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秋葉切子奇譚  作者: 沢邑ぽん助
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02

 ■二日目


 黒駒は目を覚ますと、ガラス壁の向こうに見える、アキバの街の朝日が差し込んで部屋の中を明るく照らしていた。

(やっぱり、現実なんだ……これ……)

 目を覚ました場所はパソコンの前でもなく、家の布団でもなく。ゲームでのギルドホールにある自室のソファー――まごうことなきゲームの部屋の中のままであった。

 身体も服もやはり昨日と同じ姿のままだ。しかし、リアルであるような二度寝したくなるようなけだるさは全く感じず、今すぐでも走り出せそうな充実感があった。ちゃんとしたベッドで寝ず、昨日全く飲み食いもしていないのに、だ。

 仕事から帰って即PCを立ち上げてそのままゲーム、そのあとは日付が変わる頃までゲームをするような現実の日常では感じられない感覚だ。


 いきなり健康になったらこんな感じなんだろうか、と思いながらソファーから起き上がり、立ちがあろうと足を踏み出した。

 しかし、まだ身体に慣れてないせいか、そのままバランスを失って前面のテーブルにスネをモロにぶつけた。痛みよりも派手な音を立てるテーブルに驚く。

(痛いことは痛いんだけど……)


 ――それほど痛さを感じなくて逆に気持ち悪い。


 昨日からそうだったが、身体をぶつけても衝撃はあるのだが、ゲーム内の身体の丈夫さが反映されてるせいかそれほど痛さを感じることはない。体格もゲーム基準のせいか動かす勝手が違う。その辺りをすべてひっくるめて現実感が薄く、気持ち悪い。

(ゲームの身体は脚が長いから感覚が違うのかもしれないなぁ……身体も現実より細いし)

 昨日はその場でずっと座っているか寝転んでいるかだったし、奥のベッドでなくソファーで寝てしまった。

 とはいえ、いつ終わるか解らない状況をこのままにしておくのも違う気がする。なにもしない理由にはならない。

 そのためにはまず、転ばないように歩く練習をした方が良さそうだ。



 まずは自室をぐるりと一周するようにゆっくり歩いてみる。

 最初こそおぼつかない足取りで何度もつまずいたり壁や家具にぶつかったりしたが、何周か歩くと脚の感覚にすぐに慣れてきた。

 次は部屋を出て誰も居ないギルドホール内を一周し、階段の往復。さらに慣れてきたら早足でまた同じルートを繰り返す。もう少し慣れたらさらにスピードを上げる、の繰り返しだ。

 ひとりで無人のギルドホールをグルグル歩き回ることにだんだんむなしさを感じてきたが、いざ外に出てなにかあるたびに転ぶのも嫌なので仕方がない。

 これが友人のいうように夢ではなく現実なら、対応できるように努力するしかないのだ。


(まったく、とんでもないアップデートだよね……)

 ギルドホール内の部屋移動も十分慣れてきたので、レンタル用に解放していた一階の作業部屋のひとつを開けるためにガラス職人用の設備家具を片付けに入った。

 一見大きい道具家具でさえ、あっさり鞄の中に入るので拍子抜けする。

 ただ、鞄の積載量にも限界があるらしく、一度に全てを持っていくことはできず、一階のレンタル用部屋と二階の自室奥にある私物倉庫を何度か往復して、ようやくコンテナの中に部屋の全てしまいこんだ。


 家具を片付けた後は、メニューを開いて部屋の設定を戦闘可能に変更する。

 そして、メニューから〈火蜥蜴〉(サラマンダー)を召喚してみる――すると、小型犬サイズのサラマンダーがポンと現れた。

「うーん……思ったより小さい……?」

 最初は大きい召喚獣を召喚することを考えたが、家具の配置の問題で広めに取っている作業スペースとはいえ、怖いことになりそうなのでひとまず小さめのサラマンダーを選んだ。

 自分の手持ちの扱いにはなるべく早めに慣れたいところであるが――とりあえずは基礎からまともにやらないと今後ろくなことにならないだろう。モニター越しに遊んでいた時の教訓も含めて、である。


 鞄から自分の武器のひとつである〈生命を歌う指揮棒〉を取りだし、あくびをして指示を待機しているサラマンダーに向かって、メニューと同じように頭の中で指示を出す。

(前に進め)

 そう念じると小さいサラマンダーがよちよちと前に歩き始める。

「……ホントに動いた……!」

 その動きに感心して思わず口から声が出る。一方のサラマンダーはいつの間にか部屋の先までたどり着き、次の指示を待つようになんともいいがたい鳴き声を出した。

(右)

 念じると同時にサラマンダーは右方面に90度ターンする。

(……左)

 次は進む方向から左方向に90度ターン。つまり、再び壁方面に向き直る。

(頭で考えるラジコンみたいなものかな、これ……ということは……)

 黒駒は召喚解除を念じてみる――すると、サラマンダーは一度鳴いてからスッと消えた。そして再び脳内で召喚を念じてみると、サラマンダーは再び現れる。

(……ひょっとして、これ、メニュー使わなくても召喚出来るっぽい、のかな?)


 その後、自分が歩いたようにサラマンダーも部屋をぐるぐる歩かせたり炎を吐かせたりしてみる。ときおり意識がほんの少し引っ張られる感じがするが、これはMPを消費した感覚だろうか。

 幸いにも今はひとり、人間関係に時間を裂かないで済む分、練習する時間は十二分に確保できる。

(むしろ今だからこそ、一通りのことが出来るように練習しておかないと……)

 ゲームに似た世界、己の姿、昨日の念話、見た光景、召喚獣、そして――目覚めても覚めない夢。

 ――もはや黒駒の中には、これを現実と受け入れ腹を括って前に進むしか選択肢はなかった。



 その後も身体を慣らすためにしばらく運動をしていると、お腹が空く感覚が出てきた。

 昨日は混乱しすぎて食事のことを考える余裕すら無かったのを考えると、少しだけ自分が落ち着いてきた証拠かもしれない。

 とりあえず昨日アップデート前に買い込んで鞄に入れたままであった〈パストラミサンドウィッチ〉と〈搾りたてオレンジジュース〉を取りだし、食べる――だが。

 両方とも見かけと違い、味が一切なかった。香りもなく、ドリンク類も色の付いただけの蒸留水を飲んでるようで、実に味気が無い。

 黒駒はふやかした煎餅のような食感がするサンドウィッチを食べ進むうち、現実世界で食べたクソ不味いダイエットフードをなんとなく思い出した。

 あの妙に甘ったるくケミカル臭い味と無味無臭はどっちがマシであろうか、味があるだけあっちの方がマシなのか、全く味のないこっちの方がマシなのか。

(……そもそも、この世界にカロリーの概念はあるのかな)

 黒駒はそんなことをぼんやり考えながらサンドウィッチを食べ終わる。



 そうして丸一日を『身体を慣らすこと』に時間を費やしていたら、外は既に夜闇に覆われていた。

 メニューを開け、すっかり忘れて放置しておいたままの市場のアイテムを確認してみると、大抵の消耗品が売れてしまっていた。

 普段ならあまり買われないはずである装備アクセサリの類もかなり買われている。

(普段ならここまで早く売れないんだけど……)

 黒駒はベッドの上で市場と、アイテムの在庫リストを並列して開けてウィンドウを睨む。

 ――そして、思案すること数分。

「……よし、これでいいかな」

 取った結果は、手持ちの消耗品をほんの少しだけ市場に放出し、値段を上げてさらに放置。

 高額に設定したままのとっときの制作級装備も面倒なのでそのまま放置して、ウインドウを閉めた。

 製作級装備はあくまで店の飾りみたいなものだ。流石に、この異常な値段だと普通なら『売る気はない』と気づくだろうし、それこそありえない金額を出してまで買いたいと思う馬鹿は居ないだろう。


 その後は、昨日のようにソファーで寝ることはせず、自室奥のガラス壁で仕切ってあるパーソナルスペースの中に置いたベッドに向かい、靴を脱いで寝支度を整える。

 自分の身体にはあまりにも大きすぎるベッドだが、寝転がってみるといい塩梅の感触だ。

 ゲーム時代では完全なる趣味で買った自室の家具類ではあるが、ケチらなくて良かったと思いながら目を閉じて、その日は眠りについた。

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