勇者はお母さんが待つ故郷に帰りたい
長く辛い旅の果て、勇者は思う。
帰りたい、と。
されどそれは叶わぬ願い。
勇者とは魔王を討つ者。
役目を果たせば不要となり、人の世から消えるのが摂理とされるモノ。
魔王に立ち向かえるほどの人並外れた力は、たとえ魔王を退けようと人々の目には脅威に映る。
勇者に帰れる場所はない。
しかしあるとすれば、それはきっと──。
「ここが魔王城かぁ」
先代の勇者が死んだとの報せを受けて早二年。私は新たな勇者として認められ、長い旅の果てに此処へと辿り着いた。
眼前にそびえるは禍々しい巨城。いかにも魔王が住んでますって感じだ。まるで城そのものが魔物みたいで少し体が震えてくる。
「だめだめ、がんばらなきゃ! 早く魔王を倒してお母さんのところに帰るんだ!」
私はとある小さな村の農家の娘だ。それがなんの因果か勇者なんてものになってしまっただけなので、本当はこんなところに来たくはなかった。
帰りたい。
私の原動力はそれだけだ。
「魔王、怖いやつじゃなければいいな……」
そんなことはありえないと知りながらも、私は魔王城の門をくぐる。門番はいない。門番を置く必要すらないということだろう。この時点ですでに私はビビりまくりだ。
なるべく物音を立てないように、コソ泥のように城内を進んでいく。
誰にも見つかりませんように……。
「あら、お客様ですか?」
「ひゃにぃ!?」
背後から突然話しかけられ、私は飛び上がった。慌てて振り向くとピンク色の長髪に赤い瞳をした美人メイドがホウキを持って立っていた。掃除中? それにしてもどこか人間味がない。人形じみた美貌といったところか。
「そんなに驚かなくてもいいでしょう。ちょっと傷つきました」
「ご、ごめんなさい」
「おや、随分と素直ですね? 今までの勇者はだいたいみんなこの時点で抜剣するのですが」
「だって私戦うの好きじゃないし……正直早く故郷に帰りたい」
敵と思しき相手に本音を漏らすなんてどうかしていると自分でも思う。でも、このメイドさんからは敵意を感じない。警戒心はかなり薄れている。
「ははぁ、帰りたいけど勇者としての面子があるから帰れないというわけですね。前にもいました、そんな人」
メイドさんは合点がいったように片手を拳にしてもう片方の掌に乗せた。
「ついてきてください。魔王様がなんとかしてくれますよ」
「ま、魔王!?」
「そうですよ。何驚いてるんですか? 貴方はそのためにここまできたのでしょう?」
「いや、そうだけど、ほら、心の準備とか」
「かしこまらなくても結構ですよ。魔王様はそういうの苦手ですし。従者としてはなるべく威厳を保ってもらいたいのですがね」
腰に手を当ててプンスコ怒るメイドさん。美人だけどやっていることがすごく可愛い。
「さ、行きましょう。この城は広いけれど移動にはそこまで時間はかかりません」
「は、はい……」
結局私はメイドさんのあとをついていくことにした。
移動には本当に時間がかからなかった。各部屋や廊下の隅に移動用の魔法陣があり、それに乗るとあっという間に目的地に着いた。
「ここです」
案内された先にあったのは一枚の木造ドア。とても中に魔王がいるとは思えない質素な造りだ。実家のものとさほど変わらないとも言える。
メイドさんはコンコンと二回ノックした。
「魔王様、お客様がお見えです。入りますよ」
返事も聞かず、メイドさんは無遠慮にドアを開けた。え、大丈夫? メイドさん魔王に怒られない?
戦々恐々としながらも室内を覗き込むと、そこには、
「32……33……34……」
漆黒の鎧を纏った、魔王らしき人物が、見ているだけで潰れそうな巨大な岩を背中に乗せて腕立て伏せしていた。
「ちょっと待ってな。キリよく50で終わらせかっらよ」
思っていたよりも若い声だ。なんとなくイケメンっぽい……。
「49……50! よっと!」
背中の岩を優しく床に下ろし、魔王は立ち上がった。鎧のせいで大きく見えるけど巨漢というほどではない。せいぜい長身といったところだ。つまりスタイルもいい。
「よくきたな。えーっと、おまえさんは勇者か?」
「あ、はい、そうです。勇者っぽくなくてすみません」
「いや、気にするな。最近は血の気の多いやつばかりだったんでつい疑っちまった。こちらこそすまない」
「と、とんでもないです」
やたらフランクな魔王だな……意外と悪い人じゃない?
「魔王様、どうやらこちらの方は無理やり勇者にされてしまったせいで故郷に帰れないらしいのです。どうにかなりませんか?」
「おお、前にも何回かあったパターンだ。よし、どうにかしてやろう」
「ほんとですか!?」
帰れるの……? 私、本当に帰れるの……?
「私、いい魔王、だからウソつかない」
「なんでカタコトなんですか」
メイドさん、ツッコミキレキレですね。
「ただぁーし! 条件があるぞ!」
「条件?」
なんだろう?
「私におまえさんの最強の攻撃を撃て。そしたら私の兜をやるから首代わりに持ち帰れ。おまえさんは晴れて勇者の任から解かれ、私はしばらくのあいだ勇者の襲撃に気を割かなくて済むようになるだろう。どうだ、やれるか?」
「願ったり叶ったりです。ぜひお願いします!」
「じゃあ決まりだ!」
魔王は部屋の窓を開け、桟に足をかけた。
「先に中庭で待ってるぞ! ハルヒ、案内してやれ!」
「了解です」
「とうっ!」
魔王は颯爽と飛び降りた。直後、外ですごい音がした。さらに直後、「膝痛ぇ!」と悲鳴。
いろいろ大丈夫かな、あの人。
「私たちも行きましょうか」
「はい!」
まあそんなことはどうでもいい。ぱぱっとやって早く帰ろう。お母さんが待ってる。
中庭につくと、魔王が軽やかにストレッチしていた。こちらに気づき、私のほうに向き直ると、両拳を腰の横に据えて受けの構えを取る。
「さあこい! 貴様の全力を見せてみろ!」
なんでか、声音はわくわくしているように聞こえた。そういう特殊性壁をお持ちなのかな?
「あのぅ、言っておきますけど、私結構強いですよ?」
曲がりなりにもここまで一人できたのだ。腕には多少の自信がある。
「心配いらん。そんなので死ねるならこの身はとうに滅んでいる」
「むっ……」
柄にもなくカチンときた。〝そんなの〟呼ばわりとは心外だ。
「怪我しても文句言わないでくださいね!」
全力全開でやってやる。私は両手を前に出し、魔法陣を展開した。使うのは魔力の弾を撃ち出すだけの初歩的な魔法、『炸裂』。私はこれを極めたがゆえにたった一人でもここまでこれたのだ。
「ほう、なかなかの魔力だ」
魔王が嬉しそうに言う。
「行きます! これが私のすべて!」
体内の魔力が手のひらに収束し、一発の輝く弾丸となる。それは超高熱の塊。何層にも重ねられた鉄板をたやすく融解させる必殺の一撃。私という存在が生める最強の技。究極にして唯一の業。
「『炸裂・極』!!」
轟音と共に灼熱は吐き出され、空気を穿ち、地面を抉り、目標へと進撃する。
魔王は両腕を顔の前で交差させ、私の一撃をもろに受けた。膨大な量の光と熱に呑み込まれた。その様子は苛烈の一言に尽きるだろう。
「うわぁぁぁぁ!!」
私は彼の期待に応えるため、そして侮られた私怨を果たすため、さらに力を振り絞る。反動で体が壊れる寸前まで出力を高める。どうせこれで私の旅は終わるのだ。出し惜しみする意味はない。
そうしてついに私は力尽きた。熱線の放射が終わると同時にがくりと地に倒れ込む。
朦朧とする意識。魔王がどうなったかを確かめられない。
でも、きっと悪いことにはならないはずだ。
私は約束を果たした。だから魔王も約束を果たしてくれる。根拠もなく、そう思った。
*****
久々にいいのをもらった。まさかこれほどの力の持ち主が今の人類に生まれていたとはな。
俺は防御姿勢をやめ、今回の勇者へと歩み寄る。勇者は前のめりに倒れていた。いつもの光景だ。俺が勇者より頭を低くしたことは一度もない。いや、あったっけか……? まあ、いいか。
「すごかったよ、おまえさん」
鎧はすっかりダメになり、無事なのは皮肉にも俺自身が守っていた兜だけだ。それも端々が融けて歪んでいる。俺を殺した証拠としては相応しい形になったと言えるだろう。
「ハルヒ、勇者を医務室に運んでやれ。俺も着替えたら向かう」
「はい。了解しました」
ハルヒは勇者を姫のように抱き上げると、規則正しい足音を鳴らしながら去っていった。
「ふぅ、やっとこの兜を脱げるな」
俺は何年かぶりに素顔を空気にさらす。視界が一気に広がり、見飽きたはずの風景に新鮮さを覚える。ああ、風ってこんな感じだったな。すっかり忘れていた。
「んー、いい気分だ! はっはっは!」
鎧も脱いでしまおう。パンツ一丁になるがここは俺の城だ。我が家で脱いで何が悪い! 全身で浴びる風はなんとも気持ちがいい!
「ふははははは! ……おっと、冷静になれ。あんまりふざけてるとまたハルヒに怒られちまう」
勇者を待たせるのも悪いし。あの様子だと目覚めるのには十分とかからないだろう。
俺は自室に戻った。
着替えを済ませ、身嗜みを軽く整える。鏡に映るのは狼の毛並みのような黒髪と、刃のように鋭い黒目。自分の顔を見るのも久しぶりだ。
自室を出て、医務室へとゆっくり歩き出す。
魔王城は魔界アデルムンドにおいて唯一の人工的な建造物だ。城としての規模は小さいほうだが、現在暮らしているのは俺とハルヒだけなので設計以上に広さを感じる。装飾等にはあまり気合を入れていない。煌びやかなのは趣味じゃない。
長い廊下を渡り終え、医務室に着いた。一応ノックしてから入室する。宿屋の一室のような庶民的な内装が俺を迎えた。
「魔王様、ちょうどいいところに」
ベッドには上体を起こした勇者が、その傍らにはハルヒが椅子に座っていた。
「よっ。目ぇ覚めたんだな」
片手を上げて緩く挨拶。勇者はぽかんとしている。
「どうした? 俺の顔になんかついてるのか? ……あ、あれか、服がダサいか! さすがに猫ちゃんTシャツは年齢を考えなさすぎたか……」
俺はシャツの裾を引っ張ってデザインを確認する。それは、デフォルメで描かれた猫が寝転がりながら「魚食え」と訴えている、というものだ。可愛いと思うんだがなぁ。下にはジーパンを履いている。
「い、いえ、違います」
勇者は少しあたふたしながら否定した。
「その、わりと顔が好みだったので、つい」
それから見惚れていたことを報告した。
「そうかそうか! 俺もまだまだイケるな!」
「貴方、魔王になる前から姿が変わってないでしょう」
ハルヒが呆れたように言った。こいつは辛辣な物言いが多いが、いつも的確で反論できない。……懐かしいな、こういうの。なあ、コクトー?
「と、すまんすまん。おまえさんを故郷に送り返すんだった。ほれ、これ持ってけ」
勇者に兜を投げて寄越す。
「あ、ありがとうございます」
勇者は照れながら会釈した。
「んじゃ、お別れだ。このまま故郷に送り返すぞ」
「え、私の故郷がどこかわかるんですか?」
「もちろん。魔王だもの」
瞳を閉じ、瞑想に入る。精神を界虚録に接続。世界に刻まれたあらゆる事情から勇者の実家を検索。特定。接続終了。
「北の大地の山間部にある、農業が盛んな村。そこだろう?」
「そ、そうです! そこが私の故郷です!」
勇者はベッドから降り、急いで荷物をまとめた。
「じゃ、今からおまえさんを転送するぞ。母親は大事にしろよ」
「はい! いろいろとお世話になりました!」
ぺこりと頭を下げられる。
「ハルヒさんもありがとうございました! お二人ともお元気で!」
うむ、と俺はうなずき、勇者の足元に転移の魔法陣を顕現させた。魔法陣から溢れた光が勇者の体を包み込み、消えると同時に勇者を設定した地点へと瞬間移動させる。界虚録経由で調べてみると、無事に帰れたようだ。
「いい子でしたね、彼女」
「ああ、いっそここに住んでもらいたいくらいだ。さすがに俺とおまえの二人じゃ寂しいからな」
「寂しい……」
ハルヒが目を伏せる。
「やはりアレを使ってはどうですか?」
「……それはダメだ。死者は生き返らない。たとえ界虚録から生体情報を復元しても、偽物にしかなれない」
「ですが、これから積み上げる時間は本物です。その存在が偽物だとしても」
「…………」
「貴方だってそうやって自己を確立してきたのではないですか……お父様」
「……ハ、久しいな、その呼び方」
左手で前髪を掻き上げる。精神的に追い詰められたときに出る癖は未だ健在らしい。
「魔王ラグナロクとしての仕事もひと段落ついたし、もう戻ってもいいのかな、ラグナに」
「あるいは那蔵刀士郎に、ですね」
「ああ」
俺は世界を救い、不死身の存在となった。この魔界アデルムンドと呼ばれる僻地にて魔族の動きを管理し、人類共通の敵として人類を束ねる魔王になった。
その責務は誰にも譲れない。アンドロイドであり体の替えが効くハルヒ以外はもうとっくの昔にみんな死んでしまった。
擬似的に生き返らせることは確かにできた。だが、俺は怖かった。俺の一存で大切な人たちの魂を操っていいのかと。彼らが恋人や友人からただの傀儡に成り果てるのが怖かった。
死んだらまた新たなそいつを用意すればいい、なんて考えに陥るのが何よりも怖かった。
それはおそらく魔王となった俺に残された最後の人間性だ。
「お父様、貴方は世界のあらゆる事情を識ることができる立場です。ですが、大切な人たちとの思い出は覗くことはできても再体験することはできません」
「痛いことを言うなぁ……コクトーだけで充分だよ、そういうの」
「貴方にはこうして叱ってくれる人が必要なんです。お母様やコクトーさんがいないから私が代わりを務めているだけです。まったく、早く解放してほしいものですね。キャラじゃないんですよ」
はぁ、とおおげさなため息。わりと板についていると思うが、言わぬが花だ。
「……やってみるか、死者の再現」
「ようやくその気になりましたか」
「準備を始める。できる限りの遺品を集めてくれ。そのほうがやりやすい」
「了解しました」
ハルヒは一足早く行動を開始した。
俺はというと、躊躇いがあるせいか、ひどく脚が重くてなかなか動き出せなかった。
「きっとまた前みたいになれるよな……ユイ」
魔王の秘密<2>
魔王は過去に存在した日本という国の生まれ。そのときの名前が「那蔵刀士郎」。
ちなみに今回の勇者ちゃんは公には魔王との戦いで力を失ったと発表し、誰にも邪魔されることなく平和な生活を送りました。その後、幼馴染の男性と結婚し、三人の子宝にも恵まれました。お母さんは勇者ちゃんの花嫁姿を見て泣いていたそうです。よかったね。