挿話・アルヴァトト
異世界よりの神子の招致は、私にとっての本意ではなかった。
神子の館にある自室の椅子の背もたれに体を預けながら、目を閉じる。仕事は放っておけば際限なく積み上げられていくので、眠っている暇はないのだが、今はあまりものを考えたくなかった。目の休憩は大事ですよ、とはアルヴェニーナの言で、言われた通り目を閉じて休憩をしようなどと思ったのは、けれど今日が初めてだった。
想定外のことが起きて、私自身混乱していた。
アルヴェニーナは、普通の異世界人だ。彼女によると一度死んでいるとのことだが、それ以外は概ね一般的な異世界からの招致者と変わらない。青の神子の招致方法と違いこちらで用意した体に呼び込むという方法を取ったが、その方法も前例のないものでさえなかった。
性格は、少々変わっているといってもいいだろう。これまで資料編纂のために幾人かの神子に直接会い、話を聞いて来たが、そのどれともあれは違っていた。性格という点で言うならば違って当然ともいえるが、それでもアルヴェニーナを見ているとこの少女は変わっていると思って仕方のないことだと思う。
花の色をした髪に果実の色をした目。こちらで用意した幼子の体は、あの少女の中身とあまりそぐわない。年齢は多分、器よりも少々上だろう。統計から見ても、神子として喚びやすいのは今の青の神子と同じ年頃の人間だから、その頃ではないかと思う。
言動は実年齢よりももう少し大人びている、かと思えばまるで子どものようなことを言うこともある。
口癖は「すみません」だ。何かにつけて謝る、感謝する、虚勢を張る……のは、近頃は少しだけましになってきただろうか。
初めの頃は今よりも酷かった。すべてのことに対して自分が悪いことをしているかのような態度で謝り、こちらが許せば感謝の言葉を示すのだ。そのわりには謝罪には罪悪感だけを込め、感謝には心が籠らない。含んでせいぜい少しの安堵くらいのもので、それさえも次の罪悪感と懸念事項に即座に取って代わられる程度の感情。剣呑性にも程がある。何を話せばこれは普通に会話をするのだろうかとさえ思ったほどである。体調が悪いことにさえ罪悪感を覚えるようで、仕方のないことなのに、まるで悪いことをしているのを隠すように大丈夫だと虚勢を張るのだからたまらない。
他人への態度はそれらの言動と一致して、一貫して一線を引いたような態度を取る。自身の世話係にさえ異常なまでに丁寧に話す始末で、一度ユーリーンに苦言を呈したのだが、既に話していたことらしく、あれでもまだ軟化した方だと言われ呆れた。
私への態度も、はじめは怯えられているのかと思っていた。怯えられているのならば、それはそれでおかしなことはない。元居た世界から、一度死んだとはいえ無理に呼びつけ役目を押し付けるような相手に対して親しい態度を取れるなどとは普通思わない。けれどあれは、怯えるでもない、嫌うでもない、なのにしっかりと距離だけは取っているのだ。
私への態度が軟化したのはここに住み始めて少ししてからだったか。あれの発言には、ときどき目を瞠る。ここに住むことになった私に言った言葉がまず、「時間が勿体ないですね」だった。一瞬「ああそうだな」と思ったが、思い返せば子どもの発言ではない。あちらでどのような生活をしていたのか知らないが、過酷な環境にでも居たのだろうか。時間をそれほど気にしなければならないほどの。仕事を与えたときにも出てきた言葉は「ありがとうございます」だった。働けと言われて心から安堵を見せて感謝の言葉を差し出す子どもが居るなど、どんな世界だ。他の神子はそんなことはなかった。あれが特別におかしな世界からやってきたということなのだろうか。
ただ、仕事に関しては実のところかなり、助かっている。あれの言った通り雑務は嫌というほどある。内容だけ思えばたいしたことはしていないけれど、それをしてくれる者が居るだけでかなり効率が違うのだ。それに私の仕事の一歩先を読んで行動するため、本音を言うと城の連中よりも居てくれて助かる存在だとさえ思う。城にも抱えて行って助手として使いたいと思ったこともある。
……それほどのものなのに、自己評価は困惑するほどに低いが。神子の立場がなければ殺されても仕方がないなんて、普通であれば思うことさえしない。自身の価値を低く見すぎているけれど、実際のところ普通の神子以上の知識や才能があるとはいえないが、神子として申し分ない程度に役立っている。
特に歴史書に関してや、言語についてだ。歴史書を編纂者の立場で見て、同じ内容を別の者が書いたものはないかと尋ねてきた時は驚いた。
「立場によって書き記す内容も、書き方も違ってきますからね」
歴史書の話をするときのアルヴェニーナは少し浮かれて口が軽くなる。本人は気付いていないかもしれないが、口調が少し崩れるのだ。
指摘すると、あれは物事や感情を隠したがる。以前何か書き物をしているのを見つけた時がそうだった。「神子制度の変遷と公的な立場における神子の処遇」と表題をつけ、文章を綴った何枚かの紙を持っていた時だ。内容が気になって聞いてみれば「大したものではないので」の一点張り。神子としての成績になるぞと言えば、より一層恐縮したように首を横に振った。
「それならもっとちゃんとまとめます。参照史料が少ないですし、先日頂いた神子の資料を参考にしたいので」
主張としては誠実なものだが、立場を不安がるわりにその不安を一時的にでも解消したいとは思わないのだろうか。
そんな風に、他にも一緒に居ればぽろぽろと異世界の知識やこちらに馴染みのない考え方をアルヴェニーナは零す。
「ここの言葉は、一人称は一種類で敬称はたくさんあるんですね。文法的には英語の方が近いですけれど、名詞に性別はありますか?」
ギルバーンの訪れたその日に問われたのがそんなことだった。意味がわからなくて聞いてみれば、異世界には他国の言葉を学ぶ習慣があり、他国の人間と話す機会があったから気になったのだと言う。自分の代筆した文章に失敗があったのではないかという杞憂から出た疑問のようだ。自分の国の言語には名詞に性別がないからだとか、文法がここと違うからだとかいろいろと付け加えていたが、こちらとしてはそんなことは考えたこともなかった。
神子と常に行動を共にし神託を引き出すという、初めは仕事が滞るため煩わしくて仕方のないと思っていた決まりではあったが、今となってはその決まりが必要なものであると感じる。
していることは、普通の神子とそう変わりないのだ。性格面での卑屈さが目立っているが、知識は程ほど十分に渡されている。王への報告でも評価は低くない。
そんな普通の神子が――普通の異世界より招致した少女がなぜ、二名の神の目に留まったのだ。
あの後ここまで抱えて帰ってくる間に、アルヴェニーナは眠ってしまった。きっと疲れたのだろう。目前で見たため気付いたが、神殿の廊下にありアルヴェニーナが青の神の元へ向かうのに使ったのは魔法陣だった。アルヴェニーナに魔法の知識はない。才能もないはずだ。魔法陣が起動したのは赤の神が何かをしたのだろうが、それでも陣を使えば負担はかかる。魔法には詳しく通じていないがそう聞いたことがあった。
「当人に話を聞くまではわからないか……」
神とどのような話をしたのか、なぜ青の神の元へ行くことになったのか。聞かなければならないことは多くあるが、言い方を考えなければあれはまた、恐縮して要らぬ隠し事をしたり言い淀んだりするだろう。面倒なことこの上ない。だからといって不快感を覚えるわけではないが。
実は豪胆なところもあるというのに。平常時とは違う、きっと苛立っているときの態度はあれの本性なのではないのだろうかと私は思っている。ギルバーンのときの態度や、神殿の神官への言葉。あれが本音でないとは到底思えない。零れ落ちた本音と言うには些か皮肉の利いた湾曲的な責め方だったが。
ギルバーンのときも、寧ろせいせいしたと思ったし……神官への最後の言葉には笑ってしまいそうになった。
さすがにアレは聞かせるつもりはなかったようで、しまったという顔をしていたけれど、一声にあれだけの皮肉を込めることなどなかなかできないだろう。
思わずまた緩んでしまっている顔を引き締め、目を開く。そのままうたた寝してしまうほどに落ち着いてはいなかったようだが、よかったのか悪かったのかは知れない。
さて仕事に向かうかと思考を切り替えようとしたところで、扉が三度叩かれた。既に日は落ちている時間だが、その音の位置にすぐに声を返した。低い位置から叩かれている音から予想した通り、扉を開いたのはアルヴェニーナだった。
「遅くに申し訳ございません、明かりが灯っているように見えたので」
腰を折って首を垂れ、アルヴェニーナが謝った。この体勢が元の世界の謝罪の姿勢なのだろうと予想はつくが、ただ感謝の時も同じ態勢を取っていたので実際のところは不明だ。
「構わない。きみが起きたら報せるようユーリーンに言っていたが……ユーリーンはどうした?」
「えっ。もう休まれてると思って声を掛けて来なかったんですが」
「部屋には待機していなかったのか?」
「うあ、何かあって外されていたのかもしれません。私起きてすぐにこちらに来てしまったので」
失敗したという顔をするアルヴェニーナに、本当のことなのだろうと察する。心配そうに扉の方を見たりこちらを見たり、おろおろと視線を惑わせている。
「戻ってらっしゃって私が居なかったら困りますよね。戻った方がいいですよね、いいですか?」
「そうだな。私も行こう」
できれば明日には王に報告をしたいし、だからといってアルヴェニーナにここで話をさせるのは良いことではない。明日の朝話を聞いてもいいが、ここに来たということはアルヴェニーナの方からも話があるということだろう。
立ち上がるとアルヴェニーナは扉を開いて私が通るのを待つように立ち位置をずらした。扉を開けて待つのは神子の仕事ではないが、それを今言ったところで仕方ないだろう。明かりを持って先に出るとアルヴェニーナも後に続く。
「あの、アルヴァトト様。ここまで運んでくださったんですよね。すみませんでした」
「牧師の仕事の範疇だ」
「うぐ、ありがとうございます」
横目で見れば斜め後ろを歩く頭が下を向いている。俯けば立って歩いている以上視線も合わなければ顔も見えない。ただどんな顔をしているのかはわかる。
「アルヴェニーナ様!」
起きたあとアルヴェニーナがどこに行くかを考えると、推測を立てるまでもなく私のところに居るとわかったのだろう。ユーリーンが駆け足で寄ってくる。
他の神子ならばわからないが、これに逃げるという選択肢はない。外に出てみたいということは以前一度言っていたが、それも無理だと言うとすぐに諦めた。聞き分けが良すぎるほどにいいので、館内ではほとんど完全に自由にさせているのが現状らしい。その結果先日のように外から来た害を受けることになるので要注意だが。
「すみませんユーリーンさん。私が考えなしに動いてしまったばっかりに」
「私が席を外したのも悪かったのです。ですが、こんな遅くにお一人で行動されないでください」
「はい」
月明かりで窓のある廊下は明るいが、それでも明かりもなしに歩くのには危ない。注意されるとアルヴェニーナは少し安堵したように返事をした。彼女らがこうして話しているところを見る機会はあまりないが、うまくやってはいるようだ。
「アルヴァトト様、申し訳ございませんでした」
ユーリーンはこちらに謝罪をして、私の手から明かりを受け取る。彼女の持っていたものと併せると先ほどよりも更に明るい。
そのままアルヴェニーナの部屋まで戻り、ユーリーンは部屋へ返す。「おやすみなさい」とアルヴェニーナはユーリーンに一言だけ与えていた。
「それで、きみに不都合がなければ今日のことを話してもらいたい」
「アルヴァトト様は休まれなくて大丈夫ですか?」
「どちらにせよ聞かなければならないことだ」
「ああ、報告があるんですね」
すぐにわかったようにアルヴェニーナは頷き、今日のことを話す。人の心配をするわりに、仕事のことになると優先事項がそちらに移る。
「と言っても、何から説明すればいいんでしょうか? あの部屋に行くとダリア様が現れて、私の死んだときの話をして、青の神子とお話したことを謝罪したら青の神のところに連れていかれて、気にしないと言われたんですが」
「……一から、詳しく説明してくれると助かる」
頼めばアルヴェニーナは詳細を話した。
あの部屋に行くときに起こる現象はある程度知識として知っているが、普通の神子が向かう時と同様の現象しか起こらず、問題はなかった。第一の問題はアルヴェニーナの死後の話だ。赤の神はアルヴェニーナの言っていた白い部屋というところを知っていた。そして、アルヴェニーナが名を失っていた理由も。赤の神は記憶を失わなかったことについて神の失態だと称したらしいが、こちらとしては、その失態がなければ危うかったと冷や汗が流れた。記憶もない異世界からの招致神子など、どう扱っていいかわからない。それこそ、なかったことにされてもおかしくはない。
そして第二の問題が、青の神子とのことだ。正直に話したアルヴェニーナの心情も知れないが、それで同意を得るために赤の神子を青の神の元へ連れて行く赤の神もわからない。気に入った……ということなのかもしれないが、すべてを良いことだと思うには余計なことをしてくれすぎている。
ただ、収穫だったのはやはり神同士の関係が知れたことだろう。他の神子ではそんなものを確認するなど起こらなかった事象だ。神子同士の接触はともかく、神からの怒りに触れないため、城にも国にもいくつもの不要な規則がある。装飾などの色の置き方などというつまらないものにさえ。その折り合いをつけるのにどれだけ無駄な予算や時間や手間が裂かれているか考えるのもおぞましいそれらが、解消されるのだ。
「はっ! うあああ」
突如、焦ったようにアルヴェニーナが声を上げた。何事かと振り向けば、果実の色をした目がこちらに向いている。丸く大きなそれは揺らめいていて、その中に在る感情は不安一色だ。
「ご、ごめんなさい」
「何かあったのか?」
「神託を聞くのを忘れていました……」
真剣に問い返したのに、返ってきた答えはそんな的外れなものだった。
自分がどれだけ重大な結果を持って帰ってきたのかわかっていないこの少女は、果たしてどれほどのものならば神託と呼ぶのだろう。深くため息を吐けば怯えたように肩を震わせたのが視界の端に映った。何か勘違いをしているのだろう。
「アルヴェニーナ」
「す、すみません。次回はちゃんと聞いて来るので」
「違う。今回のきみのもたらした情報はこの国にとって大いなる助けになる。これだけで、きみがここに来た役目を果たしたと言っても過言ではないほどの実績だ」
「え?」
ぽかんと口を開く。幼い顔に相応しい間の抜けた表情はあまり見ないものだ。
「よくやったと言っただろう」
その表情の変化は見てよくわかった。喜びなのだろう感情に息を飲み、照れたように小首を傾げ、眉を下げ口元が小さく上がる。小さな手は寝間着を掴み感情を散らそうとするかのように握られている。
「幸運でした」
子どもとも大人ともいえない表情にこちらが驚く。けれど、この場合こそ礼を言うべきなのではないだろうか。感情の籠らない感謝は出てくるくせに、自分の功績を褒められて幸運という言葉で片付けるか。
呆れを顔に出すと勝手に怯えるので表情に出さないようにしてにやけるアルヴェニーナを眺める。この調子でもう少し自分に自信を持ってくれないものだろうか。
「にしても、赤の神は失った名はわからなかったのか? きみの言う白の部屋の神を知っているならば、知りようもあると思うのだが」
「え? あ、名前ですか。すみません、教えてくれるって言われたのを断ったんです」
「は?」
口癖としての謝罪と共に言われた言葉に首を傾げる。名前を失ったと知ったとき、これはかなり取り乱していた記憶がある。問うのを忘れていたならばこれから先、赤の神の元へ向かうときに知る機会があるのではと考え話に出したのだが、断ったと言ったか。
「なぜだ?」
「せっかくアルヴァトト様にいただいた名前ですし、私は今アルヴェニーナとして生きているので……」
私の反応のせいだろう、声は徐々にしりすぼみになっていく。
ただそんな反応に構ってはいられなくて、私はつい、大きくため息を落とした。