17.礼拝堂の攻防
魔獣は、それから間もなくやって来た。
わたしがいる騎士団本部3階の応接室の窓からは、ちょうどはす向かいにある礼拝堂周辺が、よく見渡せる。
はす向かいとは言っても広大な王宮内のことだから、直線距離としては100メートル程だろうか。
礼拝堂の前面に配備され臨戦態勢を取っているのは、イェルクさんが率いる、第二師団の物理攻撃部隊。
少し離れた場所に陣を構え、屈強な騎士達に守られながら結界魔法を張り続けているのは、ソフィア中心の第二師団結界魔法部隊。
その反対側には、カイを中心とした同じく第二師団の攻撃魔法部隊があって、どこから魔獣が襲ってきても即座に迎撃できるようになっている。
団長のギュンター様と副団長のエアハルト様、それから第一師団の主力部隊は、礼拝堂内部でいつでも応戦できるように待機しているはずだ。
きっと大丈夫と思いつつ、姿が見えない分、不安がつのる。
祈るような思いで窓から礼拝堂を見ていたら、ふいに、鳥の羽ばたきのような音が聞こえてきた。
鳥にしては大きい、ごうん、ごうん、というその羽音は次第に大きくなり、わたしのいる建物の上を通過して礼拝堂へ向かった。
下降する一瞬、それは、わたしのいる窓のすぐ目の前を轟音と共に滑空した。
感情の読めない金色の小さな目が、ちらりとわたしを捕捉する。
ほんの一瞬のことなのに、わたしは恐怖に射すくめられたようになった。
それは巨大な翼竜で。
その左の翼には、十字の傷跡があった。
エアハルト様のお父様を殺した翼竜だ。
わたしは急いで窓に近づいて外を見た。
王宮の上空を羽ばたいているそれは、本当に大きな翼竜だった。
紅茶店に出没したものの二倍はありそうだ。
前世でニュースで見た軍用航空機、オスプレイ位の大きさだろうか。
もちろん人間が戦って勝てるような相手には、全然見えない。
その巨大な翼竜を、激しい炎の渦が包んだ。
カイの攻撃魔法だ。他の魔導士達のサポートを受けて、直径5メートルはある超特大の火焔をぶつけている。
だけど、炎魔法は空を飛ぶ翼竜には相性の悪い魔法のようだ。
翼竜はさっと炎を回避して、空高く舞い上がった。
そのまま悠々と旋回している。
その間に、新たな魔獣が礼拝堂付近に姿を現した。
大型の獣型魔獣が2体。
どちらも、地獄の番犬がインド象位のサイズになったような魔獣で、絶対に道ですれちがいたくないタイプの生きものだ。わたしなんか目があった途端に瞬殺されるだろう。恐い。
ソフィアの部隊が戦闘用の結界魔法を2つ放ち、片方はその場に足止めすることに成功した。
もう片方への結界魔法は失敗し、魔獣は礼拝堂内に突進して行った。
ステンドグラスが砕け散り、巨体が内部に消える。
礼拝堂の中から、戦闘の音が漏れ聞こえてきた。
わたしは窓にかじりつくようにして、魔獣の走り回る音や騎士達の剣戟を聞いていた。
悲鳴などは聞こえてこないから、勝っているんだろうか。
離れた建物から見ているだけなのに、緊張と恐怖で脂汗がにじんでくる。
外に足止めされたもう一体の獣型魔獣は、早くもカイ達の炎魔法と、イェルク隊の剣による物理攻撃の連携によって絶命したようだ。
あの翼竜は未だ、悠々と上空を旋回している。
戦況を見定めているようで、気味が悪い。
どれほど経っただろう。
礼拝堂内が静かになった。
「獣型魔獣、撃破!」
礼拝堂内にいた伝令の騎士が窓から顔を出し、外の騎士達にそう伝えると、わっと歓声が上がった。
わたしは胸を撫で下ろしかけ、次の瞬間、自分の目を疑った。
礼拝堂の屋根の上に、誰かがいる。
ちょっと待って。信じたくはないけど、あれはエアハルト様だよね?
屋根に登って、翼竜を迎え撃つ気だ。
気持ちはわかるけど、無理だ。分が悪すぎる。軍用航空機並の大型の翼竜相手に、自殺行為だ。
「ギュンター様、お願い、エアハルト様を止めて…!」
声は届かないと知りつつも、わたしは思わずそう口に出していた。
そしたら、なんとギュンター様も礼拝堂の窓から、屋根によじ登りだした。
ギュンター様、ナイス!!
――と、思ったのも束の間。
登り終えると、団長は部下を連れ戻すなんて無粋な真似はせずに、自らも剣を抜いて構えた。
「いや待って、なんでギュンター様まで戦う気満々なの!?」
あの人は以前わたしに、復讐はやめさせろとかなんとか言ってなかったか。
確かエアハルト様のお父様は、ギュンター様の友人だった。
ここで会ったが百年目と、亡き友人の息子と共に仇討ちをするつもりかもしれない。
どんだけ熱い上官なんですか!!
翼竜は旋回をやめ、ホバリングをしていた。
その目は、屋根の上にいるエアハルト様達を狙っているようだ。
翼竜が体勢を変え、獲物に向かって急降下を始めた。
――来る!!
息を呑んだそのとき、空中に巨大な魔法陣が出現して、翼竜の体が網にかかったようにぐっと止まった。
下を見ると、ソフィア達結界魔導士隊が協力し、結界魔法を張っている。
その脇には、わたしが馬車で運んできた結界石の木箱がある。あれを使ってくれているんだ。持ってきて本当によかった!
息をつく間もなく、今度はすさまじい炎の柱が翼竜を呑み込んだ。カイの部隊の攻撃魔法だ。
耳をつんざくような翼竜の叫びが響き渡る。
その炎が消えると、翼竜は全身に軽い火傷を負ったようだった。あれで死なないなんて、どれだけ強靭な体なんだろう。
だけど、結界魔法の効力もそこまでだったようだ。
翼竜はその場で激しくもがくと、結界を振りほどくようにして力業で無効化し、逃れた。
そして怒り狂ったように、屋根の上のエアハルト様達に突っ込んだ。
エアハルト様とギュンター様は左右に飛びずさって間合いを取り、突進してきた翼竜へと、同時に斬りかかった。
ぴったりと息の合った連携攻撃に、翼竜は再び鋭い叫び声を上げ、屋根から離れる。
遠ざかった敵めがけて、エアハルト様はなんと、持っていた長剣を投げ槍のように投げつけた。
それは翼竜の、十字傷のある左翼を貫通した。
だけど致命傷にはならず、翼竜は武器を失ったエアハルト様目がけて、怒り狂ったように襲いかかる。
すんでのところでギュンター様がエアハルト様の首根っこを掴んで引き戻し、攻撃を回避する。
翼竜が空中でUターンして再び攻撃しようとしたとき、炎魔法が命中した。
翼竜は素早く転回して上空へ逃れ、炎を消そうと滅茶苦茶に飛び回る。
そして、ダメージを負ったままどこかへ飛び去って行った。
こうして魔獣は撃退された。
エアハルト様の仇敵は逃してしまったけれど、とにかく王立騎士団の勝利と言っていいだろう。
わたしは窓の前で大きく息を吐き、ぺたりと床に座り込んだ。
ああ、心臓に悪かった…。
コンコン、とノックの音がした。
あれ? 誰だろう。まだエアハルト様が迎えに来てくれるには早過ぎるけど…。
ドアを開けると、そこには女官のイレーネさんがにっこりと笑って立っていた。
「やっと見つけた、リーゼロッテ。さあ、わたしと一緒に来てもらうわよ」