第六話 撮影
頭につけたライトを頼りに階段を登ると、少し離れた場所から話し声が聞こえた。
俺は外廊下に顔を出して、様子を窺うが誰の姿もない。
廊下には月明りが差し込み、それがまた不気味さを演出している。
「うわ、アイツら……部屋の中まで入ってんじゃん」
優奈はそう言いながら俺を追い越し、さっさと廊下を進んでいく。
俺はその背中を照らしながらついていくと、途中に開かれたままの扉。
話し声は中から聞こえてくる。
――不法侵入じゃねぇか。
俺はそう思ったが、よく考えればフェンスを越えた時点で自分たちもそうなのだ。――考えるのはやめておこう。
「ねぇ、もっと足開ける?こう、誘う感じで――」
「こ、こんなポーズ、不自然じゃ……」
「普通だよ!みんなそれくらいしてるんだからね!」
――気持ち悪い。
玄関に立ち、部屋の中を覗くとそこには、地を這うような姿勢でカメラを向ける赤バンダナと、扇状的なポーズを取らされている女がいた。
俺にはそれが、とてと悪趣味なモノに見えてしまう。
「ねぇ、さっきの叫び声ってアンタたち?」
玄関先から顔だけを室内に入れた優奈が、大きな声で訊ねる。
「ひっ、誰?!って優奈か、脅かさないでよ……」
「ちょっ!……こっちは撮影中だぞ!邪魔するなよ!くそっ、無駄な声が入っちゃったじゃないかっ!」
赤バンダナはカメラを下ろし、立ち上がって地団駄を踏む。
「邪魔になるのは事実だ。出よう」と、俺は優奈に伝える。
「ねぇ、質問に答えてよ。さっきの叫び声――」
「――ああそうだ!あれはボクの演出だっ!わかったら2度と邪魔をするなッ!」
赤バンダナは『ピィピィ』いう気持ち悪いキャラを忘れたのか、股間にテントを張りながら真顔で俺たちを追い払う。
気のいいひとだと思ったが、どうやら――ロクな人間じゃなかったらしいな。
こうして俺たちは、『空っぽの部屋』を後にし、廊下に戻る。
道路を挟んだ向こう側の建物では、いくつかの光が見えた。
どうやら他の参加者も『撮影』を頑張っているようだ。
「ほらね?言ったじゃん。演技だったでしょ」
優奈は廊下を歩きながら、満足げに笑う。
「よくわかったな、俺はここの不気味な雰囲気なら、何が起きてもおかしくないって考えてたんだが……」
「いやいや、逆に演技じゃなかったらなんなの?……え、もしかしてオカルトとか信じてる系??キツイわぁ。ボクちゃん歳はいくつよ?」
「はぁ……。そういうことじゃねぇんだけどな。――23、今年で24の歳だよ」
「え?!……うわ、タメじゃん」
そういえば、敬語を使おうと思っていたのに忘れていた。彼女にはどことなく地元の友人感があるからなのだろうか。
――しかし、同い年の異性の水着姿を撮るというのは、なんともいえない感情が湧いてくる。
俺たちは階段に戻り、さらに上の階を目指して登った。
最上階である5階にたどり着くと、優奈が準備体操のように肩を回す。
「ここならアイツらの声も聞こえないでしょ?さっ、撮影始めよう?」
俺は、一度止めていたカメラを再度起動し、優奈に向ける。
廊下に放棄された子供向けのおもちゃや、枯れ草にまみれたプランターを見つけては過剰に驚く優奈。
わざとらしく震わせる脚や、怯えたような表情を撮る俺。
彼女は一度も俺に話しかけず、ずっと独り言を呟いている。
ただカメラを向けることしかできない素人の俺を気遣ってか、画角の外で指を動かし指示も飛ばしてきた。
「プロ……なんだな」
俺は感心するよう、小さく漏らした。
どれくらいの時間が経ったか分からないが、廊下の端まで行き、折り返し登ってきた階段の上にたどり着く。
俺は、ずっと回していたカメラを止めた。
「はあ?なにそれ?私がプロ?……やめてよ。ど素人に言われても嬉しくないし」
そう言いながら優奈は、指を2つくっつけた状態でこちらに向ける。
タバコを寄越せってことか。
五階の廊下は隅々まで撮ったので、休憩を入れるにはちょうどいいのかもしれない。
俺はタバコと預かっていたコートを渡し、自らの分にも火をつける。
「っ、ふぅぅぅ……」
ため息混じり煙を吐く。
この異様な空間と状況において、気持ちをリセットさせてくれる至福の時間だ。
俺は暗闇に消えていく白い煙に感謝する。
気の抜けた表情をみせる優奈も、俺と同じようなことを思っているのかもしれない。
ヘッドライトの向きを調整しながら撮影する。これがなかなか、簡単なようでなかなかに骨の折れる作業だ。
ナメていたわけじゃないが、後ろ向きで歩き続けたり、ずっと他人のためにライトを使ったりするのは想像よりも神経を使う。
疲れるのは優奈も同じらしく、彼女はさっきからずっと肩を回している。
「肩、凝るのか?」
「うん、普段はそんなことないんだけど……ここに来てからずっとね。――もしかして……ここにはナニカいるのかも……?」
「……お前、イジってんだろ?」
「はっ、バレた?オカルト大好き心霊ボーイのマチダくんはこういうの好きなんじゃないの?」
カメラを向けていた時とは違う、自然で邪悪な笑顔をみせる優奈。
多分、彼女の素はこっちなのだろう。
――人をバカにする時だけ素の笑顔を見せるって、なんか嫌だな。
俺はそう思いつつも、さすがにそれは口に出さない。
「心霊ボーイってなんだよ。意味はわかるけど……」
「私さ、過去に何度かこのバイトしたことあんだけど、残念ながら『そういう現象』なんて一度も起きたことないよ?……まぁだいたいスタジオとか借りて撮ってたけどさ」
「残念ながらって、別に求めてねーよ」
「そういえば、……赤バンダナのたちがいた部屋、なんか変じゃなかった?」
「っ、……ああ、俺も思ってた――」
あの時は口に出さなかったが、俺はなんとなく『あの部屋』に違和感を覚えていた。
扉を開けてすぐダイニングキッチンがあり、奥に2つの扉。俺が昔住んでいた団地にそっくりな間取りだ。
よくある、ありきたりな、普通の間取りだと思う。
しかしそこには、家具をはじめとした『人のいた痕跡』みたいなものがなかった。
団地ってのは子連れが多いと俺は思ってる。
暗くて見落とした可能性もあるが、傷や落書き、そういった生活の痕跡は1つも見えなかった。
玄関の外には、ボロボロの子供用じょうろや、朝顔の植木鉢みたいなものが置いてあったのに。
「――あれはまるで、人が最初から住んでなか――」
「――ほら!やっぱり好きじゃん!ビビリなのにホラー好きってやつ?」
優奈がケラケラと笑う。
「……お前、人が真剣に話してんのに」
「え?!なに?怒った?やめてよ、冗談じゃん!」
「はぁ……。もういいよ」
「え?何それ……マジギレ?」
優奈が少し、覗き込むように首を傾げる。
「……ん?いや、俺の考えすぎってことだろ?昔からそういうところあるから納得しただけだ」
「えー、自分語り寒いわ。マジ勘弁」
「お前マジ……」
なんとなく、学生の頃に戻ったようなくだらない会話を俺たちは楽しむ。
手に持ったタバコと床に置いたヘッドライトがなければ、本当にそんなノスタルジックな気持ちになっていたかもしれない。
吸い殻を渡してきた優奈は、そのまま壁に手をつき、カチッカチッと何かを鳴らした。
「電気、通ってないんかね」
「……あぁ、みたいだな」
電灯のスイッチが、虚しい音を響かせる。
何度かそうやってるうちに、ジジッと、通電するような音がした。
「……今のって」
優奈も気づいたらしい。
「もしかして、このまま放っておいたら光るかな?」
「いやいや、そういうもんじゃないだろ。誰が金払ってんだよ」
俺の言葉を無視して、優奈はスイッチを触り続ける。
チッ、チッ、という音がして、廊下の屋根に取り付けられた電灯が点滅しはじめた。
「ほら!点きそう!私が――ひっ、!?」
「うおっ、!?マジか!?」
バンッ!
という激しい音と共に、大きな光が発され、電灯は砕け散った。
破裂した。と言った方が正しいのかもしれない。
粉々になった破片が床に落ちていく。
「……大丈夫か?」
「うん、……ごめん」
「いや、誰だって今のは予想できねぇだろ」
しおらしく、弱々しく身体を丸める優奈。
どうやら、廊下の向こうまで全ての電灯が炸裂したらしい。
――そんなことあり得るのか?
理屈がわからない。
「……高卒の俺が考えてもわかるわけねぇか」
「え?高卒なの?一緒じゃん!私もー」
しゃがみ込んだまま、優奈が片手をあげて笑った。
その瞬間――。
階下から叫び声が轟く。