雪那の願い
帰宅途中。帰りの電車の中、雪那はずっとショックに打ちひしがれていた。
一軒目の漬物屋の円蔵のおばあちゃん。二軒目、燻製屋のヤマオさん。三軒目の乾物屋、キタムラのおじいちゃん。
みんな、彼を慕っていた。彼もまた、みんなを慕っていた。
それは、自分の母にはなかったものだった。
母にとって、食材の納品発注、仕入れ先とのやりとりは闘いだ。
鮮度が悪いもの、形の悪いものは絶対受け取らない。その場で確認して、ダメなら持って帰らせる。すぐに代替えのものが用意できないのならば、振り込んである料金を返金させる。
納品業者もまた母との闘いだ。
料金が同じであれば、少しでも品質の悪いものを渡す。いいものは高く買ってくれるところに回す。少しでもコストダウンを、売上向上を狙う。
当然だ。向こうもそれが商売なのだから。
互いが互いに儲けようとすれば、そうなる。それが嫌なら資本主義をやめればいい。
自分たちにとって、信頼とは、金と契約書によって成り立つ言葉だ。
いつも買ってくれるから。よく利用してくれるから。
そんなものは甘えでしかない。または癒着という。
だから、雪那には七星たちが眩しく見えた。
売る者、買う者が互いに「ありがとう」と言う。
買い手は作り手の腕を信頼し、品物を褒める。
売り手も相手の目利きを認め、確かな物を売る。
互いに高め合う関係。ここに職人たちの理想郷があった。
だが、それこそが、かつての父と母がいた場所。今は亡き過去の場所。
私は戻りたかった。あの温かい場所へ。
忘れよう忘れようと思って記憶の奥底に蓋をして閉じ込めていたけど、もう限界だった。
こじ開けられてしまった。今日、この日、あの場所で、私はもう一度出会ってしまった。
忘れるのは、もう無理だ。
だから、私は決心した。あの優しい人には誠実に接しなくてはいけない。
全てを告白しよう。
そして、こう言うのだ。
「あの、七星さん! 一つ、お願いがあります。どうか――」
帰りの新幹線。
今日は、とんでもない強行軍だった。
強行軍で疲弊しきった運動不足のマサシはもちろん、終始不機嫌だった志織、まだまだ若い雪那ちゃんまでも疲れたように押し黙っている。
朝から出発して、昼過ぎに到着、京都市内、嵐山、再び京都市内と数々の観光名所を横目に、京の都を駆けずり回ったのだから当然だ。
おかげで、今日、七星は試作に使うべき一日を食材調達だけで終わらしてしまった。
それでも、僅かな時間も無駄にしてはならないと、七星は目を閉じて、一回戦を戦う『塩抜きの塩ラーメン』、その構想を練っていく。
今日、各地を巡ったことで、自分のラーメンに足りなかった塩分を補給する目途は立った。スモークチキンを買ったことで、出汁と香りの補強もできた。
スープとタレ、双方から旨みを強化して、通常のあっさり味な塩ラーメンには絶対できないことをやる。
タレのベースはアレとアレとアレ。スープはアレとアレ。やはり、ダブルスープで分けていくのがいいだろうか? いやいや、試作もまともにできていない。配合を調整するなら、トリプル、クワドラプルと出汁食材ごとに分けてしまうのもありだ。その方が、後からごまかしが効く。
それにセコイ考えだが、スープを食材ごとに細かく分けて丼ぶりで合わせた方が、見る人にとってはインパクトがあるだろうか? 戦略的にも面白い……
しかし、
「…………」
何だろう。何か違う。
最後の1ピース。何かが足りない。
自分がラーメンをつくる時に必要な、あの『衝動』のような溢れ出る気持ちが沸いてこない。心のGOサインが出てこない。
ならば、これではあの塩道美雪、『塩の雪女』には至らないのだ。
時間がないというのに……
その最後の1ピースを求めて、七星は目を閉じる。
………
……
…
東京駅構内。別れの時間。
新幹線を降りた七星たち一行。今日は、ここで解散となる。
「んじゃ、シンちゃん、また今度は明後日。ちゃんと応援は行くからな!」
「ホント、今日は疲れたわ。明日は私、寝てるから。起こさないでね」
今日は何だかんだで食べ歩きの旅。(みたいなもの)どこかへ行っては、何かを食べしていた二人は、『賄い』を請求することなく帰っていく。
賄いとは何か? 時間がある時、あの二人には、そのあたり小一時間問い詰めたい。
などと考えると、ドッと疲れた。
やはり、何も思いつかなかった。ラーメンの試作は明日にして、今日は寝てしまおう。疲れて、考えがまとまらない時に無理をしても、貴重な食材が無駄になるだけだ。
ならば、今日は早めに休んで、明日キッチリ切り替えていくのが正しい。
別れてから、私鉄に乗り換え列車に揺られていく。
先の見えないトンネル。ああ、これから自分の未来はどうなっていくのだろうか?
揺れる車両に、自分の気持ちを重ねる。
やはり、不安が消えない。
どうしてもあと一手、自分の背中を押す何かが自分には足りないのだ。
こういう時、いい仕事はできない。
と、ここで目を疑うものを見た。
隣の車両にいた人物とバッチリ目が合った。
「アレ!? 雪那ちゃん?」
なんかとっても引っ張るかたちになってしまいました。ごめんなさい。
テレビのコマーシャルカットみたいで、こういうのは好きではないのですが、今後のネタのためにこのようなやり方になりました。




