13.幸せな一日(前編)
そして、約束の日が来た。
騎士団の制服を思わせる深紅のドレスを着て、その上に黒のコートを羽織ったわたしを見て、屋敷に迎えに来てくれたエアハルト様は一瞬、息を呑んだようだった。
え、どうしよう。赤に黒って、やっぱり悪役令嬢っぽかった?
わたしも王立騎士団カラーの服を着て、ちょっとでもエアハルト様やソフィアに近づいた気分になりたかったんだけど…。
はっ、そもそも休日にお仕事の服の色なんて見たくないよね!?
お母様は、今日はお父様と出かけていて留守だ。
うるさくコーディネートに口出しされずに済んでよかったと思っていたけど…やっぱり相談すればよかったかもしれない。
わたしは半分パニックになりながら言った。
「エアハルト様、ちょっと失礼してよろしいかしら!? わたし、急いで別の服に着替えて参りますので!!」
「? どうしてだ? …よく、似合っているのに」
少し気恥ずかしそうに、エアハルト様はそう言ってくれた。
わたしはドレスに負けないくらい赤くなった。
「そ、そうでしょうか!?」
「ああ」
それからエアハルト様は思い出したように、手に持っていたブーケをわたしに渡してくれた。
グレーデン家の庭師が庭園の花を集めて作ってくれたものだそうで、とてもきれいな花束だった。嬉し過ぎる。
今日一日分の幸せを既に味わってしまったような気がするけど、ともかく侍女を呼んで、ブーケをわたしの部屋に飾ってもらった。
ちなみにエアハルト様ももちろん私服姿でいつもよりもラフなはずなのに、立ち襟のシャツに絹のスカーフ、グレーのジャケットとズボンに黒のフロックコートという品のいい服装をさらりと着こなしているあたりに、公爵家の風格が滲み出ている。
私服だけどいつもの長剣をきっちりと腰に佩き、ごつい短剣までベルトに差しているあたりが職業軍人らしい。
そんなエアハルト様にエスコートされて馬車に乗り、わたし達は街へ出かけた。
〇〇〇〇〇
王都の城下町で馬車を下りる。
エアハルト様と並んで市場をぶらぶら歩き、広場で噴水や大道芸を眺めたり鳩と遊んでから、目についたレストランで王都名物と謳われている看板料理を食べて、劇場でロマンティックな歌劇を観て…。
楽しい時間は、飛ぶように過ぎて行った。
もうとっぷりと日も落ちて、今は歌劇の感想を言い合いながら、馬車を待たせている場所まで歩いているところだ。
…そういえば、イェルクさんにレクチャーされたおすすめスポットには一切行かなかったな。
地下の違法っぽいダンスホールやら、なんだかいかがわしそうな宿屋街のようなところばかり教えられたからだ。
あの人は一体わたしに何をさせたかったんだろう。
人の少なくなった宵闇の石畳の道を、踏みしめるようにゆっくり歩く。
馬車に乗れば、あとは帰るだけだ。
今日が終わってしまうのがなんだか残念な気がする。
まだ終わらなければいいのにと思って、さらに歩みが遅くなる。
ちらりと上の方を見上げると、エアハルト様とまともに目が合った。
わたしは慌てて言った。
「ごめんなさい。歩くの、遅いですよね」
「いや、構わない。疲れたか?」
「いいえ、全然! とっても楽しかったですわ」
エアハルト様がほほ笑んだ。
「それならよかった。…俺も、楽しかった」
それを聞いて、わたしも笑顔になる。
エアハルト様が喜んでくれたなら、本当によかった。
これで、彼にかけた分の迷惑は許してもらえただろうか。
だけど、わたしもこんなに楽しいのに、いいのかな。
道の先に、馬車が見えてきた。エアハルト様がわたしの名を呼んだ。
「リーゼロッテ」
「はい」
「…今日、なぜ俺を誘った?」
「えっ!?」
わたしは思わず歩みを止めた。エアハルト様も立ち止まり、わたしをじっと見下ろす。
いきなりどうしてそんなことを…誘っちゃダメだった?
でも、楽しかったって言ってたよね!?
まさかイェルクさんに誘えと言われた、とは言えないし…。
わたしがだらだらと冷や汗を流していると、エアハルト様が苦笑した。
「いや、すまない。困らせるつもりはなかった。ただ…お前は、俺に興味がないのかと思っていた。お前の方から誘われたことは、これまで一度もなかったから。だから、何か、俺に相談事でもあるのかと」
「ちっ…違いますわっ! …そんなはず…!!」
声が裏返ってしまった。
興味がないなんて、そんなはず、あるわけがない。
最初は少し怖かったけど、今はとても優しい人だと知ってるし、誰よりも幸せになってほしいと本気で願っている。
…だけど、彼を幸せにできるのはきっとわたしじゃなく、ソフィアの方だ。
わたしはそれ以上何も言えず、でもこのまま帰るわけにもいかなかった。
フォローどころか、余計に嫌な思いをさせてしまったままでは。
説明したい。
全部は話せないけど、エアハルト様に誤解されたままじゃ嫌だ。
わたしは前回エアハルト様と出かけたときのことを思い出した。
あのとき、別れ際にエアハルト様は紅茶を飲みに行かないかと誘ってくれたのに、わたしは彼に自分に相談したいことでもあるのかとか言って、なんだかうやむやになってしまったのだ。
あれ、今、何かデジャブを感じた。
…とにかく。
「エアハルト様、わたし、とっても紅茶が飲みたいですわ!」
「紅茶?」
「はい、ぜひ、おすすめの紅茶店に連れて行ってくださいませんか!?」
わたしの勢いに若干気圧された様子だったものの、エアハルト様は頷いてくれた。
「ああ…わかった、行こう」
そしてわたし達は、馬車で高台にある紅茶店に向かった。