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復讐の狼  作者: ネンネコ
3/5

混沌

『残り約200mを右方向です』


大型モニター、目の前のカーナビはこの未曾有の大暴動を知ってか知らずか、いつも通り、軽やかな女性の合成音声でそう告げると目標地点を赤い点滅で指し示した。

大通りを外れ、やたら勾配の続く閑静な高級住宅街、散乱したゴミくずと所々廃墟と化した一戸建ての立ち並ぶ一角に、かつては上司だった長谷川刑事部長の家があるようだった。


あの日から約40日…。

ここに居を構える住人達が自衛目的のため慌てて設置したのだろう。鉄条網の巻かれた土嚢のような物が道路を塞ぐよう点在していたが、長らく続いた雨の湿気にやられたのか土嚢袋が破れ鼻を塞ぎたくなるような異臭を放っていた。


日が傾くにつれ護送車のヘッドライトに淡く照らされた、今はもう誰一人歩くことのない高級住宅街の道路は、この秩序を失った世界のなか、俺の目にひどく陰鬱な風景に映り込んでいく。普段の日常ならば富裕層、暖かく灯し出された家々の中、高級食材を惜しむことなく費やされた温かい手料理のもと、大型犬を横に一家団欒、談笑混じりにピアノの優雅な音色でも響いてきそうな情景は、今となってはこの開けた高級住宅街自体、どこか殺風景で人の息吹を感じられないドラマや芝居で使われる、なにかそういった精密に作られた大掛かりな舞台セットにも思えてくる。


この街のよう、巨額の金にまみれた富に満たされた者ほどではないが、確かに「それ」は、この俺にもあったはずだった。

資本主義社会という競争原理のもと、生産性もなにもない、ただひたすらに市民の平和を守り、防犯、そして治安を尽くすことこそが警察官たる公僕の存在意義であり存在理由のはずだった。

だがしかし、それはいつ頃からか芽吹いた邪心、いや人間なら誰でも持ち得る優越感にも似た泥臭い思考が加味され俺の奥底にある良心の姿を少しづつ変えていった。

国民の生活を守る象徴ともいえる職業柄、上司や同僚、誰も表に出すことはしなかったが、間違いなく芽吹いていた一般人とは違う特権階級のような意識。警ら中、ひとたび制服姿の俺を見れば、普段の生活の中、なにか根底に小さな罪の意識でもあるのか行き交う市民は襟を正すような低姿勢のもと、わずかに、しかし確実に感じる妬みとも恐れとも似た波動を込めた視線を送って寄こし、そうさせている自分が得体の知れぬ高慢、高潔な存在に思えてくることも度々あった。


司令部からの緊急通報を受け、赤色灯を回転させ甲高いサイレンでも鳴らそうものなら、道端に土下座し、武士にひれ伏す農民の如き一般車は道を譲ってくれ、不謹慎であると思いつつも渋滞の割れ目を滑走するスピード感に爽快な気分になれもした。


人が人を、いや、人間が人間を真ある公平な意味で裁くことなど決してできはしない。

いくら公正明大に声高に叫んでみたところで個は個であり、人が人であり続ける限り、どんな凶悪犯罪者でもどんな良識人でも本能という名に埋もれた、薄汚れた爪先を隠し持っているのだから。


ガギイィィィ・・・・・・・・


立て続けに煽ったアルコールが今頃効いてきたのか、急激な眠気に襲われ護送車のサイドフェンダーが電柱に擦れる異音で俺は半ば閉じかけた目を無理に見開いた。眠っているのか起きているのか解らないぼんやりとした視界は心地よく、同時に催眠がかった思考が過去の残像を網膜の裏側に映し出ていく。


(自律神経からくるホルモンのバランスでも崩れたんでしょう…)


俺の目を一度も見ることなく電子カルテを打ち込むオタクのような馬面の心療内科の医師は、そう言いながらまるで厄払いは終わった、とでも言いたげなうつろな視線を最後に俺に向けてきた。


(お巡りさんの仕事というのも大変なんでしょうなぁ… まぁ…薬を飲んでしばらく様子をみましょう… あぁ、そうそう…仕事柄アレでしょうが、ストレスの溜めすぎは体に良くありませんよ…グフフ)


老齢の医師、口の端に寄せた患者を見下すような卑下た嘲笑のなか、震える手先でその病院から出てきた記憶が鮮明に思い出された。そんなことは分かっている。逆にストレスがない社会があったら教えてもらいたい位だった。

護送車のダッシュボードに忍ばせている薬局から強奪してきた向精神薬、いつも心療内科から処方してもらっている、普段は毎食後1錠の薬を3錠ひねり出すと手の平で転がした。アルコールとの併用は厳禁らしかったが口内に放り込むと同時に噛みくだし、半分ほど空けたドンペリで一気に喉奥に流し込んでいった。


最近は危険ドラッグなるものが子供から主婦に至るまで世間を賑わせているようだが、そうなってしまった世の中全体の本質を省みることをしない以上、俺のように現実から逃げ続ける者は後を立たないだろう。いや、逆に言えばこの世紀末にも思える腐敗した世の中に現れるべくして現れたちょうどいい処方薬なのかもしれない。


元は綺麗に舗装されていただろう道路。高級住宅街の区画は投棄されたゴミクズや散乱したビニールに埋もれてはいたが、まるで碁盤の目のよう今なお、ここが豪邸の建ち並ぶ整然とした拝金主義で染められていることを俺に感じさせてくる。


「クク… まさか、こんな世の中になっちまうとはなぁ… ククク…」


自分でも解る抑えきれない卑下た笑いが口元に浮かび、俺はまたドンペリを片手に煽っていった。

今までの人生でそれが正当、真っ当であると信じ、培ったきたであろう理性や思想、優しさや慈しみ、また思いやりや労いなど、この荒廃した世界ではクソの紙切れほどにも役立たないように感じた。

古代人がやっと火を扱うようになりマンモスを追って生活を営んでた頃、果たしてそんな道徳観念など存在しただろうか。

答えは否だ。

力が力を支配し、ゆえに力だけこそがあらゆる富を手に入れられる。守るべきは自分と自分の家族だけであり、近隣、同じ種族であっても警戒は怠らなかっただろう。やがて、救われぬ人々は神を作り出したが天から神が携えてやってきたのは愛や慈悲深さなどでは決してない。宗教が導き、もたらしたものは剣と排除、今なお続く人類、闘争の歴史がそれを物語っている。

人間が人間であるべく醜さと残虐性、それを、その連綿と受け継がれてきた「生存競争」を本質性と言うのなら、尊いほどの本能の血潮が栗立つ具合に俺の胸の奥に沸騰するような躍動感となってみなぎっていくのを感じる。

もはや正義でも悪でもどちらでもない。もうその「呼び名」は聞き飽きた。俺は俺の感じるままに行動し、俺の思った通りに生を全うする。


『直進50メートル 間もなく目的地付近です』


機械音、抑揚のない女の声がそう告げると俺はブレーキを踏み重武装のもと警戒しながら車外に下り、蛇腹式の重い扉に電子ロックをかけた。それと同時にボタンを押した瞬間、太い棘の張ってある鉄条網で何重にも覆われた護送車に電流を流した。

常時、大型バッテリーから直流2万ボルトで通電してる窓枠の鉄条網は、人がイタズラし触れようものなら感電した反動でふっ飛んでいくだろう。


長谷川刑事部長の家は半地下をガレージにしているらしく、良くも悪くも彼らしい様相を呈したベージュ色の目立たない立派な鉄筋コンクリート製の家だった。少なくとも離婚した妻の要望に応えたオモチャのような俺の家よりは趣味がいい。玄関先には目立つようこれみよがしに防犯のためか民間セキュリティー会社のシールが貼られていたが、この混沌にまみれた世の中、到底機能してるとは思えない。

ガレージに愛車が駐車していることを見ると在宅はしてるのだろう。しかし表側から覗いた限り、明かりらしい明かりは確認出来ず俺は拳銃と特殊警棒をもう一度強く握り直した。


歳の割りには若い奥さんを貰ったとかで署内で盛大なパーティが催されたのは、俺がまだ警察官に赴任したばかりの頃だ。確か今年中学にあがったばかりの娘と小学校低学年の男の子が居たはずだ。子供達に特別恨みはなかったが、同居しているならば仕方がない。邪魔だてするようなら一緒に死んでもらうまでだった。


とは言っても油断は出来ない。50を過ぎ、デスクワークが中心になってはいるが彼もまた警察関係者であることに変わりはない。ましてやこんな大混乱の世の中になっているのだからそれ相応、暴徒に対する準備、対策はしてると考えるべきだった。

防刃ベストを内側に分厚い防弾チョッキを羽織り、機動隊員が被るヘルメット、右手に拳銃、左手には特殊警棒、くるぶしまでしっかり包んだ安全ブーツ、玄関先に無表情で映り込む、濃紺の武装で固めた俺はこの殺風景な高級住宅街に不気味に浮かんで見えた。


玄関脇を見ると、わりかし広い庭に通じるようリビングに面した大きなガラス窓があり、カーテンレース越しにうっすら暖色系の灯りが点いている。おそらく家族4人、いつもの平穏な時がいつか戻ってくると信じ、息を殺しながらひっそりと身を固めてるのだろう。

向精神薬とアルコールで酩酊したぼやけた頭でいきなりそこを打ち破り突入するのも一興だと思ったが、逆に正面から堂々と伺いたい。俺は唐突にそう思った。


ピンポーン・・・・・・・・・・


玄関先に付いてるチャイムを押してみたが返事がない。俺はガキどもがイタズラでそうするよう、たて続けにチャイムを乱打していった。


ピンポンっ!…ピンポンっ!… ピンポーーンっ!!!…


アドレナリンを含んだ心臓が胸の内側で高笑いするよう激しく踊っているのを感じる。



『だ…誰だね?…』

「あぁ…部長、やっぱりご在宅でしたか…」

『き…きみっ!…なんだねこの一大事の時にっ!… あ?そ、その格好は??…』

「え?…あぁ…これっすか?… まぁ…アレです… 殺しにきたんですよ…」

『な?…なんだとっ!?… きみ!正気かね!??… 今なにをやっているのか…』


俺はその言葉を無視するよう特殊警棒を振りかぶりと、玄関の壁に張り付いてるそのカメラ付きインターフォンを渾身の力で破壊した。


バギっ!!・・・・・・・


すぐに重厚な作りの玄関、ドアノブに手が伸びる。


ガチャガチャ・・・・・ガチャ・・・


「チッ… ククク…めんどくせぇな… いちいち鍵なんか掛けやがって…」


思った通り、重厚な玄関扉は鍵が掛かっていたのだが、それがなぜか愉快で俺は独り顔をほころばせた。

そのまま庭に入り込みリビングの方に悠々と歩いていくと、歩きざま、磨きこまれた大窓サッシを大仰なほど大きく振り被って割っていく。


ガシャーンっ!!・・・・


キャッーーーー!!!


爽快な割り心地ちと、予想通りの悲鳴に俺は4枚全ての大窓を手当たり次第割っていった。

バッティングセンターのそれと同じよう、アッパースイング、カットスイング、そして片足打法のようなおふざけも入れつつそれぞれ渾身の力で割っていく。


ガチャーン!!・・・・・ ガチャーン!!・・・・・・ ガチャーン!!!・・・・・・


いきなり庭先から窓を破り、厚底ブーツでリビングに現れた男に驚かない方がおかしい。


しかし俺の目に映ったのは想像してた年齢層と多少違った顔ぶれだった。今年中学に上がったとばかり思っていた娘はどう見ても高校生、下手をしたら成人で小学生低学年だと思ってた弟の方は中学にはなっている。

上司とはいえ、自分に全く関係ない子供の育ちは驚くほど早いらしく、それだけ部長と俺とは異なる時を過ごしてきたと言えるのだろう。


床に座り込んだまま母親と抱き合い驚愕の表情で震えながら俺を見つめる母娘は別にして、中学にもなった坊主頭の少年は、勝手に土足のまま上がり込んできた俺をすぐさま敵とみなしたのだろう。玄関先から戻ってくる父親の長谷川を待たず、リビングの中心から真っ直ぐ体当たりという古典的な手法で窓際に立っている俺に応戦してきた。


パンっ!!・・・・・・


俺の胸先に突っ込んできた息子の坊主頭、瞬間、撃たれた弾丸が少年の腹部を貫通し、向こう側に据え置いてある60インチの薄型テレビの片隅にヒビを穿きながら跳弾した。


カッ・・・・・・・・・はっ・・・・・・・・・・・・


すぐに玄関先から戻ってきた長谷川が驚き信じられない、といった様子で俺と、俺のそばに苦し気にうずくまる息子を交互に見つめ返していく。


「か…和樹っ!和樹っ!!… お…おまえ…」

「遅い遅い…来るのが遅すぎですわ部長… そんなんじゃ守れないでしょ…家族を」


珍しく体内を貫通した弾スジに、俺は胸の内側から沸き起こるどうしようもない衝動を抑えきれず、能面のよう曇ったフルフェイスのヘルメットのまま、そこに立ちすくんでいた…。

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