21
あの狂った男のような女が死に、その残滓である虹色の泡が消滅してしばらくした後——黒駒はようやく口を開いた。
「……死んだのかな」
「ああ、大神殿にはレザ達が控えてる。拘束されるはずだ……しっかし、何で外れてるんだ、これ?」
アイザックは訝しむように、足元に落ちていた〈断罪の蜘蛛の呪糸〉を拾い上げた。
基本的に装備した武器はロックされ、例え殺されても装備は外れないはずなのだが――?
手にした〈断罪の蜘蛛の呪糸〉は、即座に蒸発するように溶けはじめ、一面にキラキラとした霧が立ち上りはじめる。
「うぉっ!」
危険を感じたアイザックは反射的に呪糸を地面に投げ捨てた。
「お、おい……この武器壊れる時こんなエフェクトあったか……?」
「単なる製作級だよ……ある訳ない……はず……」
そもそも武器は壊れても修理できるはず――黒駒は言いかけて詰まる。
呆然とする2人の前、呪糸はなおも溶け、その欠片は霧になって天に舞い上がる。
立ち上る霧の向こうに、6つの人影、そしてその中で唯一姿がはっきり見える豪奢な姿の女が蔑むようにこちらを見ていたが――2人にはそれが何を意味するか理解することは出来なかった。
それからしばらくすると、EXPポーションも切れたのが身体で解った。召喚のせいで残り少ないMPが少しづつ減ってるせいかさらに酩酊感がきつくなっていく。
「コマ、大丈夫か?一応フィールドから出るまでは俺が……」
「大丈夫。〈帰還呪文〉で帰るから」
アイザックは何か言葉を続けようしていたが、黒駒は問答無用でメニューの〈従者:黒剣の闘士〉送還ボタンを押した。
「……アイくんが1番MP喰ってるんだけどね……」
アイザックを送還した瞬間、黒駒のMPのバーは急速に上昇をはじめる。そして、ようやく〈帰還呪文〉を唱えた。
一方のアイザックは――契約を書いた場所である、黒駒の私室兼応接間の奥の個人倉庫の扉の前に戻っていた。
扉の前の気配に気づき、再び片付けをしてたクラウが倉庫から顔を出す。
「あれ、なんでまたここにいるの?黒駒さんまだ帰ってないよ?」
「いや……俺にもそれが……なんでだろう……な?」
アイザックは首を捻るが――まったく解らない。
多分あのアイテム、〈召王の呪印書〉の効果だとは思うのだが、さっぱりである。
(とにかく、ひとまずは出直すか)
アイザックはリビングに向かうドアを開けた。が、しかし。
「……なんでここにいるの」
そこには、〈帰還呪文〉で戻り、着替え直すために戻ってきた黒駒の姿があった。
その後、倉庫を片付け直して出て来たクラウが大人しく一部始終を黒駒に話した。
話を聞いた後、黒駒の目つきが少し変わる。
「ふたりとも正座」
黒駒は静かな声で2人に向けて人差し指で床を指す。明らかに目が怒っていた。
「俺もかよ!この鎧でできるわけねぇ……」
「……いいから正座」
さらに目付きが恐くなり――有無を言わせぬ迫力でもう一度人差し指で床を指した。
アイザックも流石に大人しく正座した。鎧の干渉的にてっきり正座出来ないと思っていたので、地味に驚いている――それはさておき。
「クラウちゃん、今回は何とかなったけどさ、あの倉庫の物だけは整頓以外で勝手に持ち出さないで。知ってる人間でも渡すのはダメだよ……解った?」
「……はい」
黒駒の言葉にクラウはひどくシュンとした顔をした。
おそらく、アイザックの勢いに圧されたのと、彼女なりによかれと思ってした行為なのは解っている。――それ故、黒駒はこれ以上はあえてあまり追求しないことにした。
「じゃぁ、これでクラウちゃんへのお説教は終わり。じゃぁ、今から露店でイヌイサンと文吾くんのお手伝いしてきて。その後は店の片付けの手伝いしてから、みんなの晩御飯も買って来てね。……今回はちゃんと言わなかった私も悪いからね」
クラウが頷いたのを確認して、黒駒は部屋から出て行くように促した。
そして、アイザックは正座のまま1人取り残された。
「で、そっちの馬鹿は……」
「うまくいったから良いだろうが」
「まったくよくない」
しゃがんで目線を合わせて来る黒駒。もはや下手なモンスターより目つきが恐い。
しかし、目を逸らすとますます機嫌が悪くなりそうなので甘んじて受け止める。
「確かに〈断罪の蜘蛛の呪糸〉は壊れて無くなったよ。PKも止めれた……でもね、小さい子巻き込んだ上、人様の幻想級アイテム勝手に使って『うまくいった』はないでしょ?」
「……すまん」
黒駒は盛大なため息を付き、少し黙った後――口を開いた。
「それにさ……アレ使ってもし変な事になったらどうする気だったの……アイくんに何かあったら黒剣のみんなが……」
目は怒ったままだったが、目尻に少しだけ涙が浮かんでいる。
怒らせるより、泣かせる方がアイザックの精神には堪えた。
「……大丈夫だっただろ。大体昔からコマは心配しすぎだっつの」
「アイくんが異常に無茶しすぎなんだよ……」
「男には解っててもやらなきゃいけねぇ時があんだよ」
「……なにそれ。馬鹿でしょ……」
「そういうモンなんだよ」
目尻をちょっと拭ってから、黒駒は自分のメニュー画面を出す。
「とにかく、何が起こるか解らないし、契約は解除するよ」
メニュー画面を触ろうとした黒駒の手を――アイザックは瞬時に掴んだ。
「それは今止めとけ」
「どう言う事?」
理解出来ないと言わんばかりに黒駒の眉間に皺が寄り、目が細くなる。
「お前なぁ、また今回みたいな事が起こったらどーすンだよ。緊急事に俺喚べるのはかなりでけぇだろうが」
「んー……確かにそうだけどさ……」
「だったらよ、残してても良いんじゃねぇのか?……たとえばだ、俺に万一のコトがあった場合でも、お前が俺を喚べばなんとかなるかもしれねぇし」
「そうなんだけど……ひょっとして、別の事に使おうとか考えてない?」
アイザックは少し目をそらした。――面倒事があった時、喚んで貰って逃げればいいやとか考えたのがバレたのかもしれない。
「と、とにかく! 使ったの幻想級だぞ、もったいねーし契約は解除しねぇからな! お前もすんなよ!」
「……まったく、相変わらず自分勝手だよね……ホント馬鹿だね」
――なんのかんの言って俺の言葉をちゃんと聞いてくれるお前も十分馬鹿だと思うがな。
それを口に出すとまた黒駒が酷い目つきで怒りそうな気がしたので、己の頭の中だけにしまっておく事にした。
その時、アイザックの耳元に念話のチャイムが鳴る。レザリックからだ。
「ああ、確保できたか……ああ、今からコマとそっちに行く」
念話を繋げたまま、アイザックは正座から立ち上がろうとする。しかしマントの裾が鎧に引っかかり、絨毯張りの床に顔面から突っ込むように派手に転けた。
黒駒は今度は呆れた顔になって、ホント馬鹿だねともう一度繰り返した。
「で、結果は?」
「……それが、ひどく錯乱してまして。ここしばらくの記憶もあやふやになってるみたいで言ってる事が……」
あの後、そのまま大神殿に残って臨時の確保部隊を編成していたレザリックが心底疲れた顔でため息を付く。
「現状じゃまともな聞き取りは無理そうか?」
「ええ、残念ながら無理ですね」
「しゃーねぇ、円卓経由で他に話回すしかねぇか。レザ、報告頼むわ」
「……報告内容は?」
「〈黒剣騎士団〉は先日から〈書庫塔の林〉エリアで多大なる被害を出していたPKをとっ捕まえた。だが少々頭がおかしくなってて聞き取りが出来ない……って言っとけ。他のギルドから聞き取り用の人材が来るだろ」
アイザックの言葉に頷き、レザリックは早速念話を開始する。
そして、レザリックが念話で連絡している間、黒駒は横のアイザックにしか聞こえない位の小声で囁く。
(武器の件とか言わないの?)
(ほとぼりが冷めたらこっちで補足説明しておく。俺の召喚の事とか丸々報告できねーだろ。それに武器作ったお前も色々聞かれんぞ)
(まぁ、確かに……)
「後で〈D.D.D〉から聞き取りの人材が来るそうです。引き渡しはこちらでしておきます」
「ああ、後は頼むわ。……今日は色々あって疲れたから後は任せる。コマ、行くぞ」
アイザックに連れられ、大神殿を出ていく前に、黒駒が振り返ると――レザリックと目が合った。その後、軽く一礼された。
レザリックの事だ、おぼろげながら解ってるのかも知れない。
2人は大神殿を出た後、近くの露店で冷たい黒薔薇茶を水筒に入れて貰い、その辺の廃ビルの屋上に上がって、座り込んだ。
ちゃんと茶の香りと味がする黒薔薇茶をちびちび飲みながら、ぼんやりとアキバの風景を眺める。
「結局あの人、何だったんだろね……武器は普通の強化しかしてなかったはずなんだけど……」
「わかんねぇ。後はあいつの話と俺らの知ってる事整理して、解りそうな奴に任せるしかねぇだろ」
その手の設定周りに関係ありそうなネタはアインスか腹ぐろ辺りが詳しそうなんだが、とアイザックは頭を掻く。
あの人物が何度も言っていた〈姫〉とは何だったのか。
ただの製作級の武器が霧化した理由は何だったのか。
自分達が霧の向こうに見た女は何だったのか。
真相は文字通り霧の中だ。
いつか解れば良いのだが――期待はしない方がいいのかもしれない。
「そういや、後65万の処理も考えないといけないんだよね……あのお金、あんまり手元に残したくないし」
「悪銭はとっとと使った方がいいよな……いっそ会館出てギルドハウスでも買えばいいんじゃねぇか?」
「ん、やっぱその辺かな。買うとしたら、改装を大工の人にしてもらわなきゃいけないんだけど……」
黒駒はちょっと期待する目でアイザックの方をチラッと見る。
「生憎だが、お前と違って俺はこっちのサブ職と現実世界の本業は一緒じゃねぇんだよ。できる訳ねぇだろ」
「だよね。と私も人手が足りないから手伝わされて覚えさせられた程度なんだけどねぇ……」
「ま、細けぇ事はおいおい考えていけばいいんじゃねぇか?どうせ明日も明後日もきっとこの『現実』は続くんだろうしよ」
「……そうだね」
2人の昇った廃ビルの屋上から望むアキバの街は夏間近の遅い夕焼け色に染まっていた。
あの陽が沈んで、また昇ってもこの『現実』は来る。
結局の所、現代社会がゲームに似たファンタジーにすり替わっただけだ。――方向性は違えども理不尽でも生きて生活を続けなければならない言う点では変わりない。
――リアルでもゲームでも今生きている世界を『現実』と受け止めて生き続けるしかないのだ。
「んじゃ、降りるか。今日はコマのところで飯でも喰わせろ。うちのギルドホールで喰うとどうも埃っぽくてな……かと言って外でのメシもそろそろ飽きてきたし」
「きっとクラウちゃんが準備してるんだろうけど……アイくん来るならちょっと買い足して行こうか。文吾くんもきっと喜ぶよ」
「おう、どうせだし酒も飲もうぜ。チビと文吾はともかく、チビの父ちゃんは飲めるだろ?」
「……お酒は高いからダメ」
「ケチケチすんなよ、65万もあるんだしよ」
「それとこれは別のお金。欲しかったら自分で買いなよ……もう」
後はたわいのない事を言いあいながらビルの階段を降り、2人は露店街の人波に埋もれていった。
――そして、彼らの『現実』はこれからも続いていく。




