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文吾の事件の後、凶悪な火力を持つPKがまだ残っていると言う話は各戦闘ギルドに共有され、見回りの回数は増えた。
〈黒剣騎士団〉の〈武士〉が不意打ちの一撃で殺されたという衝撃な事実もあり、巡回グループのチーム編成も今まで以上に戦闘を重視されたものに変化していった。
〈書庫塔の林〉の最深部近くの魚釣り場。
普段ならば食事の確保や資金調達のために何人かいるが、今日は雨のせいか、人っ子ひとりいない。
その奥、釣り竿を貸してくれる通称〈魚釣り小屋〉の軒先――豊かな黒髪に、身体のラインがよく見える装備を着た女が1人座っていた。
「なんだ、ひとりで。合流の待ち合わせか?」
巡回グループの冒険者の質問に、女は声を出さずに静かに頷く。
「そうか。ここしばらくPKが出てるって話もある。早く合流して帰るんだぞ」
その言葉に女は再び静かに頷いた。
「さて、後はこのまま最深部の方にいくか……」
彼らは女に軽く会釈すると、そのまま来た道を引き返し、雨の林の中に消えていった。
「さて、行きましょうか……〈姫〉?」
雨音の中、男の声で虚空に呟いたその女は、すぐに木々の中に溶け込むように身を隠し、冒険者達を追い始めた。
引き返していった彼らはまだ2つの事実を知らない。
ひとつは、自分達が件のPKのターゲットになる事。
もうひとつは、奥の魚釣り小屋の大地人一家はこの男の声を持つ女に先ほど殺されていた事に――。
翌日、黒駒は木製のバケツを片手にクラウとともに〈書庫塔の林〉内を歩いていた。
魚屋が『そちらの生け簀を設置したいのだが、そのために〈書庫塔の林〉辺りで生きている魚を取ってきて欲しい』と頼んできたのだ。――いわゆるクエストみたいな物だろうか。
最近は戦闘ギルドが交代交代で朝のうちにアキバに近いエリアのモンスターを駆除してくれているせいか、非常に歩きやすくなっている。レベリングするにはあまり使えなくはなったが、移動は楽になった。この辺は円卓会議様々である。
念のためにフィールド用の武装はしてはいるが、おそらく使うことはないだろう。
本当ならこの手の事は文吾に頼みたかったのだが、アイザックに再び紹介された文吾は以前会った時とは全くの別人状態になっており、まるで目がで死んでいるようで――こちらの声も聞こえているのかわからない様子であった。
それを踏まえ、まずはサブ職業を現状の〈辺境巡視〉から〈見習い徒弟〉に変更するようにダメもとで頼んでみたのだが、小さく頷いただけで実にあっさりと受け入れてくれた。
今まで彼が上げたサブ職レベルを考えると非常に申し訳ないのだが、彼の現状と今後を考えると〈辺境巡視〉そのままはあまり賢い選択ではない気がする。
とりあえず今日は〈見習い徒弟〉のレベル上げも兼ね、ギルドに慣れて貰うために居住空間の掃除を頼んでいる。
イヌイサンは今日も露店に向かい、雇った大地人達と商売に励んでいる。
そんな訳で――残った黒駒がクラウに同行する事になったのだ。
「黒駒さん、最近あんまり休んでなかったよね。忙しいのは解るけど、たまにはお仕事休んで外出ないと」
「あー……うん……」
露店で商品を売り始めてから、黒駒は寝て起きて食事した後はずっと工房で商品のガラスを作り、夜は売り上げや顧客の要望を反映しての作り直しや新作の試作品製作の繰り返しである。
最近は気がついたら朝になっている事も多く、睡眠をすっ飛ばして食事を取ってそのままノルマである商品の作業に向かう事も増えてきた。
「もっと身体大切にしないといけないよ? 死んじゃうかもしれないし」
「いや、流石にそれは無いと思うけどね。冒険者は丈夫だし……」
中学生になりたての子に説教されてるのはなんだかなあと思いつつ、黒駒は少し不安になった。――流石にこの世界に過労死は無いとは信じたい、多分。
「でも、文吾さんは何度も死に続けてああなったんでしょ?」
クラウの言葉に黒駒の歩みが少し止まった。
「……話、倉庫の方にも聞こえてたの?」
「ごめんなさい」
彼女も二週間以上ダンジョンで死ねずに閉じ込められ続けていた。
死という形で解放はされたが、彼女はまた別の形で黒駒の知らない苦しさを体験している。
――自分は死という苦しみを知らない。だから偉そうなことは言えなかった。
「いや、私も倉庫の掃除頼んだまま閉じ込めたような状態にしちゃったからね……こっちもごめんね」
ただ、他の人にも色々あるから内緒にしててね、と付け加える。
「じゃぁ、中のおじさんに釣り竿借りてきまーす」
〈書庫塔の林〉の奥にある川で出来る魚釣りは低レベルプレイヤーの金策にはよく使われる場所である。
もっとも、一定レベルまで上がって、ここでのクエストをクリアしないと自分専用の釣り竿は購入できないし、他のエリアでの釣りは解禁されない。
黒駒は自分専用の釣り竿を取りだし、ゆっくり釣り糸を垂らす。
ここ暫くは雨続きの日々だったが、今日は晴れていて絶好の釣り日和だ。
木漏れ日の向こうの側に見える空はすっかり夏の色に変わりはじめていた。
(もう夏前なんだよなぁ……)
〈大災害〉から一ヶ月半以上も経ち、先日から大手ギルドを中心とする有志の自治も始まった。
街に出ればあちこちで新しいものが増え、屋台を覗けば味の付いた食事が買える。今までアキバを支配していた圧迫された空気が嘘のように消え、ようやく『人間らしい』生活になってきた気がする。その分、自分達も忙しくなったのだが。
そんな事を考えながら、クラウを待つ。――それにしても釣り竿を借りるだけなのに遅い。
黒駒が釣り小屋方面を見やろうとすると、いつの間にか1人の女が近くに座っていた。
「釣れますか?」
「まだ、釣りはじめですから……もうしばらくしたら釣れるかと……」
「黒駒さんですよね?」
「……はぁ」
黒駒は相手のステータスに目を凝らす――が、なぜかノイズがかかってるようにぼやけ、読み取れない。
どうやら元男性プレイヤーらしきそのしゃがれた低い声にも聞き覚えがない。
もう一度ステータス画面を見返してもやはりぼやけていた。名前すら解らなければフレンドリストで確かめる事も出来ない。
「これで解りますか?」
男声の女は腰に据え付けた武器を見せてきた。――それは〈断罪の蜘蛛の呪糸〉。黒駒は思わず息を呑む。
「……それ……!」
「ええ、そうです。その節はいい買い物をさせていただきましたよ」
男声の女はその声で語り、艶然と笑った。女性アバターの低い声の男は、黒駒の見知りでもいるのだが、それとはまた違う系統の異質の『何か』を感じる。
それに、黒駒的には『いい買い物』と言われても全然納得出来なかった。
あの混乱の中とは言え、武器を65万で買うのはありえない。半額出せばもっといい武器が変えるはずだ。しかし、当時の状況を考えると他の生産プレイヤーが市場から武器を引き上げていただけかもしれない。だが、普通のプレイヤーはそこまでの金貨を持っていることはまずない。――一気に疑問が吹き出て頭がこんがらがってくる。
「……あの、失礼ですが、お金はどうやって……」
とりあえず、一番の疑問点を聞いてみる。
「真っ当に稼ぎましたよ……色々なものを殺しました。モンスターも、冒険者も、NPCも」
「冒険者も? 大地人も?」
「ええ、そうです。武器をこれに変えてからとても楽になりましたよ」
黒駒の頭にPKと言う言葉がよぎる。
〈断罪の蜘蛛の呪糸〉はPvP特化武器である。――確かにPKをするだけに絞るなら適したものだ。
「……その」
「ああ、返金されても手放す気はありませんよ。私は武器より素晴らしいものを手に入れたのですから……そう、〈姫〉の寵愛を……ねぇ」
男声の女は人差し指を小さく回しながら、そのまま虚空に向かって話しかけ、相づちを打つ。ただ、黒駒の目から見るとそこには誰もいないのだが。
――正直、気味が悪いを通り越して頭の中が危険な人物だ。
黒駒はなるべく相手に悟られないように何が来ても対応できるように構える。
「……黒駒さーん、竿貸してくれるおじさん居ないんだけど」
クラウが魚釣り小屋から顔を出した瞬時に、黒駒は即座に腕を首の横に滑り込ませて首にまとわりついていた『それ』を一気に広げ、見えない糸を首から取るように腕を一気に上げた。
その直後、黒駒の両腕に糸が食い込み、柔らかい果物でも切るようにあっさりと切断され、両腕は水音と共に川の中に沈んでいく。
「よく解りましたね」
「……一応制作者ですから」
切断され川に沈んだ腕を無視し、黒駒は間合いを取るためにすぐに後ずさる。――女が指を回した辺りから首回りにほんの微かな違和感があったのに気づけたお陰だ、あのまま警戒してなければ確実に一発で首が飛んでいた。
「〈戦技召喚:不死鳥〉!」
黒駒の声と共に、女の行動を阻止するように巨大な炎の鳥が出現する。
「クラウちゃん、ドア閉じて〈帰還呪文〉!今すぐ!」
「……で、でも!」
「行きなさい!」
黒駒の叫びに圧され、クラウは言われるまますぐにドアを閉めた。
パラメーターを確認すると能力は格段に低下しており、HPも急速に減っていっている。
手がなくなってアイテムが持てないのでアイテムによる回復も出来ない。
さらに武器も未装備扱いになっており、折角の召喚の〈詠唱時間〉〈再使用時間〉短縮特化武器である〈生命を歌う指揮棒〉の効果も利用できない。
(……悪手だった?)
考えている内に――腕の切断面からは激しい痛みが沸き上がってくる。両腕から溢れる血が止まらず、ボタボタと地面に落ちてゆく。それとともに虚脱感が酷くなる。
フェイントを仕掛けてひとまず逃げるか、どうせなら特攻覚悟でこのまま不死鳥をぶつけるか。
――どっちにしても死ぬのは免れなさそうだが。
「……〈姫〉はね、命をご所望なんですよ。特に冒険者の命を」
女は微笑みながらゆっくりと歩いてくる。
「大丈夫ですよ、我々は〈冒険者〉。死んでもすぐに生き返りますから」
その言葉の直後――フィールドの遠くからでも解るような爆炎が弾けた。
低レベルフィールドではありえないフェニックスの爆炎に気づいた巡回チームが駆けつけた頃には――木製のバケツと釣り竿、数枚の金貨が落ちていただけであった。
それは、黒駒が死んだ事を示す証拠でもあった。
アイテム紹介
〈生命を歌う指揮棒〉(タクトオブライフソング)
大型レイドコンテンツ〈人造天使計画〉でレシピ入手可能武器。取得には〈名工〉高レベルが必要。
装備する事によって召喚獣に関する〈詠唱時間〉〈再使用規制時間〉を大幅に減らす事が出来る召喚術師専用片手杖。
また、強化アイテム〈叡智の結晶〉を注ぎ込み再制作する事により、他のガラス武器より大幅な強化が見込まれる。




