04
■四日目
もはやノルマと化したギルドホール内運動・召喚獣コントロール・精製ガラス塊作りと朝の内に3つの特訓を終わらせた後、黒駒はリビングで〈マルゲリータピザ〉という名前と形だけの味がしない湿気煎餅を悟りを開いたような顔で食べていた。
「おう、なんかきめぇ顔になってんぞ」
緩みきった状況に響いた突然の来客の声に黒駒は思わずむせる。
「なに……ゴホッ、し……ゴホッ!」
「……お気にせず飲み込んでから話して下さい」
声の主は初日に連絡をくれた昔からの友人、そしてそのギルドの倉庫番――〈黒剣騎士団〉のアイザックとレザリックであった。
「……注文?」
「おう」
黒駒の自室、まるで自分が部屋の主だといわんばかりに大股を広げてソファーに座ったアイザックが注文内容を伝える。
一定の強度の障壁を貼る〈浄破璃の護石〉と、水薬の効果範囲を大きく広げる〈美姫の酔杯〉――どちらも結構な高級消費アイテムだ。
「実は、少しまとまった量が必要になりまして」
レザリックの言葉の端に胡散臭さを感じて黒駒は眼を細める。
「あれ、『こうなる前』の前日に結構売ったよね?」
こうなる前、とはこの騒ぎ、4日前の事件のことだ。
〈秋葉切子〉は、新アップデートで追加されると発表されていた大型レイドへの一番乗りを目指していたはずの〈黒剣騎士団〉に、戦闘中に消費されるアイテム類をそれこそ『まとまった量』でアップデート前日に売っていた。
「……在庫が無くなりました」
レザリックの言葉に黒駒の目がますますジト目になり、隣のアイザックの顔を見る――だが、その表情は事実を言いたくなさそうに憮然としていた。
「マジだ」
「この近辺でそんな物騒な新クエストでもはじまったの?」
「違ぇよ、外のエリアで戦闘に出たらスグに使って無くなっちまった」
「って、ここ近辺なら普通の雑魚モンスターでしょ? そんなのに消えるアイテムじゃ……」
その言葉にアイザックは反射的に噛み付かんばかりに前のめりになり、黒駒を睨み付ける。
「……っ、お前、今の状況になってからちゃんと身体動かしたコトあんのかっ!? つーかよ、ここから一度でも出たコトあんのかよ!?」
その言葉に黒駒は自分の失言に気づき、酷くバツの悪い顔になる。
確かに訳の分からないゲームの世界に入ってここ数日、現実と体格差の違和感で肉体感覚が狂っているのは確かだ。――黒駒自身は現実の体格差がまだ酷くはない方ではあるが、現実と違う体格、それどころか性別すら違う者ならそういう訳にもいかないだろう。
歩行や簡単な召喚獣コントロールなら籠もりきりの黒駒ですら出来るようになってきた。だが、敵も味方も秒単位で判断し動く戦闘ではそうもいかないのは想像に難くない。
「すまん、熱くなっちまった。……でもよ、死んじまうよりはよっぽど安いからな……」
気まずい沈黙が流れた後、レザリックが口を開く。
「この状況になってから、市場からアイテムを引き上げている生産者も増えまして。それで、まだ市場から商品を引き上げてないギルドであるこちらに直接交渉に来ました」
「他のギルドにも色々アイテム頼んでんだが、どこも出し渋っててな……」
「……そっか」
こんな状況だしね、と黒駒は呟く。
現状何が起こってるか解らない以上、生産ギルドがアイテムを出し惜しみするのは当然であろう。
逆にフィールドに出ようとするギルドは保身のためのアイテムが欲しい。あの市場の商品の速い減りも含めて考えると需要と供給が完全に崩壊してしまっているのだろう。
「……ん、そうだね……在庫品だけで構わないならゲーム時代の正規価格でいいけど」
「マジか!?」
一気にテンションの上がったアイザックを押さえるように、残り2名が両手で止める。
「ただし、条件がひとつ。ドロップや採取で拾える素材アイテムに使えるものがあったら、こっちに流してくれないかなー……って」
「素材と言われましても、今の我々では価値の低いものしか拾えませんよ? せいぜいベースの素材程度です」
「それでも素材が手に入らないよりマシだしね……」
「まぁ、その辺は仕方ねぇか。このご時世にゲーム時代の適正価格で売ってくれるンだからそれぐらいの条件は飲まねぇと」
かくして、〈大災害〉後初の〈黒剣騎士団〉と〈秋葉切子〉間の商売取引はなされたのであった。
「それと……もうひとつ都合して欲しいものがあるンだけどよ」
「なに?」
アイザックの言葉に、黒駒はギルド内の在庫管理ウインドウから視線を外し、まじまじと顔を見てきた。
口を開き、商品名を口に出しかけたが、言葉を飲み込み『今のナシ』な勢いでブンブンと手を横に振る。
「あっ、やっぱいい。いらねぇ」
「……ふーん。じゃ、倉庫から取ってくるから待っててね」
黒駒はその表情に一瞬いぶかしんだ顔をしたが、そのまま立ち上がりプライベートスペースのさらに奥の倉庫部屋に向かっていった。
そして倉庫の中に入った黒駒を確認した後――レザリックは己のギルドマスターの顔をちら、と見る。
「結局言いませんでしたね、EXPポットの件」
「……ああ。大体こんな小せぇ個人ギルドに在庫があるとは思わねぇしな」
「そういうことにしておきましょう、お互いのために」
おめぇ解って言ってンだろ、とアイザックは小さく呟いた後口をへの字に曲げた。
アイザックが聞いて知る限りではあるが――黒駒はたまに初心者に金銭代わりにEXPポットでアイテムを売っていたはずである。
この行為は俗に〈ポット売り〉と呼ばれるもので、EXPポットを店で売る値段より少し高めのアイテムとトレードする行為である。
〈ポット売り〉は、生産系サブ職を行う者なら大体のプレイヤーが行っている行為である。初心者は店で売るより高めのアイテムが手に入ってラッキー、高レベルプレイヤーには万一の切り札になり得るEXPポットが手に入る――お互いがよっぽど足元を見たことをしなければ利害は一致して問題はない行為である。
基本人見知りなくせに新人や年下に結構甘いこの友人は、個人にしてはそれなりの数のEXPポットを溜め込んでいる可能性がある。
――しかし、だ。
言葉にして出せば確実に使用用途がバレるだろうし、その上で話がこじれでもすれば、ようやく修復した関係が再び険悪になるどころか、今のアキバでも数少ない最高レベルのレア生産職人とのコネ、そして自分が〈黒剣〉を手に入れるもっと前の時代からの一緒に死線を潜り抜けた戦友を完全に失うことになることになるだろう。
――理屈を解こうにも、この世界に外から見れる攻略WIKIは存在しないし、NPCでもない人の心なんてなおさらWIKIなんかで解るわけがない。
4日前の〈大災害〉が起きてから、全てが変わった。
ヤマトサーバーにこの人有りと呼ばれる〈守護騎士〉であり、最強精鋭と名高い〈黒剣騎士団〉のギルドマスターであっても、どれがより最良の判断かはまだ全く解らなかった。
「こういやこれ、追加分作れンのか?」
荷物と金銭の受け渡しを終えた後、出た言葉に黒駒は少し首を捻る。
「素材の残りは問題ないけど……ちょっと作るのに問題がありそうで」
「なんだそりゃ? ひょっとして作ったらアイテム効果とか変わったとかか?」
食い物も見かけだけで腹しか膨れねぇクソマズメシになってるしな、と付け加える。やはり、食事面はアイザック達も同じように辟易してるようだ。
「効果?ああ、その辺も調べとく……とにかく、なるはやでなんとかできるようにするから」
生産職ではないふたりに『現在手動でアイテムを作らなければいけない』といっても今すぐ信用してもらえるだろうかは不安なので、その辺りは伏せておく。
「そっか、できたらまた連絡くれ。……じゃ、この貴重品は大事に使うわ。ありがとな」
アイザックは鞄をポンと叩き、人好きのする太い笑顔で笑った。
「そっちこそ、気をつけてね。私のこと知ってるみんなにも言っておいてくれると……うれしいかな、って」
「りょーかい。元気にやってたって言っておく」
そして、黒駒はホールの玄関口までふたりを見送り、手を振った。
(なんか、ふたりとも顔つきビミョーに変わってたよなぁ……)
来客が無事帰った後、黒駒は制作済みのアイテムの在庫を確認しながら両名の顔を思い出す。
アイザックとレザリック、両者ともに黒駒とオフ会で何度も顔を合わせている人物であり、現実の顔もよく知っている。
彼らの顔は、ゲームのアバターがベースになっているものの、両者とも現実の顔をなんとなく思い出させる顔立ちに変化していた。
(そういや、自分の顔、こっちに来てからちゃんと見てないな……どんなになってるんだろ)
倉庫から出て来た後、気になって自室のパーソナルエリアにあるドレッサーを覗き込むと――昼間に会ったふたりと同ようにアバターをベースに自分の面影が混じった顔がそこにあった。
(……前より美人だしスタイルも良くなったから良いかな……)
黒駒はそのままベッドに入るために服を脱ぐ。
服のまま寝てもいいのだが、どうもガラスの作業をした格好のままで寝ると、ベッドのあちらこちらに細かいガラスの破片が付きそうでためらわれる。実際はオートで綺麗になってるようなのだが、やっぱり気になるので仕方がない。
服の埃を軽くはたいてハンガーに掛ける時、黒駒はもう一度ドレッサーをのぞき込んだ。映り込んだ自分の肉体を見ると、腹周りの肉のなさと脚の長さにあらためて驚く。この辺だけはこの世界にきてよかったと思える部分かもしれない。
その後はベッドに潜り込んで抱きまくら代わりにサラマンダーを召喚し、ぬくもりに少し安心しながら眠り込んだ。