16 今歩むべき現実
「畜生!」
突如フィールドに出現した男達は苛立たしげに叫んだ。
何度もメニューモニターから〈帰還呪文〉を試すが、一切受け付けず、アキバ外のフィールドに出てしまう。
彼らは突然の強制移動によるパニック状態で何が来ても気づいていなかった。
男がもう一度〈帰還呪文〉を試そうとモニターを叩こうとした瞬間――その腕は痛みもなくいつの間にか切断されていた。
「……な、何だ?」
事の異様さに気づいた集団はようやく武器を構える。
既に彼らの背後には1人の女が立っていた。
「見て下さい、たいしたのろまさんだと思いませんか、ねぇ、〈姫〉……」
艶やかなその姿には似合わぬしゃがれた低い声でそう呟くと、もはや冒険者としてはありえないスピードで間合いを詰め――その指を滑らかに動かす。
刹那、彼らの肉体にいつの間にか巻き付いていた透明のワイヤーが一気に締まる。1人は四肢が飛び、抵抗しようとした1人は肩口から腰まで一気に切断された。即座に2人の死亡を示すように肉体は瞬時に消滅し、金貨とアイテムが残る。
「お前……俺達〈ハーメルン〉を完全に追い出そうと……!」
片手を失った男が黒髪の女に飛びかかろうとするが――もうすでに遅い。まるで野菜を切るように肉体の様々な部分がそぎ取られ――そのままアイテムや金貨を残して消滅した。
圧倒的な暴力に対する危機をようやく悟った〈ハーメルン〉の残党は、各自別の方向へ蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
「やれやれ、たった4人ぽっちですか。もう少し狩りたかったのですけど」
男の声を持つ女はあえて追わず、虚空を見つめ、優しく微笑む。
「そうですか……この者の魂が〈姫〉の心の慰めとなれば幸いです」
そこには誰も居ない。
だが、この男の声を持つ女は――まるでそこに誰かが居るように優しく語りかけるのであった。
「……大手ギルドが集まって会議?」
黒駒はまだ酷く熱を持つ吹き棒をベンチに置き、先ほどから何度も鳴りっぱなしであった念話をようやく取る。
念話相手は〈黒剣騎士団〉から〈西風の旅団〉に移動した女性プレイヤーの1人、レーヴェンであった。
作業中に念話をかけられても、状況によっては取る事は取れない。溶けたガラスを扱っている時ならなおさらだ。
この世界で高温を測る温度計が無いので正式な温度は不明だが――溶けたガラスは少なくともリアルだと1000度前後になる。トンボ玉に使われるような融点の低い鉛ガラスですら600度ほど。要は固形の火の玉を扱ってるような物である。
放射される熱は耐火装備越しでも酷く熱く感じるので、素手で触るのは正直遠慮したい。下手な冒険者の戦闘特技よりダメージを受けそうな感じがする。
「ああ、その話ですか。私の所にも前のギルドメンバーから連絡が来ましたね。なんでも今やってるとか」
イヌイサンはメニュー作成を使い、改良のベース素材のガラスを作る手を一時止める。
「話が終わったらなにかイベント行うらしいですし……折角だし行った方がいいんじゃないですか?」
黒駒は大災害の時の事を思い出した。
あの時はギルドハウスに籠もり、積極的に情報を手に入れる事をしなかった。――それが、ありえない値段で武器を売ってしまうという何とも言えない結果で返ってきたのだ。
今後を考えると、また情報不足でどうしようもない状況になるのは遠慮したいのが事実であった。
「じゃぁ、ちょっと休憩がてら行ってみようか。部屋掃除してるクラウちゃんも呼んできて、3人で」
アキバの街の大広場に設えられた舞台の上に十数人の人間が立つ。
周りから聞こえてくる話によると――生産三大ギルド、戦闘四大ギルドを含む11のギルドを中心に、自治組織『円卓会議』という組織が発足したとの話らしい。
「ふーん、円卓会議、ねぇ……」
議長である〈D.D.D〉のクラスティの演説が続く。後ろに並んだメンバーにはアイザックや中小ギルド連盟の3名と、黒駒の見知った顔もあった。
「ねー、アレって何かな?」
壇上での構成員の紹介はまだ続いている。
しかしその話に飽きたのか、クラウは別の方向を指す。そこには珍妙な機械が置いてあった。
煉瓦で作ったかまどの中にサラマンダーを入れ、それで発生する熱で上のボイラーを湧かし、その力で車輪を動かしているようだ。
「……蒸気機関……でいいの、あれ?」
「あっ、汽車とかのアレだよね!これって汽車が作れるって事なのかな」
「なるほど……応用すれば車や船を作るかもしれませんね。……そういやクラウ、昔汽車に乗ったね」
親子が汽車に乗った話に脱線している間に、黒駒はその蒸気機関の横に立てられた看板まで歩いて行き、張り出されていたポスターの文字を読んだ。
内容は、『メニューに頼らないアイテムの作成により、この蒸気機関のようにこれまでとは違う新規のアイテムが作成できる』というものであった。――どうやらクレセントバーガーのような味の付いた食事も新規アイテム扱いらしい。
黒駒はポスターのさらなる詳細を読んでゆく。結局のところ、ポスターの中身は浄玻璃の護石を小さくまとめた物を作り出した時の理屈と同じ事が書かれてあった。
単に自分の制作法があっていたと証明されただけにすぎない。
「……なんだ、単にそう言う事か」
黒駒はため息をついた。『幽霊の正体見たり何とやら』と言った気分だ。
もっとも、これが公になってここまで騒ぎになると言う事は気づいた者が意外に少なかったのであろう。
確かに時間のかかる自作より圧倒的に早く簡単にアイテム制作できるメニュー作成を使うだろうし、ゲーム時代はメニューでしかアイテムは作れなかった。それを考えると盲点ではある。
「ねぇ、黒駒さん、今聞いた!? 今からみんなにご馳走も出るって! 味のついてるの!」
クラウの声には返事をせず――代わりに、黒駒は鞄からタッパーに似せたガラス箱をクラウの前にさし出した。
「ゴメン、急に忙しくなったみたい。お土産お願いできる?」
もう1人の〈ガラス職人〉、イヌイサンのメニューによる素材製作サポートのお陰で、黒駒の作業効率は格段に上がった。
このタッパーもどきのガラス箱も、吹き・バーナー・鋳造――各種制作法によって素材の反応や完成後の強度のテストピースを作成していた時の産物のひとつだ。
ビーカーやフラスコ、ティーセットに使われている耐熱ガラス塊を溶かし、それを新しく作った石膏型に流し込み、鋳造したもので、元々耐熱用の道具に使われていた素材だけに、テストで熱湯をかけた後に氷水を流し込んでもひびも欠けも一切しなかった。
「イヌイサンは明日からの露店のエリア確保と大地人の売り子の手配をお願いします。それができたら宴会の方参加しても構いませんから」
「……あの、ギルマス、今でも十分売れる位の完成品の量はあるんじゃ……」
「いえ、あくまでアレはガラスの反応を調べた試作品です。それに今の冒険者に何が売れるか解りませんから……他にも準備してきます」
黒駒はイヌイサン親子にお願いするように一礼すると、急いで工房のあるギルドホールの方に走って行った。
「ギルマスも忙しないなぁ……父さんも仕事してくるから、クラウは先に行っておいで。後、すぐ無くなりそうだし父さんの分もご飯お願いするよ」
イヌイサンは仕方なさそうな顔で笑った後、露店街の方向に走っていった。
「もう! なんで先に取っちゃうのさ! 狙ってたのにー!」
取ろうと思ったローストポークが一気にかっさわれ、クラウは抗議の声を上げ、頬を膨らませる。その直後、たまにギルドホールに顔を出すトゲ鎧の男――アイザックに声をかけられた。
「おう、頑張ってるなチビ。アイツはどうした?」
「黒駒さん?張り紙見た後に、仕事あるってすぐ帰った。お父さんも今お店の手配に行ってる。で、これ渡されて……」
クラウはアイザックの言葉に答えながら、四角いガラスの容器に机に並んだ様々な『味の付いた』食べ物を必死で色々と詰めていく。
「あのー、そこの君、食べ物の持ち帰りはちょっと……」
クラウの行動を見てか、通りすがった丸眼鏡が印象的な白いマントの細い青年が止めようとする。
「その辺大目に見ろよ、腹ぐろ。このチビんとこのギルド、今日のお前の発表で仕事増えたって宴会にも来ずにヒィヒィ言ってるんだとよ。……先にリークされてた奴らはともかく、他の生産ギルドは驚くだろ、ありゃ」
「……ああ、やっぱりそうなりますよね……」
アイザックに腹ぐろと呼ばれた青年――シロエは苦笑して後頭部をを掻く。
事前に大枚をはたいたとはいえ、しばらく新しいアイテムや食事の生産は三大生産ギルド、そして既に味の付いている料理を販売しているクレセントムーンを擁する〈三日月同盟〉の独走状態になるのが目に見えている。
だが、先ほどの発表で知った中小生産ギルドは今から動く事になるのだ、その事実に気づいた人間達は悠長に宴会に参加してるどころではないだろう。
それよりも、シロエは少女が持っている容器の方がよっぽど気になった。弁当箱タイプの四角いガラス容器なんて初めて見る。――多分弁当箱はそのギルドの自作だろう。料理とは違う方向で自力でメニューに頼らないアイテムの開発に辿り着いた人間もいたと言う証拠だ。予想の範囲内ではあるが。
「ねぇ、君の所のギルドマスターは誰だい?」
「……〈秋葉切子〉、ギルマスは黒駒」
すぐに取られる料理をなんとか確保しようと必死になっているクラウに代わり、アイザックがシロエの質問に答えた。シロエは意外そうな顔をする。
「あれ……確か、ずっと昔からアイザックさんのギルドに居た〈名工〉の人でしたよね……いつ抜けられたんですか?」
シロエの投げた疑問の言葉にアイザックは露骨に不機嫌そうな顔になった。迂闊に聞いていい事ではなかったようだ。
黒駒の現状の製作状況についてもう少し詳しく聞きたかったが――アイザックの目が痛い。シロエは軽く礼をしてその場を離れる。
「ねぇ、総長さん、あの人誰?」
「……〈記録の地平線〉ってギルドのシロエっていう、ものすげぇ陰険な奴だ。チビ、オメーはアイツに近づくなよ。陰険が感染るぞ」
ようやくタッパーを一杯にしたクラウの言葉に、アイザックはそう答えた後――しかめっ面のままシロエの去った方へ向かって追い払うように手を払った。




