第101話「ひとりで、燃えなくていい」
その夜、ログインの前に、柚希から電話がかかってきた。日勤明けの、少し疲れた声だった。
「今日ね、患者さんが……無理をしすぎて、倒れちゃったの」柚希は、ぽつりと言った。「頑張り屋さんで、誰かのためにって、ずっと自分を後回しにしてた人でさ。……なんだか、あの灯りの子と、重なっちゃって」
「柚希」
「疲れてるけど、今夜、行くよ」電話の向こうで、柚希が小さく笑った。「あの子のこと、放っておけない」
ルクスの光の道と、アルシオンの翼に乗って、一行はふたたび常闇の国へと渡った。今日はもう寄り道はしない。まっすぐに、あの灯台の丘をめざす。
常闇はあいかわらず、国じゅうを重く覆っていた。だが今夜の陸の足取りに、迷いはなかった。
朽ちた灯台の根もとで、光の主は、今日もうずくまっていた。灰色にくすんだ体を丸め、消えかけの光を、そっと隠すように。
陸が近づくと、主はまた身を縮めた。見られたくない。その怯えが、痛いほど伝わってくる。それでも陸は退かず、その前に立った。そっと目を閉じ、《心話》で静かに語りかける。
「なあ。お前はずっと、誰かを照らすためだけに、自分を燃やしてきたんだよな。休むことも忘れて。……そうして、とうとう燃え尽きちまった」
主の光が、ぴくりと、痛みをこらえるように揺れた。
そのときだった。柚希が、そっと前へ進み出た。膝を折り、消えかけた光と、目の高さを合わせる。
「がんばりすぎて、燃え尽きちゃったんだね」やわらかな声だった。「でも、あなたは、なにも悪くない。……むしろ、頑張りすぎたくらい。もう、ひとりで全部、背負わなくていいんだよ」
その言葉には、日々だれかの痛みに寄り添ってきた者の、静かな重みがあった。
主の体が、びくりと震えた。灰色の光の奥から、こらえていた何かが、ふるえて滲みだす。
『……でも』声にならない想いが、陸の心に流れこんできた。『照らせない光に、なんの値打ちがある……こんな姿、見せられない……』
「値打ちがないなんて、そんなわけあるか」陸は、まっすぐに主を見上げた。「お前が照らした旅人たちは、明るさだけを覚えてるんじゃない。真っ暗ななかに、自分を待っててくれる光があった。ひとりじゃないって、思わせてくれた。……お前がくれたのは、それだ」
主の光が、大きく、ゆれた。
「それにな。お前はもう、ひとりで燃えなくていいんだ」陸は、うずくまる巨体に、手をのばした。「今度は、俺たちが、一緒に照らす」
陸が呼ぶと、仲間たちが、そっと灯りを寄せた。
ユニコーンが角の光を、やさしく灯す。フェニクスが、あたたかな炎を、そっとかざす。宗介たちも、そのまわりに集まった。誰ひとり、武器は手にしていない。ただ、この小さな灯りのそばに、いてやりたかった。そして、ルクスが、静かに歩み出た。
「すまなかったね」光の神は、消えかけの主に、そっと語りかけた。「お前ひとりに、この国を照らす重荷を、負わせつづけて。……今度は、私も一緒だ。ひとりで、燃えなくていい」
やわらかな光がいくつも、消えかけた主のまわりを、あたたかく囲んだ。誰も、無理に輝けとは言わない。ただ、そばにいる。その灯りが、静かに告げていた。もう、ひとりじゃない、と。
『……いいのか』主の想いが、ふるえながら届いた。『また、みんなに頼って……わたしは、もう二度と、輝けないかもしれないのに』
「輝けなくたっていいさ」陸は、やさしく言った。「そばにいてくれるだけで、じゅうぶんなんだ。……お前がずっと、あの旅人たちにそうしてやったみたいにな」
長い、長い沈黙のあと。
灰色の体の奥で、消えかけていた小さな残り火が、ぽっ、とふるえながら灯った。
それは、かつてのような、目もくらむ輝きではなかった。けれど、たしかに、あたたかい。まわりの灯りに支えられ、寄り添われながら、主はゆっくりと、自分の光をもう一度ともしはじめた。今度は、ひとりで燃え尽きるための光ではない。みんなと、わかちあうための、やさしい光を。
その光が、だんだんと大きく、あたたかくなっていく。灰色にくすんでいた体にも、少しずつ、やわらかな金色がもどってきた。
そして――ぱあっ、と。
常闇の国に、光が、還った。
分厚い薄闇が晴れ、色を失っていた景色に、いっせいに色がもどる。青白く萎れていた草が、みずみずしい緑を取りもどす。冷えきっていた空気も、じんわりとあたたまっていく。朽ちていた灯台の先に、あたたかな光がふたたび、こうこうと灯った。道に迷った誰かを、また、家へと導くために。
遠い空の彼方から、渡り鳥の群れが、その光を頼りに、この国へと帰ってきた。長いこと、暗闇のなかで、行き先を見失っていた者たちだった。
うずくまっていた主が、ゆっくりと身を起こした。もう、みじめに背を丸めてはいない。あたたかな金色の光をまとった、大きくてやさしい姿が、そこにあった。
だが今度は、その灯台に、主はひとりではなかった。ユニコーンが、ルクスが、そばに寄り添っている。もう、ひとりきりで、燃え尽きるまで輝く必要はないのだ。
「……ありがとう」
かすかな、けれどたしかにあたたかい声が、みんなの胸に届いた。光の主が、久しぶりに、笑ったような気がした。
「よかった」柚希が、涙をぬぐって笑う。「もう、無理しちゃだめだよ」
拠点へ帰り着くと、世界樹が、待っていた。よみがえった光の糧を浴びて、また一段、大きくなっている。枝の先までやわらかな光がゆきわたり、葉の一枚一枚が、あたたかく輝いていた。それでも、天を衝く伝説の大樹には、まだ遠い。育てる旅は、まだ道半ばだった。
「大地、水、風、そして、光」ルクスが、まぶしそうに世界樹を見上げた。「……残るは、生命だね。世界樹が、いちばん最後に必要とする糧だ」
その言葉に、ガロードが、静かに世界樹を見上げた。育ちゆくその樹に、老騎士の目の奥の影が、いつもより濃くなる。
「あの樹が、すべての糧を得たとき」ガロードは、ぽつりと言った。「いったい、何が起こるのか。……儂には、それが、どうにも」
だが老騎士は、そこで言葉を切り、ふっと目を伏せた。「いや。年寄りの、取り越し苦労よ」
「考えすぎだって」陸は、笑って首をかしげた。「困ってるやつがいたら、手を貸す。それだけだよ」
そうだな、とガロードは笑った。だが、その目の奥の影は、消えなかった。
その夜も、めいめいが光の粒になって、夜気に溶けていく。陸も静かに目を閉じ、その輪郭を、あたたかな灯りのなかへほどけさせた。
開発室のモニターに、光を取りもどした国が、こうこうと輝いていた。
「常闇だった国が……ぜんぶ、明るくなりました」こはるが、目を細める。「それに合わせて、世界樹の成長値が、また跳ねあがってます。大地、水、風、光……残りの反応は、あとひとつです」
「生命、か」三浦は、育ちゆく大樹のデータを、じっと見つめた。「四つ集まった。……あと、ひとつだ。あの子が、あの樹を育てきったとき。この世界に、何が起こるのか」三浦は、ふと、口をつぐんだ。「……それは、まだ、誰も知らない」
ヘッドセットを外すと、朝が近いのだろう、部屋の窓に、うっすらと白い光がにじみはじめていた。
ほどなくして、スマホが震えた。柚希からだ。
『あの子、灯ってよかった』少し間があって、もう一通。『あたしの患者さんも、ちゃんと休んで、また元気になってくれるといいな』
『きっと、大丈夫だ』陸は返した。『無理しすぎたら、今度は、誰かが灯りを分けてくれる。……お前がそうしてやったみたいにな』
窓の外が、少しずつ、明るくなっていく。灯りは、ひとりで燃えなくていい。わかちあえば、もっと、あたたかい。次の旅は、いよいよ、最後の糧――生命のもとへ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
「光」の旅、決着です。燃え尽きて、消えかけていた灯り。誰かを照らそうと、休むことも忘れて自分を燃やしつづけた果てに、とうとう輝けなくなってしまった――もう照らせない自分に、値打ちなんてない、と。
今回、その心にいちばん深く寄り添ったのは、柚希でした。看護師の彼女は、頑張りすぎて倒れてしまう人を、きっと何人も見てきたのでしょう。「あなたは、なにも悪くない。もう、ひとりで全部背負わなくていい」。その言葉の重みが、灯りの心をほどいてくれました。
そして陸の答えは、いつもどおり。「ひとりで燃えなくていい。今度は、みんなで照らす」。輝けなくても、そばにいるだけでいい。……そう言ってもらえる場所があるのは、しあわせなことですね。
大地、水、風、光。集まった糧は、四つ。残るは、最後のひとつ――生命です。ガロードの目の奥の影も、日に日に濃くなっていきます。育ちきった世界樹の先に、いったい何が待っているのでしょうか。
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