勇者と魔王の悲劇
とある世界のとある国で、勇者と呼ばれる異世界人が召喚されました。
その国の王は言います。
“我が国は魔族によって侵略されている。勇者となって救ってほしい”
その国の人々が言います。
“勇者様、どうか私たちを助けてください”
勇者と呼ばれた異世界人は、覚悟を決めた瞳で言いました。
“……私は、何をすればいいんですか”
そうして彼女は勇者となりました。
それから勇者は魔王を倒すべく力をつけていきます。
あるときは剣を握り(初めて持った剣は重く、持った手は震えていました)
あるときは魔物を倒し(命の奪い合いは恐ろしく、傷つけることも傷つけられることも痛くて仕方ありませんでした)
あるときは人を助け(たくさん感謝されましたが、傷ついた人々を見て内心複雑でした)
あるときは仲間を失い(1人、また1人といなくなっていく仲間に涙が止まりませんでした)
そしてついに、長く険しい旅は終わりを迎えます。
旅を始めた時には大勢いた仲間は次々と欠けていき、今では彼女一人だけになってしまいました。
魔物と初めて戦った時には震えていた足は、今では竦むこともありません。
魔物を殺すたびに嘔吐していましたが、今では眉根を動かさずに殺すことができます。
異なる世界におびえていた瞳は、今では強い意志を秘めて前を見据えています。
果たしてそれは、成長といっていいのでしょうか。
もはや来た当初の彼女ではなくなってしまった勇者は、魔王に言います。
“あなたを倒しに来ました”
魔王は不愉快そうに応えます。
“そうか。俺もお前を殺したくて仕方がない”
勇者が言います。
“ならば始めましょう”
勇者と魔王がぶつかり合います。
剣と剣が交わり、火花が散ります。
魔法と魔法がぶつかり、あたりが吹き飛んでいきます。
魔王を倒せばすべてが終わると、全力を出して魔王に向かいます。
勇者を殺さんと、憎悪を宿して勇者に向かいます。
長い、長い、時間が過ぎました。
三日三晩というほどではありません。
けれど、丸一日くらいは争っていたのではないでしょうか。
互いに満身創痍といった様子で対峙する2人は、おそらくあと一撃を加えることが限界でしょう。
刃を握りしめ緊張した空気が流れたとき、彼女が口を開きます。
“お互い次が最後でしょう……。だから、1つ質問をしてもいいですか?”
魔王は答えます。
“なんだ”
彼女は問います。
“どうして人の国を侵略したんですか?”
それは、彼女が勇者となってからの疑問でした。
魔物と呼ばれる存在は人を襲いますが、魔族と呼ばれる存在は人を襲いません。
魔物が魔族まで襲っているところを見て、ただ自らの本能に従って動いているように見受けられました。
魔族が人を見下しているとかそういうことではなく、ただ興味がないだけのように見受けられました。
そして魔王領と呼ばれる地域に入ってからますます困惑したのです。
広大な土地が欲しかったのでしょうか?―――こんなにも魔王領は広いのに?
豊かな土地が欲しかったのでしょうか?―――人の国に豊かな実りなどほとんどなかったのに?
弱者を蹂躙したかったのでしょうか?―――魔族はあんなにも人に興味がなかったのに?
旅を続けることでわかったこと、そして疑問に思うことが増えてきました。
だから聞こうと思っていたのです。
魔族の王たる魔王に、何故侵略したのかと。
帰ってきた答えは予想もしていなかったものでした。
“俺たちは侵略などしていない”
彼女は目を見開きます。
“―――え?”
魔王は淡々と言葉を紡ぎます。
“まず前提から間違っているんだ。俺たちは侵略などしていない。お前たちが魔物と呼ぶものは俺たちとは全く異なっており、俺たちにも牙をむく獣同然の生き物だ。詳しく言うと俺たち魔族とお前たち人間の魔力が混ざって空間のひずみが生まれ、そこから現れる。魔王領から出ていくといわれるのは魔王領と人の国の境目でひずみが生まれやすいからだ。現れた魔物は餌を求めて魔王領、もしくは人の国へ入る。人の国で多く発見されるのはただ単に人間が弱いからだろう”
彼女は、勇者は呆然とします。
魔王はそれを見て、さらに言葉を紡ぎました。
“魔物の発生は仕方がないものだ。風を防げても発生するのは止められないのと同じように、魔物を殺せてもひずみを消すことはできない。ここまで完全に分けておいて生まれてしまうのならば、もう何をして無駄だろう”
勇者は疲れではない震えが止まりません。
“だからお前たちのやったことは俺たちへの侵略だ。―――勇者”
魔王が剣の切っ先を勇者に向けました。
“異世界から呼ばれ、偽りの情報を刷り込まれ、無意味な殺戮を行ったことには同情しよう。だがお前は俺の同胞を殺しすぎた。王として見逃せない。故に、判決を下そう”
魔王が地を蹴って勇者との距離を縮めました。
“―――俺に殺されて死ね”
魔王の剣は勇者を貫こうとしています。
涙を流して剣をおろしていた勇者は、それを受け入れました。
勇者となるしかなかった彼女が呼ばれた意味は、あったのでしょうか。
無意味に魔族と戦い、無意味に幾多の命を奪い、無意味に仲間を失い、そして無意味に自らの命を散らせただけではないですか。
ただ魔物を殺せと言われたほうが、どんなに楽だったでしょう。
今の彼女の中にあるのは悲しみと後悔だけです。
もう家族や友人には会えない悲しみ。
自ら殺してしまった魔族と、ともに旅した仲間たちへの悲嘆。
そして、最後に戦った魔王への謝罪。
何をしても償うことなどできません。
彼女がしたことはそれほどのことなのです。
ごぽり、と口から血が零れました。
彼女が死ぬことで償うことなどできません。
ですが、魔王である彼の憂いを少しでも晴らすことはできるのではないでしょうか。
彼女はそう思って涙でぬれた瞳で魔王を見ます。
彼女を殺す彼は―――泣いていました。
幾多の命を奪った彼女を殺しても同胞を失った彼の悲しみは少しも晴れないということなのでしょう。
その事実に彼女は心を痛ませます。
1つだけ、たった1つだけでもできることはないのでしょうか。
残り少ない命でできる「何か」。
彼女は朦朧とした意識で考えます。
何かできる「償い」を探します。
召喚されてから強化された肉体はしぶとく彼女を生かし、死ぬこともできないまま時が過ぎます。
魔王と彼女が見詰め合うこと十数秒。
“…………ごめ、な………さ……”
口から出たのは謝罪でした。
“……わ……し、…………ゆるさ…れ……い…こ、……と……”
ぽたり、ぽたりと更に溢れる涙が地面を濡らします。
“いっぱ………しちゃ……た………”
動かない腕を魔王に向かって必死に動かします。
“……ほん………と…に…………ごめ………な…さ…………”
それはまるで許しを請うようで。
「償い」とはかけ離れた行動でしたが、魔王はその手を取りました。
“俺が許そう”
魔王の口から零れた言葉は、誰にも聞かれていない今だからこそ言えるものでした。
“王としては許せない。だが、俺個人としてお前を許そう。異世界から召喚された罪なき少女よ、罪悪感に苛まれて逝くな。お前は悪くないのだ”
彼女の顔がゆがみます。
“……………で、も………”
魔王は、彼は、言いました。
“人間のやり口など知っている。同情を誘うか無理やりいうことを聞かせるかだ。お前は前者だろう。自分に関係ない人間であろうとも心を痛め、俺の元までやってきたのだろう。今の姿を見ればわかる。死の間際まで謝罪する人間が、罪悪感に苛まれながら死のうとする人間が、どうして慈悲無き者といえるのか”
彼女は言葉が出てきませんでした。
何か言いたいのに、言えませんでした。
“っ…………”
彼は涙を流したまま言います。
悲しみに暮れているはずの心で、言います。
“俺が許す。お前は悪くない”
その言葉はどこまでも深く、深く、彼女の心に沁みこみました。
罪にまみれた彼女は彼の言葉で救われました。
救われてはいけないはずなのに、救われてしまいました。
魔王と勇者が見詰め合います。
否、彼と彼女が見詰め合います。
声なき声で彼女が言いました。
“ごめんなさい”
そして。
“ありがとう”
彼女は逝きました。
彼女の亡骸を抱えた彼はぽつりと零します。
“……なぁ。知ってるか、勇者”
剣を引き抜いた際にあふれ出した彼女の血で服を濡らしながら。
“俺たち一緒の学校だったんだぜ”
彼女が思っていたのとは違う意味で涙を流しながら。
“廊下ですれ違うたびに目で追ったりしてた”
隠していた真実を告げました。
“……ずっと、お前のこと好きだったんだ”