10.騎士団長の憂鬱
宮廷内にある騎士団本部の建物に入ったとたん、エアハルト様とわたしは、中で働いていた騎士達の視線を一斉に浴びた。
な…何? どうしてみんなガン見してくるの!?
だけど、エアハルト様がそんな中をすたすたと先に立って歩き出すと、騎士達はぱっと視線を外し、何事もなかったように仕事に戻った。
戸惑いながらも、わたしも慌ててエアハルト様について行く。
…一体なんなんだろう…?
団長室に入ると、ギュンター様が椅子に座って待っていた。
「おう、ご苦労だった。リーゼロッテ、朝早くから済まないな」
「いいえ、お役に立てれば幸いですわ」
「そうかそうか。…エアハルト、ちょっと席を外してくれんか」
ギュンター様に言われ、エアハルト様はちらりとわたしを見てから、上官に一礼して退出した。
ドアが閉まる。
この人と二人きりで話すのは初めてだ。ギュンター様が鋭い眼光をわたしに向けた。
「…さて。昨日、ソフィアから報告を受けたが…一週間後、いや、もう6日後かな? この宮廷内の礼拝堂に、魔獣が三体来襲する、とのことだが?」
「はい。その通りでございます」
エアハルト様の仇敵の翼竜については、ギュンター様の話が済んでからじっくり聞きだすつもりだったから、わたしはひとまず従順に答えた。
「そうか。間違いであってほしいと思っていたが…」
意外にも、ギュンター様の口ぶりは、まるで何か思い当たる節があるかのようだった。
不思議そうなわたしの顔を見て、彼が言った。
「…実はな、昨日、礼拝堂の結界石が何者かに破壊されているのを、わが団の騎士が発見した」
「結界石が?」
結界石は、その名の通り結界を張るための石だ。
大規模な結界魔法を張るときによく使われる。
魔獣害の多いこの国の特産品であり、必要不可欠なものでもある。
結界石を使った結界魔法は、たとえば建物全体を覆うようなものなら張るのに10日前後かかるけれど、一度張られれば長期間にわたって効果が持続する。
そして結界魔法が発動した結界石は、容易には移動することも、壊すこともできないはずだった。
礼拝堂や教会など、通常、神聖な場所には強力な結界が張られているのが常だ。
魔を寄せ付けないように。
それが壊されてしまえば、人々を守るべき神の家に、魔獣のような闇の存在が自由に出入りできてしまうことになる。
特に、王宮の礼拝堂の結界は、王宮全体の要となる重要なものだった。
それを中心にして王宮全体に結界を張り、守っている。
だから礼拝堂の結界が壊れるというのは、単に礼拝堂だけではなく、王宮全体の守りがガタガタになる、という事を意味する。
ギュンター様は難しい顔をした。
「現在は当座の処置として簡易的な結界を張っているが、それで魔獣を防げるとは考えにくい。そして、このタイミングで結界石が破壊されたとなれば…残念だがこの宮廷内部に、魔獣をおびき寄せようとたくらんでいる者がいるとしか思えん」
「宮廷の中に…」
わたしは愕然とした。
好き好んで自分から、あんな恐ろしい魔獣を呼び寄せようとする人がいるだなんて。
しかも、それはわたしの知っている誰かかもしれない。
「ギュンター様、その者について心当たりはあるのですか?」
彼はわたしに重たい視線をよこした。
途端にわたしは自分の愚かさに気づいて赤くなる。
対魔獣面において一国の安全を預かる王立騎士団長が、部外者のわたしにほいほい重要機密を漏らすわけがない。
「すみません、出すぎたことを申しました!」
「いや、いい。済まないな、こっちから聞くばかりで、都合の悪いことにはだんまりで」
「とんでもございませんわ」
ギュンター様はニヤリと笑った。
「そうか? ではついでに聞くが、昨日、君は若き特別魔導士カイ・ミュラーを自分の家の馬車に乗せてどこぞへ密会に出かけたと、騎士団内でもっぱらの噂だ。うちの副団長は確か、君の婚約者だったと思うのだが…あの堅物には、もう飽きたのかね?」
「!!!」
わたしは巨大なハンマーで頭をぶん殴られたような衝撃を受けた。
…これか。
こういうことだったのか!
さっき騎士団の人達からすごい視線を浴びたのも、今朝のエアハルト様の態度がいつもと違うのも。
全部わたしのせいじゃないか!!
「ちっ、ちち、違いますわ!! わたしはただ帰る時間が一緒でしたから、徒歩で帰るカイにうちの馬車で家まで送ってさしあげただけで…密会なんて、誓って一切しておりませんわ!! 本当です!!」
焦って声を張り上げるわたしを見て、ギュンター様は盛大に笑った。
「はっはっはっ! そんなに大きな声を出すと、扉の向こうの連中に筒抜けだぞ?」
そうだった。ここのドアは声がだだもれなんだ。
この会話がもしエアハルト様やカイに聞かれていたりしたら…恥ずかしすぎる!
「まあまあ、そんな顔をするな。うちの連中だって面白半分に話してるだけで、誰も本気になどしてない…多分な」
「そうでしょうか…」
「ああ、そうだとも」
ギュンター様はさらりと言った。
ちょっと適当な気もするけど、信じるしかない。
「さて、魔獣の件に戻ろう。君は予知魔法で魔獣の来襲を知ったとのことだが、他に情報があれば、どんな些細なことでも教えてほしい」
「…申し訳ございません。本当に、昨日ソフィアに伝えたことしかわからないのです」
「ふむ。君はこれまで我々に、実に詳細に魔獣の現れる場所と時間、タイプまで教えてくれた。それが、今回に限って情報が少ないのはなぜかね?」
「わかりませんわ」
ギュンター様の視線が突き刺さり、わたしは顔を伏せた。
申し訳ないけど、やっぱりあの幽霊の話をするわけにはいかない。
もしも信じてもらえなくて、礼拝堂の警備が白紙になったりしたらと思うとぞっとする。
少なくともあの幽霊がくれた情報は、信じるに値すると思う。魔獣はきっと来る。
その時に、何も対応がなされていなかったら?
三体もの魔獣が、騎士団の抑止もなく宮廷内を自由にのし歩く…悪夢だ。
ギュンター様はため息を吐いた。
「そうか。わかった、今日の話は以上だ。ご足労に感謝する」
「あのっ、ギュンター様!」
わたしは急いで言った。
それからだだもれのドアのことを思い出して、声を潜める。
「…おそれながら、わたしもお聞きしたいことがございます。少し、お時間をよろしいでしょうか?」
「ふむ? なんだね」
わたしはごくりと唾を飲み込み、騎士団長の鋭い視線を強く見つめ返した。
「エアハルト様のお父様を害した魔獣のことです。わたしもその魔獣を見つけ出すのに協力したいのです。何か手がかりがあれば、教えてください。お願いします!」
ギュンター様は、さっきよりも大きなため息をついた。
「…何かと思えば、それか。エアハルトにも何度も言っているが、翼竜型の魔獣は珍しいとはいえ、このオラシエ国は広大だ。そのときの翼竜を見つけ出せるとは思えん。残念だが、復讐など考えるだけ無駄なことだ」
「無駄ではありません!!」
馬車で見たエアハルト様の表情を思い出して、わたしは必死に食い下がった。
「お父様の仇を討てば、エアハルト様の無念も晴れるはずです。今のままではあまりにも…」
「リーゼロッテ。婚約者のためを思うなら、仇討ちなどつまらぬことは早々にやめさせてやることだ」
ギュンター様は、肩を落としてわたしに言った。
「…エアハルトの父親も、それを望んでいるだろう。私がやつを副団長に任命した理由を、早く理解してくれることを、な…」
ギュンター様の瞳には、深い悲しみが映っていた。
それを見たら、もうこれ以上何かを聞くことなどできなかった。
わたしはもどかしい思いのままカーテシーをして、団長室を出た。