第五話 団地
「自己紹介しようよ」
月夜に照らされた獣道。
そう呼ぶのがぴったりな、人の手が入っていない道を歩きながら、ギャルが振り返らずにそう言った。
「……え?無視?なんで?」
返事に悩んでいると、彼女は立ち止まり振り返る。
俺のつけたヘッドライトが目に入ったのか、眩しそうに手をかざした。
「……《マチダ》。俺のことはマチダって呼んでくれ」
「は?なにそれ、その言い方さぁ、偽名でしょ?……まぁいいや、私もどうせ芸名だし」
返事が遅れたせいで、偽名だとすぐバレた。
案外、彼女は勘がいいらしい。
――こんな怪しいバイトで出会った相手に本名を教えるわけない。
前を行く光が、だんだんと遠くなっていく。
「なぁ、早く行かないと迷うぞ」
「一本道っぽいし、平気じゃん?――私は優奈。優しいに……奈良の奈!年齢は秘密で――」
「なぁ置いてくぞ?」
「ちっ、ノリ悪いなー。ねぇ、なんで多重債務者くんって呼ばれてたの?あの偉そうな……佐々木だっけ?あいつと友達なの?ん?だとしたら債務者なんて呼ばれないか……」
優奈は平坦な声色で矢継ぎ早に質問を重ねながら俺を追い越していく。
「ねえ、なんか言えって。私たちこれら一晩中二人で過ごすんだから多少は仲良くしたほうが良くない?」
「まぁ、たしかに。……って一晩中?2、3時間程度、パッと撮って終わりじゃないのか?!」
優奈の言葉に、俺は驚き声がうわずる。
こんな森の中で一晩中?
ふざけんな。こっちは昼間に現場仕事してんだぞ?
――金のためとはいえ、くそっ……。
俺は佐々木のにやけ顔を思い出し、はらわたが煮えくり返る。
「売る分は2時間弱だとしても、使えないシーンとかカットしてたらギュッてなるじゃん?だから一応6時間とか、下手したらもっと撮っとくんだよ。んで、そのうちの使える分で給料決まるわけ。あれ?……もしかしてマチダって、この仕事初めて?」
「……ああ、そうだよ」
「マジかー。ミスったぁ。……経験者と組みたかったなあ」
額を軽く叩き、優奈は肩を落とす。
そう考えるのはわかるが、あからさま過ぎて俺は少しムッとする。
「じゃあ、お前は慣れてんのか?色々と聞きた――」
当てつけのように、色々と質問返しをしようとした時、不意に目の前がひらけた。
さっきまで、ライトの当たるところ以外なにも見えないような暗闇だったのに、ここだけは空が開けて月の明かりが眩しいほどに差し込んでいる。
そして、虫の鳴くような音が消えたような――。
「……なにあれ?団地?」
優奈の言葉で、俺は目の前の景色を理解した。
――なぜこんな場所に?
丸く造ったような盆地に、いくつかの建物が等間隔に並んでいる。
その真ん中には少し幅のある道路。
古臭い公営団地と言われれば、それにしか見えない。
だが異質なのは、それらがぐるっと囲うよう背の高いフェンスに囲まれていること。
そして、中央をまっすぐ伸びる道路が、どこにも繋がっていないことだ。
開発途中で頓挫したのだろうか。
「よし、全員揃ったな?」
リュウショウがタバコを地面に投げ捨て、足で踏み潰す。
――待っていたのか?
先に行ったと思っていたが、どうやら『参加者』がここに全員揃っている。
「……先に言っとくが、ここから先は『マジでヤバい』。全員で団体行動すべきだ」
リュウショウは真剣そのものといった表情で、一人一人の顔を見ながらそう言った。
しかし、その真摯な言葉は届かない。
俺以外の全員がそれを無視して勝手に進みだす。
リュウショウの背後にある錆びたフェンスが、工具で切られたように裂けていて、参加者たちが潜り抜けていく。
「おい、人の話を――」
リュウショウの制止を誰も聞かない。
「……ピピピっ、あんなナリして結構怖がりなんですねぇ。笑えますわ」
煽るように、赤バンダナをはじめ何人かが、そんな感じのことを言ってリュウショウをバカにしてフェンスの向こうへと消えていく。
――果たして本当にヤツが、リュウショウが怖がりなだけなのだろうか。
俺にはどうもそう思えない。
「場所取りって大事だからね。私たちも急ごう!」
優奈がフェンスへ向かう。
「なぁ、リュウショウだったか、アンタ何を知ってんだ?教えてくれ」
俺はフェンスを前に足を止め、まだ動き出さないリュウショウに訊ねる。
リュウショウとペアの背の高い女は、『知らない』と首を振り、リュウショウは俺を睨みつけた。
「おい、俺はお前の話を信じるって言ってんだ、話してくれてもいいだろ?」
車に乗る前、コイツが本気で取り乱していた理由が知りたい。
あの態度は、ここがなんなのか、これから何が起き得るかを知っているもののそれだったからだ。
《団地》がこんな人の気配のない山の中にあること自体、奇妙なのだが、それ以上に――なにか嫌な予感がしてならない。
「……テメーひとり仲間になっても――」
意味ねぇよ。
と、尻切れになるようなか細い声でリュウショウは悪態をつくと、フェンスを潜って団地の方へ消えていく。
「あぁもう、結局私たちが最後じゃん。絶対良さげな場所取られてんだけど!」
優奈は不満げに頬を膨らませる。
「……とりあえず、色々見て回ろう」
俺の提案に、優奈は呆れながら「……はいはい」と賛成した。
『きやあああああ!!』
「っ、今のは?!」
建物のそばに着き、さあ階段を登るか、といったところで、そんな叫び声が聞こえた。
右の建物に3つ、左の建物に1つの光が見えたので、人が少ないであろう左の建物を俺たちは選んだのだが――。
――どうやらハズレだったらしい。
声はこの建物の、上の階層から聞こえた。
怪物、悪魔、幽霊、悪霊。
エイリアン、殺人鬼、ゾンビ。
何が出てもおかしくない雰囲気が漂っている。
俺は、クローズドサークルものにありがちな《怪異》を思い浮かべながら、階段を上を睨みつける。
『助けなきゃ』
そう思って走り出すと、優奈の声が背中に刺さる。
「はっ、何今の?ひどい演技。お遊戯会かって」
階段を半分登り、踊り場にたどり着いた俺は振り返って訊ねる。
「演技?今のが……?」
「どう考えてもそうでしょ?!つーか、私ライト持ってないんだから先に行かないでよ。ってまさかアンタ、……あんな安っぽい演技に騙されたの?」
そう言われてみれば、確かにどこか演じたような叫び声だった気がする。
……だが、確信がない。
「いやいや、だとしたら何のためにそんな紛らわしいことをする必要が――」
階段の下にいる優奈が、その着ていた季節外れのコートのボタンを外し始める。
「ちょ、おまえっ……なにしてんだ!?」
「どうせならさ、階段登るとこから撮ろうよ」
躊躇なくボタンを全て外したことで、優奈の肌が露わになる。
白く透明感のある艶やかな腹部と、コートの端からチラリと見えた下着のような水着。
――そうだ。俺は、この姿を撮影するためにここへ来たんだった。
と、今更に思い出し、つまり今の叫び声は『撮影用の演技』だったのだと気づいた。
「なにしてんの?」
恥ずかしさで顔を隠す俺に、優奈が呆れたように声をかける。
「……ほっといてくれ」
「まぁいいや。カバンの中にカメラ入ってんでしょ?」
そう言われて、肩に掛けていたドラムバッグを漁ると、中にはハンディカムが入っていた。
赤い録画ボタンを押してみる。
カシュっというなんとも言えない音が鳴り、小さなディスプレイにRECの赤文字が映し出された。
そして優奈は、艶のある滑らかな動きでコートを完全に脱いでいく。
「これ、持って」
表情を崩さないまま、最低限の口の動きで優奈は指示を出す。
ああ、綺麗だな。
俺は素直にそう思った。