極トンらーめん
「らーめん……らーめんを一杯、ください………」
なんか『バスケがしたいです』みたいな客がやってきた。
『ちょっと、この人大丈夫かな?』
七星は素直にそう思う。
結構ヤバそうだけど、まあ食い逃げしたり、暴れたりする類の人間ではなかろう。
「ラーメンですね。そこにお掛けになってお待ち下さい」
七星も接客は慣れたもので、失礼な脳内言語などおくびにも出さず手際よくラーメンを作る。
今日のラーメンは、極トンらーめん。
無論これは、ただのトンコツではない。
豚のゲンコツ、背骨、頭骨、豚足に背脂を徹底的に煮込む。煮詰めていく。
その果てに現れたのはスープと呼ぶのもおこがましいほどに乳化したスライム状の液体。
タレは薄口醤油、酒、みりん。これらを混ぜ合わせたもので、昆布をゴリゴリ煮込む。
できたものはチャーシューを漬け込むチャーシューダレになる。
こうして、チャーシューを煮込んだ煮汁の残りがこのラーメンのタレだ。
麺は加水率高めの中太麺を選択。そのプニプニしっかりと噛みごたえのある麺のコシはハードに作られたトンコツスープに決して負けない。
具材はシンプルにチャーシュー、メンマ。しかし、ネギの代わりに水菜を加える。
冷水でさらされた水菜のシャキシャキさっぱりした食感は、攻め一辺倒な一杯の中で変化を与えてくれる。
「お待たせしました。極トンらーめんになります」
なにこれ?
これが志織の極トンらーめんに対する第一印象。
まず、スープがない。ほとんど麺に絡まっているだけで、掬って飲むほどない。
レンゲを握って、待ち構えていた自分がバカみたいである。
ビジュアル的にはクリーム系のパスタが近い。
しかし、それは超好意的な解釈をした場合の表現。
率直に言わせて頂くなら(食事中の方には申し訳ない)、これはヘドロだ。
スープではなくペースト、ゲルと考えた方が正しい。
これはうら若き乙女が口に入れていいものなのか?
というより、人が食ってもいいものなのか?
しかし、このきしょいラーメンの圧倒的な香りを前に志織の腹は鳴るばかり。
全財産を費やした今の自分に撤退の二文字などあろうはずもなし……南無三。
――ズル、ズルズル……ズルズルズル
「~~~~~~ッ!!?」
ああ。言葉にならない。人類はまだこれを形容する言葉をもたない。
ただ、最も近い衝動を声にするなら、『幸せ』。
これが一番近い。
口腔を、鼻腔を、食道から胃袋の中身まで全身を満たすのはトンコツ。圧倒的トンコツ。
とにかくこのゲル状トンコツスープが中太の絶妙な太さの麺に、とにかく絡むのだ。
そして、その粘度はラーメンの器を超えて、志織自身にまでも絡みつく。
なんともはやブタにがんじがらめにされているような気分だ。
だが、それは決して不快ではない。
いや、むしろ究極の快楽ですらある!?
麺だけではない。
チャーシュー……うめえ。
メンマ……うまい。
水菜……たまらねぇ。
何もかもがウマいが、特にこの水菜がスゴい。
キンキンの氷水でさらされたそれは食べている者の口内環境一瞬で変えてしまう。
一気に100のブタ状態から0にリセットする。そして、次の一口でまたブタ100に叩き返す。
この激しい快感の揺さぶりに、私の味覚神経は追従しきれていない。
『なんということ。これは明らかに私の味覚の敗北……』
紛いなりにも志織はフードルとして、数多くのグルメを食してきた。
美味しいものを求め、車で、バスで、新幹線で、時には船も使って、彼女は食べ歩いてきた。
だからこそ、自分はどんな時でも「美味しいです♡」とリアクションすることができる。
何を食べてもそう言えるのは、フードルとして絶対条件とも言えよう。
しかし、彼女はこの『極トンらーめん』を前に自分がフードルであることを忘れた。
何かとよく忘れている気がしないでもないが、とにかく忘れた。吹き飛ばされたのだ。
「こんな所に、こんな店があったとはね……私もまだまだ若い……」
勉強不足と彼女が若いこととは大きな違い、というか間違いがあるのだが、いかに常識外れなラーメンを作る七星にもそれを指摘しないだけの一般教養はあった。
度胸がなかったと言い換えてもいい。というか、それが正解。
だからと言ってもいいのか、志織は美味しく最後まで食べきることができた。
今日もお金はないけど幸せだ。
まだ満腹ではないけど心は満たされた。
さて、今日は帰って、さっさと寝てしまおう。
そして、明日から頑張ろう。
こうして、志織はカウンターに空の丼ぶりを乗せ、
「シンちゃ~ん。こっちに替え玉一つお願い!」
何だって!? 替え玉……だと?
まだ、俺のバトルフェイズは終了してないぜ!! ヒョ!?