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everlasting  作者: 花村音葉
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2.水島菜穂

 携帯に母親からメールが届いて、菜穂は小さく息をついた。休みが続く直前に送られてくるメールの内容はいつも同じだ。あれで母親は寂しがり屋なのだ。姉も働き出して家を出た今、気軽に呼び寄せられるのはまだ学生の菜穂のほうに決まっている。菜穂はそっと立ち上がって、冷蔵庫の中の生ものを確認した。休日までの日数をかぞえて、なんとか消費する見切りをつける。あとは、ふらりと菜穂の部屋にやってくる恋人に、休日の間は留守にするとメールしておけばいい。


 菜穂の住むアパートは大学の近くで、そこから実家までもさほど離れてはいない。毎日通学するには骨が折れる距離なので一人暮らしを選択したが、「帰省」と呼ぶほど仰々しく帰る支度をしなければならない距離でもなかった。ほんの少し長めに電車に揺られるだけで、あっという間に実家に帰れてしまう。

 玄関の扉を開いて、ただいま、と声を上げると、父親と母親両方から返事が聞こえてきた。次いで、書斎からひょっこり顔を出した父親が、菜穂の姿を認めて破顔する。

「おかえり、菜穂」

「ただいま、お父さん」

 口数の少ない父親だが、菜穂が帰ってくると必ず顔を出してくれる。そうしてまた引っ込んでいった書斎の横を通り、リビングに顔を出すと、キッチンで料理していた母親が菜穂を振り返って笑った。

「おかえり、菜穂。晩ごはんできてるわよ」

「ただいまお母さん。お腹減った」

「はいはい、腹ぺこお嬢さん」

 アパートでは自分で料理をするけれど、誰かが自分のために作ってくれる料理というのはおいしいものだ。父親もやって来て三人揃った食卓には、菜穂の好物ばかりが並ぶ。菜穂が帰ると母親は必ず好物を作ってくれるから、大抵帰省の後は体重がちょっぴり増えてしまう。

「大学はどう?」

「どうって、もう四年目だよ。特に何もないよ」

「そう、問題ないならよかったわ」

 両親は二人揃って目を細めた。目元の形は、菜穂は父親に似たが、姉は母親似だ。ここにはいない姉も元気にしているだろうかと、菜穂も微笑みながらぼんやりと考えた。


 父親はもともと朝型人間だったが、帰るたびにその生活リズムが加速しているな、と菜穂は思った。食後に菜穂がシャワーを済ませてリビングに戻ると、父親は床に寝そべってすっかり眠り込んでしまっている。床で寝ても疲れは取れないだろうに。このまま放っておくと、父親はきっと朝四時ごろに起き出すに違いない。

「お父さん、そこで寝ると体痛くなるんじゃない」

 菜穂の声にも反応せず、父親は安らかに寝息を立てている。これを起こすのは骨が折れるから、自室に引き上げる前にもう一度声をかけることにしよう。菜穂は麦茶のボトルを手に、椅子に腰をかけた。

「お父さんたら、最近すぐ寝ちゃうのよ」

「そうみたいね」

 ダイニングテーブルで読書に勤しんでいた母親は、本から目を上げずにぼやいた。菜穂はそっと目を伏せて、じんわりと汗をかきはじめた麦茶のボトルを、見るともなしに眺めた。

「疲れてるなら布団で寝ればって、言ってるんだけどね」

 父親が小さくいびきをかいた。

「そっか」

 吐息に混ぜて打った相槌が、果たして母の耳に届いたのか、菜穂には判断できなかった。


 母親が、父親を起こすのを諦めて早々に寝室に退散してしまったので、菜穂はなおも寝続ける父親にそっと近づいた。深く寝入っている父親を起こすにはコツがいる。菜穂は父親の傍にかがむと、その肩をそっと揺すった。

「おとーさーん、起きてお布団行こ」

 頻繁に腰痛を訴える父親は、間違いなく床で寝ててはいけない人種だろう。なかなか起きない父親に母親はすぐ諦めてしまうようだが、普段一人暮らしをしている菜穂にとって、こうして父親を布団に促す時間は存外心地がいい。粘り強く起こし続けた結果、父親は眠い目をこすりつつもなんとか体を起こした。

「また腰痛いんでしょ。布団いきなよ」

「ん、起こしてくれてありがとな」

 父親は大きく伸びをした。菜穂の父親は背が高い。伸びをするとまるで巨人のようだな、と思う。父親はダイニングテーブルに置き去られた本をぼんやりと見下ろして、こわばってしまったらしい肩を大きく回した。

「また母さんに叱られるな」

 父親は小さく笑うと、菜穂の頭を小さい子供のようにかきなでて、それから寝室のほうへと消えていった。菜穂は、汗をびっしょりかいた麦茶のボトルを冷蔵庫にしまうと、そっと自室に戻った。

 ベッドの脇で充電ケーブルを挿していた携帯に、不在着信のランプが光っていた。開いてみると、大学の事務の番号だった。帰ってくる途中でかかってきていたらしいが、電車の揺れで気づかなかったようだ。今日はもう遅いし、明日かけ直すしかないだろう。履修登録に不備でもあっただろうか。菜穂は携帯をしまうと、そっと部屋の電気を消した。

 目を閉じて耳をすますと、早々に再び眠りについたらしい父親のいびきが、壁越しにかすかに聞こえていた。

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