表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

お妃様は無事王様を暗殺できるか?

作者: 丹羽夏子

 この国の王と妃は、比翼連理の相思相愛で有名だ。



 ある日、王がある書簡を眺めて「おお、もうそんな季節か」と呟いた。

 彼女はそれを敏感に聞き取って耳をそばだてた。

 王の一挙手一投足を監視するのが彼女の務めだ。

 王は何らかの文を広げている。その文が誰からでどんな趣旨のことが書かれているのか王の反応から推察しなければならない。手元を覗き込んで差出人の筆跡を確認するわけにもいかないのだ。そんな分かりやすい行動を取って自分が王の書簡をできれば読みたいと思っていることが見つかってしまってはならない。

 もしも自分の正体が王の暗殺という使命を帯びた刺客であることが知れてしまったら、絞首刑どころではない、拷問の上市中引き回しという前菜がついてくるだろう。

 我が身の危険と使命の遂行を天秤にかける。結果、彼女はどこか呆けた顔で「はー」だの「へー」だのと呟いている間抜けな王に背を向け、聞き耳を立てていなければならなくなっている。侍女に習ったとおりに茶を淹れながら、だ。茶の湯気が指先に触れ火傷しそうだが指先の火傷など王のもとへ届いた書状の内容を知るという重大な務めの前では些細なことであり――

「……――はいつだったかな?」

 突如王が問うてきた。彼女は「はいっ」と返事をした――のまでは良かったが、声は裏返ってしまったし、茶器とティーカップがぶつかり音を立ててしまった。

 振り向くと、王と目が合った。いつの間にか王が背後に立っていた。

 しまった、背後を取られた。聞き耳を立てながら茶を淹れるのはさすがに集中力を分散し過ぎたか。

 血の気が引くのを感じつつ、ドレスの下の腿にくくりつけてある短剣に手を伸ばそうとした。今ここにいるのは王と自分の二人だけだ。もし王に自分の正体が知れても、王を殺せば王の口を封じることができる。

 否、それはまずい。ここで無計画に殺せば、死体を始末できない。それにこの茶器を運んできた侍女たちがこの部屋で自分たちが二人きりであることを知っている。すぐに犯人が自分であると割れてしまうだろう。

 王が「危ない」と言った。大きな声に驚いた。短剣を隠し持っていることが見つかったのかと蒼白になったが――

「火傷するぞ」

 王は素手で茶器を押さえた。沸騰した熱湯の温度に熱せられている茶器を、だ。

「いけませんっ、陛下が火傷をしてしまいますっ」

 心配するふりをしてそう叫ぶと、王は「本当だな」と苦笑して、震える手で茶器を台の上に置いた。指や手の平が真っ赤に腫れている。

「でも、お前がちゃんと手元を見ていなかったようだから――お前が火傷をすると思ったら、つい」

 彼女は衝撃を受けた。自分が彼の反応にばかり集中していて茶の方に気を払えていなかったことを知り、自らの未熟さを恥じた。

 けれど、うつむいた彼女に、王は「大丈夫だ、このくらい」と囁いた。彼女が自分の落ち度のために王を負傷させたことで落ち込んだとでも解釈したのであろう、王は「冷やしておけば問題ない」と笑った。

「あのままだと、お前の手が熱湯をかぶる気がしてな。直接熱湯をかぶったら、もっと大変なことになっていただろうから。だから、これで良かったんだ。あまり気にするな」

 彼女は必死に考えた。こういう時、どう振る舞うのが自然だろうか。自分はもっと彼の心配をしているふりをすべきではなかろうか。自分に代わって火傷をしてくれた夫のために妻がする行為とは――傷の手当てか。

「どうぞそのままお動きにならないで、傷薬を取ってまいります」

 ドレスをつまみ、早足で棚の前へ移動した。棚の抽斗に簡易薬箱が入っているはずだ。

 薬箱を取り出してから、彼女は手を止めた。

 薬箱の中身をすり替えられていたらどうする。毒薬が紛れ込んでいるかもしれない。今時蜜蝋に混ぜて毒草の要素を仕込むことなど自分でもできる造作ないことだ。もし塗る自分もが毒に侵されてしまったら元も子もないし、自分の標的である王を自分以外の誰かに殺されてしまうというのも困る。

 そもそも、ここの薬箱は、いったいいつからあるものなのだろう。自分は王自身から何かの時のためここにあることを教えておくから使うといいと言われていたのだが、もしかしたら王自身も自分を騙すためにあえて危険な薬物をここに入れているのかも――

「その薬箱はもう使わない方がいいかもな」

 王の声がした。やはり己れの身の危険を感じて――

「お前を妃に貰ってから一度も点検をしていないからな。腐ったりなどして効能がなくなっているかもしれない、今度侍医が来た時にでも専門の薬師を紹介してもらって中身を入れ替えよう」

 振り向くと、王は、食事の前後に手を洗うための金盥の水に手を浸して冷やしていた。茶とともに食べるつもりで焼き菓子を用意していたのだ。

 王に言われてから気づいた。侍医を呼ぶという手があったか。

 否、侍医とて信用してはならない。むしろ侍医こそ王の身体に治療を口実としていくらでも触れられる存在だ、侍医に王を殺されてしまっては面目が立たない。

 それでも侍医をと言うべきだっただろうか。まず医者を呼ぼうと思うのが愛する夫のために取るべき行動だっただろうか。何をすべきだったのか、何をすれば自分は疑われず済むのか。

 必死に考えているうちに、王に、火傷をしている方とは違う手で、頭を撫でられた。

「だから。気にするなと言っているだろう。この程度のことでそんな顔をするな」

 自分がいったいどんな顔をしているのか、彼女には分からなかった。情けない。表情ぐらい制御せねばと、気を取り直して「はい、申し訳ございませんでした」と言いながら、少し申し訳なさを残した苦々しい笑顔を心掛けてみる。

「少し疲れているのではないか?」

「はあ……、わたくしが、でございましょうか」

 自分の机に戻りつつ、王が「そう」と頷いた。

「ずっと慣れない城暮らしで、息抜きができていないのでは? 教育係がやたらとお前に王族らしい振る舞いを求めて厳しくしていると聞いた」

「それは――」

 まさか自分が組織に育てられた暗殺者であるとは言えない。彼女は郊外で育った教養で劣る下級貴族の娘のふりをしていた。妃として見初められるまでは屋敷から出たことがほとんどないという設定を守るために、世間知らずのふりもしなければならない。事実彼女は王に会うためだけに王侯貴族が本来身につけるべき教養というものを付け焼き刃で習ったのである、粗が目立つのも当然のことだろう。

 それに、もしかしたらあの教育係は気づいているのかもしれない。自分の正体を――王を弑逆するために放たれた刺客であることに気づいているからこそ、厳しく当たっているのかもしれない。そうであればなおのこと田舎貴族の残念な娘のふりを続けなければ、万が一王に自分の氏素性を調べ直すよう訴えられたらお終いだ。

「やはり、この誘いは受けた方が良さそうだ」

 王が先ほどの書簡を手に取り、彼女の方へ振って見せた。彼女は思わず「あっ」と声を上げた。彼女はその文の内容を知りたかったのだ。

 王の方から内容について触れやすくなるよう話を振ってくるとは、いったいどういうつもりだろう。何かの罠だろうか。試されているのか。それとも女なのだから男のすることに口を出さないようしつけられているのか確認しようとしているのか。どう反応するのが正解なのだろう。

 彼女が考えているうちに、王が「狩猟の会の案内状なのだが」と告げた。

「秋だからな」

 何の事はない、よくある貴族の嗜みだ。考え過ぎて損した。

 否、損ということはない。

 狩猟ということは、参加者は皆弓矢や小銃や猟犬を用意する。これは王をどさくさに紛れて殺害する好機ではないか。先手を打って何か策を練らねば、自分以外の暗殺者も同じことを考えているはずだ。誰よりも先に王を殺すためにはいったい何を用意すればいいのか。

 その前に、誰が王を狩猟に誘ったのだろう。主催者を確認しなければならない。もしかしたらその者が王の命を狙っている可能性もある。もしくは、自分の命を狙っている可能性もある――田舎から出てきてすぐに王の心を射止めた不審な娘を怪しんでいるかもしれない。自分の身を守ることも考えねば――

「狩りは嫌いか?」

 彼女は息を呑んだ。

 それは、どういう意味だろう。文字通りの、狩猟のことを言っているのだろうか。彼女のいた組織では、標的を狙うことも狩りと呼んでいた。つまり自分は今王を狩ろうとしているところだ。まさかそのことに気づいて、何ヶ月も王を狩れないでいる自分を揶揄して言ったのか、それとも――

「生き物を殺すのは、女性には刺激が強過ぎる、か。兎を獲っただけで得意げな顔をする奴も大勢来るだろうしな。俺だったら鹿などの大物を獲ってきてやれるが――いや、鹿の剥製など姫君の部屋に飾るものでもないか、せいぜい夕飯の肉料理だな……ん、それだったらむしろ兎肉の方が好きか?」

 本当に、本物の、狩猟の話をしているらしかった。彼女はどうにか思考のすべてを振り払い、「いいえ」と答えた。

「そもそも、あまり、参加したことがございませんので……できることでございましたら、お傍にお控えしてご様子を間近で拝見させていただきたく」

「そうか、そうか。では、行こう」

 彼女はそこで、今こそと思い、声を振り絞った。

「ところで、どちらで開催される狩猟の会なので……?」

 それを聞けば誰が主催者なのか把握できると思ったのだ。

 王は簡単に答えた。

「隣の国だ」

「とっ、隣!?」

「ああ、弟が主催なのだが……あれ、教えていなかったか? 俺には弟がいて、という――」

 知らないわけがなかった。王には長い間ともに暮らしてきた双子の弟があって、彼が王位につく少し前に隣国の女王へ婿入りしたのだ。隣国とはもともと友好的な関係にあったが、この婚姻を機に両国の関係はさらに深まり強固な同盟関係が築かれたと聞く。

「いえ、まさか、とんでもございません! 存じ上げております」

 しかし、双子の弟――それこそ大丈夫なのであろうか。自国で王になった兄を妬んではいないだろうか。いったいどういう理由で弟が隣国へ婿入りし兄が王位を継いだのだろう。それ如何では王が命を狙われるに足る理由になりはしないか。

 もしその狩猟の会で弟による差し金と鉢合わせしようものなら、自分はいったいどうすべきか。王の命を狩るべきはあくまで自分なのであるから王を守るべきか、自分の手を汚さなくても王を倒してくれると思えば委ねて自分は知らん顔をしているべきか――

「……うん。やはり、二人で出掛けようか」

 王は再び立ち上がると、「よしよし」と言って、彼女の頬を撫でた。

「案ずるな、あいつはあれこれうるさいことを言う奴ではない。双子にしては珍しく俺とあいつは性格にも似たところがある、顔などはほぼ一緒だし、恐ろしくはないだろう。女王陛下にもご挨拶をした方がいい――とは言え、あいつめ、女王陛下がまだお若くてあいつにご執心なのを良いことにあいつが王のような顔をしてせっせと政務をこなしていると聞いたが、横のつながりは少しでも多い方がいいからな……」

 「いやあ、生まれ故郷に残った俺の方が貧乏くじを引いた気分だ」と言いながら、彼は扉の方へ向かった。

「秘書官を呼ぼう。次の俺の休暇と弟の言っている日程が合うか確認して、調整をしなければ」

「お……お出掛けになるので?」

「当たり前だろう」

 王が振り向いて微笑む。

「道中は紅葉が美しいぞ。お前の目もきっと楽しませてくれるだろう。良い気分転換だ。ここのところ慌ただしくて二人で過ごす時間も少なかったし、いろいろとお喋りをしながら一、二泊程度旅行と洒落込もうではないか」

 お喋りを――話を、しなければならないのだろうか。何を話さなければならないのか。まさか王は勘づいているのか、自分が彼を狩るために来た刺客だということを――もしもそうであればいつからだ、彼を謀るつもりで謀られていたのだろうか、自分はこれからどんな目に遭うのか――

「おお、たまには馬もいいな、妻と二人乗りもなかなか民に自慢できてオツでは――」

 秘書官と立ち話を始めた王に対して、彼女は慌てて「待って! お待ちください!」と追い縋った。

「馬は! 一国の王ともあろうお方が裸で馬など、それもわたくしをともに乗せてなど――」

 途中で毒矢でも射掛けられたらあっという間に殺されてしまうではないか、と言いたかったが、王は「ははは」と朗らかかつ軽やかに笑った。

「照れ屋だな、お前は」

「えっ」

「仕方がない、我が妃は恥ずかしがりなのだ。馬車を手配してくれ」

 秘書官が「かしこまりました」と言って下がっていく。彼女は、そういうことではないのだけれど、と言いたかったが、言える雰囲気でもなかった。言えば言うほど泥沼にはまっていくような気がしたのだ。

 自分は、いったい、いつになったらうまく王を殺すことができるのだろう……。



 この国の先の王と妃は、比翼連理の相思相愛で有名だった。

 死が二人を別つ日が来るまで、末永くともに暮らした。婚姻の日より幾十年ののち、王位を返上し息子に冠を譲った上王がたくさんの子や孫に囲まれて安らかに息を引き取ると、大后と呼ばれるようになった妃もほどなく子供たちが彼女のために建てた離宮で穏やかな眠りについた。

 ただ一点、大后が臨終の際、「こんなはずではなかった」と呟いたという記録が残っているのだが、それが何を意味しているのか分かる者は誰ひとりとしていなかったという。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] これは酷い・・・(笑) 子沢山ってことは、何度も行為に及んでるはずなのにその最中に殺せないのはヘタレすぎる。 隠密が近くに潜んでると警戒し過ぎたのかな?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ