ラーメン世界の真理
「へ~、そうなのかぁ~。なるほど、そういう考え方もある」
「――って、七星選手!? 何でアナタが感心しているんですかぁ~!?」
思わず入る司会のツッコミ。
なぜなら、七星の頭の中はもっとイージーだ。
一応、七星も『温度差』というフレンチ技術の概念は知っている。でも、
「ええ、理由はもっと単純です。その方が『ウマかったから』です。
それに、このラーメンはかなり濃厚に鶏ガラを煮込んであります。コッテリした口の中を、冷たい漬物でリセットして欲しかったからでもあります」
七星とは、こんな男なのだ。黙っていれば、皆から感心されていたのについ口に出して言ってしまう。
でも、事実として、確かに、皆、そうやって食っただろう。
七星は、冷たいもので口をさっぱりさせる目的でこの漬物をスープの温度に負けないくらい凍る寸前までキンキンに冷やしていた。
脂ぎった口の中を流れる清涼感。たまらなかったはずだ。
「ああ、あともう一つの理由ですが……
みんな、ラーメンに集中していて、脇に漬物の小皿があっても忘れちゃうでしょ?」
そうそう、この前もチャーハンの脇にあったスープを忘れていた奴がいたんで……と付け加える。
爆笑する会場。志織を除く、全ての客が腹を抱えて笑い転げる。
なぜなら、事実、目の前に突きつけられたマイクが見えず、ひたすら食い続けたという5人の審査員がいい証拠だ。
痛すぎる、実にもっともな部分を指摘され、顔を真っ赤にしたり、自らも笑ったりする審査員。
「いやはや、まさしく……七星クン!? はは、これは一本取られたよっ!!!」
だが、キミが悪いんだぞ?と茶目っ気たっぷりに笑う陶芸家、四宮京一郎。
「キミ、スモークチキンを皮面パリパリにして入れただろ? あと、あの香味油な」
あれはラーメンに香りやコクを与えたが、同時に塩ラーメンとしては破格のコッテリ感があった。スープも濃厚ドロドロだ。
「あのチキンの工夫はよかった。スモークチキンなので、そのままカットして入れてもうまかったはずだが、それでは全体として、食感が単調になりすぎてしまう。チキン表面に塗ったタレはハチミツだね?」
「ええ、その通りです。スープに使用している塩ダレとハチミツ、ブラックペッパーを加えたチャーシューダレです」
「――それで、表面をカラメル化させたと?」
カラメル化、それは糖に熱を加え、変質させることで表面をカリカリの状態にする。
「ええ、そういうことです!」
「うん、見事だ。これもフレンチの技術だが、キミにはそういう意識はないんだろう?」
「ええ、その方が『ウマかったから』やりました。他意はありません!!!」
「ハッハッハハハーーッ!!! 面白い! 創るものもそうだが、キミは実に考え方が、面白い! 普通は使った技術や自分の技を誇るものだ。しかし、キミは『ウマかったから』だッ!!! だが、そう。本来、キミのそれが、正解だ!」
本質的に全ての技や技術は品質を高めるためにある。料理なら美味しさのため。
ならば、主張すべきは技ではなく、味の方。
しかし、人間そうはいかない。
どうしても味に、美味しさに『理由』を求めてしまうのだ。
これは、フレンチの技を用いているからすごいのだ。これが美味しいのはイタリアンのやり方を応用しているからだ、というように。
「キミは物事の本質を理解している。全ての技も伝統も、結局はより良くするための手段でしかない。どうだい? キミ、陶芸をやらないかい? 僕が教えるよ! 七星クンなら絶対、絶対面白い作品を創る。僕が保証しよう」
人間国宝にまでなった男からのラブコール。
本当なら、彼の弟子になるために長い年月修行を積み、成果を上げ、何よりも本人から認められなければならない。だが、それが難しい。
それ故、彼ほどの人間に、片手で数える程度しか弟子がいない。
「ああ、それは、ごめんなさい。自分、ラーメンが好きなもんで……」
「うん。それがいい。頂はいつもあれど、その世界は繋がっている! 互いに歩み続ける者ならば、また出会うこともあろうさ!!!」
あっさりと断る七星。フラれたというのに、笑ったままの四宮。
四宮京一郎。国宝にして、変人。独自の世界観を持つ彼は、他人にも自分なりの世界を持っていることを求める。しかし、そういう人間ほど弟子入りしない。
彼に弟子のいない所以だ。
「……っと、七星クン。私からも一ついいかな?」
二枝彼方。業界では、もっとも味にうるさい音楽アーティストと評判の彼女が口を挟む。
今は四宮サンとダベっていたのだが?と思った七星。だが、視界の端のADを見て納得してしまう。
『キミも何か一言だけ喋って!』
とボードに書いてあった。皆、一通り七星のラーメンについてコメントしたので、二枝さんも何か言えということだろう。
番組としては、出演した者、全員に、一箇所でもいいから見せ場を作らないといけない。ずいぶん、メタい現実だが、それがテレビという業界。
知りたくなかった舞台裏の真実を知ってしまった七星だった。
「はい、何か?」
「いえ、(四宮の爺さんが長くなりそうだったので、)このラーメンに浮かせてある油なのですが、教えていただいても?」
セリフの括弧がついた前部分は、巧みな編集技術で綺麗にカットされるだろう。
ともあれ、今は香味油。
「ええ、普通にスモークチキンから取った油です。皮の部分を剥いでフライパンで炒めました。そのスモークチキンチーユはトッピングのチキンを炒めた後、チキンにも塗ったハチミツ塩ダレ、ブラックペッパー、オレガノ、オールスパイスといったスパイス類をさらに加え、茶色く焦げるくらいまで高温で火入れしました」
「なるほど、それであの香り……『塩』という調味料は他の醤油や味噌と違って自分に香りがありません。ですので、塩ラーメンは香りという面で弱くなりがちなのですが、この油は見事にそれを補って余りある香りでした」
ちなみに、この香り成分を出す反応をメイラード反応という。糖とアミノ酸が反応し、香気を発しながら茶色く色づく科学反応だ。
奇しくも、その実用例の一つが、先程話に出た醤油と味噌だったりする。醤油と味噌の色が茶色い色なのは、そういう理由がある。
だが、この場合、一番分かりやすい例えが、『焼肉の香り』だ。
焦げたタレの香ばしい匂い。アレが、このラーメンからはするのだ。
そりゃあ、食欲も増そうというものである。
「しかし、コッテリドロドロしたラーメンを肉とスパイスの香ばしい香りの油で食べさせるとは思いもしませんでした。
こういう時、ギットリ感を緩和するためには、生姜やネギなどの香味野菜を使った油を浮かべるものなのですが……」
その二枝の言葉に、七星は、これは意外という顔をする。
「そうなのですか? ステーキを食べに行った時、私にとって、もっとも食欲をそそる香りと言えば、肉の焼ける匂いだと思います。ならば同じ理由で、美味しく鶏ガラスープのラーメンを食べさせるなら、やはり、美味しそうな鶏の香りのする油を使うべきでしょう? 私はそう思いました」
全ての物事は単純。普通に考えれば、普通に当たり前のこと。
なのに、常識、定例といった固定概念に捕らわれる者は、そこに至れない。
「くっくっく……ハッハッハッ……フヒヒヒヒ……くっ、いや失礼!」
やはり、四宮にはそれが面白いらしい。
気づいてしまえば、理由は問うまでもなく当たり前。なのに、見えないものには、どれだけ見つめようと見つけられない騙し絵図。
それをここまでドラマティックに、ファンタスティックにやってしまうこの男が楽しくて仕方がない。
そして、その時がやってくる。
「では、そろそろ判定のほど、お願いします!」
歓談の時の終わり。審判の時。
七星は両手を真っ直ぐ下ろし、背筋を伸ばして立つ。
美雪は両手を自分の胸の中にかき抱く。
「皆さま、それでは七星選手の得点を掲げてください!」
次回、決着。




