コイバナ
「アルヴェニーナ!」
その幼く、声変わりをする前のソプラノは私の気分をひどく重たくした。
先日緑の牧師が解任された。ジェーシャといった元緑の牧師は、今は城にとらえられているらしく、緑の神子には現在新しい牧師が付いている。城から派遣されたその牧師はアルヴァトトの後輩にあたるらしい。そして、まだ牧師の役目に慣れていないからということで、ここのところ頻繁に赤の館に出入りしていた。牧師神子共々。
元よりこちらの人間であるデイスの牧師はそう適正が必要なわけではないらしく、判断基準もまっとうに牧師ができるかどうかと、ある程度の神力があるかどうかというものだったとは、アルヴァトトから聞いたことだった。どうやって神力があるかを見抜くのは、説明されてもわからなかったけれど。
……あれから、アルヴァトトとは一応いつも通りの接し方をしている。
ふとした瞬間にお互い気まずいこともあるけれど、概ね普通に接するように努力をしているのだ。精神年齢が高校生くらいに思われがちとはいえ私は大人だ。そしてアルヴァトトも分別のある大人。簡単とは言わないけれど、取り繕っている。
ただ、それで、そのいつもどおりを阻害するものが、私を「アルヴェニーナ」と呼ぶ少年の声だった。
デイスはあれ以降私に懐いてしまった。他に拠りどころがなかったのならば、あの場面で優しい言葉をかけた私を寄るところにするのはおかしなことではないだろう。特に世間を知らない甘やかされてきた小さな子どもだ。
デイスは悪くない。悪いのは、身勝手な同情で支える力もないのに手を差し出してしまった私だ。だからこそ、その手を手放せないで私は気を殊更に重たくしていた。自業自得もいいところであるし、勝手に手を出しておいて勝手に重さを感じていることについては我ながらなんと失礼で無責任なんだと思う。
「こんにちは、デイス」
へたくそな笑みを浮かべて返すのも慣れてきた。私が返事をするとデイスは頬に朱をさし嬉しそうに破顔する。鳩尾の奥の方がじくじくと痛む。胸が痛いとはこのことをいうのだろう。
「アルヴェニーナ様。本日もデイス様のお相手をお願いします」
「……こんにちはリャナ様、こちらこそ」
新しい緑の牧師であるリャナに挨拶をする。私の手は既にデイスに取られていて、今にも裏庭へ駆けだしていきそうな顔をしている。先日の沈痛な面持ちは既に影も形もない。沈み込んでいないのはいいことだと思うけれど、ここまで切り替えられえると無理をしているのではと考えてしまう。
これで、裏では復讐に燃えていて私を殺したがっていたり、私との子を為そうと考えての好意ならば劇的だけれどと想像力も働かせつつ、足を踏ん張る。挨拶が終わるまでは引っ張られていくわけにはいかない。
リャナは、ビジネスウーマン風のキレイ系美人だ。黄色っぽい茶髪に黒の目という色合いだけ見れば日本人にも近い雰囲気である。デイスが私を連れて裏庭に居る間は、アルヴァトトと二人仕事の話をしながら木陰でこちらを見ている。
さすがに、例の一件からひと月も経っていないのに神子だけを外に放っておくわけにはいかないらしい。傍から見れば独り身子持ち同士みたいで面白いような面白くないような微妙な気分だ。
ただ、それはあまり気にならない。アルヴァトトと彼女がどういう風に周りから見えようとも、彼女が実際アルヴァトトをどう思っていようとも。
「緑の神子。アルヴェニーナが転ぶ。離すんだ」
私が気になるのはひたすらに、アルヴァトトの視線の向いている方向がこちらだということだった。
デイスとリャナが来た次の日は、待ちに待った謁見の日だった。ここのところダリアと話していない。初めてコンパクトを使った日以降数日は毎日心を落ち着かせるためにダリアに話を聞いてもらっていたのだが、夜は、夜更かしは良くないとユーリーンに怒られ、昼はデイスらが来るため時間がなかったのだ。
コイバナなんて神様にすることではないのでするつもりはないけれど、ともかく誰かと話したかった。ダリアとのどうでもいい会話が恋しかった。
準備を終えると、はやる気を抑えながらアルヴァトトに声を掛ける。急かすつもりはないけれど、意図せずそうなってしまうのは仕方ないだろう。いつもの護衛の人たちと一緒に神殿へ向かう。
葉の茂る山道。森といって差し支えない程度に植物が生い茂っている。道は一応舗装してあるけれど、私の知るコンクリートの道路などではない。この世界ではきちんとした舗装道はどのようになっているのだろうか。神殿までの道は昔寺社仏閣を巡った時の参道とだぶる。
護衛の数は以前から変わっていない。前に一人、後ろに一人の護衛。たぶん、このタイミングで襲ってくる相手はいないと考えているからだろう。妥当だと思う。襲うならば女性しか居ない昼間の館の方が手薄で楽だろうから。
にしても、最初の頃は、護衛なんて私ごときに必要あるのかなだとか、代わりくらいいくらでもいるだろうに過剰だなとか思っていたというのに、近頃では思わなくなってきた。
ひどく高慢になったと思う。慣れで偉くなってしまったと。
気を抜くとネガティブなことばかりを考える。その思考すらも自分の浅ましさを感じて気分が悪い。けれど思考を上向きにすれば身に合わないものを与えられておいてと嫌悪感が増す。
浅くなりかけた呼吸を、深呼吸で取り戻す。考えるのをやめろ。魔法の言葉のように「ダリア様ダリア様ダリア様」と頭に巡らせる。
「アルヴェニーナ。急ぐ必要はないぞ」
「え?」
上から声を掛けられて、顔を上げる。木漏れ日が眩しくて目を細めながら見ればアルヴァトトが隣に居た。いつもは、私の方が二歩後ろを歩いているのだが。意識を集中しすぎて足が速くなっていたらしい。
「すみません。ええと、ダリア様に会えると思うと、気が急いてしまって」
「……そうか」
ネガティブな思考を知られたくなくていろいろなところを端折って素直に言い、私は後悔した。
アルヴァトトの、寄せられた眉と小さな相槌に、またずしりと重たいものを背負う気分になってしまった。
そのまま無言が続いて神殿へ到着する。先に謁見のあったルリに聞いていたけれど、案内役の人は変わらなかったが前よりも神官の数が減っていた。先の件で摘発されたのだろう。想定外に、関わっていた人数は多かったらしい。
案内係の人が「先日は申し訳ございませんでした」と謝っているのを流し聞きながら、いつも通りの道を通り小部屋に入る。そうしてランタンを持てばそこからは一人だ。
「アルヴァトト様、いってきます」
「なるべく早く戻って来い」
命令口調なのにやさしげに一声かけて、アルヴァトトは私を送り出す。その声にぎゅうと心臓を掴まれながら、半ば駆け足になりながらダリアの元へ向かう。
部屋に入れば、内装は相変わらずの早変わりをする。部屋にはすでにお茶の準備がされていて、ソファにはダリアと、リンドウにグリも座っていた。
「よおニーナ。最近連絡なかったけど……」
そうしてダリアの姿を見とめ、軽い口調の声を聞いた瞬間。涙腺が、決壊した。
「元気、じゃ、なさそうだな?」
「こ、こんに、ちはあ、ダリアさまあ……」
「はいこんにちは、ニーナ」
「その挨拶絶対必要?」
リンドウのツッコミも耳に入らずに、涙が流れ落ちるのを止められないで困る。
多分、ずっといっぱいいっぱいだったんだと思う。考えることはたくさんあって、誰にも相談できなくて、自分の中で全部溜まっていって。
デイスのことも。
神子としての役割のことも。
王子のことや元緑の牧師のことや現緑の牧師のことも。
アルヴァトトの想いも。
すべてが私の考えられる範囲から逸脱していて、完全にキャパシティーを越えていた。安心できる相談相手に会って、私はする気もなかったコイバナまで、一気に吐き出してしまった。
……………………
「つまり、お前は牧師の恋情が自分に向いてるのがしんどいわけだ?」
問いかけに対し、アルヴェニーナは鼻水を啜り、涙を拭いながら頷く。言葉を探り探りされた相談という名目での心情の吐露は、それでも胸の奥に様々な思いを隠しながらこぼれ出た言葉だった。こんなに感情的になって、吐露というには溢れ出した感情の発散と言う方が正しいような状況なのに、それでも汚い部分を見せたくないと考えてしゃべっているようなこの少女は、きっとずっとこうして生きてきたのだろう。前の世でも、そうして抑えて抑えて抑えこんで、だからこそこのような二度目の人生を送ることとなったのだろう。
向かいに座るピンク色の髪に手を伸ばす。頭に手を乗せればアルヴェニーナは膝の上で強く手を握りしめた。自分の手のひらに爪を立てるように握りしめた拳は痛々しい。
「自分も好きなのに?」
「だって、私じゃアルヴァトト様に迷惑をかけるだけです。こんな奴が恋人になるなんて、私だったら嫌ですもん。釣り合わないです。好きな人に迷惑をかけるのは嫌です」
言葉を選ぶのを見かね乗せた手で少し、頭をかき混ぜた。正直者になれるおまじない。そんな口に出せば隣に居る友人に笑われそうな言葉を心中でかければ、アルヴェニーナは再び止まりかけていた涙をこぼし始める。
「違う、違います、本当は関係を変えて失望させたくない、き、嫌われたら、今後困るとか考えて、好きな気持ちにさえ打算があって、やだ、きたない」
「……本音さえそれかあ」
いっそ潔癖とさえいえるような思考回路にため息が漏れる。もっと楽には生きられないものかね。生きられないからこのようなところに居るのだろうけれど。
きっとこのまま帰せば、アルヴェニーナは一か月同じように想いと自身への嫌悪を募らせてここに来るのだろう。牧師が解決してくれればいいけれど、アルヴェニーナの方がそのような状況に自分が持っていくことさえ厭いそうなのが厄介なところだ。
「あ。そうだ」
思い付きで手を打てば、隣のリンドウが眉を寄せた。グリも嫌なことに気付いたように目を瞠る。
「このまま帰っても気まずいだけだろうから、ここで思う存分悩むといいよ」
「ちょっと、ダリア」
「ダリア様……? でも、だめです、早く帰らないとアルヴァトト様が困るから」
「俺が良いっつってんだからいいんだよ。赤の神子」
おい、とリンドウが止めるのを無視してピンクの頭をかき混ぜ「アルヴェニーナ」を一時的に抜く。だからといって「朱乃」は返さないけれど。こちらに来る前に抜かれた「朱乃」を今の状態で返してこの少女の精神が持つとは思えない。
帰らなければという思考を抜かれたからだろう、かくんと少女の体を倒し、そのまま重力に任せてソファに横になる。泣きつかれて眠ったと見れば、まるで本当に子どものようだ。リンドウなんかは、精神が清い子どもではないから少女扱いはしないと言うけれど。
「どういうつもりよ、バカ」
「別に牧師への恋情とか、悩んでることとかは抜いてないからいいだろ」
「結果僕と同じことしてるんじゃん」
そういえばそうだ。以前悩んでいた神子を囲っていたリンドウの気持ちがここにきてわかることになろうとは。
なんだか数奇な状況だなと思いながら、肩を竦める。
「まあ、いいじゃん」
俺は俺の考えがあってやってるんだから。そう言えば呆れたように数百年来の友人らは頭を抱える。
アルヴェニーナが戻るのが先か、牧師が動くのが先か。
どちらもなくてアルヴェニーナがこのままここに居るならば、それはそれでいいけれどと言えば、リンドウとグリはきっとまた呆れるのだろう。




