緑の神子と牧師
結局あの後、コンパクトは使わなかった。
落ち着いて外に出て星明り以外があまりない中外の空気を吸って思ったことは、私はどんな顔をしてこれを相談すればいいのかということだった。恋愛相談など他人にしたこともないし、いくら良くしてくれているといってもダリアは神様だ。個人的な恋愛相談、それも相談というよりは思考をぶつけるだけの話に付き合わせるわけにはいかないだろう。グリのような女性ならばまだしも、正直興味もないだろうし。
次に会った時にでも零せる話をわざわざコンパクトを使って話すのは、無駄である。元の世でさえ人に安易に電話をかけるのを躊躇うタイプだったのだ。それに、ここだと誰かに聞かれる可能性もあるし。
ダリアの部屋ならば来たとしてリンドウかグリだけだから問題はないけれど、ここでコンパクト越しに神様に王子に嫁にもらってやると言われただとか、そのほかだとかを話して人に聞かれようものならば。
一応館にはアルヴァトトかメイドの三人しかいないとはいえ、あまり大きな声で話していい内容ではない。
というわけで、三日経った今でも私は何もできないでいた。
仕事の手伝いはしに行っている。毎日ちゃんと、いつもの時間でアルヴァトトの部屋へ行き、決まった時間で退室している。その間王子の話も結婚の話も出ないのは、気を遣ってくれているからか、アルヴァトト自身もあまり話したいことではないのか。
どちらにせよいつかは決めなければならないことなのだけれど、先延ばしにしてしまうのは優柔不断の性だ。自分で決めるのが苦手だ。環境を変えるのが苦手だ。
いっそ、一生このままここでアルヴァトトと神子として生きられればいいのに。定期的にダリアと、リンドウやグリと話して、アルヴァトトと仕事をして。私は結婚もしなくてよくって……アルヴァトトは外に奥さんを作って毎日そちらに帰ってくれてもいいから。
なんと自分本位なことか。結婚は役目だというのに放棄したいと考えるわ、抱く感情をすべて面倒なものだと切り捨てたく思うわ。こんな人間は誰も好きになんてなるべきではないというのになあ。
鳥の鳴き声を遠くに聞きながら、ぼうっとする。作りかけの花飾りはまったく進んでいない。
先日エルグリアに、玄関に飾ったリースが悪くなってきたから新しいものを作ってくれと頼まれた。現在それの制作のために裏庭に居るのだが、思考ばかりが同じところを々めぐって手が動かない。そもそも前のリースというものを渡した記憶がないのだが、ここで作っては放置していたものや部屋で作って扱いに困っていたものを勝手に使っていてくれたらしい。
頼まれた以上、前よりまじめに作らなければ。頭を横に振って作業に取り掛かる。
「ん?」
深呼吸して気合を入れなおしていれば、何か、甘い匂いがした気がした。ここに居て、夕飯前だろうと館内からも何か香ってきたことはないのだが。見回せどいつもと変わりはない。新しい花が咲いているわけでも、果実が熟れて木から落ちているわけでも。
首を傾げる。
ぱちんと意識が途絶えたのは、その時点だった。
次に目を覚ますと、そこは石造りの部屋だった。
「……まじか」
回らない頭を回転させる前に視界に入る範囲を見回して、思わず素で声が漏れた。
呆然と体を起こすと少しだけ頭が痛く、体が重たい。だるい感じがする。身体的な状況はそんなものか。別段他に悪いところがあるわけでもない。声を出してみても、喋れたし。
眠る前に香っていた甘い匂いが意識を失った原因だろうか。人体に完全に無害であることを願いたい。
場所は、どこかの一室だ。石でできている建物の一室。壁の石が神殿に似ている気がする。私が寝かされていたのは子どもの体には大きすぎるキングサイズのベッドだ。格好は意識の途切れたときのまま。部屋には明かりが灯っている。窓は小さく、格子がはめ込まれていて、しかも高い位置にある。扉は一つ。あとはテーブルに椅子、それから、子どもが使うようなおもちゃの入ったおもちゃ箱が床に置かれていた。
「……あとは、なあ」
そっと、自分の寝かされていたベッドの隣を見下ろす。最初から気付いていたけれど、視界に入れないようにしていた。とはいえ現状さすがに無視し続けることはできないので、存在を認識しなければならない。
緑の神子、デイスがそばに横たわっていた。
陰謀を感じるこの状況に、ため息しか出ない。どこの誰の仕業かなんとなくわかって、ベッドから下りる。デイスはきっと起こすと面倒なので先に状況を確認したい。
まず出られるかの確認のため、扉に向かう。ノブに手を掛けて引くと、がしゃんと音がした。開きませんの音だ。当然の如く鍵がかかっているようで、つまり私は緑の神子とこの部屋に閉じ込められたことになる。
外から明かりが入ってくるからまだ昼、ないし夕方だろう。一日経っていなければいいのだが。
きっと今頃ユーリーンたちが私を探し回っていることだろう。アルヴァトトにも連絡が行っていると思う。また仕事の途中で抜け出さなければならなくなっただろうから、申し訳ない。私が居なくなったと聞いて、何を思うだろうか。私が勝手に脱走したとは思わないだろうけれど。私にそんな度胸がないことは、アルヴァトトもユーリーンたちもよく知っている。
この世界での私の世界は教会敷地内で完結している。そして赤の神子の館以外は、ろくに何も知らないのだ。これだけの時間を過ごしていても、それがすべて。
落ち着いているのはここが部屋だからだ。荷馬車だとかならば慌てるし、もし部屋でも一人ならば取り乱すかもしれないけれど、デイスが居る。それを思うとデイスが居てくれて助かった。主犯が察せるし。一人ならばこれから誰かがここにやってきて、自分の行く末がどうなるか心配しなければならない。
そのあたりで、デイスが身じろぎをしはじめた。デイスが起きる前にもう一つしておきたいことがあったのだが、途中で起きられるのは面倒なので、先に起こした方がいいだろう。
「起きてください、おはようございます」
そばに寄って体を揺する。様を付けるべきかつけないべきか迷ったので名前は呼ばないでおく。半分くらいは起きていたのか、デイスはそのまま何度か瞬いて、目を開いた。
「!!」
「うわ」
そうして、近くにあった私の腕を払いのける。体を跳ね起こして何事かと目を見開く。まるであちらの方が少女のような反応だ。
「おはようございます、緑の神子。起き出しで悪いのですが、現状がわかりますか?」
デイスも眠っていたということは、ここに来たのは合意ではないと推測できる。ただそれが知った上で連れて来られたのか、それとも私のように突発的に眠らされて連れて来られたのかはわからない。
一度自分の眠っていた布団を見下ろして、それからあたりを見回す。神子の館は全て同じ造りのはずなので、ここが自身の館ではないことは理解しただろう。最終的に私に視線を止めて、シーツを握りしめ、唇を噛む。
何か、知っている風だな。
「私も先ほど目を覚ましたばかりでよくわからないのですが、どうやらここに閉じ込められてしまったみたいなんです」
ベッドから離れて扉を引っ張って開かないことを示す。
「連れ去られたのだと思うんですが、何か犯人に心当たりはありませんか? 神子の中でルリちゃんが居ないのが気にかかるんですけれど」
少しだけとぼけてみせればデイスはようやく口を開くことを始めた。何度かぱくぱくと口を動かし言い淀み、声を発する。
「ジェーシャのしわざだ」
悲痛に暮れたような声。子どもの出す声ではないそれにぎくりとする。昏いものを孕んだ目は私を見ずに、扉の外を見ているように感じた。一度口を開いたからだろう。彼は訥々と、言葉を落とし始める。
「私と赤の神子が婚姻することを神殿は望んでいた。ジェーシャは神殿の人間だ。ジェーシャが一番、私を赤の神子と結ばせたがっていた。本物の神子の子を得るために……。だから、こんな場所を用意したんだ」
ぽつぽつと零す声に感情はない。こんな小さな子どもになんてものを背負わせるんだ。なんて手荒いことをするんだ。
犯人の目星は最初からついていた。どころか誰が主犯で誰が協力者なのかなど最初からわかっていたけれど、まさか、まったく言い含めずにここに自分の庇護している神子を放り込むとは。ジェーシャというのが、あの緑の牧師の名なのだろう。
答え合わせをすれば想定していた通り、ジェーシャが主犯で神殿が私たちを結婚させるために連れ去り閉じ込めたということだ。こんなところに閉じ込めて結婚も何もないと思うけれど。そのうち食事係でも来るのだろうか。神子を死なせるわけにはいかないはずだから、さすがに来ると思う。となると神官が来るだろうか。
さすがに、漫画や小説のようにそれらを倒して鍵を奪い逃走……などというアクロバットなことはできないだろうけれど、人が来るならば絶対逃げ出せないわけでもないだろう。
……そもそも、もっと簡単な逃げる方法もあるんだけど。だから、私はこれほどに落ち着いていられるんだけれど。
「きっと今ジェーシャが王に掛け合っている。私と赤の神子を結婚させろと。本当の正しい神子が生まれるまで……ここに赤の神子と二人、閉じ込められるんだ」
私に話しているというよりは独り言のようにぶつぶつと呟くデイス。不穏な言葉が聞こえた気がする。あまりにもな想定だが、絶対に企んでないといえないのが怖い。なにせ神殿側のことを私はほとんど知らないから。知っている範囲で、する可能性はないと言い切れない性質を持っているのがまた、怖いところだった。
「そんなことにはならないので、安心してください」
一応元気づけるように声を掛ける。神経を逆なでしそうな気もしたけれど、何を言ってもそうなるだろうので、構わないでおく。そうして私はポケットからコンパクトを出した。
放り込むだけ放り込んでおいて、持ち物には気を付けなかったらしい。私がコンパクトを持っていることはアルヴァトトと王様くらいしか知らないはずなので、それが理由かも。
突然私が服から取り出したものに、デイスがようやくこちらに視線を向け怪訝そうに顔を歪める。デイスから見ればこれが何かわからないのだろう。おもちゃにしても小さなものだ。この世界に開いて音が出るおもちゃがあるとは思えない。鏡と想定するのは、神子であるデイスには難しいだろう。
質問されても答えるのが面倒なので、先にコンパクトを開く。呪文のようなものを言わなければならない気がしたけれど、開いた瞬間コンパクトの中が光った。はめ込まれた鏡の中がぼうっと揺れる。そうして画面はそのままに、声が聞こえた。
『ニーナか?』
「はい、ダリア様」
『ようやく使ったな』
声だけで、ダリアが得意そうになっているのがわかる。少し嬉しそうな声に、もっと緊急事態以外のタイミングで初めてを使えばよかったと後悔した。こんな状態では世間話もできやしない。
ダリアの声を知っているデイスは驚いたようで目を見開いてこちらを凝視している。この世界には電話もないので、声だけが聞こえるという状態にも驚いているのだろう。
「すみません、ダリア様。いろいろと前置きをしたいのですが、緊急事態なんです」
『緊急事態?』
こちらの状況まではわからないのだろう。少し声を真面目にしたダリアは、何があったのかと聞いてくる。
意識を失う直前から、現状、そして想定される主犯などを説明すれば、ダリアは困ったような「あー」という唸り声を上げた。まさか神様にどうしようもできないことなのか。慌てていると、ダリアはそのまま舌打ちをして「悪い」と言葉を寄越した。
『俺がこのまま助けに行ければ一番かっこいいんだろうけど、一応俺の部屋から出ることはできねーんだ。予見できりゃ一番よかったんだけどな』
「かっこよさはいいんですけれど……助けてくれることはできないんですか……?」
『リンドウに青の神子に伝えるように頼む。居場所は……神殿内部だな。青の神子から誰か助けられる奴に伝えるだろ。もうしばらくは我慢してな』
一応助けは呼べるらしい。ルリに連絡が行けば、ソドリー越しにアルヴァトトにも伝わるだろうし、神から助けに行く許可が出ているならば神殿に無理やり踏み込んだって問題にはならない。
助けが来ることに安堵して、お礼を言う。コンパクトは閉じないままにしておく。万が一誰かが入ってきて害をなそうとしてきたときに神様の存在があると知らせられれば助かるかもしれないし、何より心細い。こんな小さな体で、一緒に居るのも年端もいかない男の子。たとえ手出しできなくても、ダリアの存在はあるだけで心強いのだ。
「ええと、緑の神子、ダリア様が助けを呼んでくださったので大丈夫ですよ」
安心させるように声を掛ける。未だベッドの傍から動いていなかったデイスは、じっと私を凝視していた。その視線に何が含まれているのかわからない。幼い子どもは、行動では何を感じているかわかる部分もあるけれど、何を考えているのかはわかりにくいのだ。デイスがその例であるかはさておいて、感情のまったくないような視線に居心地が悪くなる。
「あの」
「それは、なんだ……?」
ここに来て、初めて会話をした気がした。子どもの声で問われたのは想定していた質問ではある。
「ダリア様から頂いた、ダリア様とお話できるコンパクトです」
簡易神託受信器などと言ってもわからないだろうので、簡単に説明しておく。開けばダリアに繋がって、そのまま会話できるのだから間違いではない。茶々を入れて来ないので、ダリアは今リンドウと話しているのだろうか。グリにも、現状を教えておいてあげてほしいところだ。
「なぜ、貴様ばかり……」
ぽつりと、デイスが呟く。小さな苛立ちをにじませた声は、二人しかいない部屋には大きく響いた。
「私が、私だけが正しい神子であったのに! 私だけならばジェーシャもこのようなことはしなかった! 外から来た偽物の神子だったくせに、なぜだ!」
怒鳴るような声が、私に向けられる。今にも泣きだしそうなほどに目に涙を溜め、デイスはあらん限りの力で私を睨みつけた。同じような目線の相手から、憎むような視線を受ける。彼の考えていることは、けれどわからないでもなかった。
「正しい神子であったのに、貴様が来てから私は本物の神子を迎えるための道具に成り下がった! 神殿を確立するために使われるなど、神子のすることではない! 私は、緑の神に愛され、神託を授ける、神に近しい存在だったのに……」
やがてパタパタと涙が零れ落ちる。デイスはデイスなりに、自身の立場にプライドのようなものがあったのだろう。そして、神殿の現状もよく理解している。支離滅裂なことを言っているようだけれど、彼なりの神子像というものがあり、そこから自身が外れたことが許せないのだろう。
そうだね。ごめんね。
そんな慰めを言うのは簡単だけれど、さすがに私もそんなことはしない。これに関しては、私だって被害者だ。別に本物の神子なんてものであろうとした覚えはない。デイスを害したわけでもない。小学生くらいの子どもに対しておおらかになればいいのにとも感じるけれど、子どもだからといって適当に窘め宥めすかせばいいわけじゃないと思う。
「私は正しい神子でもなければ、きみと子どもを作って神殿側に協力してやるつもりもないよ」
ただ一言だけであれ反論を返す狭い心はどうにかしなければなと思って、口を噤む。これ以上余計なことを言ってはだめだ。
ダリアはリンドウに伝えてくれただろうか。コンパクトを覗き込もうとすると、かつんと石畳に足音が響いた。そのまま、あっと言う間に距離を詰めてきたのはデイスで、肩を掴まれると同時にコンパクトを取り落とした。それこそ神罰が下りそうなものだけれど、デイスは構わずこちらに詰め寄る。
「貴様と子を為せば、私の立ち位置も変わるのか?」
「え」
「正しい神子になれるのか? なれずとも、正式な神子の親として、神に近い存在であれるのか?」
力は強くなくとも掴れれば少し痛い。子どもの力でも、私の体も今は子どもだ。
悲痛な叫び。激昂していないのがそれに拍車をかけて、頭を抱える。
余計なことを言うつもりは、なかったのだけれど。
「そんなに怯えなくても、デイスは立派な神子だよ」
掴まれた腕を伸ばして、デイスの背中に回す。腕に掛けられた手の力は弱くなり、離れ重力に従い下に落ちた。息を飲んでいるのがすぐそばで聞こえた。
「私は、神子としての立場とか、役目とか、神様とのつながりとかそんなものは気にしたことがないよ。責任なんて持ちたくないから神子として確立されたくない。でもデイスは、そんな神子になりたんだね。自分の牧師が神殿の人で嫌なんでしょう? でも逆らうこともできずに、ただ一人正しい神子であろうとし続けた。偉いと思うよ」
背中をポンポンと叩きながら、宥めるように静かに声を掛ける。偉いね、すごいねと。
ああ、でもやだなあ。やな大人だなあ。
私はほんとうに、嫌な奴だ。頭には自己嫌悪を巡らせながら、声だけは優しくなるように努力する。
これは私の役目ではないのに。適当になだめすかすのは良いことではないのに。彼が子どもだからといって、適当に見つくろってきた優しい言葉をかけて。整合性もない肯定を与えて。デイスの心などひとつとしてわかっていないのに。
腕の中でぐすぐすと、涙を流す声が聞こえる。嗚咽はかみ殺すように。多分泣きたかったんだな、ずっと。悲しかったんだな。そんな誰でも思えるようなことを考えながら、背中を叩き続ける。
今この時の私は、全然アルヴェニーナではなかった。




