24.白いドレス
わたしはその幽霊をまじまじと見た。
…かわいい。
いやいや、幽霊なんだけどね!
本当にかわいらしい人だ。わたしより少し年上かな。20歳前後といったところ。
以前はただぼんやりと白っぽい輪郭にしか見えなかった。
だけど、今はよく見える。
とても薄い膜が一枚、わたしと彼女の間にかかっているようではあるけど、目鼻立ちや体つきは十分わかる。
ゴールドの緩く長い巻き毛、同じ色の大きな瞳、小柄で、真っ白い肌に白いドレス、胸元のレースのリボン――。
ん?
わたし、この人を前にどこかで見たことがあるような気がする。
ともかく、わたしは次に会ったら聞こうと思って温めておいた質問を早口でぶつけた。
「お久しぶりです、幽霊さん。ところであなたは、どうしてわたしの前に現れるんですか? 何かこの世界に思い残した事でも? よかったらわたしが何かお手伝いしましょうか?」
よし、言った!
幽霊は淡々と返事をした。
「ありがとう存じます。あなたには大変お力添えをいただいておりますね」
「こちらこそです!」
上品な人だ。とても丁寧な喋り方をする。
…でも、この喋り方も、どこかで聞いたことがある気がするんだよね…。
幽霊はそれ以上何も言わない。回答NGな質問だったの?
わたしはまた尋ねてみた。
「どうして今日ははっきりと姿を見せてくださるんですか?」
「わたくしは何もしていませんよ」
「え?」
「あなたは一度、死の淵を垣間見た。そのせいで、向こう側にあるものが見えやすくなっているのでしょう」
「向こ…」
わたしは口を手で押さえた。背中がぞわりと粟立つ。
嫌だ、そんなものを見るのは断じて拒否願いたい!
…この人は、例外だけど。
彼女は幽霊だけどなぜか怖くないし、いつもとても大事なことをわたしに教えてくれる。
まあ、こっちから尋ねたことは、あんまり教えてくれないけど。
でもせっかく今日はこんなにはっきりと見えているんだから、ここで聞きたいことは全部聞いておきたい!
「この間、ソフィアのことを言ってましたよね? ソフィアを知っているんですか?」
「ソフィア…」
幽霊は、胸を突かれたような顔をした。
何が出てくるのか、わたしは前のめりになって返事を待つ。
今日、この幽霊の姿を見て、わたしの頭の中に一つの仮説が生まれた。
この人は、ソフィアのお母様だった人かもしれない。
目や髪なんかは少しずつ違っているけど、それでも第一印象の柔らかい感じがソフィアとよく似ている。
それに前回、幽霊はソフィアの名前を口にしていた。
死んでなおこの世をさまよう存在が気に掛けるほどの相手といえば、家族か恋人なんじゃないかな。
幽霊は、夢見るような眼差しで呟いた。
「ソフィア、わたしのかわいい娘…」
やっぱり!
この幽霊は、ソフィアのお母様だ!!
「あのっ、わたし今度ソフィアをこのお屋敷にお呼びしますわ! ですからそのときまで、どうぞ消えずにこのお部屋でお待ちください!!」
わたしは興奮して言った。
小さい頃に生き別れになったお母様に会えると知ったら、ソフィアはどんなに喜ぶだろう、と思って。
だけど、彼女は悲しげに首を振った。
「…いいえ、あの子にはわたくしが見えないし、声も聞こえません」
「そんな、どうして…」
「あの子には生まれ持った強力な結界魔法の力があります。それにより無意識の内に、二十四時間、常に自分自身に微力な結界を張っているのです。そうしなければ、元来魔力の高い彼女には様々なものが見え過ぎてしまう。だから精神に負荷がかからないように、余計なものは自動的に排除しているのです」
そうか。
あまりに魔力が高いとそんな弊害もあるんだ。
無意識に結界を張ってしまって、それでお母様の幽霊に会えないなんて、なんだかかわいそうだな。
才能のある人もラクじゃないんだね…わたしなんか、王妃にもディスられるくらいの魔力の低さなのに。
あれ? じゃあなぜ魔力の低いわたしに、この幽霊――ソフィアのお母様が見えるんだろう。
「あなたは特別です」
わたしの思考を読み取ったかのように、彼女が言った。
「あなたは特殊な魂の持ち主です。この世界とは別の世界の記憶を有している。同時に、この世界の違う階層も何度も目にしている。だから、生者とは異なるわたくしの声も届きやすかったのです」
別の世界の記憶…は、わたしの前世のことだよね。
この世界の違う階層、っていうのは、あの乙女ゲームのことかな? 色々なルートが、パラレルワールド的にいくつもあるっていう意味?
…って、わたしの記憶の中のゲームの内容も、ソフィアのお母様に全部だだ漏れなの!? それはかなり恥ずかしい! そして気まずい!
赤面して焦るわたしに、彼女が柔らかく言った。
「心配なさらなくとも、わたくしにも全てが見えるわけではありません。ですが、あなたがいくつもの特殊な記憶をお持ちのお嬢さんだということはすぐにわかりました。…それに、ソフィアに対して温かな感情をお持ちだということも」
「…はい。わたし、ソフィアが好きです!」
どうせ知ってるならと、わたしははっきりそう言った。
ゲームをしていたときも、今この世界でも。
わたしはソフィアが好きで、力になりたいと思っている。
…でもなんだろう、これ、彼女の家に遊びに行って彼女のお母さんと二人きりになって、娘をどう思ってるの、とか言われたときの彼氏の気分…? ソフィアもいないのに、わたしは一体何を宣言してるんだ!?
ソフィアのお母様は、とても美しい笑顔を浮かべた。
ああ、やっぱり見覚えがある気がするのに、思い出せない――。
「リーゼロッテ、ありがとう。どうかソフィアを頼みます」
そう言い残して、彼女はまるでリモコンで消したかのように、ふつりと消えた。
〇〇〇〇〇
その後、改めてエアハルト様を探すため、そしてもう一つできた目的のために、わたしは部屋を出た。
扉を開けて廊下に出ると、見慣れた深紅の制服を着た騎士が二人、わたしがいた部屋の扉の両脇に立っていた。
わたしを見ると、驚いたように敬礼する。
「リーゼロッテ様! お加減はもうよろしいのですか?」
向かって右側の騎士が言った。
「ええ、おかげさまで。すみません、わざわざ護衛など…」
「団長のご命令です! どうかお気になさらず」
向かって左側の騎士が言う。
「団長…? ギュンター様が、わたしの護衛を命じられたのですか?」
確かマルゴット様は、エアハルト様が自分の部下の騎士達を護衛に立たせている、というようなニュアンスで話していたような。
右側の騎士が口を挟んだ。
「おい、団長はまだギュンター様だ。エアハルト様は団長代理だろ!」
「おっと、そうだった。失礼」
「団長代理?」
わたしが首を傾げると、右側の騎士が言った。
「はい。礼拝堂の戦いにおいて、ギュンター様は名誉の負傷を遂げられ、現在は療養中です。その間、エアハルト様が団長代理として働いておられます」
「まあ、お怪我を? 大丈夫なのですか?」
眉をひそめると、左側の騎士が言った。
「なに、ご心配には及びません。持病のぎっくり腰ですから」
「お前なあ、それは口外するなと言われていただろ! 外聞が悪いだろ!」
またしても右側の騎士がつっこむ。
左側の騎士はへへへ、と照れ笑いを浮かべた。
この人、ちょっとおっちょこちょいなのかもしれない。親近感が沸く。
それにしても、ぎっくり腰か…。前世でお母さんがたまにやってたな。
礼拝堂の屋根でエアハルト様と並んで剣を構えたギュンター様は男気に溢れてかっこ良かったけど、やっぱり年を取ると色々と大変なんだね。
折れた肋骨を抱えるわたしは、負傷者同士、しみじみとギュンター様に同情した。
「ところで、どちらへ行かれるのですか? ご案内いたしましょうか?」
右側の騎士が親切にもそう言ってくれた。
「いえ、あの…エアハルト様は、いつ頃こちらへお戻りになるでしょうか?」
左右の騎士は顔を見合わせ、困ったような表情を浮かべた。
「…申し訳ありませんが、先程申し上げたようにエアハルト様は現在、団長代理として王立騎士団の全ての指揮を執り行っている状態です。現在は国内の各地方にも頻繁に魔獣が出没し、非常に多忙なようで、次はいつお戻りになられるか…」
「そうですか…」
「ええ、ほんとに。この3日間、騎士団に泊り込みですからね。いくら偉くなりたいっていっても、俺、あんな激務はちょっと嫌だなあ」
腕組みをして首を振る左側の騎士に、右側の騎士が断言する。
「お前は絶対に団長になったりしないから安心しろ」
「わかんねえだろ!? その内、勤務時間内にきっちり仕事を終える方が優秀って時代が絶対に来る!」
「その時になって勤務時間内に仕事を終えられる自信がお前にはあるのか?」
「ぐぬぬ…」
仲が良さそうだ。
早くソフィアに会って話をしたかったけれど、エアハルト様がそんなに忙しいなら邪魔をするわけにはいかない。
先にマルゴット様に、ソフィアをここへ呼ぶ許可をもらいに行こう。
それと、もう一つのお願い事も。
マルゴット様にお会いしたいと言うと、騎士達は快く案内を引き受けてくれた。
彼らについて館内を歩きながら、なんとなく廊下や階段の先に、ソフィアのお母様がまた出て来るんじゃないかと探してしまう。
だけど、白いドレスを着た幽霊の姿は、もうどこにも見えなかった。




