21.黒の喪服(前編)
気がつくと、わたしは知らない部屋のベッドに横たわっていた。
起き上がると同時に咳き込み、胸にも激痛が走る。
なんでだろう、と不思議に思うと同時に、西の離宮の記憶がフラッシュバックする。
薄暗い部屋の中、ビスクドールのような王妃と、扉の前に立つアンヌさん。
突然現れた、大男のホルガー。
わたしを殺そうと首に手をかけて――。
思い出しただけで心拍数が上がり、脂汗が滲んだ。
わたしはそっと首を触ってみた。
少し痛みがある。痣になっていそうだ。
呼吸はできるけど、そのたびに胸がずきずきと痛む。
もしかしたら、ホルガーに突き飛ばされた時に、肋骨が折れたのかもしれない。
体を見下ろすと、わたしが着ていたはずの深紅のドレスはゆったりとした部屋着に替わり、手足の小さい擦り傷には塗り薬が塗られ、枕元には水の入ったボウルとタオルまで用意されている。
眠っている間に、誰かに手当てをしてもらっていたみたいだ。
広い室内を見渡すと、高級な調度品と上品な壁紙が目に入る。有力貴族の館らしい。
ひとまずここは安全そうだとわかると、今度はふつふつと怒りが沸き上がってきた。
あの性悪王妃め…ソフィアが魔女だという噂を流したのは、きっと王妃だ。
自分へ疑いが向かないように、ソフィアをスケープゴートにしたんだろう。
それに、エアハルト様のお父様が魔獣に殺されたのも、王妃が各地の結界を破壊させたせいで――。
許せない。
いろんな人を不幸にして、平気な顔をしているなんて。
絶対に、王妃の悪事の尻尾を掴んで、ぎゃふんと言わせてやる!!
拳を握りしめ、ギリギリと歯ぎしりをしていると、ノックの音がした。
わたしは慌てて、吊り上がり皺の寄った目元と額の青筋と歪んだ口元を元に戻し、伯爵令嬢らしい澄ました表情を浮かべて、こほんと咳払いをした。
入ってきたのは、見知らぬ中年女性と、お腹の出た初老の男性だった。
男性は軍服に似た詰め襟の服を着て、眼鏡をかけている。
女性がベッドの上に起きているわたしを見て、口を開いた。
「目が覚めたようで何よりです、リーゼロッテ。わたくしは亡きグレーデン公爵の妻であり、次期グレーデン公爵エアハルトの母、マルゴットです」
…じゃあ、ここはエアハルト様のお屋敷だったんだ。
エアハルト様のお母様、マルゴット様は、長身で痩せぎすの女性だった。
顔立ちは、整ってはいるけれど厳しさの方が際立っている。
くすんだ金色の髪は全て後ろでひっつめられ、エアハルト様とよく似た青灰色の瞳は冷たく、容易に人を寄せ付けないように見えた。
わたしは急いでベッドの上でマルゴット様に略式の礼をした。
ぐうっ、体を傾けると胸が痛い。
「初めまして、マルゴット様。ノルドハイム伯爵の娘、リーゼロッテでございます」
「…ハーマン先生、診察をお願いいたします」
「わかりました、奥様」
ハーマン先生と呼ばれたその男性は医師らしく、ベッドサイドまで来ると、ざっくばらんにわたしに話しかけた。
「よう、気分はどうだ?」
「ええ…とてもいいですわ。胸が少し、痛みますけれど」
「ふむ。やはり骨折してるか。ちょっと触るぞ」
ハーマン先生はわたしの胸部を触診した。
「いだだだだだだっっ!!」
触られた激痛に思わず叫ぶと、ハーマン先生は手を引っ込めて言った。
「肋骨が折れてるな。まあ、熱も引いたし、顔色も悪くない。若いんだし、安静にしていればひと月程で治るだろう」
「はあ…」
簡単に言ってるけど、これ、ものすごく痛いんだからね…!
恨めしげにハーマン先生を見ると、彼はわたしの気持ちを察したように頷き、自分の黒い鞄から大きな紙包みを取り出した。
それを開き、わたしに中身を見せる。
なんとも形容しがたい、つんとした匂いが鼻を刺激する。紙袋の中には、直径1cmほどの黒い丸薬が無数に入っていた。
「これを朝昼晩、10粒ずつ飲むように。痛み止めだ」
「10…!?」
わたしはあんぐりと口を開けた。
丸薬は真っ黒で、何が練り込まれているのかはわからない。薬草ならまだしも、焼いたイモリだの、漬けたマムシだのが入ってないとも限らない。ありがたくも健康な体に生まれ育ったリーゼロッテは、この時代の医療に関しては全くの無知だった。
丸薬の処方を阻止しようと、わたしは突然高らかに宣言した。
「それには及びませんことよハーマン先生! 痛みなどもうないも同然! このリーゼロッテ・フォン・ノルドハイム、おかげさまで全快いたしましたわっ!!」
ハーマン先生が手を伸ばし、再びわたしの胸部を指で押した。
稲妻のように激痛が走る。
「ぎゃあああぁぁっ!! …ちょっ、何をなさるんですのっ!?」
涙目で抗議すると、先生はにやりと笑った。
「ほれみろ、大人しく薬を飲めってことだ」
「…!!」
何も言い返せずに唇を噛むわたしに、ハーマン先生は患者の抵抗には慣れているといった様子でぽんぽんと注意を与えた。
「トカゲの尻尾みたいな怪しいもんは入ってないから安心しろ。あんた、3日も高熱を出して眠り込んでいたんだぞ。体力が落ちているはずだから、今日からはたっぷり食事を取って、少しずつ運動もすること。念の為、明日もう一度診察に来るが、まあ心配はいらん」
わたし、3日も眠っていたのか…。
確かに体には疲労感が残っているけど、風邪を引いて治った後のように、すっきりと軽い気分だ。
先生の言う通り、心配はいらなそうでよかった。
…あの丸薬は、どうにか飲まずに済ませたいものだけど。
ハーマン先生は診察を終えると、大きな体を左右に揺らしながらさっさと帰って行った。
部屋にはわたしとマルゴット様が残った。
「…あの、マルゴット様」
「あなたとお話しするのは初めてね」
「はい」
婚約者のお母様なのに、わたしはマルゴット様に会うのは初めてだった。
ここで開かれた舞踏会の時にも、彼女の姿はちらりとも見かけなかった。たぶん、出席自体していなかったんだろう。
その理由は、彼女の服装を見ればわかる。
マルゴット様は、上から下まで黒の喪服を身に着けていた。
おそらく、夫のグレーデン公爵を失くしてから、毎日喪服しか着ていないんだろう。
通常、この国では喪は半年で明ける。
だけど、悲しみに打ちひしがれて立ち直れない人は、気が済むまで喪服を着ていても許された。
彼女もそうなんだろう。
ずっと、喪に服しているんだ。
夫を失った悲しみに包まれたまま。
「…あなた、予知魔法を習得しているんですってね?」
「はっ、はい!」
いきなりきわどい質問が飛んできた。
ごめんなさい、本当はそんなもの使えません。
でも、使えることにはなってます!!
「ずいぶんと息子が助けられていると聞きました」
「僭越ながら、王立騎士団に魔獣の情報を提供させていただいておりますわ!」
「…そう」
それきり、マルゴット様は黙り込んであらぬ方向を見つめた。
わたしは落ち着かない気分できょろきょろと視線をさまよわせた。
どうしよう、何かまずいことでも言ったかな?
もし、エアハルト様のお母様に嫌われてしまったら…。
嫌われて、しまったら?
――もしもこの人にすさまじく嫌われたとしたら、エアハルト様との婚約は解消になるんじゃない?
さっき、彼女はエアハルト様のことを次期公爵、と言っていた。
だから、今現在のこの家の当主は、実質マルゴット様のはずだ。
当主なら、子どもの婚約を破棄する権限を持っている。
エアハルト様はきっと、ソフィアを好きになったとしても、その優しさゆえなかなか自分からはわたしとの婚約破棄を切り出せないだろう。
だけど、お母様のマルゴット様はとても厳格な方に見える。
彼女に嫌われれば、婚約破棄への道は開ける――!!
「マルゴット様!」
「…何かしら?」
「わたし、なんだかとってもお腹がすきましたわ! よろしければ、何かお食事を出していただけませんか? がっつりした肉系のものがよろしいですわ。あと、デザートにはつるりとした食感のプリンが食べたいですわ!」
よし! とわたしは内心でガッツポーズをした。
いきなり病身でかつぎこまれて迷惑をかけた上に、偉そうに食事内容まで指定すれば、好感度はだだ下がりだろう。
…だけど、予想に反してマルゴット様は嫌な顔ひとつせず、あっさりと頷いた。
「そんなに食欲が出たのね。いいことだわ。すぐに用意させます」
マルゴット様は即座に執事を呼んで、てきぱきと食事の用意を指示しはじめた。
そしてまもなくわたしのいるベッドの上は、豪華な食事で埋め尽くされることになった。




