15.嵐の前
その日、王立騎士団本部は朝から大忙しだった。
「おい、結界石が足りないぞ! 早く補充しろ」
「ありったけの遠距離武器を持ってこい! 敵の出現と同時に、片っ端から打ち込む!」
明日はいよいよ、三体の魔獣が王宮内の礼拝堂へ襲撃してくるはずの日だ。
予知魔法の一日前後のずれを見越して、既に宮廷内にはものものしい警備の布陣が敷かれている。
いつもはオラシエ国の粋を集めた典雅な王宮内部に、無骨極まりないバリケードや通行止めが溢れていることが、事態の異常さを物語っていた――見慣れたこの宮廷が、明日は戦闘地になる、という。
そんな中、わたしは昨日のあの紅茶店でのおじさん達の会話が、頭から離れなかった。
ギュンター様になぜソフィアが魔女呼ばわりされているのか、それになぜ礼拝堂襲撃の件がだだもれしているのか。
それを問い質そうと思って、わたしは鼻息も荒く朝から本部へやって来ている。
だけど、肝心のギュンター様はどこにも見当たらず、騎士団の人達は襲撃の準備に追われて、明らかにわたしの相手をしている暇などなさそうだった。
既に伝えた他に魔獣の新たな情報があるわけでもなく、部外者のわたしがうろちょろしていても邪魔なだけだ。
肩を落とし、本部入り口で回れ右をして帰ろうとしたら、声をかけられた。
「リーゼロッテ様!」
振り返ると、武器の詰まった木箱を両手に抱えたカイが、にっこり笑っていた。
「カイ」
カイの笑顔を見て、わたしも自然に笑みがこぼれた。
「副団長にご用ですか? あいにく今朝から近衛騎士団や神聖騎士団との打ち合わせが入っていて、忙しいようですが…」
近衛騎士団は、その名の通り王の護衛を務める、最も高貴かつ精鋭ぞろいの騎士団。
神聖騎士団というのは教会組織を守るための、教会直属の聖騎士の集団だ。
いわばどちらも同業者だけど、彼らは魔獣とは戦わない。ただ今回は宮廷内に魔獣が来るというので、王立騎士団と連携して事に当たるのだろう。
「いいえ、違うの。ギュンター様とお話がしたかったんだけど…やっぱり忙しいわよね」
「そうですね。団長も各方面との話を詰めているようで、僕もどこにいらっしゃるのか…」
そう話している間にも、バタバタとわたし達の横を殺気立った騎士達が通っていく。
「…出直すことにするわ。ありがとう。カイ。それと…この間はごめんなさい。無理に馬車に乗せて、逆に迷惑をかけてしまって」
「気にしないでください。僕も軽率でした。副団長の愛する婚約者であるリーゼロッテ様の馬車に、軽々しく乗っちゃって」
「あ、愛って…」
面食らうわたしに、カイは爽やかな笑顔で言った。
「だって、今まで何かあれば常に休日返上で働いてきた仕事の鬼の副団長が、昨日の休息日には出勤してこなかったんですよ? まあ、魔獣対策はほとんど終わっていたとはいえ、いつもなら副団長は執拗な位に現場のチェックをするのに、それも休日前に全部終わらせちゃってて。みんな不思議がってたんですけど、うちの師団長が『あいつは今日は婚約者とデートなんだ』って教えてくれて、全員腑に落ちました」
イェルクさん、ちょっと口が軽過ぎませんか!?
…だけど、エアハルト様は昨日も本当は休日出勤するはずだったのに、わたしに付き合ってくれたんだ。
昨日の楽しかったあれこれを思い出して、わたしの胸の中がほわっと温かくなった。
カイはそんなわたしを見て、にっと笑った。
「だから、副団長に殺されないためにも、僕は今後とも徒歩で帰宅で大丈夫ですからね」
「なっ、何言って…」
「あと、パンプディングのレシピなんですが、リーゼロッテ様がレシピをお望みだと妹に伝えたら、司祭様に文字を習って自分で書く、って張り切っちゃって。すみませんが、もうすこし待ってくれませんか?」
「文字を…」
カイの妹のエルゼは12歳で、家の手伝いをしていて学校に行ってないから、文字の読み書きはできない。
ゲーム中ではヒロインのソフィアがカイと仲良くなったときに、エルゼに文字を教えてあげる展開になっていた。
だけどこの世界では、エルゼは司祭様に文字を教わることになるのか。
わざわざわたしにレシピを書いてくれるために、司祭様に文字を習うというエルゼがいじらしかった。
エルゼはカイによく似た、かわいらしい女の子だ。
ああ、わたしもエルゼに会って、文字を教えてあげたかった。
でも、カイを馬車に乗せることもできないのに、家にまで押しかけるのは無理だよね。
「わかったわ、カイ。エルゼに『ありがとう、楽しみに待ってるわ』と伝えてね」
「…はあ。あの、僕、リーゼロッテ様に妹の名前、教えましたっけ…?」
「えっ!? も、もちろんですわ!! この間、ばっちり教えていただきましてよ!! もう、いやですわカイったら!! おーっほっほっほっほっ!!」
わたしは高笑いをして誤魔化した。幸い、カイもそれで納得したようだ。
「そうですよね。すみません、変なこと言って。それじゃあ僕はこれで」
「ええ、ごきげんよう」
〇〇〇〇〇
それから、しばらくわたしは宮廷内を歩き回ってソフィアを探した。
でも、騎士団本部にも、礼拝堂にも彼女の姿はなかった。
強力な結界魔法の使い手なら、魔獣襲来の前日ならば結界を張るために現場にいるはずだ。それなのに見つからないはずはないんだけど…。
わたしは中庭で立ち止まった。
昨日聞いた魔女の噂が、どんどんわたしを不安にさせる。
もしかして、ギュンター様がその噂を聞いて、もうソフィアを拘束してしまったとか?
そして、魔女だという証拠をでっちあげて、ソフィアを…。
「こんにちは、リーゼロッテ様」
振り向くと、そこにはソフィアがいた。
「ソフィア! 探してたのよ、大丈夫なの!?」
「え? 何がですか?」
ソフィアはきょとんとしている。
わたしは少し迷って、あの噂を彼女に伝えることにした。
「…実は、昨日城下町で、あなたが魔女だという噂を聞いたの。もちろん、わたしはそんなもの信じてないわ。だけど、気をつけた方がいいと思って。あなたを陥れようとする人がいるかもしれない」
「そう、ですか…」
ソフィアはうつむいて何か思案していたけど、すぐに顔を上げてにっこり笑った。
「ありがとうございます、リーゼロッテ様。わたしを心配して、探してくださったんでしょう?」
「え、ええ…」
「わたしは大丈夫ですよ。こう見えてしぶといんです。だから、そんな顔しないで、安心してくださいね」
「ソフィア…」
なんて健気な子なんだろう。
自分が大変なときに、逆にわたしを励ましてくれるなんて。
ソフィアに、少しでも何かしてあげたい。
そして、彼女にあげられるものを思いついた。
わたしは胸にかけていた金の十字架のネックレスを外した。
「ソフィア、これはわたしのおばあ様がくれたネックレスなの。王立大聖堂で大司教様の祈りを捧げていただいたものだから、魔除けの効果があるわ。これ、あなたがつけてくれる?」
「でも、そんなに大切なものをいただく訳には…」
「いいのよ。わたしなんかよりも騎士であるあなたの方が必要だと思うし、おばあ様も、わたしの大事なお友達であるあなたにあげたと知ったら喜ぶと思うわ。わたしにお友達が少ないのを心配していたから」
「リーゼロッテ様…」
まだためらうソフィアの首に腕を回し、そのネックレスを着けてあげた。
繊細な意匠の十字架が、可憐なソフィアによく似合っている。
「これで、魔獣もあなたを傷つけられないわ」
わたしが満足そうにそう言うと、ソフィアはちょっと泣きそうな顔をした。
「リーゼロッテ様、ありがとうございます。あの、それではわたしからもよろしいですか?」
「なあに?」
「これを、受け取ってください」
ソフィアが自分の手首から外したものは、細い銀のチェーンだった。小さな水晶の粒が、ところどころに光っている。
「…でも、」
「駄目ですよ、あなたもわたしにくださったんですから、わたしからも受け取ってもらわないと! さあ、手を出してください」
「あ、ありがとう…」
ソフィアは優しい手つきでわたしの手首にそのブレスレットを着けてくれた。どうしよう、ものすごく嬉しい。
わたし達はお互いのアクセサリーを見て、照れたようにふふっと笑い合った。
このブレスレットを着けていれば、どんなときだって力が沸いてくるような気がする。
わたしがあげたおばあ様のネックレスも、どうかソフィアを守ってくれますように。
そんなわたし達の姿を誰かが木陰から覗いていたことなど、そのときのわたしはちっとも気がつかなかった――。