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卑屈神子の杞憂譚  作者: 今井
7/32

牧師

  与えられた仕事は、そう難しくないことばかりだった。資料整理と書類作りと計算等々、本当に雑務といえる程度のことだ。パソコンがないためすべて手作業でしなければならないから、これを一人ですべてするのは大変だっただろう。内容的には難しくないから億劫と言った方が正しいかもしれない。

 昼間アルヴァトトがいない間は自室で本を読んでこの世界について勉強して、夕方アルヴァトトが帰ってきてからは仕事の手伝いをするのが、ここのところのルーティンになっている。さすがに一人で仕事をさせてはもらえないらしい。そのため昼間は現在専ら歴史研究に精を出しているところだ。数冊ある歴史書は編纂者が違うので比べてみると面白い。この編纂者がどういう立ち位置の人間なのかアルヴァトトに今度、暇ができた時にでも聞いてみたいと思う。時間があるか、彼が知っている人物かはわからないが。

仕事中はほとんど会話をしない。アルヴァトトは集中しているから邪魔できないし、雑談しながら業務ができるほどに私は要領の良いタイプではない。会話があるのは一区切りついて部屋へ帰される前くらいだ。結構早い時間に帰されるので、役に立てているか不安なところだ。

「邪魔だったら、ちゃんと遠慮なく言ってください」

 以前このようにお願いしたら、困ったような顔をされた。

「そんなに心配せずとも、助かっている。何をそんなに怯えているんだ?」

 問いかけはかなり不審げだったけれど、仕事の邪魔になっていないか心配するのは当然ではないだろうか。元々あちらからの提案ではなくこちらからのお願いという形で働かせてもらっているのだ。自分の行動が正しいか不安になりもする。

「邪魔なら邪魔と言っている。余計な心配はするな」

 一応そのように言ってもらえたので今のところは信じて働いているけれど。ポジティブに考えれば、今はあまり役に立たずともそのうち役に立てるようにいろいろと覚えればいいのだ。長い目で見てもらっていると考えれば気持ちはほんの少しだけ楽になった。

「アルヴェニーナ様、アルヴァトト様がお帰りになりました」

「はい」

 庭で花を眺めていれば、ユーリーンから声をかけられる。最近は庭に居るときにユーリーンが館内に姿を消すことが多くなった。信用の証だろうか。目を離してもいいと思われるようになったのはいいことだ。これまでは幼児のように見張られていたから。

 ツルが伸びてきているバラを眺めながら館に戻る。剪定でもしてみようか。ハサミを借りなければならない。花瓶があればバラを生けて、なければドライフラワーにでもしよう。比較的乾燥した気候なので、つるしておけばそれっぽいものはできるだろう。

「アルヴァトト様、おかえりなさい」

 ノックするとアルヴァトトの声が返ってきて、扉を開ける。慣れた動作になったそれは、しかし次の一歩を踏み出せなかった。

「え?」

 部屋に入って視線を上げると、そこにはアルヴァトト以外の人間が居た。派手な色の服を着て、襟元にはスカーフが巻かれている。いかにもお金持ちといった風貌だと思うのはその服装と、ふくよかな体型が理由だろう。不愛想に机に肩肘を付いてこちらを見下ろす目はこちらを格下に見ている目だ。細い目はこちらの頭からつま先までをじろじろ見る。

 正直気分はよくない。アルヴァトトに助けを求める視線を向ければ、こちらも嫌そうに眉を顰めていた。嫌だけれど、何も言えない顔は知っている。本社の人たちが来た時の上司の表情に似ているのだ。

「貴様が赤の神子か」

 数秒の観察の後に、男は不遜に言った。勘に障るし、頭にも来るけれどアルヴァトトが口をはさめない以上この男は偉い人なのだろう。

「はい。アルヴェニーナと申します」

 ならばするのはお客様対応だ。顔に笑顔を張り付けて挨拶する。よろしくお願いしたい相手ではないけれど、そうも言っていられない。私は社会人なのだ。

 男の言った「貴様」は正式な通訳がされているのか、それとも意味合いとして現代に通用している方向で通訳されているのかと関係ないことを考えつつ、ふんと鼻を鳴らす男には笑顔だけを返しておく。精一杯の装備だ。

「挨拶くらいはできるようだな。緑の方はヒドイ有様だったから、こちらもそうではと懸念したが」

「お褒めに預かり光栄です。ところで、自分はお邪魔でしたか? お客様がいらっしゃっているとは存じ上げなかったもので、申し訳ございません。お話中でしたら、退席させていただきます」

「いや。私が貴様をここへ呼んだのだ」

「はあ、それは」

 私はここにいつもの流れで来たのだが。下手なことは口に出さずに首を傾げて、意図がわからないということを示す。

 神子に来客。なぜ応接室ではなくアルヴァトトの私室兼執務室に通されているのかわからないが、何か、神託関係のことを問いに来られたのだろうか。心臓が早鐘を打つ。まだ何も思いついていない。神から言葉を授けられてもいなければ、私自身の知恵を何に役立てられるのかもわからない。

 何もありませんと答えたら、役立たずだと殺されてしまうだろうか。

 最悪の想定までしていると、男は机に置いてある紙を一枚手に取った。

「これを貴様が書いたというのは本当か?」

「え?」

 見せられた紙は、先日代筆した書類だ。気を抜くと日本語を書きたくなるのを、意識を集中して書いた覚えがしっかりとあるし、文字にもそれが表れている。読むのと違って書くのは神経を集中しなければできない。書きたい言葉がこちらの文字で頭に浮かぶけれど、意識しなければ間違えて日本語で書いてしまうのだ。

「はい、私がアルヴァトト様のお手伝いをさせていただいたときの書類です」

 まさか、それがダメだったのだろうか。アルヴァトトがいいと言っていたから大丈夫だと思っていたけれど。それとも、何か不備があったのかもしれない。原因は言葉の違いで。

「何か問題があったのでしょうか……?」

「問いたいのだが、貴様はなぜコレの仕事を手伝った?」

「なぜ、ですか?」

私の問いには答えてくれずに更に質問を投げつける男に不審に思う。理由はきちんとアルヴァトトに説明したはずだ。アルヴァトトはそれを男に言っていないのだろうか。それとも、言えないのか? 前者ならばいいが、後者ならば勝手に私が答えては問題だ。

「それは、勤勉にしていた方が神託を受けやすいかと思ったからです。日がな何もしない怠惰な人間に神様が何か授けてくれるとは思わなかったので、手伝いを申し出ました」

 取り敢えず耳あたりのいい、無難な答えを返してやる。実際の理由とは少し違うけれど、怠惰にしているのはよくないという点でウソは言っていない。

 私の主張は論理的でもなんでもないけれど、崩すには曖昧すぎる理由だったのだろう。感情に依った説明は反論しにくい。だって私が思ったのだものと言われればそれがすべてだからだ。悪いことをしているならばともかく、禁止されていない手伝いをして怒られるのは納得がいかない。

「ここから出られないから情報漏洩の観点から見ても機密は守られますし、不備があればアルヴァトト様が気づくでしょう? 重要な仕事はさせていただいていませんし……何か問題があったのでしょうか?」

 丁寧に質問の意図がわかりませんと伝えて首を傾げて見せると、男は黙って眉間に皺を刻んだ。そして、ふん、と鼻を鳴らして顔を背ける。問題はなかったらしい。

「筆跡が知らぬ人間のものだったから、確認に来ただけだ」

「それは、申し訳ございませんでした」

 深々頭を下げると男は気分を少しだけ直してこちらを見た。変わらない品定めするような視線は非常に不快だ。しかし、その見定めるような視線に先ほどまでと少し違った感情が孕まれている気がして、首を傾げる。それがどういう感情なのかはわからないが、先ほどまでよりも嫌な気分だ。うすら寒いというか。

 できるだけ顔には出さないように気を付けながら視線の意図を探ろうとしていると、男の口の端が少し上がった。ぞわりと背筋が寒くなる。

「聡明な神子のようだな。ところでアルヴァトトよ、これの嫁ぎ先は決まっているのか?」

「ギルバーン殿!」

「…………嫁ぎ先?」

 咎めるようなアルヴァトトの声を聞きながら、思わず声が漏れた。何を突然言い出すのかという不信感が生まれ、先ほどの寒気の理由に思い当たって、混乱する。まるで決まりごとかのように問われたそれは、私に対する質問ではない。

 説明を求めるように、ついアルヴァトトの方を見れば目が合った。その目は焦りや、嫌悪や怒りの感情がすべて混ざって混沌とした色をしている。その感情を向けられている先が私のような気がして、思わず足が竦んだ。何か、まずいことを聞いてしまったのか?

「おや、まだ話していなかったのか」

「……まだ神子として顕現して日も浅く、感情も不安定です。あまり勝手に余計な情報を与えないでいただきたい」

「それはすまなかった。貴殿がそれほどまでに教育熱心だとは思わなくてな」

「それが牧師としての仕事でしょう」

 感情を押し殺して話すアルヴァトトを、愉快そうににやにやと厭らしい笑顔で流して男は肩を竦めた。わかっていて煽っているようにしか見えない。

 私が感情を揺らしたことが、殊の外アルヴァトトの立場を揺るがすこととなっている。それは、よくない。

「アルヴァトト様は私のことを気遣ってくださるのですね。でも、私は自分の役目ならば享受しますから、あとで教えてください」

 嫁ぎ先というキーワードだけで、ある程度何が言いたいのかはわかる。表情を崩さないように口を挟めば、直後男はふんと鼻を鳴らした。先ほどから見るに、これは自分の思い通りに事が進まなかったときの癖だ。

 じろりとこちらを見たあと、男は面白くなさそうに立ち上がった。背が高くてかなり威圧感がある。ふくよかだとは思っていたけれど、筋肉のあるタイプの巨体なようだ。この人にかかれば今の私の首程度ねじ切れそうだ。アルヴァトトの首は、どうだろう。

「まあいい。今日はお暇するとしよう。その神子に自分の役割を話しておけ」

「……はい」

 ごんごんと男が扉を叩けばエルグリアが扉を開いた。お帰りの見送りをするためだろう。ずかずかと大股で振り向きもせずに部屋から出る男の後ろを、エルグリアがこちらに目礼だけしてついて行く。少しだけ心配だ。

 扉が閉まればようやくいつもの空間になる。アルヴァトトを見上げ、私は一気に、脱力した。

「ああああー……!」

 思わず声まで漏れる。失敗したと。勢いでアルヴァトトを庇うために口を出してしまったけれど、間違いなく余計だった。私の首が物理的にねじ切られるのは構わないが、アルヴァトトの首が切られる可能性だってあるのだ。物理的かはともかく。それが、勝手な口出しを無責任にするなんて。

 昔からそうだった。感情が昂った時、勢いで口を挟んでは嫌な顔をされるのだ。私は間違っていないと思うことでも、正しいことがいいこととは限らないのだから。

 最後のはよくなかった。

「アルヴェニーナ……?」

「へっ?」

 声をかけられて驚いて顔を上げると、思ったよりも近くにアルヴァトトの顔があった。驚いて数歩下がれば怪訝そうに眉を顰められる。どうやら心配と困惑をしていたらしい。冷静になれば、目の前で女の子が奇声をあげて頭を抱えていたら心配もするし、困惑はそれ以上にするものだ。

「す、すみません」

「いや、構わないが……大丈夫か?」

 怪しむような目は変わらないので、正直に心情を話しておいた。そして、自分のしでかしたことについても謝っておく。さて明日アルヴァトトの城での仕事がなくなっていたらどうしようと。

 その時は、こちらも首をねじ切るか……その責任もアルヴァトトが取ることになるだろうから、冗談だけれど。

「問題ない。ギルバーンは、地位は高いが城で重宝されている立ち位置ではないからな。私を切ることは、奴にはできん」

「それは、よかったです」

 家の地位がある七光りオジサンか何かなのか? 勝手な推論を立てておくが、ここの身分の仕組みも組織体系もよくわからないので考えても無駄なことだった。貴族だのといった身分制度は、ここにはあるのだろうか。あろうとなかろうと、どの時代であれ身分や貧富の差はあるものだろうが。

「ただ、あまり機嫌を損ねると本当に、きみの首が知らないうちに飛んでいることになる可能性もあるから、今度からはこちらの肝が冷えるような発言は止してくれ」

「ああ……よくはなかったんですね……」

 アルヴァトトを庇って勝手なことを言ったのが悪かったのだろうか。一応無難な答えは選んだつもりなのだが。

「あのような挑発的な態度をきみが取るとは思わなかった」

「えっ挑発的ですか? できるだけソフトに言ったつもりなんですけど、わからないことはアルヴァトト様に話を聞いておくから早く帰ってという本音が出すぎていましたか?」

「そんなつもりで言っていたのか?」

「え? そこじゃないんですか?」

 意図したところではないと言われ、混乱する。私の発言で、他に危ないところがあったのか? アルヴァトトに話を聞いておくから、他に用件がなければ帰れという副音声が聞こえていなかったのは逆に残念なところだが、他に何か、問題発言があったのか。

 もしかすると、言葉の変換の過程や文化の違いによる誤差で、私の発言に無意識にこちらで失礼にあたる言葉が含まれていたのだろうか。だとすれば、早々に訂正がもらいたい。

「どの発言が悪かったのでしょうか……?」

「反論の口を塞ぐような、虚言と真言の隙を縫ったようなことを言っていただろう」

「……え、あ。ウソは吐いていない言い訳の件を言ってらっしゃいます?」

 最初の、仕事の手伝いに関する問答を言っていたらしい。思い返してみても、問題のある発言だったとは思えない。可愛い言い訳のようなものだと私は思うのだが。

「逆上される可能性もあるのだから、あのような挑発はやめておけ」

「はあ」

 あれが逆上するレベルの挑発になるとは、なんと煽り耐性のないことか。心中納得いかないままに頷いてみせると、アルヴァトトは再度大きくため息をついた。緑の前髪の隙間から視線がこちらを向く。どうやら本当に肝を冷やしていたらしい。疲れた顔をしている。

 その顔をさせているのが自分だと思うと、申し訳なさがじわじわ膨らんでくる。自分の発言が他人を脅かすとは。

「あの、すみませんでした」

「謝らなくて結構だ。寧ろ……」

「え?」

「いや、なんでもない」

 何かを言いかけて止めた言葉に首を傾げるも、アルヴァトトは自分の頭からそれを振り払うように首を横に数度振って、再度こちらを見た。その目は先ほどと違い疑問が宿っている。怒られるわけではないだろうと推測すれば、強張っていた体を少しだけ楽にできた。

「しかし、きみはどうやら思っていたほど気が弱くはないようだな」

「ええ? 一応かなり気弱な方だと自覚があるのですが」

「顔色を変えずにでまかせを口に出し、慇懃に毒を吐く姿を見た相手に、その主張が通じると?」

「買いかぶりすぎではないでしょうか」

 そんな、毒を吐いた覚えなどない。内心毒づきたいのは抑えたつもりだし、言葉も丁寧で当たり障りない無難なものを選んだ。そもそも私に暗に毒を吐くだなんてできるわけがない。

 上司は、そういうのが得意だった。言葉の裏に毒を隠して相手を追い詰めるのだ。しかしそれには過程が必要になる。きちんと相手の弱点や汚点を集め、内々に詰みの状態を作った上で売るのが喧嘩だ。

 だから今の状況で私に、あの男に売れる喧嘩はない。気付かれないように「早く帰ってください」と思うだけで精いっぱいだ。

 頑張って説明すれば、アルヴァトトは呆れたような顔をした。ため息を吐きながら額に手を遣りこちらを眇め見る。

「きみが神子でよかったと思う。一般人だったらと思うと、恐ろしい」

「一般人ならそもそもここに居ないでしょう?」

 首を傾げれば、アルヴァトトは立ち上がって本棚から一冊の本を取り出した。本棚にあるから本だと位置づけているが、どちらかというとそれは書類の束だ。紐でまとめられた数十枚の束を持って、こちらに歩いてくる。

「数多くはないが、異世界からの招致者は神子以外にも居る。公にはされないがな」

 手渡されたのは、異世界からの招致者のリストのようだ。一枚めくると、人物調査書のようなもので、その人の身辺調査や、またもたらしたものが書きとめられている。見るに、筆跡がアルヴァトトのものだ。定規もつかっていないのにまっすぐに整った字はわかりやすい。こういう仕事もしているのか。

「そうなんですか。まあ、神子でなければ私なんて、今の方に会うよりも先に殺されていておかしくないでしょうけれど」

 パラパラとめくる。文字情報ばかりなのが残念なところだ。写真があればよかったと思うが、写真はこの世界にあるのだろうか。

「自己評価が低いな。それともこの世界を何か勘違いしているのか? ここではそう簡単に人を殺したりしない」

「無趣味で特別な知識のない私に価値がないことは、私が一番知っていますから。口減らしの概念はないんですか? もしかして飽食時代なんでしょうか?」

「そういうわけではないが……理由もなく招致した人間を殺すほど貧窮はしていない。少なくとも、魔術による人の招致を行えるほどの者は」

「殺す理由ですか。殺す理由以上に生かす価値がないと思うんですけれどねえ」

 淡々と答えていくと、そこでアルヴァトトの言葉が詰まった。はっとする。ついついかけられる言葉に次々返してしまっていたが、馴れ馴れしかっただろうか。興味のない同感を分け合う世間話と違い、問答という形での会話は比較的楽で、つい調子に乗ってしまった。

 沈黙が居心地悪く、紙の束から顔を上げてアルヴァトトを見る。彼は、眉間に皺を寄せていた。疑問を持っているような、非難するような、どちらにしても良い感情は含まれていない目。

「きみは、殺されたいのか?」

 目が合ったからか、彼は問う。冷たい声にどきりとする。怒られているのか、これは?

「そうではないです。死ぬのは怖いです」

 経験はあるが一瞬だったからあまり覚えていない。だからそれを思い出すわけでもないけれど、一丁前に、人並みに死ぬのは怖い。

 私の答えに、納得したのかはわからないがアルヴァトトはそこで問答をやめた。背を向け椅子に戻る。腰かけてこちらを向いて、それから私にも座るように促した。こうされると、叱られるような気がして尻込んでしまう。けれど促された以上背くわけにもいかなくて、私はいつもの自分の席に座った。

「先ほどの話の説明をする」

 どうやら叱られるわけではないらしい。疲労感にじむ顔でこちらを見ながら、アルヴァトトは嫌そうに口を開く。先ほどの、と言うとあの男が口を滑らせた件だろう。

 嫁ぎ先といったか。

「神子は結婚できるんですか?」

「結婚と呼べるかは知れないがな」

「えっと、どういう意味でしょう?」

 首を傾げていれば、アルヴァトトは言い辛そうに数度言い淀んだあと、視線を逸らして話はじめる。

「神子の役割に、王に関わる人間の子を為すことがある。神の庇護下にある神子の為す子には不思議な力が宿ると言われている。その資料にもあるが、現に血のつながりのある者には魔術を使うのが得意だったり、変わった力を持つものが多くみられる」

 資料に再度目を落とす。そんなことまで書いてあるとは思わなかった。どれほどに情報の詰まった資料なのだろう。そして、この資料の価値はここにあっていい程のものなのだろうか。

「子どもを作るっていう明確な仕事があったんですね」

「きみは、嫌ではないのか?」

 初めて聞いた、それらしくて、どれほど神の加護がない神子でもある程度は確実にできそうな仕事に頷いていれば訝しそうに問われた。その声は、最初に神子として招致されたことを嫌がっていないと指摘されたときと同じ色をしていた。

 その質問にはなんと答えたか。確か一度死んでいるのだからと答えた。それは今回も共通している。一度死んだ身なのだから。

「私の世界の歴史から見ても、女性が子を産む道具とされることはそう珍しいことではないので」

 それに、そういう理由もあって驚きもなかった。昔はある程度どの国もそのような文化があったと読んだことがある。大学時代のバイト先に居たフランス人も同じようなことを言っていたか。

「神子ならば、男でも同じように扱われるが」

「そうなんですか」

 それは、男の神子の方が便利ですね。と言うのは、少々下品だから心うちに留めておいた。

「人身御供よりは幾分かましでしょう? 人へ嫁いで人の子を為すんですから」

 神へその身を生贄に捧げられるのと、神の子として人と子を為すのとを比べれば、一般的には後者の方がましだと思えるだろう。人が神よりも残酷でないかと言われれば、イエスと答えられはしないけれど。

「ところで、人へ嫁ぐときはここから出ることになるんですか? アルヴァトト様との関係はどうなるのでしょう?」

 立ち位置的には保護者になるのだろうか。神子に親が居ることは稀なように思う。この資料を読んでみないとはっきりとは言えないけれど、説明を聞く限りそうだ。特に異世界からの招致者に親があるとは思えない。

 まだ知らない決まりや役割があるように思えて思考していると、耳に届く程度の大きなため息が目の前で吐かれた。呆れられているようなそれにびくっとして顔を上げると、頭を抱えたアルヴァトトが居た。

「……きみは、思っていたほど気が弱くはないようだ」

 しみじみと言われたそれに、反論の言葉はとても返せなかった。


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