2.そんなことはさせない
「お芝居、面白かったですわね」
向かい合って座った馬車の中で、わたしはそう言ってエアハルト様にほほ笑みかけた。
エアハルト様はなんだかぼんやりした顔で腕組みして小窓の外を見ていたけど、わたしが話しかけると、こちらを向いて答えてくれた。
「…ああ、そうだな。あの生き別れの兄妹が再会するところは特に…」
「ええ、本当なら感動的な場面なのに、妹が男装していたものだから兄と瓜二つで、みんな混乱してしまって」
わたしとエアハルト様はその場面を思い出して、ふふっと笑い合った。
エアハルト様が咳払いをして、ためらいがちに言った。
「…なあ、リーゼロッテ。この後、時間はあるか? もし、よかったらなんだが…この辺りの店で紅茶でも飲んでいかないか」
わたしは驚いて、まじまじとエアハルト様を見つめてしまった。
今日はエアハルト様に誘われて街で夕食を共にして、その後劇場でお芝居を観た。もう夜もいい時間だ。それなのにさらにお茶に誘われるなんて。
「…エアハルト様。あのう、ぶしつけながら、もしや何かお悩みでもあるのでしょうか?」
「は? 悩み? …いや、特にないが」
今度はエアハルト様が驚いてわたしを見た。
「そうですか、失礼いたしました。何かわたしに相談したいことでもあるのかと思いまして…」
「…そういうつもりでは…」
エアハルト様は難しい顔をして、またふいと横を向いてしまった。
やっぱり失礼だっただろうか。
もしかしたら、わたしの予知魔法を使って何か知りたいことでもあるのかと思ったのだ。
まあ、予知魔法なんて本当は習得していないのだけど。
わたしはただ、前世のゲームの記憶を持っているというだけだ。
それに、ソフィアのこともある。
わたしは実際のところ、エアハルト様はゲームと同じように彼女のことが気になっているのではないかと思っている。
だから婚約者としての礼儀上、こうしてわたしを誘ってくれてるとしても、遠からず彼の方からこの婚約を破棄したいと言ってくるに違いない。
「…いや、やはりもう夜も遅い。このままお前の屋敷まで送ろう」
「そ、そうですか? …すみません。それでは、お願いいたします」
それからは二人ともなんとなく黙ったままで、馬車はノルドハイム伯爵邸まで石畳の道を走った。
〇〇〇〇〇
前世の記憶を取り戻して以来、わたしはなんとか破滅ルートを免れようと考え抜いて、一つの結論を出した。
それは、前世でのゲームの知識を利用して魔獣の出没情報を王立騎士団に提供し、世のため人のために役に立つこと!
王立騎士団は魔獣討伐専門の騎士団だ。
そしてエアハルト様は、その騎士団の副団長。
だから、わたしが騎士団に有益な情報を提供し続ければ、わたしをむげに断罪できないはず!
それに、騎士団にいるソフィアからも距離を取って関わらないようにすれば――いやむしろ、積極的に仲良くなって彼女と友達になれば、ますます断罪の可能性は低くなるだろう。
うん、悪くない計画だ。
――だけど思い切って王宮へ行き、初めて騎士団本部にエアハルト様を訪ねて、一番直近に出現するはずの魔獣の情報を提供した後。
彼は帰ろうとするわたしを引き留め、なんと、夕食に誘ってくれたのだ。
そして、その後も何度か、わたしを食事や観劇に連れて行ってくれた。
エアハルト様には蛇蝎のごとくに嫌われていると思い込んでいたわたしはもちろん驚いた。
でも、そういえば彼は元来、生真面目で義理堅い性格という設定だ。
礼儀正しいエアハルト様は、一応の婚約者であるわたしに、舞踏会のときのお礼のつもりで誘ってくれているのだろう。
それにこれはチャンスでもあった。
エアハルト様と親交を深め、わたしがソフィアをいじめるような人じゃないって分かってもらえれば、さすがに断罪されて辺境の塔に送られたりはしないよね!
…と思いつつも、本当は毎回戦々恐々としていた。
乙女ゲーム内での、彼のリーゼロッテに対する塩対応を何度も目にしていたからだ。
いつ何時、彼がいきなり豹変して、いつも腰に佩いているあの長剣を抜き放ち、あの氷の目でわたしを糾弾し始めるのでは…と、食事をしていても観劇をしていても、気が気じゃなかった。
だけど何度かこうして一緒に時間を過ごす内に、わたしは段々エアハルト様への苦手意識が薄れてきているのに気づいた。
前世のわたしは一通り攻略対象キャラをクリアしたけれど、エアハルト様はわたしの推しキャラじゃなかった。
わたしは真面目でいかつい武人タイプよりも、弟タイプのような優しい雰囲気の癒しキャラに惹かれたから。
でも実際にエアハルト様と向き合って色々話してみると結構話しやすくて、照れ屋でかわいいところもあったりする。
わたしの話にも、意外なほど耳を傾けてくれる。
意外と言っても、ゲーム内ではリーゼロッテはソフィアの悪口や家柄の自慢しか口にせず、エアハルト様はそれがとても嫌だったみたいだから、普通に話せば普通に答えてくれるのは当然といえば当然かもしれないけれど…。
それに、彼はとても優しかった。
わたしが寒そうにしていたらさりげなく自分の上着を脱いでわたしの肩にかけてくれるし、どんなことでも決して無理強いはせずにわたしの意見を尊重してくれる。
誰に対しても、一貫してそうした態度を変えないんだ。
相手が平民だと傲岸に振る舞う貴族が多い中、エアハルト様は、平民にも敬意を持って対等に接し、誰が相手でもきちんと話を聞く。
だからこそ、ゲーム内で彼は身分の低さゆえにいじめられるソフィアに、あんなに肩入れしていたんだろうな。
たぶん、エアハルト様はとても良い人なんだ。
だからわたしはこのまま彼と良好な関係を保ちつつ、折を見て何か口実を作り、婚約破棄へと持ち込めばいい。
そうすればエアハルト様はつつがなくソフィアと幸せになれるし、わたしだって他の誰かと仲良くなったりして、もしかしたら、結婚…なんていう未来もあるかもしれない。
うわあ、考えただけで照れる。
「…よし! こうなったら、みんなでハッピーエンドへ向かって突き進みますわよ!!」
気分が上がってなぜか令嬢口調が出てしまったけど、とにかくわたしは伯爵家の自室の天蓋付きベッドの上で深夜に一人、ガッツポーズをした。
〇〇〇〇〇
「あら、リーゼロッテ。ちょうどよかったわ。ちょっと恋占いをしてくれない?」
「すみません、アンヌさん。もう占いはしていないんです」
宮廷の渡り廊下で女官のアンヌさんに声をかけられ、わたしはそう答えた。
申し訳ないけど、わたしの魔力も占いの能力も微々たるもので、人様に何かを占って差し上げられるほどのレベルにはない。
前世の記憶を取り戻したわたしに、もう以前のリーゼロッテがしていたようなインチキ占いはとてもできなかった。
ただでさえ、予知魔法という嘘もついてるし…。
「そうなの? 残念ねえ」
「すみません。その代わり、もしよかったら今度お相手のお話を聞かせてください」
「まあ、もちろんよ。ゆっくりお茶しましょうね」
「はい」
アンヌさんは笑顔でわたしに手を振り、用事に戻っていった。
ちなみにアンヌさんは既婚者だ。
かっこいい宮廷貴族の男性にしょっちゅう胸をときめかせているけれど、案外旦那様との夫婦仲は悪くないらしい。
そういえばわたしも、前世ではよく友達と恋バナしてたっけ。
わたしは聞くことの方が多かったけど、それでも女の子同士で好きな人のことをわいわい話すのは楽しかったな。
そんなことを思い出していたら、渡り廊下の向こう側から一人の女の子が歩いてきた。
ソフィアだ。
ゲームで見慣れた艶やかな茶色の髪と、ターバン風に巻いた白いリボン、琥珀色の大きな瞳。
王立騎士団と一目でわかる、鮮やかな深紅の制服を身に纏っている。
小柄な体ながらも騎士団員として精一杯頑張る姿があのゲームの中では印象的で、それを見て攻略対象の男性達も、次第に彼女に心を許していくのだった。
――だけどこの世界のソフィアは、ゲームの中で忙しくも楽しそうに動き回っていたソフィアとは違って、暗く、肩を落として歩いていた。
琥珀色の瞳の輝きも失われ、肩までの髪も、うつむいた顔を覆い隠すように頬に落ちかかっている。
ソフィアに会って話したかったから、ちょうどよかったけど…なぜか、思いのほか沈んだ様子だ。
わたしは戸惑いを隠し、笑顔でソフィアに話しかけた。
「こんにちは、ソフィア。騎士団のお仕事かしら?」
「あ…リーゼロッテ様。…はい、そうです」
おどおどした様子で、ソフィアが答える。
彼女がわたしに心を許していないのは当然だ。
なにせ記憶を取り戻す前のわたしは、まだソフィアを本格的にいじめてこそいなかったものの、平民の彼女のことはほとんど視界にも入れていなかったからだ。
だけど、ソフィアがこんなにも悄然としているのは、別に高慢な貴族の令嬢に出くわしたからというわけじゃないだろう。
何か他に理由があるはずだ。
「どうしたの? …あまり元気がないようだけど」
わたしも今日は騎士団に用があり、王宮内の騎士団本部に赴くところだった。
並んで歩きはじめると、ソフィアは、ぽつぽつと事情を話してくれた。
「…解雇、されるみたいなんです」
「えっ?」
「わたしが宮廷にいても、仕事は何もないから…だから、今月いっぱいでもう城下町に戻って良い、という団長のご意向のようで…今から本部で辞令を受けに行くんです」
「そんな…」
寝耳に水だった。
ソフィアが特別魔導士の職を、王立騎士団から解かれるだなんて。
彼女はヒロインのはずだ。
それが、物語の舞台から退場するだなんてありえない。
だけど…。
もしかして、わたしが予知魔法と称して魔獣の現れる地点を騎士団に進言しているから、それが結果的に、ソフィアの役割を奪うことになった?
ソフィアはハイレベルの結界魔法を操る。
魔獣が不意に襲ってきた時にも、彼女はその天性の才能により、長い呪文詠唱も魔法陣の描画も省いて即座に結界魔法を張れる。
そのために、異例の厚遇として平民から王立騎士団に叙任された。
だけど、近頃はわたしがあらかじめ魔獣の襲ってくる時間と場所を騎士団に伝えているために、その場にいる人々を事前に避難させることができ、騎士団は結界不要で魔獣退治に集中できている。
わたしは青ざめた。
よかれと思ってしたことが、ソフィアを苦しめる結果になるなんて。
ソフィアは孤児だ。
城下町に帰っても、迎えてくれる家族も、それどころか帰る家さえない。
彼女の育った孤児院には16歳までしかいられないという規定がある。
だから、今年16歳になったソフィアは自ら志願して、人々を守るために身を挺して巨大で狂暴な魔獣と戦う、王立騎士団の入団テストを受けたんだ。
そんな彼女の仕事を奪ってしまったことに、強い罪悪感を感じた。
わたしはゲームのヒロインであるソフィアに好感を持っていた。
明るくて頑張り屋な性格も素敵だと思ったし、男性に混じって人々のために戦う彼女はかっこよかった。
それなのに、意図せずとはいえ、わたしが彼女をどん底に突き落としてしまうなんて…。
これじゃあ、ゲームの中の悪役令嬢リーゼロッテそのままじゃないか!
しかも、わたしが騎士団に魔獣の出没地点や時刻を教えられるのは、ゲームがエンディングを迎える時期までだ。
それ以降は、得たときと同様に突然予知魔法を失ったことにしてお茶を濁し、フェードアウトしようと思っていた。
ソフィアもいるのだし大丈夫だろう、と。
それが、あろうことか彼女を解雇するだなんて。
――もしかして、やっぱりバッドエンドに向けて突き進んでいる?
このままじゃ、わたしの幽閉だけじゃ済まないような、もっと悪い結末を迎えたりして――。
いや、そんなことは絶対にさせない!
「ソフィア!」
「は、はい?」
いきなりわたしが呼ぶと、ソフィアがびくりと肩を震わせた。
わたしはその肩をがしっと掴んだ。
「あなたは騎士団にとってなくてはならない人材ですわ! 絶対にわたしがあなたを解雇なんてさせません! ほら、行きますわよ!!」
「え? あ、はいっ!?」
わたしはソフィアの手を引っ張るようにして、急いで騎士団本部へ向かった。