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二日目 月と太陽

 ふんだんに布を使った正装と異なり、巫女姫の略装はほとんど他の巫女と変わらぬ形である。

 ひだは控えめにあっさりとした形になり、裾の長さも足首までに。違うのは、そこここに飾られた玉と、帯が深い紅色であるところぐらいだろう。


「巫女姫様!」


 そう呼ばわれて、巫女姫と同じ顔形に巫女姫と同じ装束をまとい、飾り気のない杖をついたわたしは立ち止まった。


 振り返れば、少年が一人駆け寄ってくるところだった。

 深い茶色の髪に緑の瞳、年齢はわたしや巫女姫と同じくらいか、少し下だろうか。


 彼は足を止めると、後ろ手にしていた右手をこちらに現した。そこにあったのは黄色い花を幾本も束ね、布にくるまれた花束。


「……これは?」


 尋ねると彼は首を傾げ、それから「あっ」と言った。


「僕――私の国では、求婚する時には男性が女性に花束を贈るという慣習があるので。どうか、受け取ってください!」


 元から伸ばしていた手をより一層伸ばして花束を差し出すので、わたしはそれを受け取った。


「この花、神殿界内のものではありませんね」


 花は小さく、雑草に近い。神殿の界内に何箇所かある花壇では見たことがない種類だ。


「はい、花壇の花を摘もうとしたら衛士に注意されたので、外へ行って取ってきました」


 簡単に言うが、季節は春とはいえまだ肌寒く、花の季節とはお世辞にも言えない。この小さな花であっても、見付けるのは大変だったはずだ。


「それはご足労をおかけしました。ありがたくちょうだいいたします。……お名前を伺っても?」


 先程の彼の説明からすると、これは求婚扱いでいいのだろうと思う。明るそうな性格で割と感じがいいのだけれど、こればかりは仕方がない。


「はい、カレルと申します」

「では、カレル様。春日の祭をお待ちください」


 遠ざかるカレル様の背を見送りながら、わたしは小さくため息をついた。


 これからわたしはカレル様に求婚を受けたことを巫女守に報告し、巫女守は規則に則りカレル様を候補者の一覧表から削除する。

 わたしが求婚を受けた以上、カレル様が巫女姫に求婚し直すことは許されない。


 顔と名を忘れぬうちに報告を済ませてしまおうと神殿の方へ足を向ける。


「巫女姫」


 再び呼び止められた。カレル様のような若い声ではない。三十代か、四十代といったところだろうか。

 そう考えながら振り返ると、やはり三十代後半ほどの男性が立っていた。


「ベッジフと申す。巫女姫、俺の求婚をお受けいただきたい」


 随分あっさりとしたものだが、求婚は求婚である。わたしは頷いた。


「お受けいたします。ベッジフ様、春日の祭をお待ちくださいますよう」


 膝を折って一礼し、二人の顔と名前を脳裏に焼き付けながらきびすを返そうとすると、右腕を掴まれた。

 その拍子にカレル様のくださった花束が地に落ちる。


「……何のおつもりですか、ベッジフ様。お手をお離しください」

「巫女姫、俺を選べ」


 押し殺した低い声が耳を叩く。


「おっしゃる意味が分かりかねます。春日の祭をお待ちになるよう申し上げたはず」

「求婚者のうち誰を夫にするか選ぶのはあんたなんだろう。俺を選べ。俺はあんたをどうしても手に入れなくてはならないんだ」


 会話がかみ合わない。彼はわたしを食い入るように見つめているが、わたしの言葉を聞く気はないらしい。


「この場ではお答えいたしかねます。とにかく、お手をお離しください」


 掴まれた右腕を引いてみたが、意外に強い力に阻まれて逃れることは出来ない。


「!」


 逆に一層強く引っ張られ、背後を取られた。挙げ句、彼の左腕で両の肩を押さえ込まれる形になってしまう。


 背中に染み込む体温が気持ち悪い。思わず左手の杖を握り直したが、自制する。ここはわたしの出る幕ではない。


「『はい』以外の返事はいらないんだよ、巫女姫様」

「ベッジフ様は昨日の、巫女守の話を聞いていらっしゃらなかったようですね」


 耳にかかる呼吸に意識を向けないよう努める。


「無理強いは禁ずると申していたはずですが」

「まだ言うか。小娘……否が応でも俺を選ばなければならなくさせてやろうか」


 肩にかかっていた手が動いた。ゆっくりと、身体の線に沿って下り、帯に指がかかる。


「本当はあんたみたいなのは趣味じゃないんだが」


 その言葉が終わる前に――彼の腕が燃え上がった。


「な、なんっ、何なんだっ?」


 力が緩む。わたしは拘束から抜け出した。


 彼の方へ向き直れば、もはや腕だけではない。今や彼の体は余すところなく炎に包まれている。


「何だこれは何だこれはあああああっ!」

「貴国では覆蓋神の巫女姫の何たるかを全く忘れてしまわれたのですか?」


 右に持ち替えた杖の先で地面を突く。こつんと他人行儀な音がした。


 ベッジフ様は頭をかきむしり、それだけでは済まずに倒れ込んだ。火を消そうというのか右に左に転げ回る。


「覆蓋神は世界をあまねく覆い、守り育てる神。その巫女姫の力も神殿の界内の隅々にまで届き、不届き者には鉄槌を下すのです。……ああ、申し忘れていましたが、その炎は幻術ですのでご心配なさらず」


 その証拠に、わたしには炎の一片も移っていない。けれど不届き者たる彼には熱も匂いも感じる、極めて現実に似た幻である。


 そろそろ解いて差し上げなければ精神的衝撃のあまり力尽きてしまうのではないか、とわたしは思った。ベッジフ様はとうに転がるのをやめ、ぐったりと倒れ伏している。

 と、ベッジフ様の身体から炎が消え去った。同時に熱も消えたはずである。ベッジフ様は恐る恐るといったように顔を上げた。


「ベッジフ様」


 呼ぶと、彼は「ひい!」と一声上げて顔を背けた。手足をばたつかせ、立ち上がろうともがく。


「申し上げるまでもないかも知れませんが、あなたはこのたびの行動で婿たる資格を失ったとお考えください」


 実際には巫女姫本人ではないわたしに求婚した時点で失格していたのだが、そこまで説明する必要はあるまい。

 ようよう立ち上がったベッジフ様は数歩後ずさった。


「こ、この……この、化け物!」

「化け物ではありません。覆蓋神の巫女です」


 わたしは彼の誤りを訂正したが、恐らく耳に入ってはいなかったに違いない。

 逃げるように走り去った彼の動きは、少々ぎこちなくはあったけれど、体調の心配は無用のようだ。


 わたしは着衣を確認した。幸い、帯も襟元も乱れてはいない。

 右手で握っていた杖を左手に持ち替えたところで、足音が近付いてくるのに気付いた。


「災難でした、巫女姫」


 彼の姿が目に入った瞬間、王だ、と思った。


 カレル様もベッジフ様もさほど変わらぬ身分のはずだが、彼らにはなかったもの。

 彼こそが王だ。そう感じさせるのは威厳なのか、姿形なのか、他の何かなのか。


 さほど小柄ではないわたしが見上げるような長身。年齢は恐らく二十代半ば。体に合わせて仕立てられた緩みの少ない服をまとった彼は、漆黒の瞳で微笑んだ。


「そして、お見事。割って入る隙がありませんでしたよ」

「……ご覧になっていらっしゃったのですか」

「途中からですが」

「でしたら、一声おかけくだされば。そうしたらベッジフ様にも苦しい思いをさせずに済みましたのに」


 彼の左の口角がわずかに引き上げられた。笑みが一気に皮肉げなものになる。


「尊き巫女姫の体に無遠慮に触れた者に? 巫女姫はお優しくていらっしゃる」


 優しい? わたしが?


 そうではない。わたしとてベッジフ様が巫女姫に触れたのなら決して許しはしない。

 けれど、わたしは巫女姫ではない。


「あの場に第三者が現れたのなら、ベッジフ様は引き下がられたでしょう」

「仮定の話は無意味です。それに申し上げたとおり、隙がなかったのですよ。声をかけようと思った途端、あの者が火を噴いたので」


 なぜか彼はそこで忍び笑った。


「巫女姫本人に直接とは随分不用心な、と思っていたのですが、力ずくでどうにかしようとする輩をああいう目に遭わせることが出来るとは」

「念のため申し上げますが、あれは幻術です。肉体的な害はほとんどありません」


 ファントセタン神術(しんじゅつ)には、人を傷つけるためのものはほとんどない。そこを勘違いされてしまったら困る。


 今年の春日の祭が終わればまた五十年、俗界との交流は絶えるのだ。神殿と巫女姫を危険なものとして記憶されてしまうのはまずい。


「分かっております。あれが本物の炎であれば、あの者は黒こげで落命していたでしょうから」


 愉快そうな面持ちは変わらない。ひどく的外れなことを言ってしまったような気がして、わたしは所在なく杖の持ち手をもてあそんだ。


「その杖」


 わたしは視線を上げた。彼の目はわたしの手元に注がれている。


「おみ足がお悪くていらっしゃる? 昨日お姿を拝見した時にはそのような感じはありませんでしたが」

「いいえ、これは足のためではありません」

「では何の?」


 少し考えて、わたしは正直に答えることにした。


「護身用です。不届き者に遭遇したら、成敗しなければなりませんから」

「そうですか」


 頷いた彼の口元が、吹き出すのをこらえるように歪んでいる。


「それにしては先程、あまり役に立っているようには見えませんでしたが」


 恐らく、彼には巫女姫の『ごっこ遊び』と映ったのだろう。ベッジフ様との一件を見られた後ではそう取られても仕方ないし、わたしもそう思われることを狙って言い方を選んだ。なのに少しだけ、不満を感じてしまう。


「そうですね。修行が足りません。ところであなたは求婚をなさらないのですか?」


 わたしは殊更平坦な声音で言った。


 巫女姫の方から求婚について尋ねるのは多分にはしたないことである。常のわたしであれば決して口にしたりはしないこと。それにこの言葉のために今わたしに求婚をしてしまえば、彼は巫女姫の婿たる資格を失ってしまう。


 彼のどこに、わたしは気を悪くしたのだろう。言葉? 言い方? 表情? ――分からない。


「求婚ですか。巫女姫の前で申し上げることではないですが、正直、俺はあまり、あなたを手に入れたいとは思っていないのですよ」

「ではなぜここにいらっしゃったのですか?」

「まあ、側近に勧められてというか」


 彼にしては大分歯切れの悪い物言いだ。


「奴曰く、『お前は臣にも民にも人気がないのだから、巫女姫を嫁にするぐらいのことをして歓心を買わなければ玉座を逐われるぞ』と。まあそれも概ね事実ではあるのですが、どちらかというと半分休暇のようなもので」

「人気がないのですか。……そうは見えませんが」


 彼は見栄えがいいのはもちろん、性格も気安そうで、臣下はともかく国民には好かれそうなものだと思うのだが。年は若いが、二十代半ばなら若すぎて不安ということもない。


「恐縮です。ですが本当にないのですよ。……やめましょう、つまらない話です」


 彼の微笑の中に苦さが一瞬表れ、すぐにかき消えた。


「そうですか。では、よい休暇をお過ごしください」


 一礼し、わたしは神殿へと足を向けた。数歩を歩くか歩かないかのところで、足元の花束が目にとまり、拾い上げる。そこへ背後から声が飛んできた。


「巫女姫」


 肩越しに振り返る。


「申し遅れましたが、俺はリクハルドと申します。巫女姫のお名前をお聞きしても?」


 リクハルド。北方の名だ。今日聞いた中では恐らく唯一、一覧表から削除されない名前。


「神殿に召された時に、俗界の名は()くしました」


 それだけを答え、わたしは再び背を向けた。




 ※ ※ ※





 神殿の更に奥には巫女殿(みこでん)と呼ばれる建物がある。

 巫女姫を筆頭に、神殿に仕える全ての女性が起居する場所だ。


「ねえ、新月(しんげつ)。あの方、よさそうな方だったわね」


 神術の白い光が壁を照らす巫女姫の私室にて、食後のロゼン茶を陶器の器に注ぎ終えてから、わたしは顔を上げた。


「あの方とは?」


 碧い瞳がまじまじとこちらを見つめ、次いで思い切り顔をしかめる。


「やっぱり気持ちが悪いわ、間近に私と同じ顔があるというのは」

(あさひ)様、何ですか、今更」

「そうよ、私の部屋でまで私と同じ顔でいる必要はないわよね。ここでは幻術を解くということにしましょう」


 宣言するなり巫女姫――旭様は両の手を組んで目を閉じた。


「伏して願い奉る。守る神、覆う神、慈しみ育てる神ファントセタンよ――」


 わたしも巫女の一員であるため、神気を感じ取ることが出来る。旭様の唱える神言(しんごん)に応えてわたしの周りを神気が一瞬取り巻き、そして消えていく。


 肩を見下ろすと、旭様のような明るい金髪ではなく、もっと白に近い色の髪が目に入った。

 これがわたしの本来の色だ。自分では確認出来ないが、顔つきも瞳の色も元に戻っているのだろう。


「うん、新月にはこっちの方が似合うわ、当たり前だけど」

「恐れ入ります。それで、先程はどの方のことをおっしゃっていたのです?」


 器を差し出すと、旭様は「ありがとう」と手に取った。一口飲んで器を卓の上に戻す。


「あの方よ。今日のただ一人の生き残り、リクハルド様」

「臣にも民にも人気がおありでないらしいですが」

「知っているわ、()ていたから。でも見た感じ、とても嫌われそうな方には思えなかったのだけれど」

「それはわたしも同感です」


 覆蓋神の巫女姫は神殿の領域と外界とを分ける壁の内側、つまりは神殿の界内全てを見通す能力を持つ。

 その『目』で彼を視た旭様がわたしと同じ感想を抱いたのなら、恐らく他の大部分の人間も同様に感じるだろうと思う。


 にもかかわらず、リクハルド様は重ねて人気がないと言っていた。その時見せた表情からしても何か理由があるのだと思われるが――


「新月、今、あの方のことを考えているでしょう」


 短い物思いを破られ、わたしは数回瞬いた。旭様はからかうような笑みを浮かべてわたしを見ている。


「ええ、そうです。申し訳ありません、少しぼうっとしたようで」

「……つまらないわね。もっと慌てて見せなさいよ」


 一転唇をとがらせんばかりの不満げな表情になり、旭様は肘掛けに頬杖をついた。


「はあ、申し訳ありません」


 何を慌てるのかよく分からなかったが、わたしは取り敢えず頭を下げた。するとなぜか旭様は一層不満を露わにし、大きくため息をついた。


「あのね、新月。あなたにしては珍しく、リクハルド様に突っかかったりしていたじゃない? 何かこう、一目でどきっとか、胸がきゅんとか、そういう他の人とは違うことを感じたりしなかったわけ?」


 きゅん? ……一層意味が分からない。


「王らしい方だな、とは思いましたが」

「……もういいわ……何であなたはいつまで経ってもそうなのよ……」


 旭様は脱力して卓に突っ伏した。わたしはお茶の器を避難させる。


「わたしのことはともかく、旭様。春日の祭はもう五日後ですよ。御身もお出ましになりませんと、候補者の方々がお気の毒です」


 昨日の開式の儀に出席して以来、旭様は巫女殿と神殿の他には一歩も出ていない。

 代わりに出歩いているのはわたしを含めて数人の、旭様の幻影をかぶった巫女達だ。


 腕をだらしなく卓に預けたまま旭様は顔を上げた。


「分かっているわ。でも私も少しは見極めたいのよ。お集まりの殿方は何人だったかしら、七十人? 八十人? その中からただ一人を選ぶのですもの」

「ですからわたし達がふるいにかけているのではありませんか」

「ええ、それも分かっています。明日からは出るわ。新月、あなたが求婚を受けたのは何人になった?」


 尋ねられて私は昨日と今日を思い返しながら指折り数えてみた。昨日が四人、今日が七人。


「十一人です」

「多いわね。やっぱり元々私の影巫女(かげみこ)だし、特に幻術のかかりがいいから、そのせいかしらね。他の子達は二、三人ぐらいらしいわよ」


 旭様はにっと唇をつり上げた。


「あなたの言うとおりだわ。私も早く出ないと、皆あなたに求婚してしまうわね」


 それはいけない。候補者が皆脱落するまで巫女姫が一度も姿を現さなかったということになれば、立派な詐欺ではないか。


「あなた達のお陰で人数も大分減ったようだし、どんな方がいらっしゃるのか視ることも出来たし。……そうね、リクハルド様にもお会いしてみたいわ」

「はい。是非そうなさってください」

「……ほんっとうにつまらない子よね……」


 あきれたように言い、旭様は再び卓に頬をつけた。

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