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昼を過ぎた頃、ふたりはギルド会館を出て、生産ギルド街の中心の複数のビル群からなる〈海洋機構〉に向かい、受付を経て、指定されたビルの一棟の応接室に通される。
ビルの中はだまし絵のような無限の廊下とドアのあるギルド会館とは違い、まだちゃんとした建築物だった。
事務員らしき女性に勧められソファーに座わる。その後お茶を出され、ふたりはしばらく待つ。
それはまるで現実の大会社に来たような気分になる雰囲気としか言いようがない。
ドアが開くと、〈海洋機構〉の総支配人であるミチタカが入ってきた。その瞬間、イヌイサンは立ち上がり、一礼をする——アイザックから見ると本当にただの会社訪問だ。
「今回はご利用ありがとうございます。大型ガラス三十二枚の納入に参りました」
「?てっきりギルドマスターが来ると思ってたが……」
ミチタカの問いをイヌイサンが口にする前に——アイザックが先に口を挟んだ。
「俺も今朝偶然知ったんだが……ギルドマスターの黒駒は、今朝の夜明け前……で、いいんだよな、過労から来る事故で死んだ」
「……そうか」
「そんな訳で今日はこのオッサンが代理って訳だ」
「よろしくお願いします」
アイザックの横で、改めてイヌイサンがもう一度頭を下げる。
「それでアイザック。お前は何故ここに来てるんだ?」
「俺か? ……まぁ、仲介人みたいなモンか? ミチタカとオッサンって会ったことねぇって話だし」
ミチタカが何か言いたげな顔になるが——アイザックはどうせゲスの勘繰りだろとあえて無視した。
「それで、発注の件ですが、実に申し訳ありません。我が〈秋葉切子〉では本日までの時間では〈強化ガラス板〉は四十枚ではなく、三十二枚しか作成できず準備出来ませんでした。なので、これをまず納入として、後日……」
イヌイサンの報告にミチタカが怪訝な顔になる。
「どう言うことだ? ……ウチの建築班ではテスト用に二十枚しか頼んでないし、納入も来週末になってるはずだが?」
「いえ、そちら発行の発注書見る限り、今日までに四十枚になってるんですが……」
イヌイサンはすかさず鞄から受注書の写しを取りだし、ミチタカに見せる。
ミチタカは、写しを確認すると——即座に念話をかけはじめた。
待つ事数分後、彼の副官であるカーユが書類の束を持って駆け込んできた。
「……本当にすまない。事務方のミスみたいだ。造船班の別発注商品と混ざったみたいだな」
「そうですか。なら、ガラス板の方はどうしましょうか」
人ひとりが死んでるのに、続くふたりの淡々としたやり取りにアイザックは思わずキレそうになったが、黒駒の言いつけを守り、心の中で押さえる。
(まぁ、ギルドに三千も人がいれば混乱もその分起こるよな……)
今まで深く考えてなかったが、こういうミスもある。
それを考えるとひょっとしてレザリック達の事務能力は異常に高いのかも知れない。——勿論、ギルドの人数の差もあるだろうが。
「そうだな。こっちの明らかなミスだし、十二枚はこちらで色を付けて買い取らせて貰う。支払いはこれと、残りは金貨だったな」
ミチタカは人を呼び、一対の人形が瓶を抱きかかえるような装飾の施された青いポーション瓶を持って来させる。それはアイザックも見覚えのあるもので——〈外見再設定ポーション〉だった。
「しかし、新素材とこんな高値のポーション一個とはそっちも酔狂だな」
「現状の相場価格的には釣り合ってるはずですけどね」
「ここだけの話だが、ロデ研で類似効果のものが実用段階間近って話もあるらしいが……本当にこれでいいのか?」
「そうであってもギルマスから『現物のないものは信用するな』と言われましたので」
「違いないな。口なら何とでも言える」
そこでふたりはようやく笑った。
「それと、これをギルマスから預かっております」
イヌイサンはミチタカに手紙を差し出した。
「今回納入させていただきました大型〈強化ガラス板〉の配合と製作時の手法です」
「ありがたい、後で職人達と読ませて貰うよ」
「後、これはうちのギルマスの推測なんですけど、〈海洋機構〉さんにガラス工芸の知識のある方、おられませんよね?」
「そうなんだよ。これを貰ってもすぐ作成って訳にはいかない。黒駒みたいにニッチな知識と技術持ってる方がレアケースでな」
ミチタカはアイザックの方にほんの少し目を向けた。——経験者の職人がいないから黒駒に目を付けたのか。いわゆる即戦力大歓迎とかそういった感じだろうか。
(あー、すっげぇ『現実』と変わんねぇ……)
アイザックはなんとなく『あの親父』の営業に付き合わされている時に感じる居心地の悪い気分になってきていた。
「そこで提案なんですが、ウチの知識と技術をご購入してみませんか?」
「ほう?」
「そちらの高レベル〈ガラス職人〉か〈名工〉の技術者を何人かこちらに派遣してくださればギルマスが指導するそうです。あの人、元々ガラス工房で開かれてる教室で教えるために勉強してたらしいですし。基礎くらいなら教えてやれるとの事です」
「おまっ、コマに言わずにそんな勝手に……」
「勿論、本人から了承済みです」
イヌイサンはメモの入っているポケットを軽く叩く。『無理そうならこっちに呼ぶこと』とはそういう意味だったらしい。
「じゃぁ、近々その辺も話詰めないとな。今度はそっちのギルドマスターを連れてきてくれ」
「はい。よろしくお願いいたします」
「……しっかしなぁ、正直な話、お前ら生産職って現実の経験者優遇し過ぎてねぇか?」
ふたりのやり取りを見ながら、アイザックは前から思っていたことを口から漏らす。
「基本的に現実にあるような物をこの世界で作ろうとすると、どうやってもそうなるんだ。レベル以外にも多少の知識と技術がいる」
アイザックの言葉にミチタカが眉間に皺を作る。
「例えば、今日持ってきた〈強化ガラス板〉、僕も作り方は教えて貰いましたが、僕では全く作れません。知識だけではなく、サブ職レベルも関係してるのかも知れませんが」
「メニューだとオートで完成するから問題ないんだが……知識と技術のない人間が新しいものを一から制作するとなると話は別でな。この辺はやっぱり現実の知識持ってる奴の方が強い。俺達も蒸気機関のパーツ作りは最初かなり失敗したよ」
「そうですね。一部の人間を除けば、我々冒険者は手を使って使える現実の知識も技術もありません。そんな人間が手作業の感覚を覚えるには、メニューでする事を自力で何度も何度も繰り返さないといけません。ただ、元から大なり小なり技術と知識を持っている人はその辺の慣れが早いんです」
イヌイサンの言葉にミチタカが頷く。
——その後も続いた彼らの会話から要点をまとめると、戦闘技術と同じで今までタイミングを合わせクリックすればオートで動いてたものを改めて身体を動かし、何度も戦いを繰り返して己の技術として身体に覚え込ませる。それの手作業版とのことらしい。問題は素材がいる分コストがかかりすぎる点か。
「生産職はまだその辺手探りな部分が酷く多くてな。母数の少ないマイナー生産サブ職ならなおさらだ」
「どっちにしても、独自の工芸品を作るならともかく、建材のように均一化したものを量産するならギルド間の相互協力は必要でしょう」
「そうだな……この件、他のギルドにも声かけてみてもいいか?」
「ええ、かまいませんよ。ウチもギルマスがまた過労死するのは流石に……」
てっきり技術を独占すると思っていたが、そうでもなかった。
どうやら、人がいなさすぎるのも問題らしい。
無事、商品を取引し、次回は黒駒も同席させるという条件で次回のアポイントメントを決めた後——ふたりは〈海洋機構〉の巨大なビルを出る。
そして、ビルから少し離れた後、アイザックは言えずに思っていたことを、ようやく口にした。
「なぁ、その今回取引したポーションって、その……」
「文吾くん用ですね。〈海洋機構〉ならまだ在庫があるという話だったので」
「……その代金、俺が代わりに支払えねぇか?」
「多分金額聞いたらビックリしそうですけど、いいんですか?」
「はぁ? 外見再設定ポーションって今そんなに高ぇのか?」
イヌイサンはしばらく考えた後——歩きながら鞄からメモサイズに切られた紙束と万年筆を取り出し、その一枚に〈外見再設定ポーション〉の現在の相場を書いてアイザックに渡した。
途端、数字を見たアイザックの顔が引きつる。〈刀匠〉が完全に鍛え上げた武器やそこそこの家なら余裕で買える値段だ。
確かに、外見のギャップで苦しむ冒険者は未だ存在し、需要はまだまだ多いだろう。とは言え、昔との話ではあるが当時タダで貰えたアイテムがここまで値上がりしてようとは——。
「……ぶ、分割払いできるか……?」
「気にせずとも大丈夫ですよ。文吾くんよく働いてくれてますし、ギルマスもこれくらい出しても問題ないと判断したんでしょう」
「って、コマやお前らに問題なくても俺に結構問題あるだろうが……!」
確かに文吾を託したのは自分の判断ではあるし、今のところ彼の教育指針にも黒駒に任せると言った——が、流石に結構な額の金銭が絡んでそれに関してこちらが甘えきりでは、アイザックのメンツがまったく立たないどころかバキバキに折れている。
もはや己に腹が立つを通り越して頭を抱えたくなった。
「それなら、普通に素材で返せばいいんじゃないですかね。多分ギルマスならそう言いますよ」
イヌイサンの言う通り、黒駒が絶対言いそうな言葉だ。
「……明日、〈シンジュク御苑〉に行くからレア度高い素材なるべく多めに拾ってくるわ……」




