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四日目 2 山犬とウサギ

「……左様でございましたか」


 神殿の一室で、わたしとリクハルド様を前に、巫女守は顔をしかめた。


「巫女姫の配の選定において、候補殿が襲われるなど――」


 記録にある限り、毎回選定はつつがなく終了している。

 友好国も敵対国も関係なく王が集まるのだから何か悶着があってもおかしくないものだが、そこは神殿の権威ということだろう。


 今回の件は時代の変化によるものか、それともこれまでもあった物事を記録に残さなかっただけかも知れないが。


「失礼ながらお聞き申し上げます。リクハルド様、襲撃者にお心当たりは?」

「残念ながら、ありますね。ですが特定は出来ません。お恥ずかしながら敵が多いもので」


 ふむ、と小さくうなって巫女守はあごをなでた。


「敵が多くていらっしゃるあなた様が、よくもお国を空けられたものにござりまするな」

「ええ、ですので側近の者が巫女姫の人気におすがりしろと――」


 初めて会った時にわたしにもおっしゃった事情を説明していたリクハルド様だったが、唐突に言葉を切った。じっと視線を動かさない巫女守に向かって小さく肩をすくめる。


「申し訳ない。本当のところをお話しします。俺が国を空ければ、内外問わず敵対勢力が動き出すのは確かです。だからこそ俺は国を空け、敵を引きずり出し、正面から叩き潰す。しかし相手もそれは分かっているので、口実の外遊では尻尾を現しません。どの角度から見ても、誰もが納得する理由が必要だ」


 ああ、そういうことか。


 だから巫女姫の婿候補としてここへやって来たにもかかわらず、巫女姫本人を前に、求婚する気がないなどと言えるのだ。


「お国の事情で、尊き巫女姫を危険に晒したとおっしゃりまするか」


 巫女守の薄い肩が震えている。声は必死に何かを押さえつけているように低く、平坦だ。

 今回は旭様ではなくわたしだったからよかった。けれど何かが違えば、あの場にいたのは旭様本人だったかも知れない。


 だが、とわたしは思う。事実はきちんと伝えておかねばならない。


「巫女守、リクハルド様を外へお誘いしたのはわたしです。落ち度はわたしにあります」

「巫女姫はお黙りくださいませ。私はリクハルド様の真意をお尋ねしているのです」


 軽く突っぱねられた。


 巫女守は、誘ったのは旭様であり、実際に行ったのはわたしだと把握している。

 これはある意味影巫女本来の仕事と言ってもいい。

 責任の所在よりも真意を先に確認したがっているのはそのためだ。


 リクハルド様の答えによっては更なる襲撃への備えが必要であるし、場合によっては彼を神殿から放逐しなければならない。


「……これは俺の落ち度です。まさか国ではなく、こちらで動きを起こすとは。……考えが甘かったとしか言いようがない」


 リクハルド様は唇を引き結び、深く頭を下げた。


「申し訳ありません。今日一人取り逃がした以上、また同じようなことがあると考えるのが妥当でしょう。俺の扱いはいかようにも」


「……頭をお上げくださいませ、リクハルド様」


 巫女守が促したが、リクハルド様は動かない。巫女守は深く息をついた。


「巫女姫とあなた様が捕らえてきたあの者は、ふもとの村の治安公館へ送り、尋問させていただきます」


 くだんの射手は、今は衛士隊の控え室に閉じ込めてある。


 婿選定の期間中は増員しているが、通常衛士の仕事は門衛の他、見回り程度である。

 犯罪はほとんど起こらないため、尋問の技術を持つ者もいない。射手から情報を得ようとすれば、巫女守の言うとおりふもとの村の専門機関へ任せるのが上策だ。


 口を開かずただひたすら頭を下げ続けるリクハルド様に、巫女守は問う。


「お国へ引き渡せとはおっしゃらぬのですか。ふもとには、随伴がいらっしゃいましょう」

「……申し上げられるわけがないでしょう。神殿で起こったことは、神殿の(のり)に則って処理していただくのが正道です」

「なるほど」


 巫女守は頷いた。


「あなた様のお言葉を信じましょう。あの者は治安公館へ送りまするが、正式な手続きを踏んでくださればお国へ引き渡すことも出来ます。随伴の方へ書状を書かれるがよろしいでしょう。あと一月ほどで村の城門は閉まりますので手続きをされるのならお早く」


 リクハルド様は上体を起こした。


「お心遣い、痛み入ります」

「私は制度の説明をしただけでございます。そしてあなた様についてですが」


 言いながら巫女守は卓の上に置いてある呼び鈴を鳴らした。


「配の選定中に候補者殿にもしものことがあっては神殿の名折れ。ご不自由をおかけいたしまするが下手人が見付かるまでの間、巫女殿にお留まりいただきたく存じます」


 リクハルド様は大きく目を見開いた。

「巫女守殿(どの)、今、巫女殿とおっしゃいましたか、神殿ではなく?」

「神殿では不心得者の侵入を阻むのが難しゅうございます。その点巫女殿ならば、確実ですゆえ」

「確実と言われましても、そもそも巫女殿は――」


 戸惑ったように言い募るリクハルド様を遮るかのように、扉を拳で叩く音が響いた。


「お入り」


 巫女守が言うと、扉が開かれた。入ってきたのは夕月(ゆうづき)だった。


 長身に真っ直ぐな黒髪のよく似合う、わたしや旭様より少し年かさの巫女である。彼女は旭様の幻影をかぶってはいない。


「夕月、この方を巫女殿の空き部屋へご案内なさい。しばらくご滞在いただくのでそのつもりで」

「承知いたしました」


 夕月はリクハルド様へ向き直り、膝を曲げて一礼する。


「夕月と申します。ご案内いたしますので、どうぞこちらへ」

「巫女守殿!」


 リクハルド様の声の調子が強くなったが、巫女守は風が吹いた程度にも揺らがない。


「リクハルド様、先程のいかようにもというお言葉は空言でございますか。……夕月、よいからお連れしなさい」

「……巫女姫……」


 助けを求めるような目で見つめられたが、わたしにはどうすることも出来ない。

 一つにはわたしは巫女姫ではないからで、もう一つには巫女守の言うことは正論だからだ。


「ごめんなさい、リクハルド様。巫女守の申し上げたとおり、最も安全な場所は巫女殿だと思います」


 頭を下げる。リクハルド様は憮然とした面持ちで夕月に連れられ、部屋を出て行った。


「……新月」


 ささやくように巫女守がわたしの名を呼んだ。


「お前、どう思う」


 濃い琥珀色の瞳が真っ直ぐにわたしを捉える。老いたりとはいえ、その眼光は鋭い。

 わたしは乾いてしまった唇を湿し、口を開いた。


「尾行の気配はありませんでした。十中八九、待ち伏せかと」

「そうか」


 巫女守は眉根を寄せ、目を閉じた。待ち伏せ、という事実が示すもの。巫女守の懸念がわたしにも分かった。


「神殿の者か、候補者様方の中に内通者が?」


 婿の選定に合わせ、大幅に増員した衛士隊。候補者の身の回りの世話のため、宿舎の人手も多くふもとから上がってきている。……考えたくないことではあるが。


「早計はおよし。襲撃者が単にお前の技量を上回ったのかも知れぬだろう」


 巫女守はゆっくりと目を開けた。


「だが、常に最悪は想定しておかねばならぬ。旭様には私からお伝えしよう。お前はお役目のとおりに候補者殿の間を巡り、目を光らせておいで」

「はい」

「けれども無理は禁物だ。お前には春日の祭でも果たさねばならぬ仕事があるのだからね」

「承知しております」


 返事をすると、巫女守は小さく頷いた。そして体の中身を全て絞り出さんばかりに、深く息を吐き出す。


「困ったことになったものよ。先の世の巫女守もかような面倒事を抱えておいでだったのだろうか」




 ※ ※ ※




 リクハルド様に用意された部屋は、巫女達の部屋が並ぶ回廊の端にあった。


 日もすっかり落ち、神殿での勤めを終えたわたしはリクハルド様を訪ねた。


 素っ気ない寝台と収納、そして書き物机が三組ずつ。本来三人で使う部屋なので広さはあるが、リクハルド様の身長だと寝台の長さが足りないかも知れない。


「申し訳ありません、リクハルド様。わたしが考えなしにお誘いしたばかりに……」


 安全のためとはいえ、実態は軟禁に近い。まして場所が女性のみが暮らす巫女殿である。居心地の悪さは察するに余りある。


「いえ、俺の不徳ですから。……成果ばかりを求め、敵が出来るに任せていたことのつけが、まさかこんなところで現れるとは思いませんでした。巫女姫、本当に申し訳ない」


 リクハルド様が頭を下げるので、わたしは急いで両手を振った。


「おやめください。謝罪は昼間ちょうだいいたしました。これ以上は不要です。それよりも、これからのことをお考えにならなければ」


 リクハルド様は顔を上げた。その頬には固い笑みが浮かんでいる。


「ええ、そうですね。そのとおりだ。……はは、十も年下の女性に諭されるとは」


 彼らしからぬ自嘲気味の声音だったが、その言葉でわたしは、リクハルド様は大分年上なのだと思い出す。婿候補の中では若い方なのであまり年の差を感じていなかったが、彼にしてみればわたしなど小娘もいいところだろう。


 これまでのリクハルド様に対する言動を思い出して顔が熱くなる。


「も、申し訳ありません。わきまえもせず、生意気なことを」

「謝られることはない。男であれ女であれ年が幾つであれ、考えを口にするのは大切なことだと俺は思います。それが正しい意見であるならなおさらです」


 リクハルド様が白い歯を見せて笑んだ。それはこれまでで一番柔らかなものに見え、わたしは何と答えていいのか分からなくなってうつむく。


「それにしても、本当によろしかったのですか? こちらの建物――巫女殿は男子禁制なのでしょう」


「正確には、神殿に常勤の女性以外の立ち入り禁止です。ですが、神義(しんぎ)上の禁ではありませんし、申し上げたとおり警備上の都合は一番いいので。それだけ、神殿では事態を深刻に見ているとお考えください」


 炎とは違い、神術による明かりは揺れない。床に伸びるリクハルド様の影は主の動きに忠実に形を変える。


「そういう意味で言ったのではないのですが……何というか、こういう場合は普通、愛らしいウサギの群れに飢えた山犬を放り込むようなものだ、と考えるのではないですか?」


 わたしはリクハルド様から視線を外したまま首を傾げた。


 ウサギは巫女殿の女性、山犬はリクハルド様の比喩だろうが、何を問題にしているのかよく分からない。


「無理強いなさったり傷つけようとなさったりすればどうなるのか、リクハルド様はよくよくご存知だと思っておりましたが」


 ベッジフ様が幻術の炎に焼かれ、苦しんだのは一昨日の出来事だ。


「男女の関係は無理強いだけではないでしょう。双方合意なら構わぬと?」


 何の話だ。話が妙な方向に傾いている気がする。夜だからか。夜だからなのか。


「……それは覆蓋神の御心のままに、です」


 苦し紛れにそう返すと、リクハルド様がくつくつと笑う気配がした。


「巫女姫には下世話な話でしたね、申し訳ありません。ただ……少し、興味が湧いてきてしまいました。この神殿の仕組みと――あなたに」


 完全に予想外の言葉。思わずリクハルド様を振り仰ぐ。リクハルド様は、笑っていた。眉根が少し寄った、困っているようにも見える表情。


「ようやく、俺を見てくださいましたね」


 長い指が伸ばされ、わたしのほお骨の上を滑り、離れていく。


「顔が赤い。……困らせてしまいましたか」


 そう言った時のリクハルド様の苦笑めいた表情がまぶたの裏に焼き付き――


 そこからわたしは何を言ったのか、どうやって退出したのか、少しも覚えていない。


 気が付くとわたしはリクハルド様の部屋とは反対側の回廊の端にある、階段の影でしゃがみ込んでいた。冷たい壁に両手と額をつき、きつく目をつむる。


 小動物が胸の中で暴れている。

 多分、ウサギか何かだ。

 檻の鍵が何かの拍子に開いてしまったのだろう。

 そんな檻があったことさえ、今の今まで気付かなかった。

 当然、顧みもしなかった。

 ずっとないがしろにされて、だから怒って暴れているのだ。


 ああ、それとも暴れているのは頭の中かも知れない。何も、考えることが出来ない。


 わたしは目を開けた。無理矢理に長く呼吸をする。両手と、額と、そして呼気から、熱が吸い取られていく様を想像する。


 最後に一度深呼吸をし、わたしはのろのろと立ち上がった。外階段へ通じる扉を開け、踊り場に出る。


 夜気が冷たい。そして、闇が深い。空を見る。銀砂は無数に撒かれているが、月はない。今宵は新月だ。

 わたしは閉じた扉に背を預け、そのまま腰を下ろした。


 新月。わたしの名前。わたしの、影巫女としての名前。生まれた時には別の名をもらったはずだが、覚えていない。


 ぼんやりと夜空を見上げていると、遠い昔の記憶が頭を過ぎっていく。


 旭様が先代の巫女姫に次代の指名を受けたのは、彼女が二歳の頃だった。巫女姫と影巫女は一対。すぐに影巫女の選定が始まり、旭様と同い年で、目や髪の色、そして背格好が似ていたわたしが選ばれた。


 影巫女は巫女姫に影のごとく寄り添って彼女を支え、時に巫女姫の代理として神事を執り行う。万が一、巫女姫に危険が予想された場合、それを代わりに引き受けるのも影巫女の役目である。そのために必要な技術と知識は幾つも叩き込まれた。


 ――「常に静けき心であれ」


 師の一人の言葉だ。物事に即応するためには、常に平静であらねばならない。簡単に揺らぐようではものの役に立たないのだ。――原因が何であれ。


 わたしはウサギの首根をつまむと檻に放り込んだ。忘れずに鍵もかける。

 わたしは、常に平静であらねばならないのだ。



 何があっても。

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