05
■五日目
「うーん……」
黒駒は朝から微妙な顔になっていた。
服を着替えて食事を済ませ、本日の練習の前に市場をメニューで確認してみると、絶対に売れるはずのない金額で置いていた制作級装備、〈断罪の蜘蛛の呪糸〉が売れていたのだ。
〈断罪の蜘蛛の呪糸〉は強化素材である〈叡智の結晶〉を惜しみなく成長限界まで使った〈暗殺者〉専用の武器である。〈大規模戦闘〉攻略でしかレシピが手に入らないため、苦労したのを覚えている。
(……金貨65万とか普通出せるの? 盗まれた訳じゃないよね?)
65万とは、〈断罪の蜘蛛の呪糸〉の値段に設定しておいた金額である。端的にいえば、そこそこの中人数ギルドの全資産くらいに相当する。
なので、まず買う人間なぞ居ないと思っていたのだが――それが裏目に出た。
ガラス製の武器というと弱そうではあるが、黒駒が持てるだけの素材と時間を惜しみなくつぎ込んで限界まで強化した逸品である。
どの生産職でもそうなのだが、サブ職を極めたプレイヤーが製作し、彼らが限界まで鍛え上げた武器の威力は下手なクエストやレイドでドロップする武器より格段に強くなることが多い。〈刀匠〉の生産する武器などが有名な例だ。勿論、この武器もその例にもれず、かなりの能力の攻撃力を持っている。
――正直な話、アップデート記念でネタで出していただけなのだが。
無料おためしキャンペーンで新人も増えてきたし、ささやかながらのギルドのアピールという意味も込めて市場に出したのである。
金銭を溜め込んでいてもこれほど持っているプレイヤーはまず無い。
例え金銭を持っていても、そのような人間はこれに相応する武器を既に持っていることが多いため、市場でほったらかしてても引き上げなくとも特に問題にないであろうと思っていたのだが――どうやら考えが甘かったようだ。
「気持ち悪いなぁ……」
思わず言葉に漏れるくらい、『現状でそこそこの人数のギルドが余裕で1個吹っ飛ぶような金銭を何処から用意したのか』が一切不明な所がなんともいいがたい。
受け取った金貨は自動で銀行に直接入るようにしているため、金貨を誰かにどうこう、ということはないのだが、肝心なのは――購入者がどう使っているかである。
単に己に足りない技量を火力で補うだけに買った、とかならまだ良いのではあるが――武器の特性を考えるとまだ身動きが未熟な者を狙ったPKに使われている可能性も否定できない。
(……まさか、ねぇ)
考えが気持ち悪い方向に走る。製作者としては、限界まで鍛え上げた最高の武器を殺人の道具に使われると考えると、あまりいい気分にはなれない。
むしろ、間接的に自分が殺した事になるのだろうか――?
誰かに相談――それこそアイザック辺りに相談する案件のような気もするが、向こうはギルド単位でこの状況に身体を慣らしている真っ最中であろう。そこに昨日の今日で厄介事を持っていくのも水を差すみたいで悪い気がする。
黒駒は一年ほど前のことを少し思い出した。あの時〈黒剣騎士団〉を脱退した時から、自分はもうあの場所の人間ではないのだ。
できる事はなるべく自分でなんとかした方がいいにこしたことはない。
黒駒は市場の商品取引ウィンドウを再度開ける。
全ての商品を市場から引き上げた後、ウィンドウを閉め、ガラス窓の向こうを見た。
アキバの街はまだ朝だというのに、壁向こうの冒険者達は、日々生気を失ってるようにも見える。
彼らの姿は、『ファンタジー世界の冒険者』より『煉獄の亡者』といった方が相応しい気がした。
黒駒は少し考えた後、倉庫に向かった。
外に出るため、普段の生産用の作業着から戦闘用の衣装に変えようとしたが、いざ着てみると自分がとんでもない格好になっていることに気づく。
ゲームで装備する時は着るのはアバターなので何とも思わなかったが――自分が着て外に出るとなるとためらわれる。いくら現実より顔やスタイルがよくなっても恥ずかしいものは恥ずかしい。
黒駒は慌てて装備を外してコンテナにしまい込むと、別の装備を物色する。
ゲームの時に使っていた装備に比べると能力は劣るが、それでも外に出ても恥ずかしくない装備に着替えた後、マジックバックを腰にぶら下げる。万一の時に備え、金貨とアイテムの所持は必要最低限に留めておいた。
――そして、意を決して、ギルドホールの外に出る一歩を踏み出した。
正直、黒駒自身、PKやモンスターとの戦闘になっても無事やり過ごせる自信もなければ、〈断罪の蜘蛛の呪糸〉の購入者に関する情報を手に入れられる自信もなかった。
だが、ひたすら籠もって訓練してるよりは、今は外に出て少しでも情報を手に入れる方がよっぽど建設的な気がした。
物理法則を無視したドアだらけの廊下を歩き階段を降りて、ギルド会館を出た後は、黒駒はアキバの街の大通り方面へ歩く。
街の風景自体はゲーム時代のモデルとほぼ変わりがないが、やはり街を包む空気が重い。
所々の隅に座った冒険者達は覇気が無いというか生気が無いというか――そんな感じだ。
突然、背後から大きな叫び声が聞こえたので驚いて振り向くと、瞬間移動のように衛兵が出現しているのが見えた。ただ、諍いは路地奥で起こっているらしく黒駒の視界には衛兵にターゲットされた人物に何が起こっているかはまったく見えない。
(やっぱ衛兵出てくるんだ……)
街中がゲームと同じように戦闘不可で衛兵の処罰が下されるなら、別に着替えず作業着のままでもよかったかもしれない。
黒駒は改めて街の中を見回す。件の〈断罪の蜘蛛の呪糸〉を装備していそうな人物を探すためだ。
データマスクされるとは言え、腰にワイヤー束をぶら下げるタイプの武器なので剣を下げている人間よりは目立つはず――しかし、一向に見つからない。
そうやって他の冒険者の武器を検分しながら歩いていると――真正面から来た冒険者に派手にぶつかった。
「お前! どこ見てんだ!」
「……よそ見してまして……すみません」
黒駒はぶつかった主に慌てて謝って頭を下げると、相手の腰にはワイヤー武器が装着されていた。
すかさず顔を上げ、額に集中して相手のデータを見る。暗殺者レベル52。
――確実に違う。〈断罪の蜘蛛の呪糸〉の装備可能レベルは80からだ。
「ぶつかっておいて何だよ、その目は? 頭おかしいのか?」
「……すみません」
黒駒は内心めんどくさいと思いながらもう一度謝る。相手はレベルを見る方法も理解できてないのか。それとも、ゲーム違って現実のように脅せばレベル差があっても何とでもなると思ってるのだろうか。
「……なんだよ、お前俺を舐めてるのか?」
暗殺者の腕が胸ぐらを掴みにかかってくるが、反射的に黒駒は二歩後ずさった。結果、相手の腕は黒駒に届かず大きく振り上げられるだけで終わる。
(舐めるとか以前の問題なんだけど……なぁ)
「お前ふざけてんだろ!ああ?偉そうに澄ましやがって!」
暗殺者は腰のワイヤー武器に手をかけてあからさまに脅してくる。レベルと装備の差から考えて、もし技を叩き込まれても自分が一撃で死ぬとは思わないが、ここはアキバの街中、確実に衛兵が出現してしまうであろう。
もし衛兵のステータスや行動がゲームの仕様そのままだと、例え幻想級持ちプレイヤーでも確実に殺されるキリングマシーンだ。死んでどうなるかも解らない状況で、下手をうって巻き添えになるのは勘弁したい。
――その一触即発空間の中、救いの主は現れた。
「お、ひょっとして黒ちゃん? 久しぶり、元気してた!?」
二人の間に割り込むように狼牙族の女性が耳をピコピコ揺らして小走りで駆けてきた。
その声には黒駒にも聞き覚えがあった。レーヴェンという〈黒剣騎士団〉でも数少ない女性プレイヤーだ。
彼女とも何回か〈黒剣騎士団〉のオフで会っているのだが、女性にしてはかなり背が高く、ほっそりとしたアバターと現実の姿がさほど変わらなかったので驚いた憶えがある。そして今は顔も含め、さらに現実寄りになっている。
「しっかし、アンタクソ偉そうだけど何様? 黒ちゃんの知り合いには見えなさそうだけど?」
レーヴェンは背中に大きくプリントされているエンブレムを見せつけるようにマントを翻すと、男は舌打ちしてその場から離れる。
それを見て、ようやく黒駒は息を吐いた。
「団長から元気にしてるって聞いてたけど、ホントに黒ちゃんなんだね」
そのままなにもなかったかのようにレーヴェンは黒駒に抱きついてひたすら頭と頬を撫で回す。
黒駒としては今まで一触即発だった状況をぶち壊すように撫で繰り回されるのは勘弁して欲しいのだが、助かったし仕方ないと諦める。
「それにしてもさ、いつもの格好じゃないから最初誰かと思った。あの色々はみ出しそうな服じゃないし」
「……いくら強くても流石に今あの格好は……」
「まあねぇ。最近あの手の何も考えずに絡んでくる馬鹿多いし無難な格好が賢明だよ。アタシも自衛のためにこんなダッサいマント付けてるし」
レーヴェンは昔全員で作ったギルドのエンブレムの入ったマントをつまむ。確かに〈黒剣騎士団〉しか持っていないマントを着けているならヘタに絡まれはしないだろう。
「とりあえず、移動しよっか。ここだとゆっくり話できないし」
ふたりは〈銀葉の大樹〉まで歩き、隅の方の木陰に座った。ゲーム時代は待ち合わせ場所のメインスポットだったのに今は驚くほど人がいない。
「んで、黒ちゃん今まで何してたの?」
「今まで……? ギルドホールの中でアイテム作ったり、身体動かしたり召喚術コントロールする訓練とかしてた、かな。そうしてたら食料が無くなったから買い物に出て来たんだけど……」
「ああ、黒ちゃんとこのギルドの部屋、ガラスで街がまる見えだったっけ……そりゃ外の騒ぎ見えてたらあんま外出ようと思わないか」
レーヴェンは納得したように頷いた。流石に彼女に〈断罪の蜘蛛の呪糸〉の話をすると迷惑をかけそうなのでその辺は黙っておく。
「ひとりだけど元気にやってる。レーさんは?」
「その件なんだけどさ……アタシら、と言うか黒剣女子ほとんどだけど……近々ギルド出ていこうと思ってるんだよね」
「えっ? ギルドでなんかあったの?」
「いや、なにもないけど……ああ、でも将来の結果的にはそうなりそうなトコまで来てるか」
レーヴェンはため息を付いて空を見上げる。黒駒もつられて見上げると、空はまるで現実のように青い色で、雲が流れていた。
「アタシら、ゲームじゃなくてこの身体になったじゃん。でさ、やっぱ黒剣って男ばっかだし居づらくなった子がいてさ。正直、アタシもずっとあの場所にいるのはちょっと辛い」
「……そっか」
――『ネット上の関係』と『人と人の関係』は違う。
今までのコミュニケート手段は声と文字とゲーム上での動きだけ、だからこそお互い性別など関係ないで通していける部分もあった。
しかし、目の前で人と直接話すのとは根本から違う。
ネット回線というクッションがあったからやり取りできたことも多い。しかもお互い美形化のおまけ付き。微妙な空気になる人間もいるに違いない。
(……んー、やっぱ直接人と話すの苦手な人もいそうだしなぁ)
昨日のアイザックから察するとまだ『その空気』には気づいていないのであろう。もっとも、気づいてる暇もなさそうである。
現状周りに全く人がいない黒駒自身もその辺りはそれほど考えたことはなかった。
「それとさ、もうひとつ居づらくなる問題があって……」
レーヴェンは辺りをぐるりと見て誰も近くにいないことを改めて確認した後、黒駒にそっと耳打ちした。
内容は、女性特有の生理現象の発生。人前で言うには少々生々しい内容だった。
「……冗談でしょ?」
「ホントだって。その子は今自室に籠もってるけどさ……」
レーヴェンは話を続ける。
「男どもが『精神的にまいってるんじゃないか』って気にし始めたから困っててね……いつ終わるかすら解らないから」
本日レーヴェンが他のギルドメンバー達とフィールドに出ずにアキバに残ったのも、彼女や自分達が今後お世話になるであろう代替え品を探すためらしい。
「隠しきれる限界も近いし……早く移動したいんだけどね」
レーヴェンがため息をつく。
ゲーム時代にはサバサバした姐さんポジションの人物であったが、今見せるその顔は妙にしおらしい。環境の変化で人はこんなに変わるのか。
「で、結局みんなどこに行くの? 新しいギルドでも作るの?」
「それがさ……〈西風の旅団〉が受け入れてくれるって話になって」
「西風ってそんな簡単に入れたっけ……黒剣よりメンバー選抜厳しいはずだし人も少ないはずだよね、あそこ」
黒駒の記憶では〈西風の旅団〉は元〈茶会〉のメンバーの1人、〈剣聖〉ソウジロウを崇拝する女性レイド集団だったはずだ。
しかし、ヤマトサーバー女性プレイヤー人気圧倒的ナンバーワンである彼にお近づきになりたい『ソウ様教信者』があまりにも多いため、一般には門戸は開かれず、ソウジロウ本人による鶴の一声か、彼らの側近に気に入られるかのどちらかではないと入れないという話を聞いたことがある。正直、テスト制の〈黒剣騎士団〉に入るより難しいはずだ。
「アタシらもダメもとだったんだけどねぇ。……でも、レイドギルドってそんなにないじゃん」
「ん、そだね」
戦闘ギルドと言えば、〈D.D.D〉や〈ホネスティ〉もあるが、あの2つのギルドは人数が多い。どころか、今からの〈黒剣騎士団〉からの鞍替え加入は逆に浮いてしまう可能性が高い。
「……向こうさんも、アタシ達みたいなあっちのギルドマスターに興味のない女性レイダーが入る事を望んでるみたいだしね」
その言葉に、黒駒は得心した表情になる。
向こうのギルドも回線越しではない『人と人の関係』になった分、麗しき黒一点のギルドマスターに何をしでかすか解らない人間が一気に増えた、そんな辺りか。
「しかも、このどさくさで向こうも入団希望者が殺到してるみたいだし、私ら使って改めて加入にはそれなりの実力が必要って事をアピールしたいのかもね」
「……どこも大変だねぇ……」
黒駒はなんともいえないような表情でマジックバッグから水筒を取り出し、味のない茶をちびりと飲む。
正直な話、彼女達も数ヶ月後には立派な『ソウ様教信者』に変化してそうだが――その辺は自分の知るところではない。
「そういや、黒ちゃんは黒剣に戻らないの?」
「なんで? 私、自分のギルドあるし」
「いやいやいや。今の状況でひとりだけってのは流石にギルドって言わなくない?」
「まぁでも、そっちみたいに人間関係になにか起こる可能性がある訳でもないから、これでもいいかなって」
「……っていうか、団長がてっきり『戻って来い』って言ってると思ったんだけど。……あのアホ団長、他の強いプレイヤーにはコナかけてるのになにやってんだか」
「こっちから辞めた身分だしね。声かける理由もないよ」
黒駒のその言葉にレーヴェンは何も返さず、どうしようもなく呆れた顔をしただけであった。
「……黒ちゃん、どうせだし、一緒に西風行く?」
その言葉に黒駒は静かに首を振る。
「向こうさんのオーダーはあくまで『黒剣騎士団所属の女性プレイヤー』。私はただの小さな生産ギルドの人間」
「1年前までは黒剣の幹部には変わりないじゃん」
「あくまで『元』だから。それにその辺曖昧にしちゃうとまとまる話もこじれるからやめといた方がいいよ」
「そっか、ゴメンね。ひとりで辛いなら連絡してよ? すぐ行くから」
レーヴェンは申し訳なさそうに黒駒を再び抱きしめた。
その後、レーヴェンとは屋台街の近くで別れた。
彼女は、『大地人しか使っていない店を探す』と言って、今までのゲームでは進入禁止だったはずの路地に消えていった。アップデートの影響のせいか、知らない間にアキバの地理も変わっているようだ。
それと、彼女と歩いている間も周りの冒険者をそれとなく確認していたが、ワイヤー系の武器を持っている人間は先ほど絡まれた冒険者以外、全く見かけない。ゲーム時代でのワイヤー系武器は中二病的な人気があり結構装備してる人間も多かったのだが――。
(そりゃそっか。自分の手で直接使うなら剣や弓使うより扱いめんどくさそうだしなぁ……)
幸先はどうしようもなく暗いが、それでも、ひとつだけ朗報があった。
先ほどレーヴェンから聞いたのだが、食料に味はなくとも、果物と野菜という素材アイテムはそのままの味がするらしい。
しかし、買おうとしてもどこの店でも値段が上がっている上に売り切れていた。皆考えることは一緒と言うことだろうか。
素材アイテム以外は何を買っても無味湿気煎餅だと思うとかなり買う気が失せるが、腹は容赦なく減るのでまた外に出るにしても、ギルドに籠もるにしても食糧は補給しておいた方がよさそうだ。
とりあえずは、パンの屋台で〈ふんわり白パン〉を買えるだけ買った。味はないが食感的にはまだ似てる気がするのでせめてもの抵抗である。
毎日食事が同じ白パンも味気ないが、見た目だけで必要以上に高い金銭を払うのも空しい。
(ホント、これからどうしていけばいいんだろ……)
世界が一転してからようやく5日。
この狂乱に巻き込まれた多くの冒険者の1人、黒駒。
その冒険者の長い冒険はまだ始まったばかりであった。