01 大災害の5日間
■一日目
新アップデート〈ノウスフィアの開墾〉が適用され、同時に〈大災害〉が起きたその瞬間――。
黒瀬駒江は気がついたらそこにいた、という感触しかなかった。
自分がついさっきまでプレイしていたMMO「エルダー・テイル」のギルドホールの自室に似た場所にたったひとり、ゲームと同じ格好で。
寝落ちの果ての夢というには少々早すぎる。
今さっきまでデスクトップPCの前でキーを叩き、合間合間にマウスをクリックしていたし、ヘッドフォンを付けた耳にはゲームの曲が聞こえていた。
だが、瞬間――それらのものが一気になくなって気がつけば『こうなっていた』のだ。
とりあえず足をダンダンと踏み鳴らしてみる。
床の感覚が何度か足裏から身体に響いた後――そのままバランスを崩し、派手な音を立てて間抜けな格好で転んだ。
「……っ!」
身体に痛みはさほど感じなかったが、自分が咄嗟に出した声に驚いて崩れ落ちた間抜けなポーズのまま固まる。
そのまま恐る恐る喉を押さえてあー、あーと声を出してみる。自分の耳で聞く限り――まごうことなき黒瀬駒江自身、自分自身の声だ。
(なんなの?これ……)
駒江は身体を伸ばしそのまま床に寝転がった。床に敷いたカーペットの毛並みの感触が顔に当たる。それがまた妙に生々しい。
(これはきっと凄いリアルな夢なんだ。このまま寝たらきっと朝にはなにもなかったことに……)
駒江は怖くなってきた気持ちを打ち消す為に、深呼吸を何度かして目を閉じた。
まぶたを閉じれば暗闇の世界が広がる。
――まるで現実で寝るかのように。
それから一向に眠れず何分経っただろうか。
突然耳に電子音のチャイムが響いた。
どこから聞こえてるのかと思い、ひとまず目を開くと、眼前には〈念話〉ウィンドウが出現していた。先ほどまでプレイしていたMMO、〈エルダー・テイル〉と同じ形をしたものだ。
ウィンドウに表示されている名前が古くからの友人なのを確認して、おそるおそる着信ボタンを押してみる。
「黒駒、大丈夫か?」
ゲームでもオフ会でもよく聞いた友人の声がスピーカーのように直接頭に響く。相手の呼ぶ『黒駒』とは、駒江のゲームでのキャラ名だ。
(……どうなってんの、この仕組み)
「おい、お前、黒駒だよな?間違ってねぇよな?」
「あー……そうだね……うん、黒駒」
「ならいいんだよ。俺も今の状況よく解ってねぇけど大丈夫か?」
「うーん……まぁ、多分。そっちは?」
友人は駒江の適当な生返事にも関わらず相手は矢継ぎ早に言葉を進めてゆく。
「今、こっちはうちのメンツ総出で知ってる奴ら全員に連絡とってるところだ。そいやお前、何処にいるんだよ?」
「自分のギルドホールだけど……」
「そっか、安全なところに居るんだな。良かった」
安堵のニュアンスを含んだ言葉に少し引っかかる。
(安全なところ?)
友人の言葉の意味もだが、とりあえずまずはそれ以上に気になることを質問する。
「そういや……この連絡、どうやって取ったの?」
「あ?普通にフレンドリスト開けて念話してるだけだ。なんつーんだ……その『開けたい』と額の辺りで考えたら対応した窓が自動的に開くようになってるみてぇだな。細かいところはまだ俺も弄ってねぇけど」
「……ふーん」
「って、信じてねえだろ!?……とりあえず試しにやってみろよ、嘘じゃねぇから!」
友人の言葉通りに何度か試してみると、フレンドリストのウィンドウがパッと開く。
「あっ、ホントに出た」
「だから言ったろ?」
友人の自慢げな声にはいはいと返事を返し、出現したウィンドウをスマホの要領でタッチ&スライドしながらリストをざっと見てみる。名前によって明るかったり暗かったりする部分があるが、これもゲームと一緒でオンラインとオフラインの差だろうか。
「そいや、お前の部屋ガラス壁一面に貼ってただろ?そこから外が見えるか?」
「うん?見えるのかな……ちょっと待って」
もはやRPGの序盤操作ナビゲート状態になっている友人の言葉に駒江こと黒駒はのろのろと起き上がり、おぼつかない足取りで壁一面に敷いたガラス壁の方に向かい、覗き込んだ。
そして、光景に声にならない声を漏らした。
そこには――声は聞こえずとも、驚愕とやり場のない怒りや悲嘆にくれる姿の冒険者たちがパノラマの俯瞰で映し出されていた。
ただ、泣いているだけで全く動こうとしない姿、怒りのあまり大地人に掴みかかり問い詰める姿、それどころか武器を抜こうとする者達まではっきり見えた。
「……なにこれ……」
「黒駒、落ち着いてよく聞けよ?……今見えてるのは夢じゃねぇ、俺らの今居る『現実』だ。俺もゲームでの姿になってる。多分お前もそうだろうけどよ」
友人の言葉を聞きながら、ガラス窓から外をのぞき込んだまま、硬直した。
普段の身体なら精神と同調し、冷や汗やら不快感が上がってきてもおかしくないのだが、それも感じない。身体と精神が乖離している奇妙な感覚だけがある。
「……なんで……なんでこうなって……」
「ンなモン、解るわけねぇだろ。……さっきも言ったが俺もなにがなんだかサッパリだ」
友人は黒駒の疑問をバッサリと切った後、念話越しにでも聞こえる大きなため息を漏らした。
変に推測やごまかしを使わず、解らないものをはっきりと『解らない』と言えるこの部分に関してだけは、この友人は尊敬に値する。――それ以外はまぁ、さておき、だ。
「とりあえず、お前もそっちのギルド利用してる奴らに連絡して安否確認だけでもしとけ。ゲームと一緒でフレンドリストでオンになってる奴は繋がるはずだ」
念話越しからでも伝わる混乱を察してか、友人は咳払いした後、いつものふてぶてしい声を作る。
「まぁ、なんだ……こんな馬鹿みたいな状態になってもできるコトはしねぇとどうしようもねぇだろ、なぁ?」
その友人の言葉に、黒駒は身体の中に溜まった不安な気持ちを追い出すように、一度深く息を吸って――勢いよく吐き出した。
「……うん、そうだね。……連絡ありがとう、心の友」
「おう、心の友よ。……じゃあ、他の奴らにも連絡するからよ」
友人はまた落ち着いたら連絡すると言葉を続けた後、昔オフ会で酒が入った時によく言いあったお約束ネタの挨拶をつぶやき、あらためて念話を切った。
その後、黒駒はフレンドリストから念話をかけたり、ようやく我に返った者から受けたりを繰り返した。
その結果、連絡は取れたがアキバ外にいる者を除くと自分の所属ギルドに籠るという答えが返ってきた。
(うーん、やっぱりねぇ……)
黒駒はため息を吐く。
このギルド〈秋葉切子〉は、半年ほど前に〈ガラス職人〉用の作業場所を提供するレンタルスペースとして作られた。〈ガラス職人〉の作業用設置家具はスペースに場所をとるものも多いため、それなりに利用者がいたのだが、なにせまだ半年、つきあいというにはそれほど長くない。
寄らば大樹の影ともいうし、新興のレンタルスペースギルドと本来所属のギルドと天秤にかければ当たり前の言葉であった。
それに加えてこの状態で爆発するように生まれた不安や疑心暗鬼がそんなあっさり解けるわけがないはずで――。
黒駒は、自室に設えたソファーまで転ばないようにゆっくりと歩き、深く腰掛ける。結構値が張った品だったせいか、実際に座ってみると非常に座り心地が良かった。
黒駒は改めて部屋の中をぐるりと見渡す。
今までモニター越しに見ていた自室は自分好みに飾り付ける以外にはなにも感じなかったが、ひとりにされると酷く広く、そして寂しく感じた。
黒駒はそのまま身体を伸ばし、ソファーに寝転がる。
気持ちがひどく疲れてきっているのに身体が全くといっていいほど疲れを感じていない感覚がいささか気持ち悪かったが、先ほど教えて貰ったメニュー画面を出す時の感覚で額に集中して「寝る」と念じてみたら驚くほどあっけなく眠りに落ちていった。