出会っちまった二人
東京某所。特に桜が見れるわけでもない、たくさんの家族連れがやってくるでもない小さな公園。やってくるのは犬の散歩に訪れる老人夫婦くらいのものか。
そんな寂れた公園は、しかし深夜になると異様な賑わいをみせる。
「でさ、俺はその変態に言ってやったわけよ!」
「何てさ?」
「幼女は触るものではない。幼女は『愛でるものだッ!』ってなぁ」
「うわ、変態が増えた。幼女逃げてー」
「さすが紳士スタイル、マルチョーさん!」
「YES! ロリコン。NOタッチ!」
「で、変態が俺にビビったおかげで、幼女は無事、逃げたわけよ」
「おおっ!? いいことをした!?」
「黄金の鉄の塊で出来ている紳士がエロ装備の変態に遅れをとるはずは無い!」
「いいハナシかな~?」
「その後、通報を聞きつけ警察がやってくるわけだ」
「もうついたのか! はやい!」
「きた! サツきた! メインサツきた! これで勝つる!」
「と、おもうじゃん?」
「俺だけ捕まったッ!!!」
「「「ですよね~!!!(笑)」」」
「っと、シンちゃ~ん! ラーメン一つ。今のハナシどう思うよ?」
と、ここで俺に振られる。
「あいよ~ラーメン了解。マサッち、これだと焼き海苔一枚オマケかな」
「おいおいシンちゃん、シケてんな~」
「奴はムショに捕まってたんだぞ!?」
「焼き海苔なのにシケてるとはこれ如何に?」
う~ん、仕方ねえな~。
「なら穂先メンマ、プラス!」「もう一声!」
「崩れチャーシュー入れてやる!」
「「「オーケー! シンちゃん、太っ腹ぁ~!!!」」」
そんなどこにでもある店主と常連客の気安い会話。
ここが個人で営む居酒屋だったら、そんな雰囲気もよいだろう。
しかし、この店はしがない屋台のラーメン屋。
飲み屋から出てきたサラリーマンを捕まえて、〆に一杯チャチャッと引っかけて、帰ってもらおうというスタンスだ。
そして、場所も都内にある深夜の公園。周囲の目もある。
あまり長居するほど心地よい環境ではないはずだ。
だからこそ店主、七星慎之介は思う。
こんなはずではなかったと。
店内は油ギッシュなラーメンオタクばっかり。
俺の求めるちょっとエッチでムチムチプリンなOLさんなんて一向にやってこない。
おかしい。美味しいラーメンを作れば、モテるのではなかったのか!?
彼が屋台でラーメン屋を始めたのは二年前。
実家の店で手伝いをするだけで、働きに出るでもない学校に通うでもない自分を父が勘当したのがきっかけになる。
当時の七星はオヤジの店を継ぐものだと思っていた。
今は現役だが、体が不自由になったら定年し、息子に店を任せるのだろうと。
だが、そんな彼に父はこう言った。
「ふざけんじゃねぇっ! お前なんかに店を任せたら、潰されっちまうだろうが!」
当然、七星は切れた。
彼は小学生の頃から、もうかれこれ十年以上店で働いている。
スープの仕込みも材料の発注も、帳簿だってつけられる。最近では二日酔いで寝込んだオヤジに代わって、一人で店をまわすこともしばしばだ。
正直、彼はキャリアだけでいえば、この年でベテランの域に至っていると言っても過言ではない。
この若さでベテラン勢と肩を並べる。
それが意味することは、七星という男は生まれてこのかたラーメンにしか接してこなかったとも言える。
できることはラーメンだけ。自分の取柄もまたラーメンだけ。
だからこそ、慎之介にとって、それを否定されることは自分を全否定されるに等しい。
「慎之介。たとえ、うちが他のバイトを雇って、そいつに店を継がせることはあっても、俺はお前に店を継がせることだけは絶対しない! ラーメンやりたいなら家を出ていけ!」
父もまた譲らなかった。
こうして、七星慎之介は家を出ていくことを決意する。
都内の安アパートを借りて。賃貸の契約では内装工事なんてできないから、乗らなくなった父のワゴン車を改造、屋台ラーメン屋にして。
彼はラーメン屋を始めた。
「お前にうちのラーメン屋は無理だ。お前は和食か、洋食か、さもなくば中華でもやれ」
父にそう言われてから二年が経った。あの言葉の真意は未だ分からない。
「……ああ、やっちまったかな?」
どうも今日はスープも、頭の中の考えも、少々煮詰まっているらしい。
東雲志織は今日も飢えていた。
フードアイドルの営業は店に直接飛び込むこともあるが、基本的にアイドル募集の飲食店に応募していくかたちが多い。
その際、他のフードル(フードアイドルの略称)とかち合うことも多々あり、そんな時はコンペ形式で争うことになる。
で、今回も見事に負けてきたわけである。
「チックショー……なにが『ん~と~このワンタンはプルプルです♡』よっっっ! あんな頭の中身がないオッパイ女どこがいいのよ!」
まったく、あんな乳脂の何がいいのか。
男って、みんなバカばっかり。
「う~早くスポンサーする相手見つけないと……」
最近の志織の仕事は、今度開催される『イケ麺コロシアム』。そのラーメン部門の参加者を探し出すことである。
昨今のグルメブームに便乗して始まったこの番組。高視聴率に支えられ大会を開催した数も10回を超える。
しかし、度重なる開催から徐々に弾がなくなってきたのである。具体的に言えば、視聴率を稼げそうなウマイ店の参加希望者がいなくなってきたのだ。
どういうことかと言えば、もうすでに知名度のある店はどこも自分の経営が安定しているから相手にしてくれない。
かと言って、どこにでもあるたいしたことのない店を参加させても視聴者は面白くない。
つまり、かくなる上はどうにかして、
『世間に知られていない幻の名店を探し出せ!』
それが事務所のボスに与えられた指令であった。
無茶苦茶だ。幻なのは、キチンと幻たる理由があって世間に広まらないのだ。
そして、大体がその幻のベールを解いてしまうと名店が迷店になっていってしまうもの。
触らぬ神に祟りなし。藪をつついて蛇を出す必要なし。幽霊の正体見たり枯れ尾花。
ああ、昔の人はよく言った。
それをあのバカ社長はまったく理解していないのだ。
バコッ!
苛立ちがてらに電柱を蹴り飛ばす。
なんとも酒も入っていないのに、酔っぱらっているみたいな女である。
だが、酒が買えるような金など、この女にはない。
今もバス代をケチって歩いているくらいである。
残金700円。
これが今の志織の全財産である。
これで今月を過ごさなくてはいけない。あと三日ある。
これは最低でも今日、できれば明日も飯抜きで過ごさなくてはいけないだろう。
まず、今日のところは、公園で水でも飲んで、腹を膨らませる。
それが今の自分にできる最善だ。
朝十時過ぎればスーパー(の試食コーナー)もオープンする。それまで空腹を耐えろ。耐えるのだ東雲志織!
だが、その選択が彼女にとって、本日最大最凶の失策となる。
やってきてしまったのだ。
そう、あの公園に。七星慎之介が屋台を出しているあの公園に。
むわりと漂うトンコツスープのマッチョな香り。
油、脂、肉、ニク、豚、ブタ、ブタァ!!!
ヤバイ。今、彼女は細胞レベルで震えている。
「ああ……ああ…………。ふざけるなぁぁぁッッッ!!!」
本日のラーメン『極トンらーめん:700円(税込み)』
そんなもの。耐えられる……耐えられるわけがなかろうがっ!
七星慎之介という男は日替わりとまではいかないが、ちょいちょい味を変える。
塩、醤油、味噌、魚介に豚骨、鶏ガラと節操がない。
これが昔ながらの中華そばであったら、東雲志織は耐えて見せたであろう。
もし今日のラーメンが魚介系塩ラーメンなら、鶏ガラスープの醤油ラーメンなら、海老出汁の味噌ラーメンであったとしても……彼女はきっと我慢できた。
でも、これは無理。朝から何も食べていない、一日中歩き通しだった彼女に、これは無理。
「らーめん……らーめんを一杯、ください………」