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卑屈神子の杞憂譚  作者: 今井
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3

 神子生活を初めて五日経った。

 広い広いと思っていた館内だが、五日もすれば使うことに慣れてくる。二階は相変わらず応接室以外に入れないし、一階ももれなく使わせてもらえない。二階の部屋に何があるのかわからないが、怖くて未だ聞いたことはない。厨房に入れてくれと昨日ユーリーンに言ってみたが、「厨房は下働きの入るところですので……」とやんわり断られた。

 それに、どこに行くにしてもユーリーンが付いてくる。世話係というか、これでは目付け役……ないし、監視係のようなもののように思えてくる。実際、そうなのかもしれないけれど。初めに神子だと言われ、丁重に扱われたから邪険にはされないだろうと思っていたけれど、こういう形で線引きされているのかもしれない。そうして、警戒されているのかもしれない。

「……」

 唯一一人になれる自室内で、椅子に座って机に頭を垂れる。窓から空を見上げれば、さんさんと太陽の光が入ってきていた。南向きなのだろうか。それとも、北向きなのだろうか。ここが北半球なのか、そもそも地球と同じような地軸で回っているのかわからないため答えはわからない。無意識に「今何時ですか?」と朝聞いてしまって「五時です」と返答を返されたから、この世界にも時間の概念はある。ただ、時計はないみたいだけれど。

 太陽で時間を測っていたのを見て、教えてもらったけれど、ここは昔の日本のように約二時間ごとに時間を数えるようだ。子の刻、丑の刻、という風に全十二時間。ただ、昼の十二時だろうと太陽を見て思う時間に「六時ですよ」と言われると、少々違和感を覚えるものである。翻訳が頓珍漢なわけではないと思う。どうせならばすべて訳して「十二時です」と聞かせてくれればいいのにとも。

 ところで、この時間も昔に居た神子が教えたものらしい。昔の神子というのがどれほど昔の人間なのかわからないけれど、ついでに時計も発明していってくれればよかったのにと思う。時間を知っているのと時計を発明するのとでは、話が違うけれど。

 元のこちらの基準に合わせて二時間ごとになったのだろうか。日時計しかなかったからだろうか。それとも、その神子も昔の人だったのかもしれない。

「……うぐう」

 つらつらとどうでもいいことを考えているけれど、ひとえに暇だからである。館内を歩き回るのも飽きた。体はそこそこに動かしていて、もう不自由なく歩ける程度にはなった。唯一許された庭いじりはすでに済ませてきたところだ。一日中いじっていられるような広さでもないし、構いすぎて花が枯れても嫌だ。

 十時(二十時)に眠って三時(六時)に起きるような十時間睡眠生活も、初日は夢のようだったが、五日どころか三日も経てば辛くなってくる。子どもの体だからかしっかり眠れるけれども。

 何より、辛いのはすることがないことだ。暇を潰せることがないのもそうだし、働きもせず勉強もせず何もしないで一日を過ごすことがこんなに苦痛だなんて思わなかった。休みの日は何もしたくなくて一日中動く気力もなく眠っていたけれど、それが三日続くと、今度は辛くなってくるらしい。罪悪感が込み上げてくるのだ。初めて知った。

 神子として期待されていないとは言われているけれど、一個人としても期待されていないのだろうか。それとも、こうして暇な時間を、神託を待ち静かに過ごすのも、神子の仕事なんだろうか。

「……庭に出よう」

 突っ伏したテーブルから顔を上げて、立ち上がる。こんなところでじっとしているから欝々と気分の悪い思考を巡らすのだ。気分転換をしなければ。

 外に出られないならばユーリーンに頼んで、何か新しい植物の種でも買ってきてもらえないか頼んでいいだろうか。そのくらいは、許してくれるだろうか。

 できれば野菜など食べられるものがいいなあと考えながら部屋の外に出る。隣の部屋をノックするのは、一人で出てはならないと言われているからだ。脱走の危険でも考えているのかもしれないけれど、生憎見ず知らずの世界へ一人飛び出して行けるほどの度胸も勇気も持っていない。

 三度ノックして、待つ。

 けれど、ユーリーンは出てこない。というか、人の居る気配もしない。部屋から出ているのだろうか。自分と違い仕事のある彼女だから、疲れて眠っているのか。開けてみるかと逡巡していると、ぱたぱたと廊下の向こうから足音が聞こえた。

「アルヴェニーナ様」

 部屋の外からやって来たのは、ユーリーンだった。早足で駆けてくると、ユーリーンは自分の胸に手をあてて謝る。

「申し訳ありません、外しておりまして」

「いえ、お仕事忙しいんですよね? 少し外に出ようかと思い立っただけなので、あとでも大丈夫です。手が空いたら呼んでください」

 忙しいのに申し訳ないな。一人だけ暇なことに罪悪感を覚えつつ部屋に戻ろうとしていると、すぐに「いえ」という返事が返ってきた。無理して付き合わなくても、庭に出たところで手持無沙汰が解消されるわけではないから構わないのに。そう伝えようとユーリーンに向き直ったが、その言葉は発される前に断たれた。

「外に出るのは、申し訳ないのですがあとにしてください。アルヴァトト様がお帰りになりました」

「え?」

「ご挨拶にまいりましょう」

「は、はい」

 アルヴァトトが、来たのか? 城に帰るのか? 言葉の使い方がよくわからなくて首を傾げるけれど、そんなことで時間を取らせるわけにもいかないので黙って従う。ユーリーンの後に続いて向かうのは、二階の部屋だ。応接室に通されるのかと思ったが、ユーリーンが止まったのは別の部屋の前だった。

「アルヴァトト様、神子様をお連れいたしました」

「入れ」

 そして、中からアルヴァトトの声が聞こえてくる。この部屋の主がまるで、アルヴァトトであるかのように。

 いや、これだけ広い館で、たくさんの部屋があるのだ。城とは別にアルヴァトトの部屋がここにあってもおかしくはないのかもしれない。神子の対となるのが牧師なのだというのなら。

 前に立つユーリーンが扉を開くと、部屋は私の部屋と同じような造りだった。質素というよりは洗練されているというのだろうか。物はそこそこあるのに余計なものがなく、整頓されている。あるのはベッド、机と大きな本棚。机は私の部屋より大きくて……ただ、そこだけ他のきっちりとした雰囲気から外れていた。

 机には、たくさんの紙の束が重ねられていた。けっして乱雑に置かれているわけではないので汚くはないが、部屋全体の雰囲気と比べるとそこだけ浮いて見える。

「お久しぶりです」

「ああ。ここでの生活は慣れたか?」

「多少」

 なんというのだろうか。親戚の家に下宿させてもらっている娘と家主のような会話だ。まだ出会って二度目なので緊張を隠しきれないままに返事をしていると、隣でくすりと笑う声が聞こえた。

「アルヴェニーナ様はこの五日間、館の探検と庭の手入れをしていらっしゃいました。そろそろ館を見回るのには飽きていらっしゃったようですが」

「うえっ」

 飽きていたことに気付いていたのか。いや、気付かれないはずがないか。

 思わず声を上げてしまったことにも見抜かれていたことにも恥ずかしくなって俯いていれば、アルヴァトトの「ふむ」という低めの声が聞こえる。監視役は報告の責務も担っているのかとこっそりユーリーンを見れば、感情の読めない顔でにこにこ笑っていた。恐ろしいレディである。

「ではちょうどよかったか。これを貸そうと思っていたんだ」

「え?」

 アルヴァトトは机の少し離れたところに置いてあった本を二冊取ると、渡すようにこちらに差し出して来た。角を金属で包まれた古い装丁の表紙の分厚い本は、少し色褪せている。表紙には文様のような絵が描かれているがタイトルはない。

「これは我が国の歴史書だ。これで暇を潰すといい」

「歴史書!」

 二冊の本を即座に受け取り抱きしめる。この体には重いけれど、持ち上げられないほどではない。

 けれど、歴史書。国の。しかも官吏の持っているものならばかなりいいもののはずだ。もしも城のものだとすれば、特に。正直今がどの程度の時代なのかわからないから、真実が書かれているかは不明だが、そんなの日本だって変わらない。電気だとかの点を見ても中世くらいだろうか。中世の見知らぬ国の歴史書。

「いえ、中世にある歴史書ってことは古代史? 建国神話だとか?」

 古代の神話を中世に編纂したものということだろうか。しかし、建国神話だとかならば……神や神子のことも載っているかもしれない。歴史を知れる上に今の自身の立場のことも知れるならば最高の本ではないか?

「アルヴェニーナ?」

「はっ」

 声をかけられて、心臓がめいっぱいまで跳ねた。

 すぐには落ち着かなくてドクドクとうるさい心臓を窘めながら顔を上げれば、奇妙なものを見る目をこちらに向けている、アルヴァトトが居た。後ろからの視線も感じるからユーリーンもこちらを見ているのだろう。失敗した。我を忘れていた。

 睡眠を与えられて、時間を与えられて、その上趣味まで与えられて気分が急上昇してしまったのだ。

「す、すみません」

 穴があったら入りたいほどの羞恥心に襲われる。とてもではないが成人女性のする行動ではなかった。子ども容量の脳のせいだろうか。感情制御装置は脳に器官として備わっていると仮定すれば……無理があるか。

「いや。それほどまでに喜ばれるとは思わなかったから、驚いただけだ」

「すみません、あと、ありがとうございます」

 ぎゅうと本を抱き込み、礼を言う。こんなものを持ってきてくれるのだ。私が暇を持て余していると気付いているのかもしれない。気を遣っていただいて申し訳ない。

「構わない。体も十分に動かせるように努力しているようだしな」

「え」

 それは努力ではなくて、暇を持て余した結果なのだけれど。毎日館内をうろうろ歩き回り、庭いじりをしていたら体が動くようになっていただけだ。褒められるようなことではない。

「動きたかったのは、私ですから」

 体は思い通りに動かせるようになってもへたくそな愛想笑いを繰り出して手を横に振る。アルヴァトトは一瞬訝しむような様子を見せたが、特に言及することはなく「そうか」と相槌を打った。

「しかし、歴史書にそこまで……ああ、いや。きみはその本にとても喜んでいるようだが、読めるのか?」

「…………確かに」

 はっとして手元の本を見下ろす。国の歴史書ということは、この国の文字で書かれている。私は日本人だ。ゆえに日本語しか読めない。かろうじて、英語が高校卒業レベルならなんとなく読める程度だ。

 世界史も好きだったけれど、図書館には十分に日本語訳のものがあったし、わざわざ原書にあたることはしなかった。専攻は日本史学だ。英語でも日本語でもないこの本は、つまり、辞書を見ながら読むしかないということだろうか。辞書の文字すら読めないのに?

 絶望しながら、表紙を捲る。そこには見たこともない文字が並んでいて、それで。

「読め……ます」

 全く知らない文字を、私はすらすらと理解することができた。文字自体がわかるわけでも文法がわかるわけでもない。けれど、言葉と同じように意味が日本語翻訳されて自動的に入ってくる。

 なんだ、この便利能力は。

 異世界に行ってなんだかすごい力を手に入れるような物語を読んだことがある。魔法が使えたり、大きな力があったり。けれど、現状この館からさえ出られない私にとってはこの能力が何よりも便利なものに思えた。言語の勉強は苦手だし、時間がかかる。その面倒一切を飛び越えさせてくれるなんて。

 一度恨んだ白の部屋の彼に心中謝罪しつつ、アルヴァトトに向き直る。私の読めるという発言に、彼は訝しむような顔をしていた。

「……ユーリーン、一度下がれ」

 そうしてユーリーンに命令した。この命令口調がどうにも慣れないけれど、多分『一部の人間しか知らない話』をするのだと思う。

 一言、失礼しますとだけ言って下がるユーリーンを見送って、再度アルヴァトトに向き直る。柔和な顔立ちとはとてもではないが言えない顔のため、少々怖気づくのは仕方ない。声をかけるか迷っていると、アルヴァトトはまっすぐにこちらを見据えた。

「本当に読めるのか? 問題なく?」

「多分ですけど……」

 本を見せつつ、本文のはじめを何行か読み上げるとアルヴァトトは難しい顔で頷いた。読めているという意味だろう。

「多くの場合、こちらに来た異世界人は文字に苦労するようだ。言葉は通じることの方が多いようだが、本を読むともなると、難儀する者が多いという」

「そうなんですか? それは、ラッキーです」

 おどけてみせればアルヴァトトはため息のような深呼吸のような深い息を吐いてこちらを見据えた。表情には少しの困惑がある。けれどそれはけっして嫌なものではなくて、困ったものを見るような目だ。

「しかし、物語だとかならばまだしも歴史書にそこまで喜ばれるとは思わなかった。こちらとしては、説明不足な神子についての説明ついでに読ませようとしただけなのだがな。言語の勉強も加えて」

 どうやら、結構なカリキュラムをいっぺんに行おうとされていたらしい。普通ならば言語習得だけで結構な年月を要する気がするけれど。しかも教材は歴史書という異世界から来たものには少々ハードルの高い書物だ。

「専攻が……えっと、前の世界で自分の国の歴史について勉強していたので、歴史は好きなんです」

 それに、異国の上異世界の歴史書なんて物語のようなものだとも思う。

 ここのところは図書館に行く気力もなかったため読書なんてほとんどしていなかった。嫌なことを思い出す前に頭を振って思考を払う。自分のことで気落ちしてアルヴァトトに不快な思いをさせるわけにはいかない。

「まあ、喜んでもらえるならばよかった」

 小さく、ほんの少しだけ笑ったアルヴァトトを見ると、特にそんなことを思ってしまう。不意の笑顔に戸惑う。

 ああ、この人、そういえば男前だったんだ。

 邪悪な思考を払いつつ、再度礼を言う。よくしてくれている人間の見た目についてとやかく言ったり、失礼なことを思ったりするなんてよくない傾向だ。調子に乗っている自分を窘める。

「生活に不便はないか?」

「はい。さっきユーリーンさんが言っていたように、少し時間を持て余しているだけです」

「持て余す……か。庭の手入れをしていると言ったな」

「手入れというほどでもないです。あの、新しく何か植えたいんですけど、種を……その、買いに行ったりしてはだめですか?」

 生活の心配をしてくれているのにありがたさを感じつつ、こっそりと要望を伝えてみる。できれば外に出たい。正面切って「出かけたいし一人で生活できるようユーリーンさんに指導いただきたいのですが」と言うのはまだ気が引けるし腰も引けるけれど、遠回しにお願いするだけなら構わないだろうか。

「……教会の外には、すまないが出してやれない」

「ああ、えと、そうですか」

「悪い。そういう決まりなんだ」

「謝らないでください。わかってて言ってみただけなので」

 ユーリーンから何か聞いているのだろうか。すぐに私の言いたいことを理解したアルヴァトトは申し訳なさそうな顔をした。

 どことなく、ずっと罪悪感を背負っているような顔をしている。地顔か、何か思うところがあるのかわからないけれど、そういう顔をさせているのが自分だと思うと、申し訳ない。

「わがままを言ってすみませんでした」

 お願いしてみてこれなのだ。たとえば突っぱねるような拒否ならば理由を聞けた。たとえば誤魔化すようならば食い下がれた。けれど、こんな顔をされてはこれ以上外に出る云々の話はできない。

つまり、これから先私は一生、ここで暮らすわけか。

 果たして一生になるのかある程度の年齢までになるかはわからないが、少々気が滅入ると思うくらいは、許してほしかった。

「種はこちらで手配しよう」

「お手数おかけします……できれば、野菜か果物だとありがたいです」

 食べ物がいいです。とアピールしてみせるとアルヴァトトはもう一度小さく笑った。


 それから少し話していると、扉をノックする音が聞こえた。アルヴァトトが「入れ」と声をかけるとユーリーンが入ってきた。そういえばしばらく外に出したままにしていた。一度下がれと言われて退室したあとどうしていたのだろうか。まさか部屋の前で待っていたわけではあるまい。

「アルヴァトト様、アルヴェニーナ様、お食事の準備ができました」

 扉を開いたまま、ユーリーンが告げる。そういえば、そろそろお昼の時間だった。館から出ないからかあまり体力を使わないため、空腹を感じることなく食事の時間がやってくる。ここでの生活は一日三食だ。二食でも構わないけれど、そんな口出しをすることはできない。宗教的な理由で肉が食べられないということもなく、普通の食事が出てくるので、太らないよう館内だけでもきちんと動いて運動しなければ。

 案内されたのは、一階の部屋だった。これまでほとんど見せてもらえなかった一階の部屋にまさかこんなにもあっさりと通されるとは思わなかった。

 その部屋は応接室よりもかなり質素な部屋だった。大きめのテーブルとイスくらいしか物はない。ただ、そのテーブルにはクロスがかかり、昼食だろう食事が並べてある。そばには配膳用のワゴンがあった。つまりここは、食堂なのだろう。

 なぜ案内の時は入れてもらえなかったんだろうか。そして、エントランスから続く一面が食堂ならば、メイドの部屋はどこにあるのだろうか。玄関から入って左手が食堂で、その奥に厨房。正面は階段でその奥には廊下。つまり、三人ともここで暮らしているのならば、右手一面だけで三部屋があることになる。私の部屋に比べて狭いのではないかと思うと申し訳なさに胃が縮んだ。これから食事だというのに。

 私なんてそんなに偉くないのにな、とは立場上勝手に口に出せないけれど。

「どうかしたのか?」

「いえ。大丈夫です」

 向かい合うようにアルヴァトトと座る。ユーリーンや他の二人は一緒に食事をとらない。最初に一度聞いたけれど、食事で主と同席するなんてありえないというようなことをやんわり諭された。わからなくはないけれど、居心地はよくない。

「お城でのお仕事は、今日はおやすみなんですか? あ、えっとここに来るのも仕事なんでしょうけど……」

 黙ったままの食事は気まずい。向かい合って食べている以上会話を続けなければならない気分で、世間話程度に聞いてみる。業務の一環で週に一度くらいここに来たりするのだろうか。それとも仕事の合間に神子の様子も見なければならないのだろうか。どちらにせよ彼の負担になっていることには変わりない。口から出して、問い方を間違えたなと思う。

「ああ、今朝城での仕事に一旦区切りがついたからな。早々に移動せよと周りがうるさいから、一度様子を見に来たんだ」

「え?」

 気を悪くしていないかと窺っていれば、理解の及ばない答えが返ってきた。首を傾げてもすぐには思考が整頓しない。ハッキリ言われるまでは、考えることを拒絶しているともいえる。

「想像以上に部屋の用意はできているようだから、明日にでもこちらに移動するつもりだ」

「移動って、え? お引越しですか? ここに?」

「言っていなかったか。牧師は常に神子の傍で神託を待ち、常に神子に手の届く場所で神子を守らなければならない……そうだ」

「それって」

 左遷。解雇。転職。いくつかの言葉が頭を回る。

 前に聞いた時は、彼は官吏の仕事に合わせて神子の世話もすることになったのだろうと思っていた。だからすぐに城に帰ったし、そこで基本仕事をして、時折、たとえば神殿に向かうときや様子を見るために来るのだと勝手に考えていた。

 けれどこの事実はなんだ。神子の世話のために神子の館に住んで、神託を待ち守るなんて。

 しかも、彼の言い方からすると、まるで他人にそうさせられたかのような。

「日中は城へ仕事をしに向かうが、それ以外はここに居ることになる」

 息を吐く。城の仕事から降ろされたわけではないようだ。住居を移動させられるだけのようで安心する。とはいえ、多分職務内容も前と変わったのではと予想されるが。

「前はお城の近くに住んでらっしゃったんですか?」

「城内に部屋をもらっていた」

「それは……移動時間が勿体ないですね」

 職員寮から職場の都合で追われてしかも時間外に子どものケアをしろと言われ、職場から離されるような状況に哀れになるし、その原因の一端を担っているのが自分だと思うと申し訳なくなった。城がどのあたりにあるかも知らないし、一応勝手に招致された側の人間であるため謝罪まではしないけれど、何か、できることはあるだろうか。私に。

「……あの、アルヴァトト様?」

 言葉を発さずに、こちらを凝視していたアルヴァトトに窺うように声をかける。何かまずいことを言ってしまっただろうか。

「ああ、いや。想定外のことを言われて驚いただけだ」

「すみません。気を悪くされましたか?」

「そうじゃない。移動時間が勿体ない……私もそう思っていた」

 見た感じ、気分を害した風でもないので相槌だけうって話を終える。何が気になったのか聞きたいところだったが、食事を再開している相手に食い下がるのもよくないだろう。同じように食事を再開する。口の中に柔らかい肉を入れる。筋のないこの肉は何なのだろうか。牛でも豚でも鳥でもないように思うけれど。この世界特有の動物の肉だろうか。やっぱり、外の世界が気になる。

 アルヴァトトの後ろの窓からは、残念ながら青い空しか見えなかった。


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