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五日目 1 毒花と少年

 平静であれ、と己に言い聞かせている時は、得てして全く平静でないものだ。


 それでも一晩眠れば落ち着くもので、わたしは朝の日課を済ませてから茶器を持ち、リクハルド様の部屋へ向かった。


 記憶の空白の時間帯に、もしかしたらとんだ無礼な振る舞いをしたかも知れない。いや、していないわけがないし、そうでなくともまるきり挙動不審ではあったはずだ。

 こういう場合、時間が経てば経つほど傷口は深くなる。本来なら昨夜のうちに手当て出来ればよかったのだが、平静を失っていたためにそこまで頭が回らなかった。


 ことほどさように、動揺というのは人をだめにするのである。

 一人頷いていると、前方から旭様が歩いてくるのが見えた。


 ちなみに旭様の幻影をかぶっている者は複数いるが、目立たぬ場所に着けた帯飾りが各々異なっている。

 顔形で見分けがつかなくても、知っている者が見ればそれが誰なのかが分かるようになっているのである。今眼前にいるのは、旭様本人だ。


「新月、リクハルド様のところへ行くの?」


 旭様はわたしが持つ茶器に目を走らせた。


「はい。夕べ、失礼なことをしてしまった気がして」

「失礼? あなたが? リクハルド様に?」


 碧い瞳がまん丸く見開かれた。面食らったように幾度か瞬く。

 そういえば、旭様が以前おっしゃっていた。

 巫女姫の『目』は常時全てを見通すけれど、その全てを理解するのは人間の身には重すぎる。

 だから普段はその中から必要なものだけをすくい上げて理解する。

 そこから漏れたものは川の水のように流れ去ってしまい、巫女姫の中には残らないのだと。

 その点、リクハルド様は旭様の興味の対象だろうと思うので、昨夜もすくい上げていたに違いない。


 頭から抜け落ちているあの時、わたしがどんな態を晒していたのか、旭様に聞きたい衝動に駆られた。


 ――衝動? いけない。平静を失ってはいけない。これからリクハルド様に会いに行くというのに。

 息を詰め、頭の中で十数えてからゆっくり吐き出す。


「あなたは別に失礼なことはしていなかったわよ。確かに少し慇懃無礼気味だったかしらとは思うけれど」


 吐き出している最中に旭様がそんなことを言ったので、思わず吐ききる前に息を飲み込んでしまった。のどが一瞬詰まり、咳き込む。


「あら、風邪?」

「違います。……わたし、そんなに慇懃無礼な態度を?」

「それほどでもないけど、きっぱりすっぱりさようならっていう感じではあったわね。新月が退出してからしばらく、リクハルド様、固まっていらっしゃったわよ」


 あのリクハルド様がそんなに呆気にとられるほどに、わたしは無礼な態度を取ったのか。きっとあきれていらっしゃるだろう。腹を立てられているかも知れない。

 抱えた茶器が急に重さを増したように感じる。


「でもあれは、リクハルド様がいけないと思うわ。相手は十六歳の巫女よ? 明らかにこの大陸で最もうぶな生き物よ? なのにあんな口説き文句みたいなことをおっしゃって、あまつさえ断りもせずに肌に触れるなんて」

「……旭様、お顔がにやけておいでですけど」


 旭様ははっとして両手で自分の頬を押さえた。そのまま上目遣いをこちらに向けてくる。身長が同じくらいなので、あまり効果的とは言い難い。


「だって、何だか楽しいのだもの。こういうのって今までなかったし、夕月や十六夜(いざよい)達が、巫女のくせに恋の話に精を出すわけがようやく分かったわ」

「あの、旭様。分かっておいでだとは存じますが、これは旭様の婿君選定ですからね。さもなくば旭様のなさっていることはのぞきですよ。趣味がお悪いですよ」


 旭様は視線を逸らすとつんとあごを上げた。


「当然、分かっています。私は候補方の見極めのために視ているの。断じてのぞきなんかじゃありませんから」


 最後に付け加えたところを見ると、どうやら『のぞき』という言葉が痛いところを突いたらしい。

 わたしを相手にしての言葉にですます調が交じる時は、決まり悪く思っている時と相場が決まっている。

 わたしは嘆息して話題をずらした。


「それで、『正解』を引き当てた方は何人におなりですか?」

「十人ぐらいね。一昨日と、昨日のお昼前ぐらいしか出歩いていないのに結構な人数だと思うわ。皆様目敏くておいでね」

「喜ばしいことでは? 何にせよ、皆様強い運をお持ちだということでしょう」


 まずは、気まぐれに歩き回る旭様を見付けることが出来た運の良さ。そして、幻術を上回る観察力か、直感か、たまたま正解だったという巡り合わせの良さか、それとも他の何かか。


 どれであれ、一国を率いるにおいては無駄になるものではない。わざわざ幻術まで使っておとりを作るのは、単に数のふるい落としではなく、そういう力を持つ方を選び出す意味もある。


「そうなんだけれどね。もう少しこう、私の心にびびっと来る方がいらっしゃらないかしらとか」


 ……旭様の使う擬音語は、いつもよく分からない。


「ま、いいわ。新月、引き止めてごめんなさい。行っていいわよ」

「はい。では失礼いたします」


 すれ違い様、旭様に「新月」と呼ばれた。振り返ると、伸ばされた人差し指が頬にめり込む。

 一体何歳児のいたずらだ。


「気がお済みに?」

「そんな無反応で気が済むわけないじゃないの。いい、新月」


 旭様は両の拳を腰に当て、胸を張った。


「笑いなさい。あんな方に謝る必要なんてないわ。謝る暇があったら笑いなさい。いいわね」


 とっさに答えられずにいると、旭様は笑って手を振った。


「さ、行きなさい。謝るんじゃないわよ」


 育った環境はほぼ同じ。なのになぜ旭様はここまで朗らかな方になったのだろう。影巫女としては失格だと思うが、旭様の性格だけはどうしても真似が出来ない。


 考え事をしながら歩いていると、いつの間にかリクハルド様の部屋の前までたどり着いていた。

 神術を使う前のように深呼吸をする。扉を叩くと、まるで待ちかまえていたかのように内側から開けられた。


「リクハルド様」

「ああ、済みません。まさか本当に巫女姫手ずからお持ちくださるとは」

「……ええ、はい、まあ」


 曖昧に答えながら、違和感を覚えた。この感じ、嫌というほど覚えがある。そう、ほんの一日ほど前のこと。

 お陰で少し困ったような表情のリクハルド様を前にしても、動揺する隙もない。


「俺も行って手をお貸しした方がいいのか考えたのですが、何しろ巫女殿ですので、勝手に歩き回るのははばかられまして」


 旭様が謝るなと重ねておっしゃっていた意味が分かった。


 旭様がわたしより先にリクハルド様を訪ねていたからだ。わたしがリクハルド様に謝ってしまっては、先の旭様の言動と矛盾が出る。

 旭様は茶器を用意しているわたしを視、お茶を持ってくる等とリクハルド様に告げて辞去してきたのだろう。


 昨日の外出とほぼ同じ展開。旭様もいい加減にしていただきたい。それにリクハルド様の部屋を訪ねたということそれ自体も少し軽率ではないかと思う。いくら無理強いは不可能とはいえ、一つの部屋に二人きりとは――


「そうですよね。ここに閉じこもっていらっしゃるのも息がお詰まりでしょう。よろしければ、場所を変えませんか」


 しまった。

 のたうち回りたい気持ちを抑えて、強いて微笑む。

 夕べは間違いなく一つの部屋に二人きりだった。そして今も同じ状況を作りそうになってしまっていた。

 巫女姫が候補者の一人と、二人きり。これは、まずい。


「しかし、せっかくここまでいらっしゃったのに。俺のことなら別に構いませんので、ここで」


 気遣ってくださることそれ自体はありがたいが、今は余計である。巫女殿に滞在することは大分躊躇っていらっしゃったのだから、現在の状況についても客観的に見てみていただきたいものだ。


「場所を変えると気分も変わります。巫女殿の中しかご案内出来ないのが心苦しくはありますが、何かしらいい考えも浮かぶかも知れませんよ」


 と、とにかく場所変えを主張し続けたところ、リクハルド様は「そこまでおっしゃるなら」と頷いてくださった。


 一階の広間にある卓に移り、わたしは器に注いだロゼン茶をリクハルド様に勧めた。


「いただきます。お茶には詳しくないのですが、これは何という種類ですか?」

「ロゼン茶です。ロズという木があるんですが、その葉を乾燥させたものを使っています」

「ロズの木ですか。赤い花が咲くんですよね。葉は普通に緑だったと思いますが、お茶にするとこんなに赤くなるんですか」

「ええ。不思議ですけど」


 茶托に器を置き、広間に視線を流したリクハルド様の表情が、ふと厳しくなった。「失礼」と席を立ち、隅の棚の上に飾ってある花瓶を見つめる。


「巫女姫」


 こちらを振り向き、リクハルド様は花瓶に生けてある花を指差した。雑草のような、小さな黄色い花々。


「この花は、この辺りの土地のものですか?」

「もらいもので、わたしも見たことのない花なので……でも、下さった方は神殿の近辺で摘んだとおっしゃっておいででした」

「この近辺で? それはいつのことですか」


 リクハルド様の表情に首を傾げつつ、わたしはカレル様から受け取った日を指折り数えた。あれは、開式の儀の翌日のこと。


「三日前です」

「……俺の記憶違いでなければ、これはダスリズアの花です。北方の死の湖のほとりのみに咲き、環境が変われば七日ほどで毒を宙に吐き出し始める」


 わたしは椅子を蹴立てて立ち上がった。最も近くにある階段を駆け上る。

 リクハルド様が呼び止める声が聞こえた気がしたが、足は止めない。わたしは途中ですれ違った掃除係の女性の腕を掴んだ。


「広間にある花瓶の黄色い花をすぐに焼き捨ててください。お願いします!」


 それだけを言い、更に階段を上る。

 三階の回廊を駆け抜け、旭様の私室の扉を叩いた。許しを得るのももどかしく、中に飛び込む。


「新月、何を慌てているの?」

「旭様、カレル様が今どこにおいでかお分かりになりますか? 茶の髪に緑の瞳、十五歳ぐらいの方です!」


 旭様は首を傾げながらも目を閉じた。


「見付けた。神殿広場……外門に向かっているようね」

「ありがとうございました。旭様はお部屋からお出になりませんよう!」


 わたしは叫ぶように言い残すと部屋を飛び出した。

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