15 ライフ・イズ・ジャンクゲーム
現実なんてクソゲーだ。
何処の誰かが言ったかは知らないが結局はそんなモンだ。
「黒駒ー、居るかー!?」
〈秋葉切子〉のギルドホールの作業部屋にアイザックの声が響く。
いきなりのドアを開ける音と大声に驚き、呼ばれた主である黒駒は持っていた素材を取り落としそうになったが――そこは冒険者の反射神経、間一髪で脚で挟んで受け止める。
「……い、いきなり作業部屋に入ってくるなって言ってるよねっ!」
「つっても、確実に人いるのって作業部屋しかねぇじゃねぇか。オッサンもチビもいねーしよ」
「……ああ。二人は買い出しに出てたっけ」
黒駒は、脚に挟んだままの素材を丁寧に作業台に置いてから、ゴーグルを外す。
「んで、今日は追加注文?」
「単に顔見に来ただけだっつの。ま、明日にはフィールドに戻るけどな」
ふうん、と黒駒は生返事で返すが、表情が邪魔するなら帰れと訴えている。
「そんな顔すんな。今日は差し入れもあるから」
作業部屋から中央の共用リビングに移動した後、アイザックは鞄から紙袋を取り出して黒駒に渡した。
まだ温もりのある袋を開けると、この世界に来てからはすっかり忘れていた香辛料と焼いた肉の香りが漏れ出す。中身は――焼いたチキン。
「……何これ?」
「騙されたと思って喰ってみろよ」
その言葉に促され、黒駒は袋から取りだしたチキンを恐る恐るかじる。――しかし、いつもの無味のシケ煎餅とだろうという予想を裏切り、見た目通りの肉を噛み切る感触と、濃厚な香辛料と肉の味が口の中を直撃する。
瞬間、黒駒はびっくりして口元を押さえる。
「……味がある。お肉……」
「ああ、スゲェだろ?」
「う、うん……」
黒駒はそのまましばらく固まる。驚きすぎてそれ以上の感想が出ない。
ずっと味のないものを食べる事に慣れたせいか、予想以上に香辛料に舌が驚いており二口目に戸惑う。――このまま食べると一気に舌が馬鹿になりそうな気がしたのだ。
黒駒が二口目を躊躇ってる暫くの間、アイザックの視線に気づいた。明らかに手の持った食べかけのチキンを凝視している。
「なぁ、もう喰わねぇなら……それ喰っていいか?」
「あ、うん。いいけど」
黒駒は一口かじったチキンをそのまま差し出すと、アイザックは奪うように取った後、改めて念を押す。
「……本当にいいんだな、後で文句言わねぇよな?」
「いいよ、いきなり味濃いの食べて驚いただけだってば。今度欲しい時は自分で買いに行くし」
「ひょうれつふごいぞ、へんはもおひてるらひいひ」
「……その辺の話は食べてからでいいから」
味覚の余韻にを感じつつチキンを食べているアイザックを見てると、『本当に味のある物に飢えているんだなぁ』と言う小学生並みの感想しかでなかった。
人間、基本的には三大欲にはあまり勝てないように出来ている。
この世界に来てからは味も食感も無いシケ煎餅しか食べれず、いきなり味の付いたアイテムがあったら独占したくなる方が普通だ。
むしろそんな珍しい食べ物を身銭を切って分けてくれるというアイザックの非常に珍しい今回の心がけをちょっと褒めてもいい気がする――ただ、明日あたりアキバに雹や槍が降るどころかレイドモンスターが突っ込んで来てもおかしくないような感じがしなくもないが。
「……そういやそのチキン、なんで味あるんだろうね」
「ふぁな」
骨についた肉まで完全にしゃぶり尽くしているアイザックを横目に黒駒はぼんやり考える。
イヌイサンによると、解散前のギルドで〈料理人〉のメンバーが普通にメニューで作っても大地人がそこらで売ってるシケ煎餅料理にしかならなかったそうだ。黒駒も一度ナイフでリンゴの皮を剥こうと思ったらリンゴごと丸々ゲルになったのを覚えている。
しかし、先日〈ガラス職人〉である自分が手前味噌ながらアイテムを新しく作れた事を考えると、脳内でひとつの仮説が持ち上がる。
――サブ職スキルで、メニューを使わず手作業で製作すれば新アイテムができるとように、味の付く料理もそれでできた産物ではないのか?
現実世界の調理知識と技術は一人暮らしが長いため、それなりには出来る方ではある。
スキルの方も、料理人のレベルを一時的に付与する『新妻のエプロンドレス』を持っている。昔、アイドル声優のコラボイベントのフルコンプアイテムと交換で手に入れたものだ。
だが、素材になりそうなもの――調理せずとも食べると味のある果物や野菜は需要が高いため高騰している。かといって、足りない材料をフィールドで素材採集するにしてもギルド単位の縄張りのごたごたやらモンスターやPKの襲撃と障害は多いだろう。三人分の材料を揃えるだけで下手なガラスのアイテム製作以上に金銭と手間がかかりそうだ。
そもそも材料が揃ったとしても、ちゃんと味の付いた料理が確実に出来るかは不明である。少しでも手順を間違えたらゲルになるかもしれない。それに、アイテム補正が乗らない可能性もある。
味のある食べ物は魅惑的ではあるが、今の時点で実際試す事を考えると、思った以上にリスクが高い。思わず黒駒の眉間に皺が寄る。
「おめぇ、何難しい顔で考えてんだよ」
すでに食べ終わっていたアイザックに指先で額を軽くつつかれ、黒駒は我に返る。いつの間にか難しい顔になっていたようだ。
「いや、どうやったら味のある食べ物が出来るのかなって」
「それが解りゃぁ大儲け間違いなしだが……解るのか?」
無言のままの黒駒は首を振る。試してもおらず確信が持てない事は口には出せない。
「オメェは考えすぎなんだよ。これもやるから飲んで落ち着け」
アイザックは黒駒にグラスを持って来させ、水筒を取りだして黒薔薇茶を注ぐ。
コップに移された黒薔薇茶の匂いをかぐと、お茶の匂いがする。紅茶系統の味だろうか。
飲んでみると砂糖が入ってるのか、微かに甘い。
「……おいしい」
黒駒は久々に飲んだお茶の味にホッとする。今の自分には香辛料の強いチキンよりこっちの方がいい。
「俺は緑茶や麦茶とかの甘くない奴の方が欲しいんだが、こっちでも無いより断然マシだな」
「うん。飲み物もやっぱり味あるのと無いのじゃ全然違うね……わざわざ持ってきてくれてありがと」
「うちも調達で無茶言ってるしな。たまにはいいってこった」
2人は茶をちびちび飲みながら話を続ける。
「そういや、アイテムの方まだ半分しか出来てないんだよね。あの浄玻璃のビーズの方がやっぱり時間かかっちゃって」
カップを両手で包み込みながら、黒駒は何かを示すように工房のドアの方に軽く顔を向ける。
「ああ、〈黒剣騎士団〉が頼んだブツか。材料の在庫の方は大丈夫か?」
「その辺はまだ大丈夫。アプデ前に限界まで溜め込んでたから」
「まぁ普通はそうだよな……生産職は特にアプデで何が必要になるか読めねぇしなぁ」
アイザックの言う通り、通常のゲームであってもアップデート後は新レシピが追加される事も多く、何が起こるか解らなかったため――黒駒は事前に倉庫と手持ちの部屋に入るコンテナの数限界まで素材の購入と採取をしていた。もし怠っていれば今頃どうなっていたか解らない。
「しかし、今はいいんだけどさ、材料に冬の精霊山でしか取れないのがあるから……冬にはあっちに行かなきゃいけないんだろうけどね。取りに行けるのかなぁって」
「って、お前自分で取りに行く気かよ?」
「言って誰かが取ってきてくれるの? クエストでもあるまいし」
黒駒はまた眉間に皺を寄せる。――同時に、アイザックも眉間に皺を寄せ、口をへの字に曲げる。
そして、互いに無言になった。
〈秋葉切子〉の在庫もそうだが、今の状況を考えると――この街全体の人間の気持ち自体が冬まで持つのかすら解らない。
既に固定されかけているアキバの力関係や、とりまく環境。
様々な冒険者が切望していた『味のある食事』が出現したとはいえ、まったくいい未来が予想できない。
「あー、そいやよ、お前はうちの他の取引先とかに興味はねぇのか?」
流れだした良くない空気をかき消すように、アイザックは呟く。
その言葉に黒駒は〈大災害〉後はじめて注文された時にアイザックが言い淀んだ言葉や、ナカノモール帰りのレザリックと文吾の言葉を思い出した。
「……ん。今は聞かないでおく」
「そっか。……ひょっとしたら俺らがお前の知らないところで凄ぇ悪い事してるかもしれねぇぞ?」
自分達をそう茶化すように言うアイザックに、元居た場所とは言え、余所様のギルド事情に踏み込むほど恥知らずじゃないよ――と言って黒駒は頬を掻く。
「それにさ、当人に悪いって自覚があるならいつか罪悪感で辞めるよ。そう長く続かないかな」
その言葉にアイザックは一瞬真面目な顔になった後、椅子からゆっくり立ち上がる。
「……そろそろ俺帰るわ。アイテムは引き続き頼む」
「はいはい。じゃ、また」
その去って行く姿に、黒駒はヒラヒラと手を振った。
アイザックがギルドホールのメインドアから出ていった後――入れ替わるように、アイテムの買い出しに向かっていたイヌイサンとクラウの親子がドアを開ける。
「今そこですれ違いましたけど、またアイザックさん来てたんですか?」
「うん。お仕事の調子どうですかー、アイテム出来ますかーって感じの話かな」
「毎回思うんだけど、ギルドの一番偉い人なのになんで来るんだろうね。そんなの他の下の人達に任せりゃいいのに」
「……クラウ、大人になってお仕事してると上の人が出なきゃならない時は結構あるんだよ。それに今のご時世、アイテム確保が大変だからね」
イヌイサンの真面目な言葉に黒駒は曖昧な笑いで返す。
(フィールドに出る準備が終わるまでの暇つぶしで来てたんだけどなぁ)
どうもイヌイサンは『アレ』への評価がちょっと高すぎる気がするが、相手はまがりなりともアキバでも有数の戦闘ギルドのギルマス、この辺の身内の視点が抜けてない自分の思考がおかしいのかもしれない。
「そんな感じかな。ちょっといいもの貰ったし」
黒駒はコップを軽く掲げて中身を見せる。濃褐色の黒薔薇茶が揺れた。
「差し入れで味の付いたお茶貰った。後チキンもちょっと味見させてもらったかな」
「あの〈クレセントムーン〉のですか? 良く手に入りましたね。あの店、早朝から大行列だし、しかもよっぽどじゃないと買えませんよ。流石大手ギルマス、太っ腹ですね」
「へぇ……」
食べながらだから詳しくは聞き取れなかったが、アイザックも行列が凄いとか揉め事が起こってるとかそれっぽい事を言っていた気がする。
「そんな貴重なもの貰うって、向こうさんもアイテム調達とか大変なんじゃないですかね」
「かもね。ギルドの大小関係なく、今は何処も大変なんじゃないのかなーって……」
黒駒は少し考えるように目を閉じた後、大きく息を吐く。
自分達は何をしていいかも解らないままこの世界に放り出された。
魔王を倒して世界を救う勇者になれとか、皆と協力してこのゲームをクリアしろとか、そんなものは一切無いのだ。
いきなりゲーム世界にブチ込まれて放置プレイ、システム側からは明確な目標もお題目も出てきてはいない。
なんやかんやで世を儚んで死んではみてもこの世界に強制送還のリスタート。
だから結局、今は皆自分ができる事しかできないのだろう。
――本当の事を言うと、必要以上に酷く暗くなりそうで出来ればその辺りは一切考えたくない。今の自分はガラスの事だけ考えておけばまだ楽になれる気がする。
「……向こうさんにも急かされてるみたいだし、仕事に戻ります」
黒駒はそう嘯くと、残りの黒薔薇茶を一気に飲んで、工房に戻った。
アイザックはギルド会館の階段を降りる。
黒駒はEXPポットの件について感づいているに違いない。
そもそも、街を歩けば『そういう噂』はいくらでも転がっている。流石に気づかない訳がない。
「お帰りなさい。言われていたアイテムの補充終わりましたよ」
ドアを開け、すっかり薄汚れたギルドホールに帰るとレザリックが早速書類の束を渡してきた。
「副長からです。明日から3日間の行軍リストになります。確認しておいて下さい」
それなりの年齢を感じる筆跡の書類表紙を見ると、高レベルエリアの地名が書かれていた。
「シンジュク御苑か……微妙だな」
「ゲーム時代のレベルから考えるとそろそろ行けない事は無いと思いますけど」
「まだ練度が不安だろ? ただ、なるべく早めに行かなきゃいけねぇところではあるがな……」
アイザックは書類束から目を上げる。
「ま、死んでも死ぬほど説教されてこっちに戻されるだけだ。問題は……多分ねぇか」
「では、しっかり読んで内容を確認して漏れがないか報告して下さい。確認次第、副長に複写を頼みます。……それと、別ルートで移動する追加の編成メンバー表はもう少しで準備できますので」
「……おう」
アイザックは書類を手に持ったまま、比較的汚れていない執務室に移動し、安い家具アイテムだけで体裁だけ整えただけのソファーに座って改めて書類の束の厚さに顔をしかめる。――紙自体が現実世界のコピー用紙より厚いのでそう感じるだけなのかもしれないが。
中身は予定のパーティーメンバー編成、ギルドから配布するアイテムとその在庫、現在解っているモンスターの情報――内容はゲーム時代にテキストでやり取りしてたものとさほど変わらない。
とは言え、束の書類として押しつけられると現実的な仕事をしてる感じが半端ない。
『現実はクソゲー』だと言ったのは誰だったかは知らないが――おおむねその通りだとアイザックは思う。
あの楽しく遊び続けていた〈エルダー・テイル〉が現実になった瞬間にご覧のクソゲー仕様である。
そして、何枚か書類を読み進めると、『EXPポットの使用条件について』と言う項目が目に付いた。
――EXPポット。
これの確保のために、現在進行形で低レベルプレイヤーが一部のギルドで幽閉されているらしい。
そして、その手のギルドからの購入に関しては、『身内を守り強くするための必要悪』と一応は割り切っている。――仕方ないが、ゲームもどきのこの世界に適応して生き延びるにはこちらにだってそれ相応の力が必要なのだ。
〈黒剣騎士団〉擁する人数はおよそ二百人以上。現実で換算するなら己のポジションは結構な規模の中小企業の社長と言ったところか。女性プレイヤーがかなり西風に流れて人数が減ったとはいえ、この人数を『目の前にして』自分に仕切りきれるかと言う微かな不安もある。
現実世界の自分の家を思い出さなくもないが、アレと一緒にするのはどうも間違っている気がする。
(俺はただ、ゲームやってただけなんだがなぁ……)
気がつけば仲間達とゲームの世界に迷い込み、最強の武器を手に入れ、超人的な肉体を手に入れた。
しかしやってる事はどうだ――現実と変わらないどころか強者が弱者を蹂躙する無法地帯になりつつある。
自分達が入れ込んでいた〈冒険者の世界〉は弱い人間からから搾取するこんなどうしようもないクソゲーだったのか。
――当人に悪いって自覚があるならいつか罪悪感で辞めるよ。そう長く続かないかな。
沸き上がるやり場の無い苛立ちの中、先ほど聞いた黒駒の言葉が脳裏によぎった。
確かに、自分の今感じているこの苛立ちは、罪悪感なのかもしれない。
「アイザックくん、残りの書類です」
いつの間にか執務室に入ってきていたレザリックの声に、アイザックは我に返った。
テーブルには新しい書類が置かれている。しかも、数は倍ほど。
「……畜生、やっぱクソゲーじゃねぇか」
アイザックは小さく悪態をつくと、読み終わった分の書類束をテーブルの上に放り投げた。




