、本当に。わたしが言うのもなんだけれど、ここのお屋敷のコックはとても優秀なの。焼き菓子もどれもおいしいから、ぜひ食べてみて」
「いいんですか? こんなにかわいいお菓子、見たことないです」
ソフィアが目を輝かせて3段のケーキスタンドにきれいに盛られた焼き菓子を選び始めた。
「どれがいい?」なんてお喋りをしながら、わたしも一緒にお菓子を選ぶ。
た、楽しい!!
前世でも、友達と一緒にケーキバイキングに行ったりしたっけ…最初にたくさん食べる派と、ゆっくり少しずつ食べる派がいて、最初にスタートダッシュした子は、残りの時間しんどそうだったな…懐かしい。
リーゼロッテが今まで付き合っていた貴族の令嬢達は、ゲーム内のリーゼロッテと同じように平民を平然と差別するし、魔獣と戦う王立騎士団のことも、野蛮だと一段下に見ている節がある。
だから、わたしが前世の記憶を取り戻し、騎士団に協力するようになってからは、自然とあまり付き合いがなくなってしまった。
でも、ソフィアの前では、わたしも気兼ねなく楽しく過ごせる。
――はず、なんだけど。
今日のお茶会の目的は、楽しくお茶を飲み、お喋りをすること、ではなくて。
ソフィアが本当に結界破壊に関わっているのかを確かめること。
それから――エアハルト様についての話、だ。
「ソフィア」
お菓子タイムが一段落したところで、わたしは話を切り出そうとした。
でも、先にソフィアの方が話し出した。
「リーゼロッテ様、わたし、あなたに謝らなければなりません」
「どういうことかしら?」
「王妃に関する件で、隠していたことがあります。そのせいで、あなたを危険に巻き込んでしまいました。あなたを西の離宮に呼び出し、怪我をさせたのは、王妃なんですよね?」
「…ええ、その通りよ」
「やっぱり…」
ソフィアは痛切な表情を浮かべた。
「…少し前から、わたしは度々王妃に呼び出され、彼女の部屋へ行くようになりました。最初は軽く話をしていただけなのですが、3度目に行ったとき、王妃はわたしに頼みごとをして…」
「礼拝堂の結界破壊ね?」
ソフィアはわたしを見て、頷いた。
「はい。もちろん断りました。でも、続き部屋から庭師の男性が出てきて…」
「それ以上言わなくてもいいわ」
表情を消して淡々と話すソフィアが痛々しかった。わたしも西の離宮での忌々しい出来事を思い出し、気分が悪くなってくる。
「いえ、最後まで言わせてください。王妃は庭師に命じてわたしを拘束し、逆らえば殺す、と脅しました。それでも断ると、今度は笑いながら、わたしがいた王都の孤児院に火をつけると言いました。真夜中、みんなが眠っている間に油を撒いて火をつける、と…」
「なんてことを…!!」
その悪意に吐き気がした。
そんなの、まともな人間のやることじゃない。
「王妃は、そうしたところで誰も悲しみはしない、むしろ厄介事が一つ減って清々する、と言いました。断れば、王妃は本当にためらいなくそうするつもりだと思って…わたしは、礼拝堂の結界石を破壊すると約束してしまったんです」
ソフィアは青ざめながらも、気丈にそう話した。
彼女が話す暗澹とした内容と、わたし達のいるのどかな庭園のギャップがあまりにも強烈で、わたしは一瞬、くらくらと目眩がした。
いけない、集中しなくちゃ。
「…では、あなたが礼拝堂の結界を破壊したのね?」
「はい」
「王国各地にある結界が破壊された件は? それにもあなたが関わっているのかしら?」
ソフィアが首を振った。
「いいえ、それはわたしではありません。わたしが王立騎士団に入る前から、少しずつ各地の結界が壊されているとは聞いていましたが、その頃わたしは孤児院にいましたから」
「…確かにそうね。あなたは孤児院を出る年齢の16歳になって、初めて王宮に来たのだものね」
「どうしてご存知なんですか?」
ソフィアが不思議そうにわたしを見る。
わたしは慌ててまくし立てた。
「いえっ、たまたまよ! たまたま、宮廷でそんな噂話を耳にしたから! それで知っているのよ!!」
「そうですか」
ソフィアはそれで納得したようだった。
危ない。ゲームのヒロインである彼女のことは微に入り細に入り知っているけど、そんなこと絶対に言えない!
…だけど、良かった。ソフィアは王国内の結界破壊には関わっていない。
彼女はエアハルト様のお父様の件とは、無関係だ。
そっと胸を撫で下ろしていると、ソフィアが言った。
「王妃はわたしに口止めをしました。誰かに話せば、孤児院に火をつける、と言って。わたしは王妃の圧力に屈し、真夜中に礼拝堂に侵入し、結界を壊してしまった…そのせいで騎士団は対応に追われました。幸運にも死者は出なかったけれど、負傷者は5名出ました。わたしの責任です」
「…仕方がないわ、あなたは孤児院を人質に、王妃に脅されたのですもの」
ソフィアが悔しそうに唇を噛んだ。
「…いいえ、わたしが最初から団長に話していれば、リーゼロッテ様を危険にさらすこともなかったかもしれません。王妃はわたしに、あなたのことを何度も尋ねていました。予知魔法のことも。ですがまさか、貴族の方にまであんな強引な方法を取るなんて思わなくて…わたしが甘かったんです」
わたしは、ソフィアが固く握り合わせた両手を、自分の両手で包み込んだ。
「わたしも同じよ。王妃は手段を選ばないと知っていたのに、見通しが甘かったの。だけど、あなたはわたしの命を救ってくれた。本当に感謝しているわ。ありがとう、ソフィア」
「リーゼロッテ様…」
ソフィアはまさか王妃の不倫のことまでは知らないだろう。王妃がわたしを本気で利用したがっているのも、貴族だろうが平気で使い捨てをすることも知らない。
だから、わたしが王妃に捕まったのは彼女のせいなんかじゃない。
「わたしも、王妃に脅されたわ。嘘の予知魔法を騎士団に教え、王宮から遠ざけろと。その間に魔獣を王宮内に呼び込むつもりよ。口外すればわたしも、わたしの家族も殺す、と言われたの」
「ひどい…」
「ええ。こんなこと、絶対に許さない。王妃は自分の都合のために、他人の弱味を弄んでいるのだから…」
そこまで話したとき、わたしの脳裏に、ある考えが閃いた。
「…そうよ。王妃が人の弱味につけこむなら、こちらも王妃の弱味を握ればいいのよ!」
「え?」
わたしはがばっと立ち上がり、興奮しながら早口で言った。
「王妃の泣き所を掴んでこちらが優位に立ち、王立裁判所に提訴してあの悪魔を追放する…ふ、ふふふっ…いけるわソフィア、これでわたし達の勝ちですわよ! 見ているがいいわ、王妃ディートリンデ! あなたの悪行を残さずオラシエ王国民に暴露してやりますわ!! おめおめと尻尾を巻いて逃げるがいいですわーっ!! おーっほっほっほっほ!!」
「リ…リーゼロッテ様…?」
腹黒い悪役令嬢顔であくどいことを言うわたしに、ソフィアはドン引きしていた。
だけど悦に入っていたわたしは少しも気づかず、のどかな庭園に高笑いを響かせ続けた。
〇〇〇〇〇
その後、王妃を追い詰めるための作戦を二人で立てていたら、あっという間にソフィアが騎士団に戻る時間になった。
「リーゼロッテ様、それでは、また本部で」
「ええ、よろしく頼むわね」
わたしは馬車に乗り込むソフィアを、玄関前まで見送りに来た。
王妃弾劾作戦に協力をお願いするメンバーは3人。
彼らの都合がつき次第、わたしも騎士団本部へ出向き、作戦会議に出席することになっている。
――だけど、大事な話がまだ一つ残っている。
エアハルト様のことだ。
なかなか言い出せずにまごまごしている内に、ソフィアは馬車に乗り込んでしまった。
「…ソフィア!」
わたしが呼びかけると、ソフィアは窓から顔を出してくれた。
「はい、リーゼロッテ様」
琥珀色のきらきらした目で、わたしを見ている。
…駄目だ、やっぱり今はこんな話はできない。男性の話をする雰囲気では、全くない!
また日を改めて、きちんと話さなくちゃ。
それから、これも渡さないと!
「…ソフィア、手を出して」
「? はい」
ソフィアが馬車の窓から差し出した手に、わたしは用意しておいた物をのせた。
「! リーゼロッテ様、これは…」
「あまり上手に作れなくてごめんなさい。よかったら、受け取ってくれる?」
オラシエ編みという技法で編んだ、レースの白いリボン。
あの幽霊…ソフィアのお母様の胸元にも、同じリボンが結ばれていた。
オラシエ編みはこの国独自のレースの編み方で、とくに貴族階級の女性の手習いとして好まれている。わたしも子どもの頃からよく編んできた。というかお母様に無理矢理編まされてきた。
材料の絹糸は遠い外国から輸入していて、目が飛び出るほど高価なので、平民ではまず手が出ない。
だから、ソフィアのお母様は貴族だったんじゃないかとわたしは思っているんだけど…。
ともかく、ソフィアにはお母様の姿が見えないし、声も聞こえない。
だからせめて、彼女のお母様が身に着けていたのと同じレースのリボンをプレゼントしようと思って、一昨日マルゴット様に絹糸を分けていただき、療養中にせっせと編んでいたんだよね。
ちなみにお代はお支払いすると言ったんだけど、マルゴット様には絹糸ならこのお屋敷に山ほどあるから結構よ、と断られた。公爵家の財力、半端ない。
目を丸くしているソフィアに、わたしは言った。
「知っているかしら? オラシエ編みと言うレースなの。きっとあなたに似合うと思って」
「知って…います。わたしが孤児院に保護されたときも、これと同じレースのリボンをつけていたそうなんです。もうずっと前に…破れてしまったから、箱に入れて大事に、しまってあって…」
そう言いながら、ソフィアはぽろぽろと涙をこぼした。
わたしはハンカチを出してその涙を拭った。
「…そうだったの。ソフィアのお母様は、このレースがお好きだったのね」
「ありがとうございます。リーゼロッテ様…」
馬車が出発すると、それを追いかけるように、ふわっと温かな風が吹いた。
なんとなくだけど、わたしにはその風が、ソフィアのお母様だったように感じられた。




