神への謁見
ほどなくして、神への目通りの番が回ってきた。なんでも満月の日より順番に青、緑、赤の順で神へと目通りする決まりがあるらしい。この世界……星でもきちんと朝に太陽が昇り夜には月が見える。どういう衛星状況をしているのかわからないが、月の満ち欠けもきちんとあるようだし、太陽も月も一つずつである。
神への謁見の日は、体を十分にきれいにされた。朝シャンというやつである。ここに来る前も普段はしていなかった。睡眠時間を後に回すことなど、私にはできなかった。
「どうでしょう、アルヴェニーナ様」
「……とても、かわいらしいと思います」
きらきらと目を輝かせて洋服を見せてくるのは、デージリンだ。神への謁見は特段おめかしをしていくのが通例だそうで、本日の服装はデージリンが担当してくれている。隣にユーリーンもいるけれど、困ったわねという顔をしつつ助けてはくれない。なので、私はデージリンに見せられたワンピース……というかもはやドレスに近い服の感想を引き攣る笑顔で言うしかなかった。
かわいい。確かに可愛いのだ。ワンピースは。見せられるそれは、七五三の写真撮影で着せられるような可愛らしいドレス。派手すぎるほどではないけれど、正直私にはきつい。そもそも私の七五三のときの写真は着物姿だったなどと現実逃避しつつ、差し出される服に袖を通す。
「アルヴェニーナ様がもっとご自身に似合ったお洋服をと言ってらっしゃったと窺ってから、私が作ったのですよ。とてもお似合いだと思います。アルヴェニーナ様のお花のような髪と果実のような目にぴったりです」
このように絶賛されて、可愛すぎて着れませんなどと誰が言えよう。似合う服が良いだなんて偉そうなことを言った覚えもないけれど、そこも黙っておく。作った、というのが仕立てたのか製作したのかはわからないが、デージリンが私のためにこの服を用意してくれたことはよくわかる。恥じらいを捨てて、ちゃんと黙って喜んで着るべきだ。そもそも、さすがにそろそろ赤の服にもピンクの服にも慣れてきたのだ。
先代の方のを流用しているからという自分への言い訳がこの度は使えないというのが心臓に負担になるところだが。
「アルヴェニーナ様……お気に召しませんでしたか?」
悶々としていると、不安そうな声がかけられた。私が黙りこくってしまったせいで、デージリンは私がこの服を気に入らなかったと思ったらしい。それはよくない。服自体はとても可愛いのだ。
襟元は髪の桜色を圧倒しないようにほとんど白に近い色で、胸の下でリボンを結んで色を変え、スカートは唐紅というのだろうか。黄味のある赤色とは違う濃い赤とピンクの間の色。一応私の意見を聞き入れてくれたらしく、パニエはやめて膝丈のシフォンワンピのようなものにしてくれている。
「いえ、違います違います! とても可愛いから、自分で着ている姿が見られないのは残念だなと思っただけで!」
首を横に振って否定するとデージリンは安堵したような顔をした。表情のころころと変わるところは見ていて好感が持てる。
「ああ、そうですね……。ここに鏡をお持ちできればいいのですが、残念です。とても可愛らしいけれどどこか大人びたアルヴェニーナ様にとてもお似合いなのですが」
「鏡があるんですか?」
「アルヴェニーナ様」
驚いてデージリンに問い返したところで、ユーリーンから声がかかった。言葉を遮られて驚き、見ればユーリーンは作った笑顔で私とデージリンを交互に見た。
「そろそろお時間が迫っています。アルヴァトト様をお待たせするわけにもいきませんし、そろそろ参りましょう」
多分、不都合なことを聞かれてしまったという行動だろう。迷惑をかけるわけにもいかないので「はい」と返事をしてユーリーンの方へついて行く。扉へ先導するユーリーンから目を逸らしてデージリンを見ると、「しまった」と言いたそうな顔をしていた。これは、あとから叱られるのだろうか。
「デージリンさん、ありがとうございました」
お礼だけ言って、ユーリーンに続いて外に出る。デージリンを見る限り、彼女は今の私の容姿を好ましく思っているのだろう。可愛らしい女の子を着飾りたい気持ちはわからなくもない。私も、その女の子が私でなくてピンクの髪の異世界少女が目の前に居れば同じように思ったかもしれないし。そして、好きなことに熱中している際に口が緩くなるのも、わかる。
「ユーリーンさん、神子は鏡を見てはいけない決まりがあるんですか?」
部屋を出て少しして問いかければ、ユーリーンは少し難しい顔をしてから、深呼吸にため息を隠して吐いた。
「鏡は別の世と繋がっているとされています。神子を連れていかれては困るので、神子を鏡に映すことは禁止されているのです」
「そうなんですね」
迷信の類か。鏡関係の迷信は多い。特に怖い話に多く見られ、私の居た世界でも鏡は別世界に繋がっているという話はあった。そういうのが、ここでは本当に信じられているのだろう。魔法もある世界だそうだから、もしかしたら本当に繋がっているのかもしれない。なんなら、鏡を使った元の世界に帰る方法もあったりして。
「今後話題に出さないようにしますね。すみません」
それは、考えるのもよくないことだなと思考を振り払って謝っておく。しかし、これから鏡を見ることはできないのか。せめて一度だけでも、全体像を確認できれば私の心の安寧が違うと思うのだが。
「あなたは……」
ユーリーンが困ったように呟く。続けられる言葉はなくて、続ける気もなかったようなので、私はその呟きを聞かなかったことにした。
玄関ホールに着くと、すでにアルヴァトトが待っていた。いつもの服装に、儀式のときとは少し違う薄手のローブを纏い、宝飾品をいくつか付けている。神様関連のことを行うときは宝飾品をつける決まりなのだろうか。そしてローブは纏わなければならないのだろうか。それにしては無防備な格好なのは私である。
「来たな。では行くぞ、アルヴェニーナ」
「はい。いってきます、ユーリーンさん」
アルヴァトトに促され、ユーリーンに言い、私は初めて、玄関からこの館を出た。
「いってらっしゃいませ」
玄関の外には、二名の騎士らしき人が居た。どうやら護衛らしい。一見して甲冑を着ているので騎士だろうと判断したが、そういえばこの甲冑は一度見たことがある。初めの儀式のときだ。
城の騎士なのか神殿関係の騎士なのかと考えるけれど、騎士らしき二人は一言二言アルヴァトトと話すと沈黙した。挨拶もしないしさせないということは、してはならないのかもしれない。
一応アルヴァトトに聞いてみたいと見上げれば、視線を感じたらしいアルヴァトトはこちらを向いた。そうして私が何を言うまでもなく、小さく首を横に振った。
「今は黙って、おとなしく私について来い」
騎士の前では神子は話してはならないのだろうか。それとも、牧師やお付き以外とは基本的に話してはならないとか。反抗するつもりもないので首を縦に振って返せば、アルヴァトトは満足そうに肩を竦めてみせた。
「まあきみは、脱走したりしないだろうがな」
この人でも、冗談を言うらしい。
体感十五分から二十分くらい歩いたところで、それは見えた。荘厳な――門。そこにあったのは神殿ではなく門と、城壁のごとく積まれた壁。
神殿にしては厳重すぎるのではと思うような状態に軽く引く。何があれば神殿をここまで重厚に守るのだろうか。国政に不安がよぎるけれど、この世界のことなど未だ知らないに等しい私が何を言うこともできずに、ぽかんと口を開けてただただ驚いた。何か言えても口を開くことは基本禁止されているけれど。
館から一キロくらい離れたところにこんなものがあったなんて、窓からは見えなかった。こちらの方角を向いている窓はないから、意図的に見せないようにしているのかもしれない。
門のところまで行くと、門番に出会った。二人居る門番はじろじろと私たちを見ると、その視線を護衛に向ける。
「ここは神子と牧師以外立ち入り禁止だ」
「心得ている」
初めからそのつもりだったのだろう。言われると護衛二人はすぐに数歩下がった。帰りまで待っているつもりなのだろうか。
護衛が下がったことで、門番は門を開いた。開き切れば、一人の人間が出てくる。
フードを被った白いローブの男はにこりともせずに、検分するように上から下まで私たちを見る。愛想がよくないというよりは、こちらに嫌悪感を持っているような態度。他人の悪意に鈍感で居られる人間ではないので、この手の視線は苦手だ。探るようなというよりは、初めからいちゃもんを付けにくるようなタイプの視線は知っている。自分が相手よりも優位にあると思っている目だ。
神子というものは神聖視されるものではないのだろうか。前の男もそうだったけれど、神殿でまで軽視されるとは思っていなくて驚いた。史料では神殿は神と神子を守り崇めるようなことが書いてあった気がしたのだけれど、私の解読違いだろうか。解釈違いの可能性もある分、なんとも考えにくい。
「貴様が此度呼び出された偽物の神子か」
「……え?」
隠された悪意の意図を考えていると、そんな声がかけられた。誰からかといわれれば、アルヴァトトではない以上、案内人だ。
「偽物……?」
意味がわからなくて繰り返せば、男は嫌悪感を隠しもせずにこちらを睨み、アルヴァトトを睨んだ。
「この羊飼いが呼んだ羊だろう。神に選ばれたわけでもないくせに、ふてぶてしくも我らが神に目通りを許されて。汚らわしい」
驚いた。直訳で頭に入ってきたのは、牧師と神子ではなく、羊飼いと羊だった。牧師という言い方が不自然だと思ったことはあるけれど、こうした皮肉のためにこの言葉が使われていたのか。
語学系の人間だったらきっと、今の状況は面白いんだろうなと思いつつ、嫌なことを言われたアルヴァトトを見る。顔を歪めて、嫌悪感はうまく隠せていない。
「本物の神子は神がお選びになる。下賤な人間はおとなしくしていればいいものを」
多分、神殿の人たちからすると異世界から招致された神子は本物の神子とは言えないのだろう。最近の歴史書への記載や時々見る城の資料、アルヴァトトの話の端々から思っていたけれど、神殿と国は、あまり仲が良くない。利害関係で現状を維持しているけれど、何かあれば崩れそうなほどに危うい関係だ。
しかし……正直頭にはくる。神子の招致を行うのはこの国の神が三名で、その神が神子を選ばないからだし、それを招致させて、牧師をすることを嫌がっているくせに、嫌々つけられた城の牧師に文句を言い、望んでなったわけでもない神子を蔑んで。
私は知っている。この神殿に住み込み清め今の状態に保っているのは神官のこの人たちだけれど、神殿の予算は国から出ていることを。本当の意味で調えているのは国であることを。こちらに割く人員がおらず神への作法に通じているから彼らを置いているだけで、いつかその時代の王がキレたり、政策として不要だと思えば彼らは職も居場所も失うことを。
「我々にとって神子様は緑の神子お一人だ。神の怒りにせいぜい触れてくれるなよ」
ふんぞり返って言う男。ため息を吐きたくなるのを抑える。顔に出してはならない。社会人はそんなことをしない。その場では曖昧に微笑んで、口の中で呟く。
「ただの掃除屋のオッサンが偉そうに……」
聞こえていても、ちゃんと翻訳されないように日本語で言ったので誰もわからないだろう。実はこっそり、純粋な日本語で話せるように練習していたのが功を奏したようだ。一度口に出せば少しだけ落ち着けた。
隣を歩いていたアルヴァトトが、何か言ったかと言いたそうに一度こちらを見下ろした。曖昧に笑って隠したのを、アルヴァトトは気付いたのだろう。嫌悪感を露わに眉間に寄せていた皺を一瞬だけ解して、呆れたような顔をした。
「ここからが赤の神の間だ」
ほどなくして着いたのは、一つの部屋だった。その部屋自体は椅子と窓と棚しかない待合室のような部屋だけれど、その奥に暗く長い廊下が続いている。ここまでは途中窓があったけれど、その先明かりはない。
「アルヴェニーナ、これを」
ここに来てから初めて口を開いたアルヴァトトは、棚から勝手に取り出したカンテラを手渡してくれる。中に火を点けると使えるようにはなっていたらしく、明かりが灯った。神官の男が面白くなさそうに睨んでいるところを見ると、用意されているカンテラを渡すつもりがなかったのではと疑ってしまう。けれど、なぜアルヴァトトはこれがあることを知っていたんだろうか。
もしかして、私の前にも誰か神子を担当していたのかもしれない。そういえばアルヴァトトについて何も聞いたことがなかったなと思いつつ、受け取ったカンテラで少し先を照らす。道はしっかりと続いているようだ。
「ここからはきみ一人で行かなければならないが、平気か?」
「……はい」
行って、何をすればいいのかわからないけれど。致命的な失敗に気付きながら、横に神官が居るせいで聞けなくて弱弱しい肯定を返すこととなってしまった。
そういえば、忘れていた。ただの招致者である私が、どうやって神託など受けるというのだろう。行けば本当に神様が居て「こんにちは」とあいさつしてお話できるわけでもあるまいに、神の間で瞑想して何か面白い案を考えろとでもいうのだろうか。
急激に胃が痛くなりながらも、返事をした以上不自然ないよう進まなければならない。電気も日の明かりもない廊下に一歩踏み入れ、振り返ってアルヴァトトを一瞥する。小さく「いってきます」とだけ呟いて、歩を進めた。
目が慣れるまで、少しだけ時間がかかった。カンテラの明かりは弱弱しく、足元手元を照らすのでいっぱいいっぱいだ。石造りの廊下はコツコツと靴底とぶつかる音を全面に響き渡らせて気味の悪さを演出する。
ただ、廊下自体は長いものではなく、百メートルも歩けば最奥の部屋が見えた。
そこにも電気は付いていないのでカンテラを少し高く持ち上げて見る。祭壇のようなものが正面に見える。カンテラの明かりだけではわからないけれど、装飾が凝っているというわけではないようだ。神の姿を模した石像もなければ壁画もない。あるのは丸に十字のマークだけだ。少し高い石でできた長方形の台座が手前にある。奥行きはあまり広くない、というか狭い。
ここで、何をしろって?
不安がどんどん膨らむ。本当に瞑想して何かこの世界に必要なものを考えなければならないのか? 正直、無理だ。私にそんな発想力なんてないし、この空間で考え続けるなんて気が狂いそうにさえなるだろう。ここに来ればなんとかなると思っている他の人も、何も策を考えずにのこのこ付いてきただけの思考放棄女こと私も、バカだ。
絶望に打ちひしがれながら、最奥の間に入る。取り敢えず、到着だけは、しなければと思って。
足を踏み入れたと同時だった。
「…………へっ?」
視界が変わったことにさえ、一瞬気付かなかった。それほどに一瞬だった。瞬く間もないくらいに一瞬で、けれど違和感を覚えないくらいに自然に……部屋が変わった。
一度瞬いて首を動かしてあたりと見る。今の今まで暗く、狭い、真ん中に祭壇があるだけだった部屋は、一瞬にしてその三倍くらいの広さになり、真ん中の祭壇が姿を消した。代わりに出てきたのは、玉座のような席。ただし椅子はひじ掛けのあるものではなく、二人掛けのソファのようなものだ。しかもデザイン性の高い。
そして、あたりは電気もないのに広く全体が照らされている。先ほどまでの暗さが嘘のように明るい空間。
「よー、お前が今度の俺の神子?」
声は、頭上から降ってきた。驚きに声も出ない状況の私は、そのまま目だけを見開いて上を見る。ぽんと私の頭のうえを越えて、一人の人が目の前に降りてきた。人……ではないだろう。
にこりと勝気な笑みはどちらかというと人好きのするようなもの。髪は燃えるように赤く、ひだを作るほどに十分に布を使っている割にはシンプルなデザインの服は赤と白を基調としている。金の装飾をいくつもつけて足は地に着かない。
これを見て、今更神など居ないとは、言えなかった。
「俺はアンドレンダリヤ。ダリアでいいぜ。ところで神子」
ふわふわ浮いたまま、赤の神は目を細める。
「お前、二回目だろ?」