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一か月という短い時間。それだけのことなのに、私たちは目まぐるしい変化の中にいた。私を振って美恵と付き合っていた勇樹はいつの間にか別の女の子と帰り道を共にするようになっていた。予想できた結末だったが、こじれる前に私たちの前から姿を消してよかったと胸をなでおろした。
勇樹と入れ替わるように、私は帰り道が反対だったが、放課後いつも美恵の家まで二人で帰ってから自分の家に戻ることにしていた。嬉しいけど何だか悪いよ、と美恵は困ったように口にしたが、そういう顔はまんざらでもなかった。私は元通り旧交を温め、友情と幸せをかみしめていた。
「最近、勇樹くんからラインの返事来ないんだ」
美恵はそう言ってスマホの画面を見つめる。別の女の子と楽しそうに帰る勇樹の姿が目に浮かんだ。
「アイツ昔から結構いい加減だしさ。あまりあいつの言葉を真に受けない方がいいよ」
私の言葉に、美恵の表情が曇っていくのが見て取れた。傷つけるつもりはなかった。しかし、美恵が勇樹の本性を知ればこんなものでは済まないだろう。他人の感情を制御できれば、どんなに楽か。
「そんなことないよ。勇樹君は優しい人だよ、きっと勉強や友達付き合いで忙しいんだよ。早苗ちゃん、友達の事そんな風に言うのよくないよ」
やるせなかった。美恵は勇樹を信じきっている。今ここで勇樹の浮薄さを暴露しても、それを信じてもらえるだろうか。リスクのある賭けだ。私には出来ない。勝ったとしても、美恵が傷つくのに変わりはないのだ。
「ちょっと」
放課後、昇降口に向かう途中で呼び止められた。
振り向くと、同じクラスの女子が眉をひそめて手招きをしている。従うままに、私はその子に連れだって最寄りの女子トイレに入った。
「どうしたの」
「澄川さん、8組の高山さんと仲がいいよね。だから忠告しておこうと思って」
「忠告?」
私と仲がいいわけでもないくせに何を偉そうに、と心の隅で小さく毒づいて、彼女の手を添えた口元に耳を寄せた。あのね、と一言置いて、彼女は事の仔細を話し始める。
私は話の途中で弾かれるように彼女の口元から身体を離した。
「ふざけた事言わないで。冗談じゃすまないよ、それ」
「ふざけてないよ、みんな噂してるよ」
「噂は噂だよ。美恵がそんなことするわけない。あなたは美恵と面識ないから分からないかもしれないけど」
「でも、動画も出回ってるんだって。ほら」
そう言ってスマホを取り出した。
「澄川さんも出して。送信するから」
私も自分のを取り出すと、専用アプリとQRコードでファイルを転送してもらった。
「開いてみてよ。そっくりでしょ」
私は動画を再生した。
想像したくもない、想像通りの映像が画面の中でうごめいていた。男の顔にはモザイクがかかっていなかったが、見覚えのあるやや右肩下がりの上半身と、肉のついた下腹と腰回りの方が私にその異様な存在感を感じさせた。
キスをしようと近づけた顔を背けた彼女の頬に、聞いたことのある怒声と平手が飛ぶ。
吐き気がした。
「だからあの子――」
「違うっ」
私は大声を上げて壁を拳で叩いた。女の子はびっくりして、空いた片手で口元を抑えて後ずさる。
「そっくりなだけだよ。美恵はそんな子じゃないっ」
そう言ってトイレを飛び出し、昇降口に向かった。開かれた戸口の外で、美恵が両手に鞄を持って天を仰いでいる。私を待っているのだ。
「美恵っ」
知らず、大声で呼びかけていた。
美恵は一瞬、肩をすくめてこちらを振り返る。私の顔をみとめると、天使のように屈託のない笑顔を振りまいた。そんな姿を前に、誰がこんな愚問をするというのか。
お前は義父に抱かれているのか、という言葉を。