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四日目 1 白鳥と剣

 今日は朝から旭様が変だった。こちらを見てはにやにや笑いをこらえているような表情をしたり、唐突に、


「これだけの方がいらっしゃっているんですもの、花壇の手入れは大事よね」


 と言い出したり。

 花壇の手入れは巫女ではなく神殿の物理的な面を担当する役職の領域である。けれどわたしに向かってそんなことを言うということは、わたしにやれとおっしゃっているのだろうと判断し、袖の細い作業着でわたしは外に出た。


 まずは用具を借りなければいけないので、神殿広場隅の倉庫に向かう。


「おはようございます」


 倉庫の前に立っていたのはリクハルド様だった。


 候補者は神殿の一部と巫女殿を除いてどこにいてもいいことになってはいるが、神殿からも候補者の宿舎からも離れたこんなところになぜいらっしゃるのだろうか。


「おはようございます。昨日はどうも」


 昨日は外へ出ていた旭様の代わりに影巫女として仕事を片付けていたため、わたしがしたのは巫女殿と神殿の往復だけだ。

 リクハルド様にお会いしたいとおっしゃっていた旭様が、言葉どおりのことを実行されたのだろう。


「ええ、こちらこそ」


 巫女姫の影巫女とはいえ、わたしには界内を見通す『目』はない。曖昧に応じると、リクハルド様が「では出発しましょうか」と言った。


 ……出発? 何の話ですか、とは聞けない。聞けばわたしが巫女姫でないことを晒してしまう。疑問を包み隠し、「そうですね」と微笑む。


 よく見ればリクハルド様は肩に荷物をかけ、腰にどこから調達したのか山刀のようなものを吊している。これはもしかして山歩きの装備ではないだろうか。

 案の定、歩き始めたリクハルド様の足は外門の方へ向かっている。


「まさか巫女姫に外出のお誘いをいただけるとは思いませんでした。先日、失礼を申し上げてご機嫌を損ねてしまったかと思っていたので」


 これだったのか、とわたしは頭を抱えたくなった。

 旭様が変だった理由。ご自分でお誘いしておいてわたしに丸投げとは、いくら旭様でも度が過ぎる。リクハルド様にも失礼だ。


 わたしは急いで首を振った。


「いいえ、わたしの方こそ申し訳ありません」


 謝ってしまってから、誘ったことで謝るのは不自然だということに気が付く。リクハルド様から視線を外して理由を探し、


「あの時は……少し、気が立っておりまして。後になって、無礼な態度を取ってしまったと後悔したのです」


 どうだろう。一昨日、出会った時のことだが、これで理由になるだろうか。

 横目で窺うと、リクハルド様は一つ頷いた。


「分かります。あんなことの後でしたからね」


 納得してもらえたようだ。少しだけベッジフ様に感謝する。


「不快なことはお忘れになった方がよろしいでしょう、体に毒だ。――そう、おっしゃっていた白い鳥が飛来するという湖ですが」


 滑らかに話題を変えたリクハルド様のお気遣いに、余計に済まないと思う気持ちが湧いてきた。後で何か、さりげなく埋め合わせを出来ればよいのだが。


 外門の門衛に「少し出て来ます。すぐ戻りますので」とだけ告げ、わたしとリクハルド様は門をくぐった。


 空気が変わる。気温も少し低く感じる。ここは巫女姫の『目』も力も及ばない。左手の杖の感触を確かめ、わたしはリクハルド様を見上げた。


「では、湖――に向かって、よろしいのですね?」


 リクハルド様の言葉にあった、『白い鳥が飛来するという湖』。目的地は多分そこだろうと見当をつけて確認してみると、果たしてリクハルド様は首肯した。


「ええ。どのように行きますか?」


 密かに安堵する。当たっていたようだ。


「獣道のようなものですが、一応道がありますのでそこを行きましょう。さほどの距離ではありません」


 先に立って歩き出そうとすると、手で制された。


「俺に先に行かせてください、巫女姫。露払いぐらいの役には立ちますよ」


 全く、わたしは気の利かない人間だ。なぜ、男性としての自尊心ぐらい、気付いて差し上げられないのだろう。


「では、お言葉に甘えます。よろしくお願いします」


 頭を下げると、「お任せください」と彼はおどけたように言った。


 細い道を進む。時折木の枝が道をふさいでいたが、リクハルド様は戸惑うこともなく山刀を用い、切り払う。一国の王にしては手慣れた様子だ。


 わたしの方は、厚い生地で動きやすく仕立てられた作業着をまとっていることもあり、何の不便も感じることなく、リクハルド様の後について歩くだけでよかった。


 旭様が花壇の手入れなどと言い出したのは、倉庫前でリクハルド様と落ち合わせるためだけではなく、この作業着を着せるためでもあったに違いない。


 旭様は突拍子もないことを言ったりやったりする反面、細やかな気遣いを見せたりもする。わたしとは正反対だ。


「リクハルド様、そろそろです」


 後ろ姿に声をかけると、リクハルド様は肩越しに頷いた。


「ええ、もうすぐ森が切れそうな感じですね」


 木々の間隔が少しまばらになり、空気に水の匂いが交じる。空が開け、水面に反射した光が目にまばゆく差し込んできた。


「ここですか」

「はい。湖というより、池と申し上げた方が正しかったでしょうか」


 深さはありそうだが、大きさは神殿前の広場に収まってしまいそうな程度。向こう岸もよく見える。


「でも、鳥はいますね」


 白い大きめの鳥が四羽の他、茶色がかった羽の小さな鳥が幾羽も水面を漂っている。

 白い鳥は渡り鳥で、そろそろ別の場所へ飛び立つ時期だ。

 まだいてくれてよかった、とわたしは内心で胸をなで下ろした。この上目的の鳥がいなかったとしたら、立つ瀬がない。


「リクハルド様、少し座りましょうか。それとも――」


 横に立つリクハルド様を仰ごうとした瞬間、地面に押し倒された。

 風切り音。鳥達が一斉に羽ばたく音。


「申し訳ありません。ご無礼を」


 リクハルド様の声が耳元でささやく。


 襲撃、という言葉が頭をかすめる。わたしはリクハルド様に抱き起こされた。

 視界の隅でリクハルド様の腕が閃く。

 耳をつんざかんばかりの金属音。リクハルド様の振るった山刀が、鈍く輝く短剣とかみ合っている。


 短剣の主は目元を空けた頭巾のようなもので頭部から顔全体を覆う、奇妙な姿をしていた。

 その短剣の者――恐らく男――は、大きく後ろに跳びすさり、距離を取る。


 リクハルド様は左腕一本でわたしを抱き上げたまま、すかさず距離を詰めた。


 射手がいるからだ。短剣の男と距離が出来ればまた狙われる。それに標的がわたしかリクハルド様か分からない。だから彼はわたしというお荷物を抱えたまま、あえて踏み込んだのだ。


「リクハルド、様――」


 短剣の男は主に手首を狙っているようだ。足運びといい、明らかに訓練を受けている。

 対するリクハルド様も思っていた以上の手練れだ。

 右手一本で武器とも言えない山刀を持って、短剣の男に負けていない。山刀の重量に振り回されないようにだろう、小刻みに刃を振るう。


「降ろして、ください」


 だが今のままでは均衡が破れるのも時間の問題だ。人一人分の重りは、急激に体力を奪う。


「だめだ」


 こちらを見ぬまま、呼吸の合間に短く答える。


「大丈夫です。すぐに、木の間に、隠れます」


 リクハルド様は答えない。


「わたしだって、走ることぐらい、出来ます。人形じゃ、ないんですから」


 言い募ると、腰に巻き付いていた腕の力が緩んだ。

 地面に降り立ち、わたしは手近な木々の間に飛び込んだ。


 一息ついて水面を見る。白い鳥が一羽、翼を朱に染めて動かなくなっていた。刺さっているのは矢。

 最初に避けたものが当たってしまったのだろう。唇をかみ、わたし達がいた地点から逆算して射手の位置に当たりをつける。


 木々を縫ってこの位置のわたしを射抜けるほどの腕前ではないと思うが、念のため太めの幹に身を隠し、地面に膝をついた。厚く積もった枯れ葉の上に手の平を置く。


 深呼吸は心を凪にする合図。わたしは低く神言を唱えた。


「伏して願い奉る。守る神、覆う神、慈しみ育てる神ファントセタンよ、弓を取りて我らを狙いし者、空と水の子たる白鳥(しらとり)を射落としし者を、木々の涙を以て拘束し給え」


 手応えがあった。少し離れた場所で神気が渦を巻く。


「リクハルド様!」


 わたしは声を張り上げた。


「射手は封じました! 目の前の相手にご集中ください!」


 短剣の男に動揺が見えた。

 太刀さばきがわずかに乱れる。それをリクハルド様は見逃さなかった。山刀の柄近くで短剣をはじき、出来た空間に体をねじ込む。


 左下から右上に向けて銀閃が走った。


 短剣の男は体勢を崩して胸を押さえ――くるりとリクハルド様に背を向けた。思い切りよく駆け去る。

 リクハルド様は追わなかった。わたしは、肩で息をしながら立ち尽くすリクハルド様に歩み寄った。


「何か、防具を着込んでいたようでした。刃は当たりましたが、斬れなかった――」


 抜き身の山刀をぶら下げたまま、リクハルド様は独り言のように呟いた。


「リクハルド様?」


 名を呼ぶと、はっとしたようにこちらを見、微笑んだ。


「すみません。巫女姫にお聞かせするようなことではありませんでしたね」

「いいえ。ありがとうございました」

「お礼をいただく筋合いはありません。多分、狙いは俺でしょうから」


 まただ。苦い笑み。一昨日見たのと同じもの。


「そう、射手はどうされたのですか? 封じられたということですが」


 そう言った時には、既にリクハルド様の表情に苦さはない。彼は山刀を鞘に収め、辺りを見回した。


「枯れ葉の山に拘束されているはずです」

「……枯れ葉、ですか」

「はい。神術の拘束ですから自力では逃れられませんので、心配はご無用です。リクハルド様、縄か何かをお持ちではありませんか?」

「ありますよ。縛り上げて連れて行きますか?」

「ええ。恐縮ですが、お手をお貸しください」


 状況はよく分からないが、とても厄介なことになってしまった――わたしは口の中で独りごち、ため息をついた。

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