酩酊
人とは、こうも変わってしまうものなのか・・・・・
普段、取り締まる側に居ると気付かないことが多くある。
大型の護送車を運転しながら堂々と飲む酒がこんなにも美味いとは知らなかった。俺はドラッグストアから強奪してきたニコチンが強めのタバコと、アルコール度数の強いスコッチウィスキーを片手に陽が落ちゆく国道沿いを走っていた。
最近のドラッグストアはなんでも揃っている。禁煙パイポとタバコが綺麗に並べられ、効くかも怪しいダイエット薬とクズ脂で固めたサラミが同じ棚で売られてるのだから愉快にもなってくる。
一介の巡査長であるこの俺が長谷川刑事部長に個人的な恨みを持っているか?と問われれば答えはNOだ。しかし、リストとして名を連ねている以上、俺の持つ道徳的な観点から考えても行使しなければならない事案のひとつだった。
職業上、警察官といえば聞こえはいいが、その実、内部は昔から続く悪しき村社会となんら変わりがない。
いや、むしろ民間のそれと違い、官僚どもの天下り、長い年月を掛け甘い土壌に根付いてきた利権まみれの居心地のいい環境は自ら差し迫ってまで変える必要性もなかったのだろう。そのせいもあるのか管轄地区を取り仕切る所轄署長を筆頭に、まるで独裁する大王のよう目に見えない権力の波動が町の片隅にある小さな交番まで蔓延し実質、交番勤務の管理者である巡査部長の役職にでもなれば参勤交代のよう所轄署にご機嫌伺いに出向かなければならない慣習が俺の公務先にも残っていた。
長谷川部長もそうだったがリストの上部、去年警視になったばかりの小野寺署長はどうしても俺の手で裁きたい。上司が部下に叱責するのは一向に構わないが、彼はあの日あの時、とうとう俺の地雷を踏んでしまっていたのだから…。
ドンっ!・・・・・・
考えごとをしてる最中、右前方、護送車が今度はなにか小さな子供でも轢いたのか、大きく分厚いタイヤが柔らかい縁石にでも乗り上げたよう車体がわずかに傾いた。
「チッ…いちいちなんだよ… バカ野郎が…」
俺は吸っていたタバコを火の付いたまま車内の床に落とし、厚底靴で揉み消しながら低い声でそう言った。ラッパ飲みしているウィスキーが喉を焼いていく感覚がどうにも心地いい。
サイドミラーを見ると子供だと思ってた物体はどうやら老齢のか細いジジイだったようで、枯れ枝のような老体に付いた禿げ頭を血まみれにさせたまま高速のシュレッダーにでもかけられた具合に車体後部から勢いよく吐き出されていくのが見えた。
昨今、高齢化社会と叫ばれてはいるが、こうも老人ばかりだと嫌気も差してくる。何を考え国道にはみ出し歩いてたのか知らないが轢いてしまった以上もう致し方ない。彼の天寿はまっとうされたのだろう。
高台から見る町並みはあちこちで火災が発生しているようだったが当然のことながら消防車のくる気配はない。ダンボールや汚らしいビニールが晩秋の強い風に煽られ飛散し、この辺一帯も相当に道が悪かった。
先ほどのGPSを使った自動運転中、乳母車ごと行きずりの婆さんを轢いた辺りの車道から大きな家具やゴミが道路に散乱してるのが目に入り、広い国道とは言え手動運転に切り替えしてから数十分経っている。
「チ… あぁ…めんどくせぇな…」
座席シート、尻に響く護送車の出す軽やかな振動に揺れながらアクセルを踏み込むと夕暮れ間際、フロントガラスに広がる所々黒煙に染まり荒廃した町並みをぼんやり眺めつつ、俺は当時住んでいた我が家のことを思い浮かべていた。
結婚してから3年、今にして思えば遠い過去の残像のようにも感じられてくる。
警察官学校時代、たいして仲も良くない友人に酔った勢いで紹介された色目を使ってくる彼女にほだされ肉体関係を持ったが最後、俺もその気になり、一緒になるのと同時に建てた注文住宅なるものは、妻の要望で赤や黄色を多様したパステルカラーを基調とした見た目もカラフルなまるでオモチャのような家だった。
どうしても一戸建てがいいの・・・・・
公務員らしくお金を掛け、一流ホテルで派手に開催された結婚式で撮った制服姿の俺と彼女。
今思えば俺が公務員ということもあっての彼女なりの計算だったのだろうが、郊外とはいえ都内に電車で数時間で行ける土地はまだまだ高く、結果、ボールペンを立てたようなひどく狭い土地を有効活用することになったように思う。
新婚で浮かれていた俺たちに化粧の濃い空間コーディネーターと名乗る女が強く勧めてきたリビングにある大きな丸い窓枠は、初めこそ物珍しさも手伝い、夏場に無理やり夜風などを取り入れてはみたものの、四角い建物と妙にチグハグした感のする丸い窓は、家の前の幹線道路を誰か歩くたび、その豪華客船にでも付いていそうな外観はなにか嘲笑の対象のようでもあり、それ以来閉じられたままになっていた記憶がある。
そのカラフルで奇抜な建物は人口の少ない過疎化の進む地区、灰色がかった街の景色にはひどく浮わついて見え、一級建築士だというブランド物のジャケットを着崩しラフな格好をした男の口車に乗せられるよう、狭い中庭に無理やり作ったバーベキューコーナーは新築祝い、警察関係の上司や彼女の友人達を招いた時1回しか使っておらず半年を過ぎた頃には物干し場になっていた。
ミーハーな彼女のために本格的なレンガ作りの暖炉も煙突と一緒に設置したが、薪を入れて燃やすのは面倒で危険だということで物入れと化していた。そんな外観も手伝ってか小さな住宅にあらゆるコンテンツを詰め込んだ決してセンスのいい一戸建てとはお世辞にも言えない住宅だった。
中二階、なくてもいい小上がり6畳の和室に無理やり作った床下収納、そして狭い家屋に不釣り合いなウォーキングクローゼット、さらに俺がどうしても、と要望していた小さな間取りの隠れ家的書斎、とまるで迷路のよう入り組んだ我が家に今年還暦を迎えた両親が初めて訪れた時には目を丸くしていた。
特にお袋は年々膝が悪くなってきてるせいか、つい先日、病院で水を抜いてもらったばかりだという。
その痛む足で手すりを伝い伝い、やっと3階に上がってきた頃には息を切らしていた。
こんな所にベランダがあるのかい?・・・・・・・ずいぶん複雑な家にしたもんだねぇ・・・・・・
ははは・・・・・ 母さん・・・今はこんなのが流行ってるんだよ・・・・・
結婚前、まだ笑顔が可愛かった妻が強く望んだアイランド式のシステムキッチンは彼女が出て行ってからというもの、やけに広く感じられ、部屋のど真ん中にある流し台はどうしたものかひどく扱いづらかった。非番の日、カップ麺に注ぐお湯を沸かすのはもっぱら小さな電気ケトルだけで事足りる。
半身浴なるものをこよなく愛していた妻に応えるためワンセグテレビも備わったジャグジー付きの浴槽も自慢のひとつだったが、半年前に壊れたきり、業者を呼ぶでもなく一度も使っていなかった。お湯が出ればそれでいい。
付き合っていた頃から彼女がライヴ好きなことは知っていた。暇さえあればそういったチケットを手に小さなライヴハウスに出入りし、全く興味のない俺も何度か付き合わされたように思う。
生涯最愛の人だと思ってた妻は俺が公務に励んでる最中、他の男とのセックスに励んでいた。
出会い系、初めは遊びのつもりだったという自称ミュージシャンの男とデキたらしく離婚届と冷たい書き残しをしたため出ていったきり一度たりとも帰ってはこなかった。後日、突然バカでかい引越し業者のトラックが家の前に横付けされ、もっぱら生活に必要だという家電と家具を強引に持っていかれた。
突然的に物がなくなりガランとした、妙に明るい色彩の複雑な作りの家は、俺にとって苦痛以外の何物でもなく公務が終わると家に帰らず酒に溺れる日が次第に続いていった。初めこそ哀れみ心配していた上司や同僚も、やがて好奇を忍ばせたなんとも言えぬ眼差しに変わるのが分かり、その頃から食欲が減退するのと同時に悪夢と不眠症が俺を苦しめていった。
警察官が所持してる健康保険証は過去の経歴からどんな病気、疾患を患っているのか解るので、全額自己負担のもと心療内科に通う日が増えていった。
もう破いて燃やしてしまってもいいはずの、妻の恨みつらみをしたためた手紙を俺はなぜか後生大事に持っている。
結婚して2年、子供が出来なかったのがその最たる原因でもあっただろうが、逆に初めから別れると決まっていたのならばそれは不幸中の幸いとも言えた。そしてそんな絶望に打ちひしがれた俺に追い打ちをかけるよう家庭裁判所から通達がきた。
こちら側に明確な非がないものの、妻の動向に無関心、つまり普段の生活に於ける愛情が足りなかった事実は否定できない、という主文のもと、結果、公務員という職業をいいことに膨大な慰謝料、そして60の定年まで残った住宅ローンの返済だけが俺に残された。
ガゴっ!・・・・・・ バゴっ!・・・・・・・
瞬間、フロントガラスの端に真っ赤な血潮と肉片が飛んできた。
知らぬ間にアクセルを踏み込み過ぎたせいか、時速80キロ程のスピードで今度は明らかに子供2人を跳ねていた。
目の端に一瞬だけ映ったまだ小学生らしい男の子と、その妹なのか、手を繋いだ5~6歳の女児が車体に撥ねられ勢いよく横側の電柱と深めの側溝に弾かれていく。
過ぎ去る景色、サイドミラーを見るまでもなく護送車の重量、そして出してたスピードを考えればまず助からないだろう。
「チッ… クソガキが…車に血を付けるんじゃねぇよ… バカが…」
思えばなぜ俺たちはあの土地を選んだのだろう。街の郊外にレストランや映画館も併設された巨大なショッピングモールが出来たのが決め手だったように思う。
昔は水田だったという農業用区域は地域活性化を旗印にむやみやたらに宅地造成され、開発地区は見た目も歪で地盤がしっかりしてないせいか、数年後、消費生活センターに寄せられる欠陥住宅はあとを絶たなかった。その話題に真っ先に飛び付いたのがマスコミだったが、助けてくれるどころか、面白可笑しくワイドショーのネタに一度だけ取り上げられたきり、視聴者の興味が失せるのと時を同じく話題にもあがらなくなった。年々増加するクレームは他人事だとばかり思っていたが、玄関先のコンクリートにヒビが入るのと同時に建てたばかり、新築の家のあちらこちらに異常が出始めた。
最上階の3階は立っていても傾いてると分かったが、不動産建築鑑定士なる者に依頼見積もりしてみたところ基礎から直さなければどうにもならないらしいが、こういった場合、普通は一度更地にするのだという。
無論、市が関与し盛大に開発された新興住宅地区の問題に、これまた市が受け持つ消費生活センターに大量のクレームが入るのだから傍目から見ても始末に負えないのが解った。泥棒が泥棒をしている隙に泥棒に入られたようなもので結局、様々な部や課を通してタライ回しにされた挙句、最も落としどころがいい自己責任、という烙印を押されてあの地に家を建てた市民の大半は今でも泣き寝入りしている。
当時、市と連携し受け持った大手の建築会社は数年前破産宣告をしたまま、会長と息子である社長は雲隠れし現在もどこに居るのか定かでない。それと関係し当時の市長や地区開発担当者も、俺の知らぬなにか法に触れる事案に関わってたようで、たちまちのうちに立件されその職を解任されていった。
俺たちのような若い世代はその一連の騒動を機に、その土地を離れていったようでますます過疎化が進んでるのが常勤の時など肌身に感じられた。
パトカーでの警ら中、市民の人口に対して明らかに多すぎる高齢者施設があの街の行く末を案じてるようで、ただでさえ軟弱な山側を削り取って建築中だという完全介護式、老人のシェアハウスなるものが俺の目にはそのまま姥捨て山に見えてくることもあった。
巡回コースにもなっている5年前から談合疑惑で改築工事がストップしている妙に今風な外観にこだわった市民球場は、薄汚い街はずれにひっそりとそびえ立ち、疲弊しきった街の景色と妙に不釣り合いで、完成した当初、2~3の野球チームが結成はされはしたが標高が高いせいも災いし雪深い季節にでもなれば雪置き場と化している。
ギラギラしたネオンで一見華やかに見える国道沿いも、その多くは県外に本社がある大型パチンコ店の集まりでそこだけ南国のような異質な空間を漂わせていた。ただでさえ収入の少ない地域、ギャンブル依存性の害虫がその光に誘われるよう、病人のようにうつろな目をした主婦や老人、職のない若者の財布からむしり取れるだけむしり取り、ハッキリとした採算性が見込めた段階で撤退していくのだろう。
何億だか注ぎ込み建設された市立図書館は冬季間、生活保護者とホームレスの中間層のような者達で占拠され、夏場になると異臭がひどいと交番の電話がひっきりなしに鳴っていた。
市が強引に誘致した県外の精密部品工場、大型電器店やチェーン飲食店も例外ではいのか地元に落とされるお金は見た目以上に少なく、ここに残った者の大半は安い賃金でコマネズミのように働かせられてるのだろう。ちょうど1年前、立派な県立病院が建つには建ったが、肝心の医師が集まらず優秀とはとても言えない実務経験の浅い研修あがりの、老人から見れば孫のように若い医師が理事の名に軒を連ねている。
そのバカでかい病院には早朝からまるでデパートセールのよう長蛇の列ができ、後期高齢保険者証という印籠を携えた老人が談笑混じりに休憩する場所になっていた。
国や県、そして市に至るまで、誰も、誰しもが人のことなど考えてはいなかった。
ならば俺もそうなろう。自分がよければ全てよし。どうせこんな世の中など長くは続かない。
ふと、俺の脳裏にあの日の事件がよぎっていった。署長も久しぶりの大事件に狂喜乱舞していたが、県警が所轄署に捜査本部を立ち上げるや否や、まるで召使いのように腰を曲げ接待していたのを覚えている。
一昨年だったか老老介護で疲れきった無職の50過ぎ、親の年金を食い潰していた独身の子が実の親を刺殺する事件があの街で3件立て続けに起き、そのうち一人の容疑者は恨みを込めるよう市役所のロビーで灯油をかぶり焼身自殺したニュースで普段は決して目立たないうら寂しい街は一躍有名になった。
呪われた街には俺のように呪われた男がふさわしい。
「邪魔なんだよ・・・・・ クソが・・・・・・・・・・」
50メートル程前方、それが全財産なのか、買い物カートを満載にした中年の太った主婦らしき女が無警戒に国道を横切ろうとしているのが俺の目に映った。俺は妙に愉快な気持ちのままハンドルを女の居る方にきっていく。
まさか前方からくる護送車に轢かれるとは思っていない主婦の目が大きく見開かれ、一瞬、俺の視線と交錯した。
ガゴンっ!!・・・・・・・・・
派手に飛び散った荷物と共にまるで蹴り上げられたボールのよう女の体が宙に舞っていく。左のフロントガラス一面が血液をぶちまけたよう広がり、俺は大型のワイパーを数回動かした。
「はいゲットォ!!!」
この旅に出てから初めて心の底から出た歓喜に震えた言葉のよう、気づくと俺はそう陽気に叫んでいた。
自分のどこにこのような残虐精神が潜んでいたのか知らなかったが、警察官とは言え薄皮一枚剥いでしまえばただの人間だ。
聖職であり正義の象徴でもあった職務をつい先日まで実直に勤め上げていた俺のような男にも、ひょっとしたら殺人鬼の素質があるのかもしれない。運転席の斜め上、大きなバックミラーに映る自分の顔は驚くほど崩れながらにやけている。
もはや罪の意識など微塵もなかった。いや、全ての思考が麻痺し停滞している。そのせいか溢れるほどのアドレナリンがアルコールと一緒になって体中を駆け巡るのが体感として分かり、熱を帯びた筋肉だけが躍動しているように感じられた。
もともとは腐った政治がもたらせた結果、現在発生している大暴動もこの国自体が目覚めるいいきっかけになるのかもしれない。
高揚感が最大限に達したところで100メートル程前方、黒いひとだかりが出来てるのが薄ぼんやり見えた。20人近く居るだろうか。どうやら大型貨物車から落ちた食糧を全員で漁ってるらしい。
俺はウィスキーをゴクゴクと喉を鳴らして飲み干し、後部に空瓶を投げると一気にアクセルを踏み込んでいった。
護送車とは言え警察車両なのだから一応安心はしているのだろう。100キロを超える大型車が突っ込んでくるにも関わらず人々はまだ食糧の取り合いを続けていた。
その顔も名前も知らない黒だかりの山に向かい俺は一層アクセルを踏み込んでいった。その直後、大きな車体が揺れ動くほどの衝撃波が前方から伝わってきた。
ドガガガガガガっ!!・・・・・・バゴっ!ドゴォ!!・・・・・ グシャ!!ドガっ!!・・
「はいっ!!… っビンっっゴ!!!…」
俺の酔って変に歪んだ笑み、喉奥からそんな高い声が自然と出たと同時に、人々の肉体がフロントガラスに張り付き、その後弾ける具合に真横や前方にぶっ飛んでいく。
鮮血で真っ赤に染まったフロントガラスとサイドミラー、ワイパーを動かしてはいたが肉片が挟まって思うように動いてくれない。運良く撥ねられずその場に残された人々は低速にしたこの護送車を怒りの形相で追ってくるのかと思ったが、轢かれて息絶えた死体の上着のポケットを我先にと漁っているのが流れゆく後方の景色に見えた。
これが人間の姿なのだろうか・・・ 人間とは一体なんなのだろう・・・・・・
俺はハンドルを握り酩酊した思考のなか、わずかに沸き起こる感傷に浸りながら酒屋から盗んできたドンペリのコルクを天井に向け勢いよく抜いていった・・・・・・・・・・
あぁ…こわいこわい(T ^ T)
救えないお話しの続き読みたい??
いや、その前にノクタで癒されましょう♥♥