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次の日にアルヴァトトが越して来た。どうやら昨日最初に通された部屋がそのままアルヴァトトの部屋だったようで、同じ館の二階に私の牧師様は住むことになった。まるで本当に飼い主だなあとは、彼にとっても失礼なのであまり思わないようにする。ひとつ気になると言えば、私の方が上の階に住んでいるということだった。上下関係はいいのだろうか。これもまた、文化の違いなのかもしれない。
同じ館に住むとはいえ、引っ越し作業が終わればアルヴァトトはすぐに城にとんぼ返りした。城で仕事があるのだから当然といえば当然か。忙しいことである。もしかすると、この国の官僚はブラックな運営をされているのかもしれない。
そんなわけで気遣うこともなく、私は部屋に籠って読書を始めた。ユーリーンも部屋に居ればいちいち庭に出たいだの館内をうろつきたいだのわがままを言われなくて済むので、助かるだろう。午前中に庭の手入れと館内徘徊という名の運動は済ませている。途中休憩がてら何度か外に出るつもりだから、時間を決めておいた方がユーリーンも他のしたいことができていい。昼食と夕食の間の時間に一度外に出たいから呼びに来てくださいとだけお願いして、私は一人、部屋で歴史書に向き直った。
表紙を開くと文字が目に入ってくる。やはり見慣れない不思議な文字は、それでも問題なく頭に入ってくる。横書きなのと手書きなのが唯一、読むのに難しいところだなあと思いながら、この世界の歴史に没頭した。
一度目なのであまり考えることなく読み進めた本は、ユーリーンが来るまでに三分の一ほどを消化した。ゆっくり読むのは二週目からでいいけれど、思ったよりも時間がかかるのは、驚くことが多いからだ。
はじめに書かれていたのは三名の神についてだ。名が三つで三名。赤の神、青の神、緑の神。光の三原色である。
この神らは世界を司る立場であり、神の導きでこの国の人々は世界の中で生きているらしい。他の国にもそれぞれの神が居るらしいが、概ねこの国ではこの三名を神として崇めている。他国には他国の神が居るというのが不思議な感覚だ。神とはすべての上に居るものではなく、国に根付くものという考えがどうにも馴染みがない。唯一神という概念が、この世界にはないのだろうか。いや、これが国の歴史書な以上他国ではありえるかもしれないが。
それに、三名も居るのに誰が何を司るだとかいう考え方がないのも驚いた。他の神と被ったり、なんだそれは? と問いたくなるようなものでも、神は何かしらを司ることが多い。国造りだとかに無関係の神にも、何かしらのご利益は付随して不思議ではないと思うのだが。
「まあ、それは私の偏見か……」
ばらばらと、自分の興味のある分野の資料ばかり漁ってきた弊害で、だいぶ知識と思考に偏りがあるのは、前から知っていたことだ。
そして神子。これはアルヴァトトが話してくれたことと概ね一致した。これを彼が読んでいるのだから当然かもしれないが、ただ異世界人を神子とすることは書かれてはいなかった。新しくできた文化だからなのか、意図的に記載していないのかは私には判断の付かないところだ。そしてそんな、本当に一部の人間しか知らないのであろうことを私に教えた彼の真意も、私にはわからない。
それと、神子同士が会ってはならない理由。これはとても、なんというか、どうしようもない理由だった。数十ページにわたって神についての説明があったのだが、その中に、要約すると、この三名の神同士の仲が良くないという記載があった。そしてそれこそが神子同士を会わせてはならない理由だと。
宗教なんてそんなものかと思えばそうなのかもしれないけれど、理由としてはひどくどうでもいいと言いたくなるようなものである。
他に記されていたのは、国の成り立ちや王を中心とした国の歴史だった。戦争があった時代もあるらしい。今はどうなのだろうか。
そもそも今が何年だとか何王の時代だとかもわからないため、私には知りようがない。
ユーリーンに連れられて、庭に出る。外はだんだん薄暗くなってきて、夜に向かっている。手入れというほどのこともしていないし、そもそも日に何度も水やりなどしていては花が枯れてしまうと聞いたことがあるので、無用な手は出さない。土の湿り気だけ目視で確認して、あとはただただ花を眺めて回る。ユーリーンは渡り廊下の方でこちらを眺めている。外の空気を吸いたいだけの無意味な行動に付き合わせて申し訳ない。館内は自由にしてくれればいいのだが。心配せずとも逃げたりはしないのに。とは、さすがに嫌味たらしいので言えない。
池を眺めながら水面に映る自分の顔を見る。揺れる水面ではよくわからないが、やはりピンク色の髪をしている。顔は幼いことくらいしかわからない。これは私の顔ではないので、一度見て認識しておきたいのだが。
ユーリーンに鏡をもらえないだろうか。基本鏡がどこにも設置されていないので、きっと高いのだろうから、口には出さないが。一度借りるくらいならどうだろう。
気候は穏やかなもので、夕暮れになっても急速に冷えるということはない。季節の概念があるのか知れないけれど、咲いている花を見る分には春の頃だ。今読み終えたところまでには四季の記載がなかった。常春の地帯なのか。根っからの文系のため、そのあたりの知識は乏しい。
「アルヴェニーナ」
不意に名を呼ばれて振り返る。数日で慣れた名前に違和感はない。元の名前がわからないからだろうか。視線を向けた先にはアルヴァトトが居た。渡り廊下に出てきたアルヴァトトはこちらを見る。仕事が終わって帰ってきたのか。この時間に帰れるならばブラックではないのか? とも思うが、そもそもここに住むのが既に職務の一環だったと思いなおす。
「おかえりなさい、アルヴァトト様」
私の家とも言えないけれど、他にかける言葉も見つからなくて言えば、アルヴァトトは目を瞠った。しまった。不愉快だったかもしれない。アルヴァトトは、好きでこの場所を住居にしているわけではないのだ。しかし前言撤回をするわけにもいかない。
「……ただいま」
気を利かせてくれたのだろうか。私が困っていると察して? ひねり出したような「ただいま」の声には未だ困惑が混じっている。怒りの感情は見えないので安堵するが、それが本心なのかは私には判断がつかない。
「そろそろ冷えるだろう。戻った方がいい」
それだけ言って踵を返すアルヴァトトを見送って、ユーリーンの元へ戻る。彼女もいつまでもここに居させるわけにはいかないので、言われた通り私も戻らなければならない。
「あの、ユーリーンさん。アルヴァトト様……気を害されてましたか?」
「気を……? 私にはそのようには見えませんでしたけれど」
勇気を振り絞って聞いてみたけれど、ユーリーンもアルヴァトトについては詳しくないらしい。私よりは知っているだろうと思ったけれど、そこまで深い付き合いではないようだ。下手なことを言って嫌な思いをさせないように、気を付けなければ。
部屋に戻って続きを読み始める。そろそろ文字を追うのに難が出る程度に暗くなっているので、部屋のあかりをつけてもらった。
しかし、こうして考えると、私は今働きもせずごはんを食べて、生活用品を使っていることになる。子どもの容姿とはいえ、勉強さえもしていない今私に将来性はない。ここのことを知るように言われていても、本をただ読まされているだけで外を出歩くわけではない。それが将来まで続くことになるのか、子どものうちだけこの場にとどめられるのかわからないけれど。ひどい罪悪感に襲われる。神託も授けられない、たいして生活の役に立ちそうな異世界知識を与えられるとも思わない。それをひねり出すのが仕事なのだろうけれど、私には何がこの世界の役に立つのかさえわからないのだ。
他の神子はどうしているのだろうか。焦るのは、未だアルヴァトトに何か知識を寄越せとさえ言われていないからだ。考えようにも、何を考えていいかさえわかっていない状況に不安になるからだ。
頭を軽く横に振って、思考を払う。今はそんなことを考えている場合ではない。ランプに火を灯し続けるのだってタダではないのだ。唯一ある教科書を読み進める。考えないために。
途中からはひたすらに王のもたらした成果の羅列だった。その中の多くが神子から与えられた知識によったもので、昔の神子のことがわかって少し気が楽になった。生活の知恵から戦争に活かせる知恵、食料や学校などの制度、教育等々これまで神子から与えられてきた知識は様々なようだ。ただ、神子の知識や興味の偏りや、その場で不足していると思ったことから継ぎ足して行っているであろうことが理由だろう。個人的な感想を言うと、文明レベルがめちゃくちゃだ。光源が日の明かりやランプの時代に学校制度が私のいた時代と同じ形であるはずがない。
神子の招致についても、王の功績として少しだけ触れられていた。方法が確立されたのはつい最近のことらしいが、それが異世界からの召喚だということは書かれていなかった。やはり意図的に省かれているのだろう。
どうせ呼ぶならば選んで呼べればよかったのに、私などで申し訳ないというか、残念な限りだ。
そのあたりで、ユーリーンが夕食に呼びに来た。本を片付けて食堂へ向かう。アルヴァトトが越して来たから食事は一階の食堂で食べることになったらしい。それまで部屋に運んでもらっていたのだが、部屋だとワゴンが使えなくて申し訳ないから、その点はよかったと思う。
しかし、食堂に行くとアルヴァトトはおらず、食事も私の分しか置いていなかった。
「あの、アルヴァトト様のお食事は……?」
「アルヴァトト様はまだお仕事が残っていらっしゃるので、あとから召し上がるそうです」
「仕事を持ち帰るんですか……?」
それは、情報漏洩の観点からよくないことではないのだろうか。いや、そうではなく、追いやられた住居にまで仕事を持って戻らなければならないほどに城の仕事が多いのか? 早めに戻ってきていたのは日が暮れるからで、仕事が終わったからではないと。
味などしないままに、運ばれた食事は残すわけにはいかないのですべて食べ、夕食を終える。その頃になってもアルヴァトトは現れなくて、ちりっと、こめかみのあたりが痛んだ。居た堪れないし、この状況は堪らない。私は、自分を保護してくれている人が働いている中眠るのか?
「ユーリーンさん、アルヴァトト様にお会いしたいんですが、大丈夫ですか?」
「え? 今からですか?」
夜といえる時間、更に仕事中の相手を尋ねるなんて非常識かもしれないが、伺いは立ててみる。拒否されたら明日でも構わない。迷惑だと言われれば引き下がるしかないだろうけれど、打診くらいはしたい。穀潰しは嫌だ。
「お伺いはしてみますが……」
「すみません、ありがとうございます。断られたら、またでいいので」
無理を言っている自覚はあるのでそれだけ付け加えて、ユーリーンを待つ。私が直接行くと迷惑になるだろうことは考えればわかる。
数分待つと、食堂の扉が開いた。アルヴァトトはこちらに窺うような視線を向けた。そうしながら、ユーリーンに下がるように言う。神子関係のことで用事があると思ったらしい。ユーリーンは言われるままに、厨房の方へ下がっていった。アルヴァトトの食事を用意するためだろうか。
「何かあったのか?」
「わざわざ来ていただいて、すみません」
「それは構わない。そろそろ一度食事を摂らねばと思っていたところだ」
一度、ということはこの後も仕事を続けるのだろう。こちらから提案するのは気が引ける。私などが何の役に立つのだと思う気持ちもある。
「あの。アルヴァトト様。何か私にお手伝いできる仕事はありませんか?」
けれど言わなければ呼び立てた意味がないので、言葉は急いで口から出る。前置きがなかったことが理由だろう、アルヴァトトは困惑したように眉間に皺を寄せた。
「わ、私、文字も読めますし、一応社会人だったので何かできることがあるのではないかと思って……もちろん国の根幹に携わる仕事でしょうから、手出しできない部分も多いでしょうけど、そういう仕事をしてる上で出てくる雑務だとか……何かないですか? ここから出られないなら情報漏洩の心配もないですし……その……」
言いたいことをまとめないままに口からぽろぽろとこぼしてしまい、徐々に声が小さくなる。消えてしまいたい。私が面接官ならば間違いなくこのような人間は落としている。
声量と共に肩を落とす。上を見上げなければ立っているアルヴァトトの顔は見えないので、項垂れた状態では視線を合わすことも反応を窺うこともできない。少しして、小さく息を吸う音だけが聞こえた。
「……なぜ、そのような提案を?」
声色に変化はない。少しの疑念を孕んでいる程度で、訝しさも、勝手な提案で時間を割かせたことへの苛立ちも聞こえない。
「えっと、夜中まで仕事で忙しそうにしているアルヴァトト様を尻目に本を読んだり就寝したりすることに、勝手な罪悪感を覚えているからです」
これは、あくまで私の勝手な心情だ。よく考えれば、必要ともされていないのに厚かましいというか、押しつけがましいことだ。
「教える方が負担になるだとか、一人でやったほうが早いと思うなら、断っていただいても構いません。ただできることがあれば、申し付けてもらえないかと、思っただけです」
雑務ならばできなくはないと思いたいけれど、文化の違いもあるので足手まといになる可能性も大いにあり得るのだ。言った後でどんどんと後悔が出てくる。短絡的な思考で直接交渉に出たのはバカだった。考えもせずにその場で呼び出すべきではなかった。言いたいことは明日言うべきだったのだ。
どんどんしぼんでいく気に、体まで小さくなっていくようだ。完全にうつむいてしまった私の上から、考えるような相槌だけが返ってきた。数秒、考えるような息遣いだけが聞こえる。体感にすれば何分にも思える。思い出したけれど、私は面接が大の苦手だったのだ。
「わかった」
熟考したのち、アルヴァトトはそう呟いた。
「きみの言う通り、誰かにしてほしいと思う雑務は多々ある。負担にならない程度に手伝ってくれるならきみの手を借りたい」
「ありがとうございます!」
ぱっと顔を上げて正面からアルヴァトトを見る。猫の手も借りたいような状況なのかと心配するような場面でもあるけれど、自分に何かできるならば喜ばしいことだ。これから失望されないように、邪魔で使えないと判断されないように精一杯頑張らなければならないけれど、何もしないよりはましなはずだ。
脱無職、脱穀潰しに安堵して息を吐けば、少々不憫そうな目を向けられた。
「きみはどんな世界の人間だったんだ……?」
「え」
別に、普通の世界で一般的な大人をしていただけなので、疑問視されるようなことではないと思うのだけれど。