六日目 2 影巫女と巫女姫
わたしは左手に持った剣を大きく振った。
それに合わせて矛を持った衛士隊の青年が後ろに下がる。
太鼓がひときわ大きく打ち鳴らされたのを合図とし、互いに踏み込み剣と矛を打ち合わせる。
剣の柄頭に付いた鈴が音高く鳴る。
手首を返していったん離れ、足拍子を踏んでから舞台上を駆け抜ける。矛の青年も同様。
立ち位置が完全に入れ替わったところで足を止める。
わたしは右剣を掲げ、矛の青年は膝をつく。
太鼓が二度叩かれ、奉納剣舞の終了を告げた。
「まずまずでございますね」
舞台の下、設えられた席に腰を下ろしている巫女守がそう評した。
「相変わらず点が辛いわね。私には完璧に見えたけれど」
巫女守の隣に座る旭様の評だ。巫女守は渋い顔で、舞台下の三人のうち、一人立つ衛士隊長を見上げた。
「年に四度勤める新月はよいとして、邪竜役が毎回変わるのはどうにかなりませぬのか。せめて一年を一人で勤めれば、毎回祭の前に慌てることはなくなろうものを」
衛士隊長は苦笑した。
「誰に聞いても一度で十分だと申しますよ。奉納剣舞中の舞台上の神気の濃さは、我々凡人にも重たいほどですから。かく言う私も昔勤めましたが、もう一度やれといわれてもごめんです」
上に立つ者がこれだから、と文句を言いながら巫女守は立ち上がった。
「この程度出来れば、明日の祭でも恥をかくことはないでしょう。予行はここまでといたします。二人とも、今宵は十分に体を休めるよう」
わたしは祭壇に向かって頭を下げてから舞台を下りた。
「格好良かったわよ、新月」
「ありがとうございます。旭様、昨日の午後以降、リクハルド様とお会いになりましたか?」
尋ねると旭様は頷いた。
「会ったわよ、昨日の夕方頃だったかしら。巫女殿の部屋から元の宿舎に戻るっておっしゃっていたわ」
わたしは一縷の期待を込めて更に尋ねる。
「その時、求婚などは」
「されなかったわね。だってあの方、巫女姫に求婚なさる気ないのでしょ?」
それでは困る。いや、わたしが困るのはお門違いなのだが、取り敢えずリクハルド様には気を変えて旭様に求婚していただき、婿の選択肢に残っていただきたい。
そのためにはとにかくお二人を会わせなければならない。わたしは巫女姫の略装に着替えるとリクハルド様を探しに外に出た。
神殿、宿舎と回り、神殿広場に至る。――見付けた。花壇の前、老園丁と何か話をしているようだ。
近付くと、園丁はわたしに気付き、頭を下げてその場を辞去していった。リクハルド様が振り向く。
「花、お好きなんですか?」
ロズの木。ダスリズア。リクハルド様の口から出た花木の名称を思い出す。少なくとも興味がなければさらっと出ては来るまい。
「花というより、植物を育てるのが子供の頃の趣味でした。……意外ですか?」
意外なような気もするし、似合っているような気もする。答えかねて曖昧に首を傾げると、リクハルド様は微笑んだ。
「昔のことです。十二、三の頃、それどころではなくなってやめてしまいました」
「それは……」
どういうことだろう。その年の頃、何かあったということだろうか。
「興味が湧きましたか?」
「え?」
リクハルド様は苦笑して頭をかいた。
「今のは姑息でしたね、済みません。こんな言い方をすれば誰だって好奇心がうずくでしょうし」
リクハルド様の意図が分からない。戸惑いで何も言えずにいると、リクハルド様はふと真顔になった。
「最初にお会いした時にあんなことを申し上げておいて、我ながら少々気恥ずかしいのですが」
リクハルド様の長身が縮んだ。否、わたしの目の前で、膝をついたのだ。大きな手、長い指が伸びてきて、わたしの手を取る。
「リクハルド、様……?」
漆黒の両の瞳が、強くわたしを見つめる。
「あなたと共に生きてみたい。どうか、俺の妻となってはくださらないか――巫女姫」
目の前が、真っ白になった。
※ ※ ※
神殿で一番広い部屋。それはこの祭壇の間だという。
明日の春日の祭に向けて祭壇は厳かに飾られ、祭壇の間の三分の二ほどには一段高い舞台が設えられている。
両開きの扉を開け放って祭壇の間の残りの部分と玄関広間とをつなぎ、参列者の席が設置されていた。
準備は全て済んでいるようで、祭壇の間には人気がない。一人腕を組んで立ち尽くし、祭壇を睨んでいたリクハルドの背に、鈴を振るような声がかけられた。
「ご機嫌よう、リクハルド様」
振り返ると、ここ数日で見慣れた容貌の少女が立っていた。――否、顔立ちこそあの少女と同じだが、表情の作り方が、視線の運びが、何気ない仕草が、彼女とは違う。
これまで何度か感じた違和感。今ならその意味が分かる。
「あなたが、巫女姫ですか」
「ええ。話は新月から聞きましたわ。失格おめでとうございます」
「……新月?」
「あなたが求婚したあの子の名前です。ねえ、リクハルド様、私自身もあなたと何度かお会いしたのですよ。お分かりになります?」
「分かります。――今、分かりました。あなたにお会いして」
「お分かりになるのが少し、遅かったようですわね」
慰めるように言った巫女姫の大きな碧い瞳が、じっとこちらを見つめた。
「リクハルド様、新月をお責めにならないでくださいね。これが巫女姫の配選定のしきたりなのです。私の幻影をかぶって候補者様方とお会いしていたのはあの子だけではないですし」
幻影とはいえリクハルドがずっと見ていたのはこの顔で、だから黙って見つめていられると、彼女――新月が目の前にいるように思えてきて、非常に困る。
「その顔で見つめるの、やめてくれませんか」
「その顔って、私は元々この顔です。幻術がかかっているのは新月の方ですからね」
口をとがらせて不満を表したりしかねない口調だ。喋ってくれさえすれば、別人と分かるのであるが。
「……ところで、何しにいらっしゃったんです。振られ男を観察して楽しいですか」
巫女姫はあきれたように腰に手を当てた。
「やさぐれていらっしゃるわねー」
「求婚した女に走って逃げられてやさぐれない男がいるのなら、お目にかかってみたいですよ」
リクハルドがやけ気味に吐き捨てると、巫女姫は身を乗り出すようにして「今の言葉、本当ですわね」と確認した。
「どの言葉です?」
「あなたは『巫女姫』に求婚したわけじゃない。あの子自身に求婚した。そういうことですわよね?」
リクハルドは新月のことを思い返す。巫女姫に求婚する気などなかったリクハルドが、彼女が巫女姫なら求婚したいという思いを抱いた相手。
「当たり前でしょう」
「なら、お願いがあります。リクハルド様は槍がお上手だそうですわね」
昨日の一件が巫女姫にまで伝わったのだろうか、とリクハルドは考える。どうやら報告者はリクハルドの技量を大分買いかぶっているようだ。
「暗殺者と互角に渡り合われたと聞いていますわよ」
「たまたま、条件がよかっただけでしょう」
リクハルドは服の上から腕の傷をなでた。もう少し衛士隊が来るのが遅ければ負けていたという自覚があるだけに、固い口調になってしまう。
「謙遜なさらないでくださいな。その特技を使って、新月の心をこじ開けていただきたいのです」
巫女姫はリクハルドを見上げ、にっこりと笑った。