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16.ご武運を

「いいですか。危険だから、絶対に明日は王宮に来ては駄目ですよ」


中庭で別れる際に、ソフィアは何度もわたしにそう念を押し、わたしは分かったわ、と言って帰ってきた。


屋敷に帰ると、エアハルト様からも手紙が届いていた。

彼はソフィアよりも徹底的だった。

手紙にはこう書いてあった。


「明日は自分の屋敷から一歩も出ないように」




ソフィアとエアハルト様にこんなに心配してもらえるなんて、わたしは果報者だ。


けれど宮廷から帰る際、騎士団本部の横を通ったときに騎士達が「結界石が足りない」と話しているのを、わたしは聞いてしまった。

三体もの魔獣を食い止める結界を張るため、結界石の在庫が底をついてしまったのだろう。


たまたま、明日は商用でうちの屋敷の倉庫に大型馬車一台分の結界石が納品される予定の日だった。

わたしは屋敷に帰るとお父様に掛け合って、その結界石をまるごと王宮に寄付させてもらうことにした。


お父様も王に仕える一貴族として、王宮に魔獣が攻めてくるという噂は気になっていたらしい。

それに、この国の対魔獣戦略を一手に担う王立騎士団の副団長エアハルト様は、お父様とお母様の命の恩人でもあるし、一応はわたしの婚約者でもある。

そのエアハルト様の役に立てるならと、お父様は喜んで結界石を譲ってくれた。



〇〇〇〇〇



そして翌日。

魔獣が宮廷内の礼拝堂に襲来する日だ。


わたしは早朝から例の深紅のドレスに着替え、じりじりした気分でうちの前庭で馬車を待っていた。

そして結界石を積んだ馬車が到着すると即座にそれに乗り込み、戸惑う御者に事情を話して王宮へ向かってもらった。


「もっとスピードは出ないの!? 急いで!! 礼金ははずむわ、限界まで飛ばしてちょうだい!!」


鬼気迫る悪役顔でそう叫ぶわたしの顔を見て、御者が小声で「おっかねえ女だぜ…」と呟いたけど、わたしは聞こえなかったふりをした。


限界まで飛ばしてもらったおかげで、馬車は朝の内に王宮に着いた。

固く閉ざされた門の前で止まり、顔見知りの門番に事情を話し、通してもらう。

門番は言った。

「用が済んだら急いで帰った方がいいですよ。今日は何が起こるかわかりませんから」

「ええ、そうするわ。ありがとう」


騎士団本部の前まで馬車で乗りつけ、建物の中に入る。

数人の騎士達と共に、ちょうど中から出てこようとしたギュンター様と出くわした。

彼はわたしを見て面食らった。


「リーゼロッテ!? こんなところで何をしている!!」

「ギュンター様、結界石を持って参りました。伯爵家からの寄贈です。どうぞお使いくださいまし!」

「そりゃあありがたいが…」


ギュンター様は開いた扉から表の馬車を見て、それからわたしを見た。

「…すぐにうちの連中に結界石を運び出させるから、急いで屋敷に戻れ。王宮内にいられては、命の保障はできん」

「わかりましたわ」


即座に騎士達が馬車の荷台から結界石の詰まった木箱を積み下ろす。

てきぱきとした仕事ぶりで、十箱の重たい荷物は難なく荷車に積まれ、礼拝堂へと運ばれて行った。

わたしはちらりとギュンター様を見た。

積み下ろしの間も、厳しい表情でせわしなく伝令の騎士達とやり取りをしている。


「ソフィアが魔女だなんていう噂が流れているけどどういうことですか」と今すぐ詰め寄りたいけど、さすがにちょっとそんな雰囲気じゃない。後日出直して、ちゃんと聞こう。


「さて、結界石はありがたく頂戴した。後で伯爵殿にも私から礼を言っておこう」

「どうかお気になさらず。ではわたしはこれで…」

「ああ待て。エアハルトを呼びにやっている。門まであいつに送らせる」

「ちょちょちょっとお待ちくださいます? それは勘弁していただきたいのですけれど…!!」


屋敷から出るなという手紙をもらっておきながらのこのこ宮廷へとやって来たわたしが、エアハルト様に顔見せできる訳ないじゃないか!!

しかも、門まで送ってもらうなんて!!


ギュンター様は生温い笑顔を浮かべた。

「何を慌てている? うちの副団長の婚約者に、生半可な護衛を付けるわけにはいかんだろう。ならばいっそ当人を呼んだ方が早い」

「ででで、でもっ、皆様お忙しいでしょうし護衛は結構ですわ! わたし、これで失礼いたします!!」

「まあまあ。ほら、エアハルトが来なさったぞ」

「!!!」


表に立派な馬が乗りつけた、と思ったら、馬から下りたのは不動明王のような形相をしたエアハルト様だった。めっちゃ怒ってる。怖い。


ギュンター様はわたしを置いてさっさと本部を出て行ってしまった。


入れ違いに入ってきたエアハルト様に睨まれ、わたしはすくみ上がった。

とりあえず頭が膝につく位深く頭を下げて謝る。


「ごめんなさいっ!!」


怒声が飛んでくるかと思ったけど、降ってきたのはいつもの穏やかな声だった。


「…王宮内は既に危険だ。お前の家の馬車の御者にも、城内へ避難するように命じた。お前はこの本部内で、戦闘が終わり俺が迎えに来るまで待っていてくれ。この建物には元々強力な対魔獣結界が張られているから、ここにいる限り魔獣に襲われることはない」


意外にも、エアハルト様は文句一つ言わなかった。

わたしの先に立って、騎士団本部の螺旋階段を上る。


階段を上りながら、わたしはおそるおそる尋ねた。

「…怒ってらっしゃらないのですか?」

歩きながら、仕方がないな、という目でエアハルト様がわたしを見た。

「…結界石を届けてくれたのだろう? それに、お前なら駄目だと言っても来るような気がしていた」

「どういう意味ですか!?」


エアハルト様は、三階にある応接室のような部屋にわたしを通した。


「…そのドレス、うちの騎士団の制服の色に似ているな」

わたしは真っ赤になった。

「…すみません。わたしも少しでも騎士団の人達と一緒に戦いたくて…戦えないですが、気持ちだけでも」

「ああ、わかっている。お前はわが団に多大な貢献をしてくれた。副団長として感謝する」


その言葉に、胸がじんわりと温かくなる。

エアハルト様は表情をひきしめて言った。


「…だが、その色は騎士団に己の命を捧げるという意思表示でもある。王立騎士団の制服がなぜ深紅か知っているか?」

「いいえ」

「魔獣が好んで攻撃してくる色だからだ。あえて危険な色を身に着け、自分を標的にさせて他人を守る。それが王立騎士団の精神だ。だが…」


エアハルト様が表情を曇らせた。

「…お前を危険にさらすことなどできない。リーゼロッテ、約束してくれ。俺が迎えに来るまで、絶対にこの部屋から出ないと」


エアハルト様の声と表情から、痛いくらいにわたしを心配してくれているのが伝わる。

わたしは心から言った。

「はい、お約束しますわ。絶対にここから出ません」

それを聞くと、エアハルト様は笑顔を浮かべた。


この人はなんて優しいんだろう。

こんなに忙しい日に彼の言いつけを破って王宮へ来たわたしを、こんなに心配してくれるなんて。

だけど、わたしもエアハルト様のことが心配だった。


「エアハルト様、わたしにも約束してください。どうか、ご無事でここに戻って来てください」

「ああ、もちろんだ」

エアハルト様はじっとわたしを見つめた。

「…では、武運を祈ってくれるか?」

「は…」


はい、と言おうとして、わたしは固まった。

この世界で女性が男性の「武運を祈る」ときには、女性は跪いた男性の額に口づけをする習慣がある。


エアハルト様は既に跪いてスタンバイしている。

これは…かなり恥ずかしい…。

けど、今から危険な戦場に向かう彼に、ちょっとそれはできません、なんて言えない。

やるしかない…!!


わたしは軽く身をかがめ、ゆっくりとエアハルト様に顔を近づけた。

緊張して呼吸を止めたまま、その額に口づけを落とす。


唇に、エアハルト様の体温を直に感じる。


ゆっくりと唇を離す。

わたしが体を起こすと、彼も立ち上がった。

顔が熱い。

エアハルト様の頬も、ほんの少し、上気しているようだった。


「ごっ、ご武運をお祈りします!」

「ああ…ありがとう」


行ってくる、と言ってエアハルト様は部屋を出て行った。

部屋に一人になっても、しばらく心拍数は上がったままだった。

礼拝堂へ向かうエアハルト様の姿を窓から見下ろして、わたしは心の底から、彼が無事で戻ってくることを祈った。

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